「今日出会った青は、今日だけのもの。明日にはまた違う色と出会えるかもしれない」写真家ニコ・ペレズの色彩を巡る旅

Text: Yuki Kanaitsuka

Photography: Nico Perez

2021.11.12

Share
Tweet

 インターネットの上で不思議な写真家に遭遇した。懐かしさと儚さを感じさせる淡い色使い。ディスプレイで見ているのに手触りが伝わってくるような独特の質感。デジタルで加工されたまばゆい写真で埋め尽くされるタイムラインのなかで、彼の写真はどこか時代に逆行しているような異彩を放っていた。

width="100%"
“Passing by” Atelier portraits

width="100%"
“Passing by” Atelier portraits

width="100%"
映画『恋する寄生虫』のスチール撮影

width="100%"
Khruangbin Poster & stills for “So we won’t forget”

 写真家の名前はNico Perez(ニコ・ペレズ)。自身のアート制作に加え、COACHをはじめとするハイファッションブランドや装苑のようなファッション雑誌、Khruangbin(クルアンビン)などのバンドのミュージックビデオのビジュアルやポスター、そして最近では映画『恋する寄生虫』のスチール写真まで、各方面で注目を浴びて活躍の場を広げている。スマートフォンが普及して誰もが日常的に写真を撮るようになったこの時代に、唯一無二の作品を生み出す彼は、なぜ日本で写真家になって、どのように日々写真と向き合っているのか。話を聞いてみた。

width="100%"
Nico Perez

What is my life ?(私は誰?どこへ行く?)っていつも問いかけている

 スペイン・マラガで生まれたニコは、7歳から母親と一緒にイギリス・ロンドンで暮らしていた。意外にも高校まではスポーツ一筋だったそうだが、大学に進学後に学問や表現活動に興味を持つようになる。大学では言語学と映像を学びながら自身でも映像と写真の創作活動を行っていたが、当時は自分の情熱を注げるものがなかなか見つけられなかったそうだ。当時も今も、彼が自分に問い続けている言葉がある。

“What is my life?”(私は誰?どこへ行く?)

 身を置いていたロンドンの大学はアートを学ぶには申し分のない環境だったが、ここでは自分が本当にやりたいことはみつかりそうにないと感じていた。そして19歳のときに遠く離れた異国の地、東京を訪れた。2週間の滞在は、彼の人生に大きな影響を与えた。初めて見た東京の街は、青く、寂しい印象だったという。それは今の彼の作風にどこか通じる感性だと言える。そんな東京の街の不思議な魅力に心を奪われたニコは、大学を休学して今度は1年間東京に長期滞在をすることにした。

「プランもない。お金もない。当時の私には何もなかった。そんな状況で東京に行くことはばかげていたかもしれないけど、振り返ればベストな選択だった。この体験のおかげで大学や先生、そして身のまわりのいろいろなものに感謝できるようになった。文化が違うから大変なこともあったけどね。私のルーツはスペインとイギリス。だから、正反対の文化を持ってるとも言える遠い国の日本に興味があった。もちろん、イギリスにも素晴らしいものがたくさんあるよ。でもそのときは、それに気付けなかった。今、11年経って、イギリスに戻ったらきっといろんな発見があるだろうね。そのとき、人間にとって大事なことは居心地のいい環境から出ることだと思った。外に飛び出したら、数年後戻って来たときに、もといた環境に感謝できるようになる」

width="100%"
Study of blue & ripped print, 2021

 この時点ではまだ写真家になると決めていたわけではなかったが、東京との出会いを経てアーティスト ニコ・ペレズの表現を模索する長い旅がはじまる。
 この頃の彼が大きな影響を受けたアーティストが2人いる。1人は、日本の写真家の川内倫子(かわうち りんこ)だ。19歳の頃、川内倫子の写真集『Cui Cui』を手に取ったニコは、その色使いの美しさに驚いたという。それから2年後、1年間の東京滞在を経てロンドンの大学に戻った彼は、幸運にも川内倫子がイギリスでワークショップを開催する際にメンバーに選ばれて、1週間彼女と共に制作活動をすることができた。2人は今でも友達だ。

