会田誠一家の息子 寅次郎(17)を高校生エンジニア・アーティストに育てた、“無理をしない子育て術”|草野絵美とスーパーティーンの「わかってくれない親の口説き方講座」#003

Text: Shiori Kirigaya

Photography: Kotetsu Nakazato unless otherwise stated.

2019.5.13

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現在6歳の息子の子育てをしているアーティスト草野絵美(くさの えみ)が、多方面で頭角を現した2000年代生まれのティーンエイジャーに、「自分の好きなことをどう見つけて、それをどのようにして突き詰めたのか」のストーリーを聞いていく連載 草野絵美とスーパーティーンの「わかってくれない親の口説き方講座」。第三回目の今回は、2001年生まれで現在17歳の会田寅次郎(あいだ とらじろう)と、その両親である岡田裕子(おかだ ひろこ)、そして会田誠(あいだ まこと)と対談した。両親の口から“スーパーティーンの育て方”を直接学ぶ、貴重な機会となった。

会田寅次郎は現在、都内の高校に通いながら企業でブロックチェーンエンジニアとしてアルバイトをしている。ともに現代美術家である両親とのアートユニット「会田家」で、2015年に東京都現代美術館で開催された『おとなもこどもも考える ここはだれの場所?』展にて教育問題を訴える「檄」の共同展示を行ったことで知られるが、個人でもメディアインスタレーション作品で第21回文化庁メディア芸術祭新人賞を受賞するなどの活躍をみせている。

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左から会田誠、草野絵美、会田寅次郎、岡田裕子

草野絵美は90年生まれ、80年代育ちで歌謡エレクトロユニット「Satelite Young(サテライトヤング)主宰・ボーカルで、現在2012年生まれの息子を子育て中。自身が10代の頃は、国内外で多様なカルチャーに触れ、ファッションフォトグラファーとして活動していた。

▶️彼女の10代の頃についてはこちら

幼い頃は引っ越しが多かった

草野絵美(以下、絵美):いくつかの小学校に通われたと聞きましたが、引っ越しが多かったんですか?

岡田裕子(以下、裕子):本当に引っ越しが多くて、東京と埼玉、千葉、神奈川に住みましたね。そのときそのときの事情があったんですけど。

会田誠(以下、誠):最初は首都圏の郊外にいたんですけど、こいつが幼稚園くらいのときに、僕に思うところがあって、「東京脱出だ」って勝手に叫んで。千葉のかなり周りが田んぼだらけの田舎の、安くてぼろい家を買って引っ越したんですよね。そこに幼稚園から小学校の低学年までいたんです。こいつをコンピューター好きにしたいという気持ちはさらさらなかったし、生まれた頃に住んでいた東京郊外の住宅地は自然のないところだったから。コンピューターを触り始めて、僕は子どもの頃からこれじゃいかん、もっと自然を教えなければと思って、そういう所に行ったんですけど、結果は全然…家から出なかった。ますますこもって(笑)。

裕子:そう、結果家から出なかった(笑)。海の近くだからサーファーにしようとか、伸び伸び自然で育てれば心も豊かになるかなと思ったら、まったく効き目なかったよね。

会田寅次郎(以下:寅次郎):逆にね…。

絵美:好きなことに没頭できる環境だったんですね?

裕子:なんだろう、歩いて行ける範囲に何もなかったからね。自然しか(笑)。

誠:まあね、そこの小学校が千葉の九十九里浜近くで。多分千葉というのは大きく二つにわけられるけど、僕らが住んでいたのは東京ベッドタウン的ではなくディープ千葉。いいところだけど保守的なんだよね。農業県だし。

裕子:なんかね、自然はすごくよかったんですけど、千葉って結構保守教育みたいで。子どもの頃も本当に逃げ出す勢い…。小1の終わりに、私に美大の講師の仕事がきて。ちょうどこのまま暮らして何かいいことあるのかなって考えていた時だったから、ちょっと場所を変えてみようかなって(笑)。あと彼がコンピューターを本当に好きになってきて。千葉の田舎の方だとないんですよ、コンピューターを学んだり趣味を共有する環境が。そういう刺激をもらえると思ったんです。それで、神奈川にまた引っ越ししました。

空想の落書きはできるだけとっておく

絵美:幼い頃からコンピューターを使って作品を作られていたと思うのですが、コンピューター自体にはいつから興味を持ち始めたんですか?

