「苦しいなら逃げてもいい」。20代の臨床心理士が、我慢を美しいと考える日本人に伝えたいこと

Text: Shiori Kirigaya

Photography: Rina Kuwahara unless otherwise stated.

2018.4.2

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筆者が臨床心理士のKANAの存在を知ったのは、何気なくインスタグラムを見ていたときだった。そこでたまたま見つけたのが彼女の、渋谷で統合失調症を抱える女性と出会ったときの話を綴った投稿で、現在までに27,500以上の「いいね!」を集めている。知り合いに伝えるつもりで発信した彼女にとって、その反響は予想外だったという。

今回Be inspired!は、20代の臨床心理士である彼女にコンタクトをとり、彼女が自分自身の目を通して、人に悩みを打ち明けにくい日本社会をどう見ているのか話を聞いてみた。

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プロフィールに“臨床心理士”って書いているのは、モデルの子がモデルって書くとの同じ

「臨床心理士」という職業名を聞いても、それがどんなものかわからない人も少なくないだろう。だから筆者はKANAにまず、その「臨床心理士」という職業についての基本的な話から聞いてみることにした。すると彼女は、「臨床心理士っていうのは心の専門家です。それに尽きると思います」と答えた。

臨床心理士の資格は、数ある心理学系の資格で最も専門性が高く、取得するのが難しい。取得者が関わる領域は病院の精神科のカウンセラーのような医療保健分野から、企業内の相談室に常駐するカウンセラーなどの産業分野まで幅広く、人間がいるところならどこでも仕事ができるというもの。投薬はできないが、悩んでいる人自身が自分の考えを整理したり、抱えている問題を解決できるようにしたりする手伝いをすることがその業務の一つとして知られている。

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Location provided by Udagawa Cafe Bekkan

筆者だけかもしれないが、インスタグラムのプロフィールに「Clinical psychologist(臨床心理士)」と書いている人をKANA以外に見たことがなかった。そこで、なぜあえて職業を明らかにしているのか気になったため尋ねてみた。

それはモデルの子がモデルって書くのと一緒というくらいの気持ちで、全然意識したことがなかったですが、自分が誇っている職業なのでアイデンティティの一つとしてプロフィールに書いている感じですね。

「ファッション業界の方ですか?」と聞かれるくらい華やかな出で立ちをしている彼女には、投稿される写真から垣間見えるオープンさもあってか、ダイレクトメッセージで見ず知らずの相手からも相談が寄せられる。それにも一つひとつ真摯に答えてきたというのだ。それは悩んでいないように見える人も悩んでいて、抱えている悩みをなかなか周囲には打ち明けられない状況があるからかもしれない。

苦しむところを見せられない、我慢を美しいと考える人たち

KANAは、覚えているかぎり学校など自分の属したところでは必ず人から相談を受けてきていた。仲のいい子はもちろん、友だちの友だちから受けることも珍しくなかった。そうやって相談件数が増えていくものだから不思議に思い、「まわりに相談できる人いないの?」と相談してきた相手に聞いてみたこともあったが「いない」と答えるらしい。それについて、「苦しんでいても悲しんでいても、それを見せないのがいいとされる社会」だからではないか、と彼女は話す。

そんな日本の社会背景を考えてみると、人々の精神疾患に対する認識に行き着く。彼女によると日本では精神疾患のある人が見つかると地下牢に隔離していた歴史があり、「精神障害者を外に出してはいけない」という法律が1950年まで存在していた。そしてたった35年前の1983年にも宇都宮病院に入院していた精神疾患を持つ患者を医療関係者がリンチして殺害する「宇都宮病院事件」が起きており、それを経てようやく患者の人権が尊重されるようになったという段階にあると言っても過言ではないのだ。

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少し前には最近でも耳にする“メンヘラ*1”という言葉がネットスラングとして使われるようになり、精神疾患が身近なものになったようにも思える。しかし、その言葉のせいで病気を軽いものとしかとらえられない人たちもいるようだ。「“メンヘラ”という言葉が流行ったことが関係あるのかはわかりませんが」と前置きをしつつ、彼女はこう話す。

精神科は怖いっていうイメージがあったかもしれないけど、すごく精神科の敷居が低くなってきています。眠れないとかちょっと落ち込んじゃったとかっていうのでも割と足を運びやすくなったし、その“メンヘラ”っていう言葉ができて「病むのってこう分類化されるんだ」って、救われた人もいると思うんですよ。「私、こういう傾向があるんだよね」ってある種での自己紹介にも使いやすいし、若者が扱いやすいワードじゃないでしょうか。それはいい傾向ではあると思うんですけど、その反面、間違った情報によって精神疾患への理解がそこで止まったり、その軽い言葉のイメージだけが一人歩きしてしまったりしたこと。だから「私、メンヘラなのかもしれない」「ちょっとおかしいのかもしれない」って悩んでしまう人もいると思います。