 「そのとき、分ったんだ。私はこれをやろうって」と彼は振り返る。川内倫子の存在や彼女の作品は今でも彼にとって特別なものだという。彼女との出会いはニコが写真家の道を歩むうえでの大きなきっかけとなった。

width="100%"
Yes, this is me. But who am I?, 2021

 もう1人、ニコが大きな影響を受けた存在がいる。オーストラリアの映像作家 クリストファー・ドイルだ。15歳の頃、彼が撮影監督として参加しているウォン・カーウァイ監督の映画と出会い、『恋する惑星』『ブエノスアイレス』などの作品に夢中になった。ロンドンの大学を後にして、日本に拠点を移して生活していた23歳のニコは、長年憧れていたクリストファー・ドイルと一緒に仕事ができるかもしれない千載一遇のチャンスを得る。知人のプロデューサーを介してクリストファーへのコンタクトに成功し、香港で予定されていた撮影現場に来ないかと誘われたのだ。すぐに香港に飛んだが、現地に降り立ってかけたクリストファーへの電話は繋がらなかった。数日後、クリストファーから連絡があった。香港の映画の企画が中止になって彼は別の用事でスコットランドにいることを知った。

「そのときは、私にとってクリストファー・ドイルを追いかけることが世界の全てだった。でも、彼から電話をもらったとき、憧れの人には会えなくていいのかもしれないって思ったんだ。ずっと彼の映像が大好きだったから彼みたいになりたいと思ってた。でもそのときに自分で頑張ろうと思った。彼はよく、自分の経験を大切にして、自分の旅をした方がいいと言っていた。今なら、その意味がよく分かる。だから、会えなかったのは逆に良かったと思ってる。今でも大好きだけどね」

 自分の道を歩むことを決めてからも、どうしたら自分をうまく表現できるのかはすぐには分からなかった。ロンドンではカクテルバーや寿司バー、東京に移住してからも、しばらくはモデル、俳優、英語の教師など実にさまざまな仕事を経験していたという。そんな日々のなかでも、ずっと写真は撮り続けていた。彼に写真家になった理由を尋ねると、何か一つの大きなきっかけがあったからというより、それまでの日々の経験の積み重ねの先にたどり着いたのだと話してくれた。

「クリストファー・ドイルを追いかけていたことや、川内倫子に出会ったこと、いろいろな経験が今に繋がってる。でも、もし私が違う人だったら、川内倫子の写真を見ても「すごく綺麗だ」と思うだけで終わっていたと思う。彼、彼女に出会う前にも、それまでの人生の経験を通して私の心の中には何か表現したいものがあったんだ。そして、どうやったらそれが表現できるのかを探していた。What is my life?(私は誰?どこへ行く?)っていつも自分自身に問いかけている。今もその旅の途中。生きてると病気とか、親しい人の死とか、辛く悲しい経験もたくさんするけど、そういう経験も大切にした方がいいと思ってる。安全な道を選ぶこともできるけど、それには魅力を感じない。痛くても、傷つきながらいろいろな経験をした方がきっといい写真が撮れる」

width="100%"
Here we are, blue humming, cyan,2021

写真のプリント作業は見果てぬ色を探す楽しい旅

 クライアントワークから創作活動まで、日々さまざまな撮影をこなしているニコは、デジタルやiPhoneも使うが、主にフィルムカメラを使用することが多い。フィルムで撮影したときは、全てアトリエにつくった暗室で自ら現像している。撮影が終わると暗室に籠って、明るさや色などの細かい設定の調整を繰り返しながら納得のいく色を探していく。iPhoneで撮影をしてボタン一つで加工することに慣れていると、気が遠くなるような時間と手間がかけられているようにも感じるが、彼にとっては時間を気にせず理想の色を探す旅に出られる暗室での作業は至福の時なのだ。
 ニコの作品は、独特の淡く繊細な色使いが大きな魅力の一つと言えるが、彼はその時々の自分自身の内面、感情を投影させて色を決めるという。人の感情は日々変化する。だから、昨日はしっくりきた色が、今日は色褪せて見えることもある。終わりのない旅の中で、ニコは毎日、その瞬間にしか出会えない色を探している。