裕子:コンピューターに興味があるなって気が付いたのは3歳くらい。保育園のときに一人でぽつんと積み木をマウスに見立てて遊んでますよって保育士さんに聞いて。

誠:ご存知の通り、我々はそんなにコンピューターに詳しい両親ではないんだけど、彼女の方が映像作品が多いから、家ではコンピューターはビデオ編集で使うことが多くて。子どものときママの膝の上に乗せてもらって編集の仕事を眺めてたみたい。

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裕子:3歳くらいからソフトとか使い始めてました。その流れで、もう小1の7歳のときには、プログラミングを自然にやり始めていたんですよね。

絵美:そのときからビット*1の世界が?

寅次郎:ピクセル*2でしたね。

裕子:そうですね。あれ何歳くらいだっけ。コンピューターの中のことに興味が出て来ていて、想像上のファンタジーを作り始めていました、例えば神様がピクセルだったり。その世界でChim↑Pom(チンポム)*3とか松田修とか、うちに遊びに来る若手アーティスト達と一緒におままごと遊びを始めて。『TANTATATAN(タンタタタン)』(*4)って超大作映画を作っていました。

寅次郎:「ピクセル様」っていうのができたんだよね。

裕子:それが千葉にいたときで、Chim↑Pomと一緒に家の中や庭でよく撮影してね。

絵美:全編観てみたいです。後編がYoutubeにあがっているのを見て、小さい頃の寅次郎くんが説明している映像を観ました。

裕子:100時間くらいあるんだよね。

絵美:すごい。

裕子:それを3時間に収めたんだよね、東京都現代美術館の親子展のときに。膨大な量の映像をあちこちのパソコンやディスクから発掘して。

絵美:寅次郎くん、TANTATATANの世界観は日常から空想していたことだったんですか?

寅次郎:どうだろう…。でも日常的に作っていた感じでしたかね。

絵美:小さい頃に興味があった未知の世界を表現していた?

寅次郎:そうですね、そういう感じです。

裕子:ずっと落書きをしていて、それが記号だったり…。

寅次郎:例えばオリジナルの数字と数を作っていましたね。50進法の数の表記の仕方みたいなのを考えていて、それで自分で文字を作って、やっていました。

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第21回文化庁芸術祭新人賞受賞作『I’m In The Computer Memory』© 2018 Torajiro AIDA
メディアコンピュータの中で動作しているメモリを視覚化し、その中を探検する参加型インスタレーション。

絵美:わぁ、すごいですね。

裕子:それで、TANTATATANの紙幣と貨幣があったり、数の世界があったり、それをノートに自分で空想で落書きをしていたやつを、またChim↑Pomの子が「おもしれー」とか言って、映像に挟み込んで、ストーリーにしたりとかしましたね。TANTATATANっていうのは僕の頭の中の空想の王国みたいなもので、そのときの彼が作った数とか、お金とか、社会システムみたいなものがありました。私は参加してないからちょっとしか知らないんだけど、そうなんでしょ?(笑)。映像はおままごとを自分で撮影してたようなノリでやってましたね。

誠:撮影といっても、ノートパソコンのカメラでやってましたね。

絵美:あ、内蔵カメラで?

寅次郎:ただパカーって開けると撮影できるから。

裕子:そんな感じで空想の落書きとか、家にたくさんあって。当時、会田さんがこういうものは、絶対に捨てない方がいいって。だからできる限り取っておいてあるんですよ、常に。私は、子どもの頃の絵とかはもう捨てられてしまって一切ないんですけど、会田さんはお母さんが小学校のときの絵を取っておいていて、それが新潟の個展では展示になったりとかもしているんです。やっぱり子どもの頃描いていたファンタジーの世界って消えていってしまうけど、その空想の世界を落書きを通して思い返すことができたりするのがいいですね。

絵美:どんな空想していたか覚えている?

