4月10日 1日目
とめどなく頭の中に入ってくる情報にほとほと疲れたのでニュースを追うのをやめることにした。
最近は一日に何時間もニュースをチェックすることに費やしていた。
前から活字中毒気味だったけど、この頃はいつにも増してニュースサイトを読んでいた。
けれどもそれに拍車をかけたのは10日前に知った友人の死だ。
癌で闘病していた彼女が亡くなったという知らせを聞いて呆然とした。
いつもだったら友達と一緒に酒を交わして大泣きしてハグしあっていた。
でも今家から出て誰かと会うわけにもいかない。
だからと言ってzoomで画面越しに彼女の死について話す気にもなれなかった。
一人でなんとか悲しみをやり過ごそうとするけれど、毎朝変な時間に目覚める。
何もせずベッドに横たわっていると悲しい気持ちに飲み込まれてしまうので必死に他のことを考えようとニュースを読み漁る。
そんなことを繰り返しているうちに一日のうちに幾度ともなくニュースを見るようになっていた。
毎日目にする感染者数や死者数は膨大に増え続け、もはやそれが多いのか少ないのかもわからない。
3桁の東京都の1日の感染者数が頭の中にのっぺり張り付いて離れない。
数字としてしか扱われない人の死に慣れてしまうのがいやだ。
身体を蝕まれるのもこわいけど、頭の中までこのウイルスに蝕まれてしまうのがこわい。
5日間このウイルスに関する情報をシャットアウトしてみよう。
そう思い立ってまずiPhoneのホーム画面にあったニュースアプリを全て消した。
次に、Safari上でTwitterと諸々のニュースサイトを閲覧できないようにしようと思いやり方を調べる。
どうやらアダルトサイトとしてURLを登録してブロックするしか方法がないらしく、アダルトサイトじゃないのにごめんなさい…と思いながらURLを一つ一つ入力してブロックする。
ちなみにこの文章を書いている時点(4月20日23時06分)で私が覚えている新型コロナウイルスに関する最新の情報は、世界中での感染者数200万人、死者数12万人、日本での感染者数は1万人を超え、政府から配布された布マスクが人々の手に渡り始めたが洗うと縮んでしまい使い物にならないということだ。
5日後これらの数字がどうなっているのかは正直まったく分からない。
ただもうそれが気にならないくらいにはちょっと疲れてしまった…。
とりあえず今日は一度もニュースを見ていないが、どうせ家にいるのには変わりないし別段困ったことは何もなかった。
頭の中にかかっていたもやが少し晴れた気がする。
嫌でもニュースを耳にしてしまうであろうインフラを支えてくれている人たちに感謝しつつ。
4月21日 2日目
朝起きてすぐ枕元のiPhoneに手を伸ばしそうになるけどすぐに手を引っ込めてかわりにベッドの中で大きく伸びをして今日やるべきことを思い出してみる。
窓を開け、軽く運動をして、朝食をとり、仕事をする。
宇宙飛行士の人が閉鎖空間の中で心の平穏を保つにはルーティンをもうけ、日々それにのっとって生活することだと言っていたのを読んでからなるべく規則正しく生きている。
変化のない毎日なんてごめんだと思っていたけど適度な拘束は快い、気が引き締まる。
今日もニュースを見なくて困ったことは特になかった。
何かを読みたくなったら代わりに小説を読んでいる。
空想の世界に逃避する方が不安を増幅させる情報を読むよりよっぽど健康的だと気づいた。
久しぶりに湯船に浸かって時間を忘れて本を読んだ。
心地いい眠気におそわれて気がつけば2時間経っていた。
こんな贅沢な時間の使い方、普段はなかなかできない。
そう思うと数週間、数ヶ月先自由に外出できるようになった日に思いを巡らすのもいいけど今を楽しめる範囲で楽しむのも悪くないな、なんて思う。
4月22日 3日目
こうして毎日繰り返し同じような生活を送り、曜日の感覚もあまりなくなった今思うのは、日々更新されるニュースは私に時間の経過を認識させ、この世界が絶え間なく動き続けているということを嫌というほど知らせてくれていたということだ。
真新しい情報を目にしなくなってから時間が過ぎるのがさらに遅くなった。
今日は友人の葬式があったので、彼女が埋葬される時間にロウソクを灯して祈った。
今もまだ悲しいけれど、どこか一つの区切りがついた気がする。
4月23日 4日目
考える時間が格段に増えた。
情報にしろ、モノにしろ、人間関係にしろ、自分にとって何が必要で何が必要でないのか、この生活が始まる前の自分の生活を振り返って考えている。
最近は孤独にもずいぶん慣れてきた。
70年代オイルショックの最中に免許を取得した人たちは、その後もガソリンの購入量が他の世代に比べて少ないらしい。
これは、社会的影響の大きい出来事は私たちに長期間に渡って影響を与え続けるということを示しているらしいけれど、コロナ禍で孤独に慣れざるを得ない経験をした私たちはこれからも孤独に生きていくんだろうか…。
それでも自分と向き合って過ごすことの楽しさの味をしめてしまったからには前と全く同じ生活には戻れない気がする。
4月24日 5日目
ついに我が家にもアベノマスクが届く。
エイプリルフールジョークが現実になってやってきた、衝撃的。
私が数週間前同じようにニュース断ちをしていて誰かに各世帯2枚ずつ布マスクが配布されることになったって言われたら絶対に信じないだろうな…(笑)。
4月25日 6日目
5日間が終わって久しぶりにニュースを見る。
正直もうニュースを見たいという気持ちはなかったけれど、そろそろ浦島太郎になってしまいそうと思いニュースサイトに一通り目を通すが特にめぼしいニュースはない。
世界はたった5日ではそう変わっていないようだった。
日本の一日あたりの感染者数もあまり変わっていない。
それでも前のように数字を見て重い気持ちになることはなかった。
しばらくニュースを見ないことで、世の中で起きている出来事と自分との間に適度に距離を取ることができるようになった。
外の世界で何が起きてようと、自分がやるべきことは本質的に変わらないし。
気持ちもだいぶ晴れて、自分のことに集中できるようになった。
私はたまたま友人の死が引き金になって落ち込んでしまったけれど、あまりにあっという間に変わってしまった日常に心が追いついていけなくなるのは当たり前だと思う。
だから同じように毎日の暗いニュースに参ってしまった人や、終わりが見えない状況に疲れてしまった人がいたら、ぜひ一度情報を断ち切ってみて、本を読むなり、映画をみるなり自分の好きなことをして過ごしてみてほしい。もちろんこんなに極端ではなくてもいいと思うけれど(笑)。