「私は役者を始めてしまったが故に、何かを発言したり、イメージを崩したりしてはいけなかった状況があったからこそ、今は自分を生きたい」30歳を迎えた俳優・忽那汐里が表現していきたいこと

Text: Fumika Ogura

Photography: Moeko Tamakawa unless otherwise stated.

Edit: Noemi Minami

2023.8.1

Share
Tweet

 配信開始直後はグローバルトップ10入りを果たした(2023年5月時点)Netflixオリジナルドラマ『サンクチュアリ』で、アメリカ育ちの新聞記者を演じ、上司や角界に堂々と切り込んでいく姿を演じた俳優・忽那汐里(くつな しおり)。2006年に14歳でデビュー以来さまざまなCMやドラマ、映画に引っ張りだこだった彼女は、4年ほど前に所属していた事務所から独立。海外を拠点に活動を始め、ハリウッド映画である『マーダー・ミステリー』や『デッドプール2』へ出演するなど、新たな道を歩み始めている。国内外でがむしゃらに俳優としてのキャリアを駆け抜けてきた彼女だが、昨年30歳を迎え、心境の変化があったという。今回は俳優・忽那汐里に、これまでの自分と、今の自分について話を聞いた。

※動画が見られない方はこちら

Film: takachrome
Music: JUMADIBA

俳優として歩み始めるまでの道のり

width=“100%"

 オーストラリアで生まれ育ち、「全日本国民的美少女コンテスト」をきっかけに、日本に住み始め、俳優としての活動をスタートした忽那汐里。海外で過ごした幼少期を振り返りながら、表舞台に立ち始めて感じたことを語ってもらった。

―どんな幼少期を送っていましたか?

オーストラリアで生まれ育ったのですが、うちはもう本当普通の家庭で。両親が20代ぐらいのときにオーストラリアに別々で行って、向こうで出会って。弟がいて、楽しく育った感じです。

小学校に入るまでは稀に見る手に負えない暴れん坊少女だったんですよ。でも学校に行き始めたら、やっぱり言葉の遅れもあったりして、大人しくなっていったぽくて。まぁ、アジア人が少なかったんで、なんかちょっとしたいじめみたいなのもありましたけど、でも子どもってそうじゃないですか、どこでも。日本は日本なりに別のいじめがあると思うし。でも7歳ぐらいのときからジャズダンスをしていました。本来の自分を表現する方法をそこで知っていった気がします。

ー芸能界の道を進み始めたのはいつからですか?

芸能界を目指していたわけではないんです。当時、家ではたまに日本のドラマや音楽が流れていたので、見たことや聞いたことはあるという感じ。

14歳の頃に日本に来たのは、親の友人に進められて「国民的美少女コンテスト」をふわっと受けたら、審査員特別賞を受賞して。大会に出る時点で事務所に契約してるんですけど、受賞後「日本に来てください」という感じだったので、あのときどうして行くことを決断したのか分かんないけど、もう1ヶ月半後とかには一人で飛行機に乗って、日本に行ってました。

ま、14歳だったというのもあって、したいことや、なりたいものが明確にあったわけではなくて。けどダンスは好きだったし、日本にも行ける。オーストラリアに残りたいという強い理由もなかったから決めました。

―14歳で一人で日本に渡ったんですか!?

そうですね、単身で来ました。結構大手の事務所にいたので、忙しいときは朝から晩まで寝ずに働き続けるようなスケジュールで。そんななかでも結構早い段階から、割と感覚的に自分の好きなものを察知していて。自分の好きなものと、自分の置かれてる環境が全然違うっていうのに、2、3年目で気付いてからは ちょっと大変だったなって感じですけど、まあでもそれもあって、今があるんだなと思ってます。

―どんなギャップを感じていたんですか?

若い時は自分の見え方にすごいコンプレックスがあったんですよ。分かりやすく言うと、清純派みたいな。だからこそ、そういった側の部分から、作品選びもこだわりたいっていう気持ちがあったんですが、今、そういうことは本当にどうでもいいって思ってます。私のことを誰かが見て、どう思うかはその人の自由だし、自分以外の人から自分がどう描かれるかなんて人それぞれ。自分自身のことを自分でちゃんと分かっていれば、それでいいかなと思うようになりました。もう自然な流れでどうにもなっていくんで、今は1ミリも何も気にしてないですね。

width=“100%"

毎日を思いっきり生きることが、ありのままの自分を形作ってくれる

 芸能界へ入るまでの流れを辿りながら、本人が考える「俳優」の在り方について話は展開していった。彼女から返ってきた答えから、これまで感じていた自身へのギャップを乗り越えたからこそ見える、ブレない意思の強さが伝わってくる。

―忽那さんにとって演技することはどういったことですか?

