「イギリス人として軍事訓練をした」。日本人が受け入れられない学校で“人種差別の残酷さ”を知った女性|イギリスで“日本人”として生きることとは

Text: Lisa Tani

Photography: KISSHOMARU SHIMAMURA unless otherwise stated.

2017.10.26

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皆さんはイギリス、と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?

まず頭に浮かぶのは紅茶、王室、不味い料理、ハリーポッターなどでしょうか。私にとってのイギリスは「分断」という言葉が一番よく表してくれる気がします。

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初めまして、谷村リサです。9月に早稲田大学国際教養学部を卒業し、今現在はドイツのベルリンに住んでいます。

日本の幼小中高大一貫のエスカレーター学校に通っていた私は、特に勉強せずともそれなりの大学に入れてしまう、敷かれたレールの上を歩いているだけのような毎日に飽き飽きしていました。

中学2年生の時、英語の成績が良かったのと、イギリスの伝説的DJエイフェックスツインが好きだったからというたった二つの理由でイギリスに留学することを決めました。

そうして15歳から18歳までの3年間、イギリス中部のミッドランズに位置するボーディングスクール(寄宿学校)に留学し、創立450年を超える歴史ある寄宿学校で、ハリーポッターの魔法なしバージョンのような生活を送っていました。

海外留学、ことさら多額な学費のかかるボーディングスクールへの留学となると、ネット上の体験談は華やかに飾り立てられた話ばかりで、私が実際に見て感じたものとかけ離れていてずっともやもやしていたのもあり、これを書かせてもらうことになりました。

生まれた瞬間から逃れられない階級差別

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年間数百万円もの学費がかかるパブリックスクール(私立学校)に通うことができるのは、豊かな社会経済的背景を持つ、いわゆるアッパークラス(上流階級)からアッパーミドルクラス(中流上位)の子供たちです。

「21世紀にもなって階級社会がどうのこうのなんて何を言ってるの?」と思われるかもしれませんが、私はボーディングスクールで、10代のイギリス人の子供達が当たり前のように「 But he/she is from middle class.(でも彼/彼女はミドルクラス出身だから)」と言い放つ姿を何度も見てきました。

たとえ同じ白人系イギリス人であっても階級という差別から逃れられないボーディングスクールという狭い社会の中で、日本人として生きるというのはとても難しいことでした。

リッチなイギリス人の子供達に囲まれて日本人として生きること

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多くのパブリックスクールでは、CCFと呼ばれる軍事訓練が必修となっています。

私の通っていた学校でも、毎週水曜日の16時から19時まで、迷彩服をに身を包み、軍靴を履き、退役軍人の指導の元、行進や匍匐前進、モデルガンでの射撃訓練などをします。

訓練には女子も男子も関係なく、体力的にも精神的にも、とても厳しいものでしたが、一番苦痛だったのは、日本人である自分が、学生連隊とはいえ、イギリスの国防のために イギリス人として、軍事訓練に参加しなくてはならなかったことです。

実際に、第一次、そして第二次世界大戦中には、多くのパブリックスクール卒業生が、CCFの大学版である Officer’s Training Corps(OTC)から戦場に赴き、命を落としました。

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第二次世界大戦中、日本とイギリスが敵国同士であったというのは、日本ではアメリカと比べ、あまり意識されていないような気がします。

ブリジットジョーンズの日記というイギリスを舞台にした有名なラブコメ映画で、主人公のブリジットが恋に落ちるマークは過去に妻に浮気され離婚に至った、というエピソードがあります。

高齢のマークの母は、 ブリジットにそんな話を耳打ちしつつ、「奥さんは日本人だったの、とても残酷な人種だわ」と言い捨てるのです。

CCFの訓練中、もし日本とイギリスがまた戦争をすることになったら、今横に並んで共に行進をしている友人たちは日本と戦うのだろうか、もし今銃で撃っている的がただの木製の的ではなくて日本人になったら、彼らは同じように日本人は残酷な人種だから、と言い捨て戸惑いなく引き金を引くのだろうか 、幾度もそんなことを考えました。

生まれてから一度も疑うことのなかった、自分の日本人というアイデンティティーを捨てさせられ、イギリス人というアイデンティティを強制させられるということがとても辛く、幾度も自分のアイデンティティが分からなくなりました。

今思い返せば、こういった訓練がエリート育成機関であるパブリックスクールで必修であるという事実こそが、イギリス社会の根深い分断を表しているように思えます。

イギリスの正式名称はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、本来、イングランド、スコットランド、ウェールズそして北アイルランドという4つの異なる国によって構成される連合国なのです。

互いに何度も侵攻を繰り返してきた4つの国が、UKという一つの国として成り立つためには、CCFやOTCといった軍事訓練で愛国心を鼓舞させることが欠かせないのでしょう。

多様的なロンドンでイギリスのもう一つの顔を知った

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1970年代初頭に台頭した 北アイルランド紛争を最後に、イギリスという国の分断は一度は忘れ去られたかのような様相を長年呈していました。