「同じ風景でもみんな見え方は違う。写真を撮ってプリントをするときは、そこに自分の感情がのってくる。今日出会った青は、今日だけのもの。明日にはまた違う色と出会えるかもしれない。それってすごく美しいことだと思うんだ。だからずっと、探し続けてる。いつも色のことを考えてる。たまに写真は光で絵を描いてるみたいだと思うことがある。まだまだ見たことない色がきっとたくさんあるはずだから、理想の色を探すのは時間がかかるけど、旅みたいで楽しい。1枚の写真でも、全然違う世界に行ける。世界は広い、どこへでも行けるってことを教えてくれるんだ」

 ニコはアトリエで一般の人向けに気軽に写真のプリントが体験できるワークショップ「TOKYO COLOUR DARK ROOM」を開催している。ここ数年フィルムカメラが若者を中心にリバイバルブームになっているが、プリントまで自分でするのは、かなりハードルが高い。ニコは、独学で写真を学んできた経験から、写真をプリントをすることの楽しさを伝えていきたいと思ったという。

width="100%"
Morning atelier wall (Kitchen), 2020

「私が暗室でのハンドプリントを勉強したかった11年前、誰も教えてくれなかった。技術を秘密にしてる人が多かった。東京に来てからプリントのワークショップを探していくつか参加してみたけど、残念ながら期待外れのことが多かった。そこでは、情熱を持った人には出会えなかった。だから、いつか自分の暗室を持ったら、私は教えることをしようと思った。実際に自分の暗室を作ったときは写真家・横浪修(よこなみ おさむ)さんがたくさん手助けしてくれた。とても感謝してる。一回プリントを経験するとみんな写真への向き合い方が変わる。暗室があったら、プリントのワークショップのなかで、いろいろなことが伝えられる。いつもそう思ってた。人間は素晴らしいね。こんな小さな写真の中でもいろいろな世界にいけるんだよ」

 ニコの写真の特徴は人への向き合い方にも表れている。風景写真を撮る際に自分自身の感情に向けられる眼差しが、人物を撮るときには、同時に相手の心にも向けられる。彼がパーソナルワークとして続けている「Passing by」というポートレイトのシリーズがある。被写体のほとんどは彼の友人や知人。雑談をするなかで、その瞬間に表れる感情、一期一会の表情をカメラに収める。

width="100%"
“Passing by” Atelier portraits

width="100%"
“Passing by” Atelier portraits

width="100%"
“Passing by” Atelier portraits

「いつもその人の心を探してる。でも人はなかなかすぐに心をオープンにはできないから、このシリーズではじっくり話をする。十年来の友人みたいにいろいろなことを聞く。そして、その瞬間のその人のエナジーを感じる。簡単に心はみつけられないけど、ちょっと心をオープンにしてくれたって感じられる瞬間はすごく嬉しい。ちょっとだけでも信頼が生まれたら、絶対にいい写真がつくれるから」

 彼が、普段ファッションや広告の仕事で撮影するモデルや俳優は、誰もが知っている有名人やInstagaramのフォロワーが100万人を超えるようなインフルエンサーも珍しくはない。けれど、ニコはどんな相手でもアプローチを変えることはないという。

「相手が有名とかそうじゃないとかは考えない。みんな同じ人間として向き合う。俳優でも、ミュージシャンでもそれは一緒。その人を見て、その瞬間のエナジーを感じて撮る。親友みたいに接しながら相手の心を探すんだ」

今日が全て、未来はない

 2020年2月~3月にかけて自身のアトリエで開催した個展「離れる|Take Off」では、故郷を離れて遠い異国の地に来たばかりの頃に感じていた自由や孤独、寂しさなどの感情が込められた写真や映像などの作品が展示された。夜明け前の空の色のような霞がかった青色は、ニコがはじめて日本に来たときに魅力を感じたという寂しい東京の色を思わせる。作品を見ている側も、自分自身の記憶や心の奥底に深く潜っていくような気分になる空間が広がっていた。

width="100%"
Notes, 2020

width="100%"
「離れる|Take Off」

width="100%"
「離れる|Take Off」

 それから、約8ヶ月。ニコはまた新しい個展の準備をしていた。前回の個展のテーマが「inside=内へ潜る」だとすると今度のテーマは「get out=外へ出ていく」あるいは「escape=逃避行」だという。題材はキューバのハバナの写真。数年前、雑誌「TRANSIT (トランジット)」の仕事でハバナに滞在していた際に撮りためた写真を新しくプリントして展示する。