生き様かな。私たちの職業は、いろいろな人の価値観を伝えていく架け橋のような存在だと思っていて。だから、まあ全部日常ですよね。日常で経験したことが表現として現れていくし、撮影という環境下ではあるけど、演者として作品のなかに存在していた時間も、自身の一つの経験になる。良くなかった体験とかそういうのも含めて、全部それを伝えられるので、 思いっきり生きることが一番大事かなと思ってます。私の場合、お芝居をしているときも演技をしているという感覚がなくて、演じている役のバックグラウンドを踏まえたとき、もし自分がその環境に置かれたらどのように生きていくかということを考えてます。だから、本番が終わったあと、ハッ!みたいになることもあって。そのとき自分がどのようにしていたのかをあまり覚えていなかったりして。だから演じているというよりも、その瞬間瞬間を生きているっていう感覚が強いのかもしれない。

今って、いろんなことを言われる時代だけど、そのいろいろ言われちゃうようなこともやらせてほしいってすごい思うんですよね。泥酔とかもさせてほしいし、誰かとデートとかもさせてほしい。私もあるけど、みんなも泥酔したことあるじゃないですか。でもやっぱりその泥酔したときのあり方とかって、泥酔してみないと分かんない。だから、みんなが本当のものを見れるようにちゃんと伝えるから、「ちゃんと経験させて」ってすごい思います。役者ほどいろんなこと経験してOKな職種ってないと思ってて。もしかしたらちょっとタブーって言われることも、「役者だからまあ仕方ないよね」で、いいはずな気がするんですけど、世の中的にそうではなくて。だから、こちらはちゃんと伝えるし、そのためにはいろいろ経験させてほしい。まずは、人生を生きなきゃ何も伝えられるものがない。

width=“100%"

―これまでに影響を受けてきた方はいますか?

『鴨川食堂』(2016年)で親子役として共演した萩原健一さん。その作品では私のお父ちゃん役で、お父ちゃんって呼んでたんです。亡くなる前に一緒に時間過ごせて、本当によかったなと。生きてきた時代も違うので、今とはまた感覚が変わるのかもしれないですが、本当に自分の思うがままに、素直に生きてきた人なんだろうなと思って。いいことも悪いことも全部共有するし、芝居にも生きた年輪が本当に現れてた。ちょっと鳥肌がたちましたね。世間的にはいろいろ失敗もしたかもしれないけど、彼は失敗ともなんとも思ってない気がして。とにかくかっこいい人でした。

―4年ほど前に事務所から独立したのには理由があったんですか?

もう考え方が違ったっていうだけ。それに実際に私は一人でやってみて、会社に所属するよりは一人でやるのがいいタイプの人間だと思ったし。どちらにせよ、自分の人生なので、どこかに所属をしていたとしても、最終的には自分で決めていくと思うんですけどね。でも一人になったら、全てのことが自分の意思のもとで進んでいく。独立して、そこが大きく変わった部分ですかね。ただ、とりまく環境は変わったけど、自分自身はずっと変わってないですね。

―いろんな変化を経ても自身の軸がブレないのは自分のどういった部分にあると思いますか?

自分に正直であること。でも、私もここ最近それにやっと気付いて、それまでは結構分かってなかったんだなって思いますね。結果、自分に正直で常に素直で入れてたら、自然とそういうふうな道をたどっていくと思います。

width=“100%"

―海外でも活躍の場を広げていますよね。

アメリカでの仕事は全部がオーディションなので、それに受かってマッチしたら仕事をする流れ。日本は声をかけてもらったり、自分から声をかけたりもして、かなり自由に動かせてもらっています。アメリカと日本を比べると、まず文化も言語も違うし、何よりも根本的なシステムが違いますね。向こうでは俳優自身がマネジメントやエージェントを雇うので、全てが自分の意思のもとで進んでいく。日本との細かい違いはいろいろあるけど、例え国や言語が変わっても、環境が変わっても、自分が伝えたいことや表現したいことは変わらないので、それをどこでもできるようにしたいな。

表現から「今」の自分が持つメッセージを伝えていきたい

 俳優活動をスタートしてから約15年ほど経ち、30歳を迎えた忽那汐里。事務所から独立をし、海外へ拠点を移してからも、彼女の根本的な部分は変わらない。ありのままであることを大切に持ち続ける忽那が、これから表現を通して伝えていきたいこととは。

width=“100%"

