「自分たちと逆の立場の人物を描いた」。憎しみの歴史をどう乗り越えるかという普遍的な問いを投げかける映画『判決、ふたつの希望』

Text: Noemi Minami

Photography: ANNE YANO unless otherwise stated.

2018.8.24

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中東・レバノンの首都ベイルートである日起きた二人の男の些細な口論。それをきっかけに悪化していく衝突のなかでこぼれ出た、「許されざる侮辱の言葉」と暴力。このいざこざが裁判へと持ち込まれ、国中を巻き込む騒乱へと発展していく物語を描いた映画が『判決、ふたつの希望』である。

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TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL

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TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL

第90回アカデミー賞ではレバノン史上初めて外国語映画賞にノミネートされ、主演男優の一人であるパレスチナ人の俳優カメル・エル=バシャは第74回ベネチア国際映画祭でパレスチナ人として初めて最優秀男優賞を受賞した。

8月31日に日本での公開を控え、同作の監督ジアド・ドゥエイリ氏が来日。今回Be inspired!は憲法学者の木村草太氏を迎え、この法廷劇に込められた思いについて監督にうかがった。

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ジアド・ドゥエイリ氏(左)と木村草太氏(右)

許されざる侮辱の言葉

きっかけは些細なことだった。レバノンの首都ベイルートの住宅街で違法建築の補修作業を行なっていたパレスチナ人の現場監督ヤーセル・サラーメ(カメル・エル=バシャ)はあるアパートのバルコニーから水漏れしていることに気がつく。流れ落ちてくる水が従業員の作業の邪魔となるため、彼は補修作業の許可を取りにそのバルコニーの持ち主の部屋を訪れた。しかし、そこに妊娠中の妻と住んでいるレバノン人男性トニー・ハンナ(アデル・カラム)は横暴な態度で修理を拒否。そこで外から勝手にバルコニーを修理すると、トニーは激怒し直したばかりのパイプを壊し、それを目撃して不快に感じたヤーセルは「クズ野郎」と罵声をトニーに浴びせてしまう。

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トニー(左)とヤーセル(右)
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トニーはヤーセルの上司であるタラール所長に謝罪を求めて猛抗議をしたため、タラールがヤーセルを説得し、ヤーセルは渋々と謝罪をするためにトニーのもとを訪れる。しかし、そこでも口論が勃発。トニーは「許されざる侮辱の言葉」をヤーセルに浴びせ、それを受け我慢しきれなくなったヤーセルはトニーを殴り肋骨を骨折させてしまう。この暴力が決定打となり、些細なことから始まった二人の男の衝突は舞台を裁判所に移し、それを聞きつけたメディアが大々的に報じたことから、この裁判の行方は国中を巻き込む暴動へと発展していく…。

自分と逆の立場の人物を描く

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TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL

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主人公の二人はまっすぐで正直という点では似ているが、言うなれば正反対の存在。トニーは、マロン派のキリスト教徒(レバノン国内のカトリック系キリスト教徒)のレバノン人で、ヤーセルはスンニー派ムスリム(イスラム教徒の人口の約90パーセントを占める多数派の宗派)のパレスチナ人。レバノンの歴史において対立関係をもつ属性を持った二人だったのである。些細なことで始まったこのいざこざは、二人の属性の衝突だったというのが正しいであろう。

というのも、レバノンでは1975年から1990年まで内戦が続き、この内戦において右翼的なマロン派のキリスト教と左翼的なムスリムは政治的にも宗教的にも対立していた。

さらに、1970年以降、ヨルダンによるパレスチナ解放機構(PLO)追放を理由に、増加したレバノンへのパレスチナ難民に対しても両者は対極的な意見を持っていた。「パレスチナ難民がレバノンに問題を持ってくる」というのがマロン派のキリスト教のなかでは主流の見方だった。トニーがヤーセルに浴びせる「許されざる侮辱の言葉」にも、この歴史がからんでくる。

