犬の目線から社会を見渡す。殺処分ゼロの国の野良犬に密着した「脱人間中心的」なドキュメンタリー『ストレイ 犬が見た世界』監督インタビュー

Text: Moe Nakata

Photography: © 2020 THIS WAS ARGOS, LLC

2022.3.1

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 「野良犬」と聞くとどのような印象を抱くだろうか。「獰猛」や「感染症」など、日本ではマイナスなイメージを持つ人が多いかもしれない。しかし、トルコでは野良犬の殺処分が禁止されており、野良犬が人間と同じように自由に街を練り歩いている。野良犬と人間が共存し、信頼関係を築いているのだ。

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 トルコの野良犬に密着し、犬の視点と同じ高さのローアングルから撮影されたドキュメンタリー『ストレイ 犬が見た世界』が2022年3月18日に公開される。本作は犬の視点から社会を見渡すことで私たちに新たな視点を与えてくれる。主人公のゼイティンというメスの野良犬が連れて行ってくれるのは公園の集会やカフェ、女性の権利を訴えるウィメンズ・マーチとさまざま。彼女たちには私たち人間がどのように映っているのか。動物と人間の関係はどのようなものであるべきなのか。エリザベス・ロー監督にインタビューを行った。

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エリザベス・ロー監督

ーこの映画を制作しようと思ったきっかけを教えてください

以前、自分の可愛がっていた犬が亡くなったときにものすごく悲しかったのに人間の家族が亡くなったときと同じように悲しむべきではないと感じている自分に気づいてショックでした。そのときに、「社会の風潮として、犬と人の死では、どうして同じ悲しみ方をするべきではないのか?」っていう疑問を持ったことがきっかけです。悲しみ方に差があるということは動物や人間にヒエラルキーがあるのかもしれないと思ったんです。そして人間と動物の関係を考えるときに動物のなかでもすごく弱い立場にいる野良犬について取り上げることで何か発見があるのではないかと考えました。

ー実際に映画に登場する犬たちとはどのように出会ったのですか

トルコ在住の共同プロデューサーと一緒に街を歩きながら犬を探していたら、ある日トンネルの中に2匹の犬がいて、その2匹がなぜかすごく急いでどこかに向かっているように見えたんです。「野良犬はどこに急いで行く必要があるのだろう?」と不思議になって追いかけたらそこにはシリアから来た難民の青年たちがいて、犬たちと彼らの関係に感動して撮影しようと決めました。

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ー犬の映画と聞くと飼い主と犬のハートフルなストーリーが多いように感じます。しかし、本作はそのような単純でハートフルなストーリーには見受けられませんでした。撮影時に特別意識した点などはありますか?

正直、私は犬の映画で好きなものがありません。なぜなら必ず飼い主の視点で描かれていて、犬の視点で描かれているものがないからです。私は犬の視点を大切にしたかったので、制作中もそのことはとても意識しました。シリアの難民たちと犬の関係の描き方にも気をつけていて、人々が想像するような「ペットと飼い主の関係」には見えないように意識しました。

ー犬の目線の高さと同じローアングルで撮られた映像が新鮮でした。「犬の視点」を鑑賞者に体験させることで、人間中心的な見方に一石を投じていたと思います。それは監督の意図だったと思いますが、人間中心的な考え方はなぜ危険なのでしょうか?

人間を中心に考えることはとても危険だと思います。環境問題をみればそれは一目瞭然ではないでしょうか。人間は自分勝手に資源を使い続けた結果、自分たちの命も危険にさらしているのが現状です。だから脱人間中心的な考え方に挑戦することが大切だと感じました。この映画には人が話すシーンはあまり登場しません。私は映画に言葉は必ずしも必要ではないと思っています。なぜなら肝心なことは言葉じゃなくてもメッセージとして届くからです。カメラの位置を低くするだけで、違った視点で物事を見ることができて、メッセージがそこに生まれたと思います。本作は、犬の視点から描いたからこそ、私たちが慣れ親しんだ従来のストーリーではないかもしれない。でも、この映画では私たちが主人公ではなくて、犬たちが主人公なんです。たったの72分の映画ですし、この映画を通して犬は何を考えるのだろうと興味を持つきっかけになったらいいなと思っています。

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ー「Stray(野良)」という題の通り、この映画には「野良」の犬だけでなく「野良」として生活するシリアからの難民の青年たちが登場しています。犬の視点を通して作中で観客は難民や女性の権利などに関する問題を目の当たりにすることになりますが、それは他の社会問題を捉えた映画と比べて特徴的なアプローチだと思いました。社会問題を犬の視点から見せることはどのような意味を持つのでしょうか。

主人公であるゼイティンのような野良犬の住処はどこも公共の場です。だからこの映画を制作することが決定したとき、ゼイティンを追いかければ街のいろいろな面を見ることになり必然的に社会の何らかに対する問題が絡まってくるだろうと予想できました。

