「私の描く裸の女性は、何にも縛られない解放的な精神の象徴」社会の旧来の概念を新しい形で提示する台湾のアーティスト|GOOD ART GALLERY #022

Text: Natsu Shirotori

Translation: Yusuke Nagaoka

2019.9.17

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カラフルな部屋や街の中で裸の人物たちがポーズを取っている。シンプルな線で描かれた人物たちからはどこか自由で堂々とした印象が感じられる。

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作者は台湾を拠点に活動するアーティストでグラフィックデザイナーの周依(チョウ イ)だ。過去には世界最大の国際人権NGOであるアムネスティの人権アクションに関するグラフィックを担当したり、最近ではナイキやBEAMSといったブランドとのコラボレーションでも活躍したりしている。

オランダやスペイン、日本や中国などの国々による支配の後、国民運動により民主的な国家を確立したもののいまだ国際的な独立国家としての承認が得られていない台湾という複雑な背景を持つ国に生まれたこと、女性であることなど自身に関係する話題から社会問題や人権問題を意識するようになったと語る彼女だが、作品にはどんな想いが込められているのだろうか。また、近年目覚ましい発達をみせる台湾のデザインシーンにおいて、アーティストとグラフィックデザイナーという2つの領域を行き来しながら活動する彼女が、その過渡期を経験して感じてきたことを教えてくれた。

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ーまずはじめに、あなた自身について少し教えてください。

私は周依。アーティストでグラフィックデザイナー。台湾の台北からほど近い新莊(しんしょう)という「老街(らおじえ)*1」で生まれて、今もそこに住んでいます。

アーティストとしては台湾以外にも時々日本や欧米でも展示をしたり、アートブックを自分で出版してブックフェアに参加したり、実験的なコミックを描いたりしています。デザイナーとしては元々台北のインディーなカルチャーに関わることが多かったけど、最近はもっとオールラウンドにデザインに関わっています。

(*1)台湾の古い町並みを指す。

ーイラストレーター/グラフィックデザイナーになろうと思ったきっかけは何ですか?

小さい頃は漫画家になりたかった。絵を描いたり漫画を読むことが好きな子どもなら、その点は日本も台湾も同じかな?
学生時代はデザインを専攻していたけど、教わることはすごく退屈だったから、授業も出ないし、課題も提出しないで、ほとんど「落第生」みたいな感じで過ごしてて。
でもその頃に横尾忠則*2のような日本のアバンギャルドな表現やカルチャーを知って、デザインとアートの垣根を気にせず自分なりのアプローチでデザインすることに少しずつ興味を持ち始めました。

(*2)1936年生まれの日本の美術家、グラフィックデザイナー。油絵や立体など幅広い技法を用い、ニューヨーク近代美術館での個展など世界的に活躍している。

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ー作品に共通するテーマはありますか?

あえて挙げるなら私の作品のテーマは「自由」かな。私たちにとって「自由」というキーワードは特別な意味を持っていると感じます。

ーほとんどの作品で描かれている裸の女性が印象的でしたが、これは何を表現しているのですか?

表現のなかで自分を解放したい。だから私の描く裸の女性は、何にも縛られない解放的な精神の象徴と言えるかもしれない。

私の家族は典型的な台湾の家父長制の家族だったから、その伝統的で保守的な価値観のなかで母親が自分らしい時間を過ごせないまま暮らす姿をずっと見て暮らしてきました。学校や友達付き合いのなかですら、いつも男性目線で作り上げた「女性」のレッテルを貼られて過ごさなければならないことを疑問に感じていたし、今でも台湾のどんなコミュニティを見てもそれをとても根強く感じます。