寅次郎:「世界」を作っていましたね。世界が太陽系みたいになっているんですよ。その太陽系みたいな感じの真ん中にTANTATATANの世界がある、太陽みたいな感じで。その周りにも惑星のように世界がいくつもあって、周回しているんですよ。で、その中のひとつに地球が存在する宇宙(EW=アースワールド)があるんですけど、それ以外にもいろんな世界、例えば魔法の世界(MW=マジックワールド)や夢の世界(DW=ドリームワールド)などがTANTATATANの周りを回っているっていう。地球の世界と一緒にいろんな世界が回ってる。でも複雑だし子どものときの記憶だから、現代美術館の展示のために落書きとか映像データを発掘しながら思い出すのに苦労しました。

(*1)コンピューターで扱われるデータの最小単位
(*2)色情報の最小単位。「画素」と同義で使われる。
(*3)社会的なタブーを扱ったインスタレーション作品を発表し、賛否両論を起こすことで知られる現代アート集団
(*4)3歳から11歳まで撮影し続けた映像を編集した作品で、2015年に東京都現代美術館で開催された「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展で上映された。

お古のコンピューターを与えたわけ

絵美:息子にどのタイミングで専用のコンピューターを与えるか迷っているのですが、寅次郎くんにはいつからコンピューターを持たせていたんですか?

裕子:5、6歳くらいのときに私のだったものをお古であげて、それを専用で使っていたよね。インターネットにつながっていないやつを。

寅次郎:うん。

裕子:最初、本当にコンピュータを使わせていいかもなって思ったのは、多分3歳くらいのときにある事件があって。私が編集中、ちょっと目を離していたら、寅次郎がコンピューターを初期化しちゃった。私はなんてことだ、全部消えたーってパニックになり、すごく怒った(笑)。でも彼が怯えながらも「…でも、バックアップ取っておいたよー」って。バックアップをとるっていうボタンがあって、そこにちゃんとチェックを入れていたから、初期化っていっても中はそのままだったんですよ。で、そのときに「わかった、彼はコンピュータについて随分わかっている、これはもう使わせていいや」と思った。それで、絶対初期化しないとか、システムのところは触らないとか、私のファイルを絶対ゴミ箱に入れないなどの最低限ルールを守るなら使っていいよってことにしました。そこからはもう、好きなだけ使っていいようにしちゃったんですよ。それでどんどん覚えちゃった。

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絵美:なんで初期化しようとしたかは覚えていますか?

裕子:私が初期化用のディスクを入れっぱなしにしていたんだよね。

寅次郎:ああ。

裕子:で、これをちょっと押しちゃったって。

寅次郎:そのときは、多分、コンピュータの中を探検していたんじゃないですか。アプリケーションとかをいろいろ開いたりとかして。

絵美:最近作った作品にも通じるものがありますね。コンピューターのメモリの中を探検するっていうのをやっていましたよね。どのおもちゃよりも魅力的な、彼のファンタジーがコンピューターの中にあったっていうことですよね。

裕子:そうですね。彼にとってはお古のコンピューターが一番のおもちゃだったよね。レゴくらいはハマったんですけど、一般的なおもちゃが欲しいって言われたこともなかった。

絵美:あげたのはラップトップですか?

裕子:そのときあげたのは、そうですね。彼の幼少期は、とにかくコンピューターが好きなんだなっていうのと、あとは本当に集団行動がだめでした。小学校に入っても全然ダメで、集団行動のトレーニングまで受けに児童センターに通ったりしてました、多分全然効き目なかったけど(笑)。私は、もともと幼児教育とか発達とかには興味があって、結婚する前から本はぱらぱらと読んでいたりしたんですが寅次郎のことがあってさらにいろいろ調べたんですが、こういう感じの社会性の薄い子どもたちっていうのは実際、ある一定数いるんですよね。

絵美:そうですよね。

裕子:発達段階で“定形外”の子どもはいろいろなパターンがあるのですが、寅次郎のようなタイプというのが分類としてあるのを見つけて、プログラミングが好きになる子が多いとあり、それに該当してるのかなと思ったんですね。そんなことに気が付いた時期に、彼が6歳か7歳のとき、会田さんの出張に合わせて京都に行くことになったんだけど。旅先っておもちゃとかないと子どもは落ち着かないでしょ?おもちゃ代わりにちょっとした本でも買おうかなと思って、ブックオフで1HTMLの入門書が100円で売っていたから、プログラミングの導入になるかもと買ってみました。「ホームページはこういう風にできているって書いてある本なんだよ」って渡したら、夢中になってしまって。現地の京都でそれをみたアーティストさんが、その100円の本は技術が古いから、今CSSっていうシステムもあるんだよって教えてくれて。わー、楽しいって。もうそれで一気にプログラムの世界に没頭し始めました。あとはもう今に至るまで全部独学ですね、私はHTMLを仕事でかじったぐらいで、プログラミング打てませんので。