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ドゥエイリ監督と元妻ジョエル・トゥーマ氏によって書かれたこのトニー(マロン派のキリスト教徒)とヤーセル(パレスチナ難民)というキャラクターの抱える、レバノンの歴史を体現するような対立関係には、二人の生い立ちが反映されている。ドゥエイリ監督の両親は、監督が幼い頃から熱心にパレスチナ難民の権利のために闘ってきた左翼的なムスリムで、トゥーマ氏の両親は極右のキリスト教徒だった。

ドゥエイリ監督:この物語を書き始めた当初は、自分の過去と向き合い直す必要がありました。私は左翼的で武闘派の家族のなかで育ちました。1975年当時のレバノンではキリスト教徒たちがマジョリティで、右翼的でした。要は左翼的な両親にとってはキリスト教徒たちが最大の敵。従兄弟3人は闘いのなかでキリスト教徒に殺されました。

内戦が始まったとき私は12歳。人間性が形成される時期です。だから教会に行ってものを壊したり、盗みを犯したりしました。近所の人が敵側のスパイかと思い密告をしたこともあります。戦争とはそういうものでした。

それとは対照的に、極右の両親によって育てられたトゥーマ氏はパレスチナ人を「敵」だと教わって育った。しかし、興味深いのは、ドゥエイリ監督とトゥーマ氏は、自身と似た立場の登場人物ではなく、「自分たちと逆の立場の人物を描くことにした」そうだ。つまり、ドゥエイリ監督はトニーや、トニーを弁護する右翼的な弁護士を描き、トゥーマ氏はパレスチナ難民であるヤーセル、そして彼を弁護する左翼的なレバノン人の人権派弁護士を描いた。

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ジアド・ドゥエイリ氏

この映画の脚本は、書き手が現実の世界で憎悪の対象である、本来敵である人の立場に立って書かれた。それぞれの人物を形成するのには、過去の敵を理解することが不可欠となる。ドゥエイリ監督とトゥーマ氏が自身の過去を乗り越えてそれを行ったからこそ、この映画の終焉には題名通り、「ふたつの希望」がみられるのかもしれない。

レバノンの強き女性たちの肖像

木村氏:映画を観ていると男性陣が自分の善意に素直になれないさまが描かれていたと思います。人にいいことをすると弱くみられるのではないか、そんな不安を感じて、思った通りに行動できず、話がこじれてしまう。それに対して女性は非常に素直という対比がありました。

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木村草太氏

そう木村氏が指摘する通り、強い女性たちの姿もこの映画の見所である。

ドゥエイリ監督の母親は弁護士で、法廷のシーンを監修したそうだ。さらに、思想的な面でも彼女は彼に大きな影響を与えてきた。

ドゥエイリ監督:外交的に物事を収めようとすると父とは対象的に、私の母はラディカルでいつも闘っていた。彼女は弁護士で、女性の権利のために今日まで活動を続けています。私はそんな母に強く影響を受けました。だから作品に出てくる女性たちは登場人物の男性たちとは対象的に人に対する理解があるなど人間味があって、物語にとっても重要な役割を果たしていました。

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ジアド・ドゥエイリ氏(左)と木村草太氏(右)

憎しみの歴史をどう乗り越えるのか。あまりにもその歴史が悲惨だった場合、果たして乗り越えることはできるのか。複雑な歴史を持つ中東のレバノンを舞台に、普遍的な問いを投げかける今作。しかし、希望のみえない現実にも、人々が人間らしさを忘れなければ解決策はあるかもしれない、そんな希望を与えてくれるのが『判決、ふたつの希望』である。

予告編

※動画が見られない方はこちら

『判決、ふたつの希望』

Website

8/31(金)、TOHOシネマズ シャンテ他全国順次公開

© 2017 TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL – EZEKIEL FILMS – SCOPE PICTURES – DOURI FILMS

提供:バップ、アスミック・エース、ロングライド

配給:ロングライド

監督・脚本:ジアド・ドゥエイリ 

脚本:ジョエル・トゥーマ

出演:アデル・カラム、カメル・エル=バシャ

2017年/レバノン・フランス/アラビア語/113分/シネマスコープ/カラー/5.1ch/英題:The Insult/日本語字幕:寺尾次郎/字幕監修:佐野光子

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TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL

 

※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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