―昨年、30代を迎えましたね。

私は年齢に対して全く何も感じたことがなくて。だから、「2」が「3」に変わるのもそんなになんとも思ってなくて、特になんも構えてなかった。でも結果、なんか急に30歳になったら結構面白いなって感じてて。今自分がすごい考えてることがあるんです。こういう仕事してるんですけど、今までは、自分がこう表に立って人に自分の思いを伝えたりとか、個人として誰かに影響を与える位置に立ちたくないと思っていたし、それをやるのは私でなくていいってすごい思ってたんですよね。私はもう自分の仕事作品を通して、それを見てもらったら、それだけでいいって思ってたのが、ちょっと変わった。やっぱ伝えていかなくちゃいけない。それはでもみんな共通して、こういう仕事をしてない人でも、やっぱ言葉を介して伝えていくっていうことをしていきたいって思ったのが最近かも。

そう思うようになったのも、海外で仕事を始められたことが大きいかもですね。私は幸い英語が話せて、海外でも仕事しててってなったときに、やっぱり多くの人が行けてるわけじゃなくて、日本ではすごい少数派。海外での作品は、バックグラウンドはいろいろあるけど、ほとんどが日本人の役。役を通して、そこでの自分の位置だったり、自分ができることだったりを考えたときに、やっぱり自分しか経験ができてないことを、ちゃんと伝えていく。それを見た人が後押しされたり、影響されたりすることもあるかもしれない。例えそうは思わなかったとしても、こういう人もいるよっていうのを、見せていかなきゃいけないなと思ったんですよね。

―今後、どんな役柄をやってみたいですか?

個人的にですが、いろいろなことに対してパーンっと突破した感じがあって。そういう部分が見える人を演じたいですね。今の世の中的にしかたのないことなのかもしれないけど、世間の声とかいろいろ厳しいから、発言をする場で、多くの人が少なからず恐怖心を持っていると思っていて。そういう世の中に対して、対照的な役がやれたらおもしろいなと思います。みんな、好きなことをやっていいと思うんですよね。だから、そういうマインドの役ってこれまでにもしたことがない気がしていて、やってみたい。

width=“100%"

―これから表現者として、どのようになっていきたいですか?

私は1年後のこととかも結構何も分かんない人で、細かく進めていきたいタイプ。例えば、企画や個人的なことは予定としてあるけど、その時々で価値観も変わっていくし、思っていることも変わっていくので、そのとき思ったことを伝えればいいと思っています。 私の作品を辿って見てくれてる人は、私が選んできた作品を見て、自然と価値観の共有ができているかもしれない。「今」の自分はこう思っているよ、「今」の自分はこういうものにビビッときてるよ、と。それを同じようにビビッときてくれる人もいていいし、いなくてもいいし。それぞれでいいと思ってるんですよ。嫌いな人はいて当然で、それでいいと思う。「忽那汐里」としてどう思われたいか、どんな人かと思われるよりは、役を通して私の伝えたいことを、自由に感じてもらえたらいいですね。

今ってSNSが生活のベースにあって、「いいね」の数やフォロワーで人を測っていることが多いですが、それってすっごい怖い気がして。例え傷ついたり、逃げたくなったりしても、本音で話すことがすごく重要なこと。だから、自分に正直に生きて、思っていることを素直に伝えるのが一番大事だと思う。私は役者を始めてしまったが故に、何かを発言したり、イメージを崩したりしてはいけなかった状況があったからこそ、今は自分を生きたい。だからそういう意味でも、国籍や性別、年齢などもあまり気にしていなくて、もう本当にシンプルに、人それぞれが感じた思いや価値観を伝えて、繋がっていけたらいいと思ってます。

width=“100%"

忽那汐里

Instagram

オーストラリア出身。クリント・イーストウッド監督作日本リメイク版「許されざる者」(李相日監督)にて2013年第37回日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。「黒衣の刺客」(ホウ・シャオシェン監督)、「女が眠る時」(ウェイン・ワン監督)など海外の監督作品に出演後、活動の場を海外に広げる。20世紀フォックス「デッドプール2」、Netflix「アウトサイダー」「マーダー・ミステリー」、Appleオリジナルドラマ「INVASION」等のハリウッド作品に出演。最新作は、Netflix Japanオリジナルドラマ「サンクチュアリ-聖域-」。待機作は、「デッドプール3」、ゲーム「デス・ストランディング2」など。

Share
Tweet
★ここを分記する

series

Creative Village