時々、いわゆるセクシャルな表現からの影響だと言われることがありますが、私の「牛肉場(台湾語でストリップ場を意味するスラング)」というアートブックは、台湾のお祭り「廟會(みゃおい)」に関連して行われるストリップショーだったり、伝統のなかにあるセクシャルな表現を、自分なりに転換できないかと思って作りました。今はさすがに全裸はないけど、今でも「廟會」はセクシーな女性のダンスや歌のショーが欠かせないし、自分が小さい頃から普通に接してきた文化だから、自分なりのポジティブな力を見出して表現したかった。去年シアトルのブックフェアに参加した時、この「牛肉場」を気に入ってくれたクィアのアーティストの子にオススメされて行ったストリップショーのステージがまるで私の絵みたいで、それはとても嬉しかった。旧来の概念を新しい形で提示する事にとてもシンパシーを感じます。

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牛肉場 NIOU ROU CHANG

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ーインタビューで、社会問題や人権問題に関心があるとお話しされているのを拝見しました。いつ、またなぜ社会問題や人権問題について考えるようになったのか教えてください。(台湾アイデンティティも関係する?)

台湾はその成り立ちも暮らす人々の背景もかなり複雑な国で、どんな社会問題も元をたどると政治的な混乱がダイレクトに影響していることが明確にわかります。私たちの時代でさえ、教科書はほとんど中国の歴史しか書かれていなかったし、台湾の歴史なんてほんの数ページというのが普通だった。私は台湾原住民のアミ族*3と本省人*4のミックスだけど、私のアイデンティティは台湾の歴史の上ではほとんど無視されていた、ということを大人になって理解しました。

もう一つの大きなきっかけは、大学生の頃にパンクに出会ったこと。台湾にも小さいけどパンクスのコミュニティがあって当時はそういう場所にいたので、動物問題、フェミニズム、反核、環境保護の様な問題について自然と考えるようになりました。その後「破報 Pots Weekly」という社会運動やユースカルチャーに特化した新聞社で働き始めて、長年社会運動に関わってきた人たちのインタビューや、国内の貧困問題の取材等を通して、どの道をたどっても政治の歴史が生活や人生に密接につながっていることを意識するようになりました。

(*3)台湾原住民のなかで最も多くの人口を占める民族で、母系社会と厳格な年齢階層社会であることが特徴とされている。
(*4)第2次世界大戦以前より台湾に居住する住民。第2次世界大戦後に台湾に移住してきた外省人と区別するために用いられた呼称で、かつて本省人と外省人との間に政治的対立が生まれた。

ーデザインやアートを通して社会問題への意見を表明することのメリットは何だと思いますか?

時々、非常にデリケートで難解なテーマを引き受けることもあります。
何年か前に人権擁護活動をするNGO法人アムネスティから国際的な人権アクションに関するグラフィックの作成依頼を受けたことがありました。確かに台湾は社会運動の活発な国なんですが、「かわいそうだから助けよう」とか「こんなに悲惨な目にあってるから」といった感じで、哀れむような暗いコンセプトで表現されることが多いように感じていました。
彼らは私の作品のバックグラウンドにアニメや音楽のようなビビッドなポップカルチャーの影響もあることを理解したうえで依頼していたから、最終的なイメージは自分らしいグラフィックに収めることができました。シリアスなプロジェクトのなかでも、(デザインやアートによって)より多くの人々に影響を与えて問題に注意を向けることができるなら、それは私にとっても有意義だと感じます。

ーデザインとアートのどちらも制作されていると思いますが、どのように違うと考えていますか?

当然クライアントありきのデザインには一定のルールや制限もありますが、その制限を乗り越え、確立された思考で破らなければいけないといつも考えています。
今でこそ台湾は「デザインバブル」といった様相で、「古いものはなんでも斬新に目新しく変えよう」といったムードさえ感じるぐらいですが、私はその過渡期のなかでかなり異端なスタイルでキャリアをスタートしたから、歯がゆい思いもたくさん経験しました。

初期の仕事はインディペンデントなバンドのアルバムジャケットやTシャツだったり、人やコミュニティのつながりから全てが始まりましたが、最近は公共の中学校で使われる教材のデザインプロジェクトにも関わったり。数年前はそんな仕事に関わるなんて考えられませんでした。メキシコの出版社が主催するアートブックフェアのメインビジュアルを手がけましたが、彼らとは上海のアートブックフェアで知り合ったのがきっかけです。