誠:ちなみに、父親は今の話まったくわからないですからね。HTなんとかとかも…(笑)。

裕子:幼い頃に旅先でそういう本を読んだこととなども、きっかけにはなったかなと。

絵美:それは大きな出会いですよね、彼にとっても。

裕子:そうですね。ソフトで遊んでいるのを見ていたのですが、それだけだと限界があるので、もっと中のことを知りたいならプログラムを知ったほうがいいんだろうなと思っていたので。

絵美:私の息子も今とてもプログラミングに興味を持っているんです。マイクロビットっていう子ども用のプログラミングソフトをやっていて。コンピューターの中にとても興味を持っていて、息子はすごく空想の世界というか、絵本の話の世界を持ってコンピューターに触れているので、コンピューターの中にもきっと彼のストーリーがあって。寅次郎くんはそれを絵に描いていて、なんかそれをそのまま持って成長されて、またそれを作品に昇華されているのかなって思いました。うちの子にもすごく、そういうふうになってほしいなって。

“子どもはこういうのが好きそう”には合わせなかった

誠:家でパソコン開いていることが多いんだけど、何をやっているかは干渉しないよね。小学校のときも、中学校のときも、高校のときも。

絵美:それは大事ですよね。実際にそれでハッカソンとか勉強会とかもご自身で積極的に調べて応募されているし。

裕子:幼児教育の本でも一部のものは「子どもの遊びをあんまり邪魔しちゃいけない」って書いてあったりする。人によるし、かまってほしいのにほったらかしはネグレクトになっちゃうかもしれないからケースバイケースだけど。“過集中”っていうのがあって、良くも悪くも彼は好きなことには過度に集中する子かなと思う。一度集中し始めると、横から口を挟んで途切らせちゃうとすごくストレスみたいだからできるだけそっとしておきます。あとはこっちが忙しいからやりたいことやってる間は放っておいているのもあるけど。(笑)

絵美:うちもですね。

裕子:私はあんまり子育てとか…「お母さーん」みたいな感じになれる自信がなかったので、もう美術の仕事に付き合わせちゃおうと思って。彼自身がアートに食いつきがよかったし。下手に「子どもはこういうのが好きよね」みたいな感じで合わせていくと、多分私がストレスになってしまって嫌だし、自分と子どもが美術の世界を共有して楽しめることが我が家にとっては良いと思ったんです。だから仕事にも連れて行ったりとか。展覧会のような表の世界だけではなくて、美術の仕事は裏も楽しいので、展覧会準備の出張に連れて行っちゃったりとかね。

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絵美:それが結構寅次郎くんにもいい刺激になったというか、そういうのありますか?同級生の子が行っていないような所に行っているなとか?

寅次郎:小さい頃から、結構、飲み屋に連れていかれてました。さっき「空想は日常的?」っていう質問があったと思うんですけど、日常的にはあまり考えていなくて。割と飲み屋でみんなが飲んでいて、完全に疎外されているときに、紙に落書き書いたりとかして。

絵美:みんなが大人の話をしているときに(笑)。

寅次郎:そこで空想していたっていう感じ。

絵美:飲み屋が空想タイムになっていたんですね。

誠:あと割と特殊な体験としては、海外は行く機会があるね、普通よりは。でもほとんど家族旅行として行ったことはなくて。家に置いていくわけにいかないから、仕方なく親が連れて行くっていう感じで、スウェーデンとか、リトアニアとかね。もう覚えていないところも多いだろうけど、無意識レベルで覚えていたりとかするのかなと思う。

絵美:普通に旅行で行くのと違いますよね。

誠:こいつを楽しませるために連れて行く旅行じゃないからね。

裕子:これから楽しいところ行くよーって言って、そこが美術館の搬入とかね(笑)。

絵美:でもそれなりに楽しかったでしょ?