「前の展示をやってみて、次は何がいいだろうって考えてた。前回は、センチメンタルな気分だったから、寂しい青で表現した。でも、今は、気持ちだけでもハッピーなところに行きたいなと思ってる。そうしたらもっといろんな色が欲しくなった。それでキューバのハバナに行ったときのことを思い出したんだ。ハバナは光と色が本当に鮮やかで、温かくて、エネルギーに満ちていた。だから、この写真ではそのときの感情をもう一度蘇らせたいと思った。僕も、みんなも、もう2年くらい海外に行けない生活が続いてるけど、海外に行ったことがない人にも見てもらえたら嬉しいな。まだまだ、どんな展示になるか分からないけどね。頭で考えることも時には必要だけど、私は、心を一番大事にしてる。今回のシリーズは特に、深く考えずに、シンプルに楽しんでもらえたらと思ってる。Don’t Think. Just feel」

width="100%"
Havana, Cuba, 2017

 そんなニコに今後の展望を聞いてみると、一段と彼らしい答えが返ってきた。

「やりたいことはいっぱいあるよ。思いついたことを冷蔵庫にたくさんメモしてる。また、来年2022年の5月にも展示をする。でも、先のことは分からないよね。いつだって、今日が全て。未来はない。哲学的な話に聞こえるかもしれないけど、毎日そう思って生きてるよ」

width="100%"
Tape & moon, 2020

 旅をするように理想の色を探し求める写真家は、旅をするように日々を生きている。

「いつも、ビギナーだったときをことを思い出す。私はゼロだって言い聞かせる。そしたら、毎日が新しい日に思えてくる。そして、日々、新しいことにトライする。自分が本当にやりたかったことをやる。成功しても、失敗してもそれはどっちでもいい。有名になることにはあまり興味はない。ずっと、トライし続けることが一番大事。そうやって死ぬまで学んでいたい。自分がこの先、何になりたいか、何になるのかは分からないけど。Just learn. それだけは分かる。全ての経験は人生のレッスンだから」

 彼の言葉は先の見えない時代のなかで、一歩踏み出せずにいる人たちへの優しいエールのように思えた。不安定な時代に何かしがみつくものを未来に探しても仕方ない。先のことはひとまず忘れて、今この瞬間の自分の心の声に従って生きれば、道が開けるのかもしれない。そんな気持ちが静かに湧き上がってくる。

width=“100%"

Nico Perez(ニコ・ペレズ)

1986年、スペイン・マラガで生まれる。幼少期にイギリス・ロンドンに移住し、スペインとイギリスを行き来しながら子ども時代を過ごす。2008年、初めて訪れた東京で、街の「青い」空気感や都市の孤独感にインスピレーションを受ける。 2009年、ロンドンで開催された写真家・川内倫子氏のワークショップのメンバーに選ばれ、写真家になることを決意し、東京に移住。2015年、初の写真集『Momentary』を発売し、同時に個展 を開催。以降、個展「Stills from life」(16)、「Kingsland Road」 (18) 、「Chasing Blue」(19) 、「離れる | Take Off」 (21)を開催する。東京を拠点に活動中。
Website / Instagram

width=“100%"

個展「Havana Cuba “The Reprint”」

2021年11月20日(土)~11月28日(日) 11:00-19:00
※11月22日(月)は定休日

会場
UltraSuperNew gallery
東京都渋谷区神宮前1-1-3

Artist Statement
2021年2月から3月にかけて開催した展示会では、個人的に大切な ビジュアル作品を共有することができました。それは感情的な表現であり、作品には私が見せたい「青」がありました。今年に入り、私は人生の色を探していることに気づきました。そして、4年前に雑誌『TRANSIT』で行った旅を振り返りました。当時の東京は1月、冬。人生で特に辛い時期にいた私は、違う空気を吸いたくて必死でした。幸運にも、この仕事のおかげで、私はいつの間にか地球の反対側のキューバのハバナにいたのです。周りに見える一筋の光と色、暖かさ、そしてエネルギーに圧倒されました。すぐに、この体験を感じたままに伝えなければいけない。そう思いました。自然に飛び散る光、表情豊かな色が写真の中に流れ込んでいます。周りにあるエネルギーを受け入れながら、それらが私の中に流れていったときのように。 ありがとう、キューバのハバナ。

ニコ・ペレズ

Share
Tweet
★ここを分記する

series

Creative Village