(*1)メンタルヘルスの悩みを抱えている人をさす俗語

逃げたっていい。自分を肯定することが大切

臨床心理士として働くKANAに次に聞きたかったのが、彼女が現代の日本社会について感じていること。そこで話に出てきたのが大ヒット映画『アナと雪の女王』。同映画のテーマ曲の「ありのままで〜」という日本向けの訳詞は2014年の新語・流行語大賞のトップ10に入るほどの人気ぶりだった。

最近上映されている人気ミュージカル映画『グレイテスト・ショーマン』でも共通しているのが、挿入歌に「これが私だ」という歌詞があることだという。そんな歌詞が人気を呼ぶのは、「日本社会で生きる人が簡単に“ありのまま”でいられないから」だと彼女は指摘する。

「自分らしく」とか「ありのまま」でいるとか「これが私だ」っていうフレーズがすごく日本に生きる人の胸に響きやすいって思って。でもそれってできてないから。できてないことってすごく響くじゃないですか。できているなら普通のことになってしまいますが、自分がすごく負い目に感じていたり、「私全然自分らしくない」とかっていうのを感じてしまっていたりするから、そこが心にすごく響いているんじゃないかなって。

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KANAは『アナと雪の女王』にならうわけでもないが、悩んでいる人に「ありのままでいいよ。時間が解決してくれる」と声をかけている。それは浅い意味での“そのままでいていいよ”ではない。

“ありのまま”でいるのは、自分のこういうところが嫌いでしょうがない、こんな社会で生きるのがすごくいや、恋人と別れてすごく落ち込んでいる、誰々ちゃんみたいになれたらいいのになど、自分の頭から離れない思いを無理に隠さずにいていいということ。そんな気持ちの一つひとつを大切にして自分を肯定するのが何よりも重要で、苦しいのなら逃げたっていいと彼女は周囲によく伝えているのだ。

逃げることは悪いことじゃない、ただ自分を大切にしてほしい。自分の傷ついた過去とかから逃げるなら逃げて、逃げた先でその都度自分をしっかり肯定することが私はすごく大事だと思うんですね。そうするとおのずと自分で自分のことを肯定できるようになって、そうすると不思議とまわりも自分のことを受け入れてくれるようになるんです。そうしたら今度はまわりのことも好きになれて、自分の生き方が好きになれる。死のう死のうと思っていた毎日が急にハッピーにはならないかもしれないけど、別に大きくなく小さくもない等身大の「これが自分か」というものがすっと入ってくることがあると思うので。

ポジティブな発信ばかりじゃ近寄りがたい

「ポジティブな発信ばかり行っている人って近づきにくいじゃないですか」。SNSでの発信について話しているときに、KANAはそんな言葉を口にした。インスタグラムにポジティブなことでなくても投稿するのが、彼女のある種の自己プロデュースだ。聖人君子で“いい人”だと思われることは目指さない。誰でも経験するような日常の小さなモヤモヤについて発信することもあるが、近くに感じてもらえて「私もその気持ちわかります」と反応が返ってくることもある。そんなやりとりの一つひとつにもすべて、意味があると考えることが彼女のモットーらしい。

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私の人生もそうなんですけど、辛いことも悲しいことも嬉しいこともすべて絶対に意味があって、あの時間にあの人と知り合ったこととか、あの人と喧嘩したこととか、そういうすべての選択に必ず意味がある、それが今の自分になっている。そのようにすべてに意味があると考えると、おのずと今の自分を受け入れられるようになる。あのとき自分はあの選択をしたから今の自分があるって受け入れやすさにもなると思うんです。

自分を他者と比べてしまう人たちへ

インターネットに情報が溢れ、急速に世の中が変化しているように思えて、あるいはまわりの人がそれぞれの分野で活躍しているように見えて、自分は取り残されてしまうのではないかと焦っている人もいるのではないだろうか。筆者がKANAと話すなかで最も印象に残ったのが、そんな「変化」に対する彼女の見方だった。

変化って側からみるとすごく大きいものに見える。たとえば親友のAちゃんがあのときから急に変わっちゃったとかってあるじゃないですか。でも実際にAちゃんは何も考えてなかったり、日々生きているなかでちょっとずつ変化してきただけかもしれない。Aちゃん本人にその自覚はなかったりもする。他人から見たら大きくても「変化」って実は小さいもので、毎日のすごく地味な積み重ねなんです。でもなぜか人って大きな変化を求めがちで、「こういう悪いところを大きく変えなきゃ」と思ってしまう。だけどちっちゃい行動を意識するだけいいし、その場で足踏みしてるだけでもいい。足踏みだけでも筋肉がついてくるし、いつかのタイミングで前に進めるかもしれないしって思いますね。

「隣の芝生は青い」ということわざがあるように、他者がよく見えてしまうことはいつの世にもあるけれども、それは人の内面が他者からは見えないゆえに感じるのかもしれない。したがって、自分より優れているように見える他者を“基準”にして焦るのではなく、まずは彼女が強調していたように、自分自身の選択したことや感じていることを「肯定する」のが大切ではないだろうか。それが自分の生きやすい環境を見つけることにつながってくる。

KANA

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※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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