寅次郎:そんなに記憶ないですね(笑)。

裕子:でも無理くりですが、これは遊びですよーって騙して、ここペタペタって貼ってねー楽しいねーとか言って梱包させたりね(笑)。そうやって手伝わせたりとかね。

誠:美術のバックヤードとか、搬入ブースとか、ギャラリーの事務所とか、普通の人が行かないところが連れて行くことは多かった。で、ギャラリーとかに行くと、またコンピューターがずらっと並んでいて、ギャラリーのお姉さんとか優しいから、コンピュータをおもちゃ代わりに使わせてもらったりとかしていて。

絵美:じゃあ周りには本当に、お父さん、お母さん、先生以外の大人が平均的な子よりもいっぱいいたでしょうね。

裕子:そうですね。そういう環境に同年代の子どもがいなかったことにはちょっと問題は感じるけど、友だち作りとかがうまい子でもなかったし、そのときも子どもにあまり興味もなさそうだったんですよね。東京の西荻窪に住んでいた時期などは、アート関係の大人たちが毎日のように出入りしていて、会田さんのスタッフだったり飲みに来たり、いつもいたよね。私より先にうちに入ってすでに飲み会やってて、あれ、あんたたちどうやって鍵開けて入ってきたのかな?みたいな(笑)。鍵が壊れてたんだよね。

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絵美:じゃあ大人といたことの影響はあると思いますか?

寅次郎:なんか、大人といるのが普通みたいな。

裕子:そのうえ、普通じゃない大人たちといるからね。あまり一般的な人たちじゃなくて、かなりフリーダムな。それでいろいろ普通とずれていっちゃったのかなあ。

絵美:仲いいメンター的な人はいたんですか?そのときは?

寅次郎:仲いい人はたくさんいた。

裕子:うちに入り浸っていたChim↑Pomはかなりかまってくれてた。泊まりに来るたびに寅次郎に「今日はTANTATATAN映画、どのシーン撮る?」とか声かけてくれたりして。

絵美:でもそれで、世界が広がったなーっていう感覚はありましたか?

寅次郎:はい、ありましたね。

絵美:やっぱり学校と、子どもの頃って、学校と親だけっていう人が多いから、そこからいかに世界を広げるかっていうのがすごく重要な気がして。

裕子:寅次郎も個性が強い子どもで、幼稚園や小学校と合わなかったりで色々と大変なことがたくさんありましたけど、学校だけがすべてになっちゃうと、それで合っている子はいいんだけど、どうしても合わない子っているんじゃないかな?日常の100%が学校ってかなり辛いと思うんですよね。母である私も多分まいっちゃっていたと思うし。周りの大人が付き合ってくれる環境があって、学校とは別の世界をもうひとつ持っているっていうのは、かなり救いになったんじゃないかなみたいに思います。

絵美:今行っている高校は楽しいですか?

寅次郎:うん。高校楽しい。

裕子:今の高校は趣味が合う人もいるみたいな話をしてますね。授業も難しいけど楽しいって言っていて。今の高校、変人がいっぱいいるから寅次郎も浮かない(笑)。

寅次郎:もうみんな変人だから、ね(笑)。

絵美:それがいいよね。みんな変人な環境がいいよね。
裕子:で、みんな、仲いいよね。あんまり群れないし、みんなそれぞれにおもしろいところがあって、自分は自分みたいなところがある、そのせいかも。

絵美:今行っている私立高には自分で行きたいって希望したんですか?

裕子:私ばっかり喋っちゃってあれなんだけど、中学時代はある程度集団のなかでも暮らせるようになっていて、学校に行くこと自体に深刻な問題を抱えていたわけじゃないんだけど、公立中の雰囲気があんまり好きじゃないっていう話は本人がよくしてました。で、選択肢を学区外にも広げる意味で、私立も視野に入れようかな…と。そのときの勉強はプロにお任せ。私、教えられないし。