制限を相手のために妥協することと捉えるのではなく相互理解、意見や提案を新鮮なインスピレーションとして取り入れることはデザインでしか経験できません。
最近、台湾の女性デザイナーにフォーカスした「Ladybug」というチームの主催するグループ展「Eyes On Her:Girls Graphics」に参加しましたが、こうした表現活動の場では普段のアート制作のインスピレーションもデザインとして昇華できますが、二項対立にならずお互いが上手く作用すると、思いもよらない科学反応が生まれます。

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ーTumblrを拝見し、数年前と最近で作風に変化があるように見えました。以前の激しい作風から最近の明るい作風への変化のきっかけとなった出来事や心境の変化について教えてください。

長い間、台湾の雰囲気はかなり保守的でしたが、ここ数年でインディペンデントな出版物やZINEカルチャーなどもネットを通して認知され、台湾でも自分で同じような活動を始める人たちも増えてきました。私もそのなかの一人だと自覚していますが、当時の私の作品はどちらかというと、家庭や社会への反抗心やフラストレーションが原動力でした。もう一つは、つげ義春*5や林静一*6とか、「ガロ」*7のような日本のアングラなコミックの作品の影響がとても大きかった。暗くて、時に暴力的で不条理な表現が自分を取り巻く空気やムードにフィットしているように感じていました。

台湾のアーティストとしては、Instagramが大きくなる以前からFlickrの様なSNSを通して当時の私の作品に興味を持ってくれた海外のアーティストたちとかなり早い時期から交流することが出来たし、今もその関係の延長で彼らの土地へ行ったりアートブックフェアやグループ展に参加しています。そうした経験の蓄積が、考え方はもちろん、絵のスタイルにも大きな影響を与えています。フラストレーションよりポジティビティに感化されるようになったし、外に出るに連れ、世界との関係についても考える機会も増えたことも大きいです。

(*5)1937年生まれの日本の漫画家。暗くシュールな作風が特徴的で「ねじ式」などの作品が有名。
(*6)1945年生まれの日本のイラストレーター、漫画家。菓子メーカーロッテの「小梅」のキャラクター「小梅ちゃん」のイラストなどで知られている。
(*7)1964年から2002年まで青林堂より出版されていた漫画雑誌。戦後日本のサブカルチャーシーンを代表する雑誌で「ガロ系」と呼ばれるジャンルを確立し、人気を博した。つげ義春、林静一の作品も掲載されていた。

ー日本での展示など、活動のなかで日本と関わることが多く見えるのですが、台湾と日本でデザインやアートを取り巻く環境に違いは感じますか?

私たちの世代に限って言うと、80年代後半まで続いた戒厳令のような閉鎖的な状況からの反動のなかで多感な時期を過ごしているので、小さい頃から当たり前のように日本のテレビやファッション、ライフスタイルからサブカルチャーまで、多くの影響を受けてきました。デザインやアートの分野でもそれは例外ではありませんが、何十年ものギャップを簡単に同期できるはずはありません。台湾を「鬼島」と自虐的なスラングで表現したり、シニカルに構える態度は今でも根強いです。自分たちの世代以前に培われた基礎や経験則が少ないので、潜在的な問題の解決は時間がかかります。

今はそうした鬱積の時代を少しずつ乗り超えて可能性を感じることもできるようになってきました。独自の視点を持った書店やギャラリーのようなスペースが増えてきたり、クリエイターが国内で活躍できる機会も増えてきました。それはとてもクールな事だと感じています。私個人としては同じ思いを共有できる台湾のデザイナー達とコラボレーションできる機会が増えてきたことに大きな希望を感じます。

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ー今後どのような作品づくりをしていきたいと考えていますか?

9/17~9/22に東京のギャラリー・ルモンドで個展「BGM」があります。国内だとデザイナーの友人たちと共に女性の権利に関するプロジェクトを企画しています。世代も性別も国も垣根を超えた世界でイラストやコミックを描き続けたいし、大規模なアートピースにも興味があります。

周依(チョウ イ)

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