ウィメンズマーチのシーンは私のお気に入りです。ゼイティンもナザールも女の子で、ウィメンズマーチは女性のためのマーチ。女性たちは自分たちに対する不平等や危険に対してマーチしていたわけだけど、それはストリートに生きているゼイティンたちにも同じように言えるかもしれない。けれどマーチ中に犬たちは交尾を始めてしまいます。セックスとははちゃめちゃなもので、綺麗事抜きの「生」を象徴している。ウィメンズマーチと交尾を通して、大切なテーマだけれどそれすら「犬にとってはどうでも良かったりする」っていうユーモアが偶然だけど表れていたのかなと思います。他にもカップルがSNSについて揉めているときもゼイティンは彼らの横で寝ているけれど、次のシーンではフンをしているのが面白いなと思いました。
 
同時に難民の青年たちと犬の関係を見ると政治的に弱い立場の難民の助けになっているのはまさにその犬たちの存在で、彼らにポジティブな影響を与えているとも言える。けれど、それも多分ゼイティンたちにとっては政治的態度を表しているわけではない。要は人間は政治などを大きな問題として考えてしまうんですが、犬の視点から社会を見たら意外とどうでもいいことなのかなってことです。

ーこの映画を制作する以前と以後で動物に対する意識はどのように変化しましたか。

犬は常に大好きだったのでそういう意味ではこの映画を作るにあたって犬を追いかけ続けることは夢のような時間でした。また同じように映画を作れる日がきたらすごく嬉しいし、それがやりたいことでもあります。でも、最近トルコの大統領が犬を捕獲して施設に入れてしまうことを命令したんです。それは法律に反しているんですけれど1匹の犬が人間を傷つけてしまったことが原因でした。私はそれを聞いてすぐトルコに行ってゼイティンを探しました。トルコについてから6日目にやっとゼイティンをみつけて彼女に安全な場所(飼い主)を提供しました。でも、この行為は自分にとっては複雑な心境でした。犬たちが自立して街の中にいるのが良かったのに結局人の手に預けることになってしまった。トルコの市民は犬を愛しているのにもかかわらず犬が施設に入ってしまう可能性があって、実のところ共存がいつまで続くのか不安です。

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 エリザベス・ロー監督によると、トルコの動物愛護に熱心な態度はその国の歴史と深く関係しているようだ。1900年代のトルコでは宗教的な理由もあり、犬は尊敬され愛される存在として多くの野良犬が人間と共存しながら街で生活を送っていたが、1910年にイギリスの外交官が野良犬の群れに襲われたことをきっかけにイギリス政府は報復としてイスタンブールの全ての野良犬を島に送り餓死させた。その後、イスタンブールでは火災を知らせる犬がいなくなったため大火災が発生し、イスタンブールの人々は「犬の追放=自分たちの街と国への呪い」と信じるようになった。しかし、その後も約100年にわたり政府は西洋の理想とする清潔な都市に合わせるために野良犬を根絶やしにしようとした。人々はそれに反対し続け、2004年には野良犬のための大規模な抗議が行われた。これにより健康な犬に対する殺処分や捕獲を禁止する法律が制定された。
 このような歴史を経てトルコでは現在、10万匹以上の犬が街で生活している。動物に対する保護を改善し、小学校で動物に対する思いやりの精神を教える教育カリキュラムを制定しようとする進歩的な動物愛護法も可決されつつある。
 対して日本では保護犬や保護猫に対する募金活動や保護犬・保護猫カフェなどを耳にすることはあるが「保護されていない犬」を街で見かけることは少ない。これは狂犬病予防などの観点から法律で保護することが定められているからだ。(トルコでは政府が野良犬にワクチンを接種し、元いた場所に戻している)
 狂犬病予防法第6条では「​​予防員は、第四条に規定する登録を受けず、若しくは鑑札を着けず、又は第五条に規定する予防注射を受けず、若しくは注射済票を着けていない犬があると認めたときは、これを抑留しなければならない」と定められており、この法律に従って野良犬と呼ばれる飼い主のいない犬たちは保護されている。環境省によると2020年度における所有者不明の犬の引き取り数は27,635匹に及ぶ。保護されたペットは収容期限をすぎても飼い主がみつからない場合、殺処分される。2020年度は4,059匹もの犬が殺処分された。
 このようにペットの殺処分ゼロにはほど遠い日本で本作はどのような波紋を起こすのだろう。本作には野良犬に対して寛容な市民がたくさん登場する。文化や歴史は違えど、彼らと野良犬の関係が人間と動物の関係について考えなおすきっかけとなるかもしれない。

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『ストレイ 犬が見た世界』

2022月3月18日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

公式サイトTwitter

Hot Docsカナダ国際ドキュメンタリー映画祭にて最優秀国際ドキュメンタリー賞を受賞。
トルコ・イスタンブールの街中。車道、マーケット、レストラン、ボスポラス海峡の砂浜…。あらゆる場所を縦横無尽に闊歩する犬たち。その数はかなり多く、社会もそれを自然と受け入れている。車をかわし、渋滞する車道をすり抜ける大型犬、その大型犬をうまく回避するドライバーたち。恋人たちが痴話げんかをするカフェの傍らで、耳を傾けながら横たわる犬。20世紀初頭の野犬駆除への猛省から、トルコの人々は野良犬と共存する道を選んだのだ。

監督:エリザベス・ロー 出演:ゼイティン、ナザール、カルタル(犬たち)ほか 2020年/アメリカ / トルコ語・英語 / 72分 / ビスタ / カラー / PG-12 日本語字幕:岩辺いずみ 原題:STRAY 配給:トランスフォーマー

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