絵美:でもアウトソース大事ですよね、子育てにおいて。

裕子:親が勉強のことにまでカリカリするようになると、多分お互いによくないなと思ってそれ以来勉強のことはほとんど言いません。…今まで質素に暮らしてきたし、塾くらい入れてもいいだろうと思ったりして、私国立の受験もできる塾が最寄駅に一つだけあったので、行ってみました。少人数だったし、雰囲気も自由でよかったから、楽しかったみたい。そこの講師の勧めで受けたのが今の高校です。高校は今までのなかで一番合っている環境なのかもしれないとは思っていますけれど、諸々の事情で引っ越しを重ね、流れ着いた先がここという感じ。

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対等な立場で、ともに“好き”を追求する姿勢

親子との対談が実現した今回だが、会田家からは対等な立場から彼が「何に興味を持ちそう」なのか、ともに追求してきたという姿勢が感じられた。互いのコミュニケーションが多いのは、そんな関係性のなか育ててきたからなのかもしれない。

両親がアーティストであるため、彼をクリエイティブに育てる土壌があったことはいうまでもないが、ちょっとしたHTMLの本を読ませたエピソードにははっとさせられた。子どものためを思って「環境を整えよう」と意識しすぎたり、多大な投資をすることが必ずしも「好きを追求する人間」に育てるために必要ではないだろう。親にとっても無理のない範囲で物事を教えることで、可能性は十分広げられるのではないだろうか。次回の連載もお楽しみに!

会田寅次郎(あいだ とらじろう)

都内高校在学中。現在、スタートバーン株式会社でブロックチェーンエンジニアとしてアルバイトをしている。PyCon JP 2014で「The Esperanto Generator」を発表、セキュリティ・キャンプ全国大会 2015参加、2015年東京都現代美術館「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展に会田家として参加、第21回文化庁メディア芸術祭新人賞受賞。2018年度未踏IT人材発掘・育成事業採択。

岡田裕子(おかだ ひろこ)

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現代美術家。ヴィデオアート、写真、絵画、インスタレーション、パフォーマンスなど多岐にわたる表現を用いて、自らの実体験――恋愛、結婚、出産、子育てなど――を通したリアリティのある視点で、現代の社会へのメッセージ性の高い美術作品を制作。国内外の美術館、ギャラリー、オルタナティヴスペース等にて展覧会多数。主な展覧会は「MOTアニュアル2005愛と孤独、そして笑い」(東京都現代美術館、2005年)、「Global Feminisms」(ブルックリン美術館 、2007年)、「LESSON 0」(韓国国立現代美術館果川館・2017年)、「第11回恵比寿映像祭」(東京都写真美術館、2019年)など。
2010年よりオルタナティブ人形劇団「劇団★死期」主宰。著書に『現代アート探偵ゲンダイチコースケの事件簿「銀髪の賢者と油之牝狗」』(岡田裕子+松下学+阿部謙一(オルタナティブ人形劇団「劇団☆死期」)ART DIVER出版。2019年7月にミヅマアートギャラリーにて個展「ダブル・フューチャー」を開催予定、同展覧会で初作品集を刊行予定。

会田誠(あいだ まこと)

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1965年新潟県生まれ。1991年東京藝術大学大学院美術研究科修了。美少女、戦争画、サラリーマンなど、社会や歴史、現代と近代以前、西洋と東洋の境界を自由に往来し、奇想天外な対比や痛烈な批評性を提示する作風で、幅広い世代から圧倒的な支持を得ている。国内外の展覧会に多数。近年の主な展覧会は「天才でごめんなさい」(個展・森美術館、2013年)、「考えない人」ブルターニュ公爵城(個展・ナント美術館/フランス)、「ま、Still Aliveってこーゆーこと」 (個展・新潟県立近代美術館、2015年)、「GROUND NO PLAN」(会田誠展特設会場、2015年)、「Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」( 兵庫県立美術館、2019年)など。また昭和40年生まれのアーティストで結成された「昭和40年会」、美術家の妻・岡田裕子主宰のオルタナティブ人形劇団「劇団☆死期」顧問、小説やマンガの執筆など活動は多岐にわたる。

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草野絵美(くさの えみ)

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90年生まれ、80年代育ち。アーティストで、歌謡エレクトロユニット「Satellite Young(サテライトヤング)」主宰・ボーカル。2012年生まれの息子の子育てをしながら、『SENSORS(BS日テレ)』のMCを務めたり『サンテPC』CMに出演したりと、多方面で活躍中。

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