その分断が再び表面化したのは、2016年に行われたEU離脱の是非を問う国民投票です。

当時私は、大学の交換留学で一年間ロンドンに住んでおり、残留派が優勢であったロンドンの中でも、移民が多く暮らし、80パーセント近くもの住民が残留に投票したHackney(ハックニー)で暮らしていました。

Hackney中のクラブやレストランが、著名なドイツ人写真家、Wolfgang Tillmans作のEU 残留への投票を呼びかけるポスターを掲げていました。

誰もがEU離脱なんて馬鹿げた話だと笑い飛ばしていました。気が向いた時にいつでも格安航空券を買ってパリやベルリンに行ける、私たちはこんなにもEUの恩恵を受けているのに、イギリスがEUを離脱すべきなんて考えているのはごく一部のナショナリスト達だけだろう、と。

投票結果は、スコットランドと北アイルランドはEU残留が多数、イングランドとウェールズにおいては離脱派が多数、しかし全体として離脱派が勝利という形になり、イギリスの地域間、そして階級間での深い分断と不平等が未だ存在していること、そして多くの人々がその事実に怒っていることを曝け出しました。

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Café OtoやBrilliant Corners、Pacific Social ClubにMamachari Clubなどの日系の店々で日本の文化がハックニーの人々に愛されている姿を見て、日本と日本人としての自分のアイデンティティがやっと受け入れられた気がして、ボーディングスクールでは知ることのなかったイギリスの新たな一面を知り、やっとイギリスという国が好きになってきた矢先のことでした。

この投票で、週末気軽にパリに遊びに行くことや、東地中海上に位置するキプロス島でホリデーを過ごすこと、ベルリンにアーティストとして移住することや、クロアチアのフェスティバルに行くことなど、ロンドンの友人たちが当たり前のように行使していたそれらの権利を享受することができるのは、イギリスの極一部の地理的にも経済的にも恵まれた人間だけであったことを知りました。

過去、被支配者階級を分断し互いを争わせる分断統治と呼ばれる政治手法を用いて植民地支配を繰り広げてきたイギリス自体が、未だ根深い分断社会である事実が露呈したのは、皮肉としか言いようがありません。

差別されて気づいた「自分の差別」

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分かち断たれたコミュニティでマイノリティである日本人として生きるというのは、決して楽なことではありませんでした。

分断された国、コミュニティというのは、そこに差別が許容される土壌があるということです。

それでもその中で、同じマイノリティ同士連帯しお互いを認め合い暮らしていくこと、そしてなにより日本でマジョリティである日本人として暮らしていて気付くことがなかった差別に目を向けることが大事だと考えています。

「ニーハオ、ニーハオ」とからかわれたり、東京は香港のどこにあるの?といった質問を投げかけられたりして、中国人や香港人に間違われることに嫌悪感を抱いた自分の中に差別されている自分もが、他の東アジア人を軽蔑し差別していた事実に気づいて自己嫌悪に陥ったり、自分も日本で、自分の無知さで人を傷つけていたのではないだろうかと考えるようになりました。

そして李良枝などの在日韓国・朝鮮人の作家らによる作品などを読み、初めて自分の知ることのなかった残酷な日本社会の一面を知り、留学先で差別にあった自分とは違い、帰る場所のない彼らの人生の壮絶なことを知ったり、そうして日本に住んでいた頃には感じたことのなかった親近感が他のアジア諸国の人たちに対して湧いたのも事実です。

ボーディングスクールの壁に掲げられた歴代のPrefect(監督生)の名前が刻まれたボードに、中国系の名前を見つける度、アジア人でもPrefectになれるんだ、と救われたような気持ちになりました。

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私がそんなボーディングスクールへの留学を通して得た一番の経験は、きらびやかなイギリス白人上流階級の生活を垣間見たことでも、流暢な英語が喋れるようになったことでもなく、社会の権力構造を階層の頂点に近い場所から見渡し、かつ自分とそこにいる人々との違いを見せつけられ、差別される側になり、初めて差別と不平等が存在することと、それらの不合理さが分かるようになったことだと考えています。

日本で日本人として暮らしていても感じることはなかったであろう人種差別の残酷さ、そして日本では語られることの少ない階級社会の不公平さ、初めてそれらに疑いを抱き、異議を唱えられるようになりました。

一方ロンドンでは、ボーディングスクールとは正反対の多様性に溢れたイギリスを見ることができ、人種、階級、ジェンダー、セクシュアリティなどにかかわらず様々な人にとって、これほど住みやすい場所があるのだと驚きの連続でした。

二つの異なるイギリスの顔は、私に差別の様々な側面を教えてくれました。私の経験を通して少しでも日本社会にも潜む様々な差別について考えてもらえれば幸いです。

Blog:http://www.neol.jp/blog/lisatanimura/
Instagram:@lisataniz

※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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