「百間は一見に如かず」。私たちは溢れる情報に囲まれて生きている。しかしその情報がどれだけ信憑性のあるものなのか、どれだけプロパガンダ(特定の考えを押し付けるための宣伝)なのか、もしくは思い込みなのか、というところで首を捻る。国際問題、国際経済、国交、どれもこれも「聞いた話」だ。
Be inspired!のライターであるバンベニ桃は2006年から約3年間、ヒッチハイク&民泊のスタイルででユーラシア大陸横断、そしてアフリカ大陸を縦横無尽に旅した。45Lのバックパックに少しの着替えとカメラと画材、テントを詰め込んだ旅だった。旅で訪れた国は75カ国を超える。今回は自分のそれまでの価値観や固定概念、考え方を見事に変えてしまったこの旅の体験記をシェアしたいと思う。
Photo by バンベニ桃/span>
ヒッチハイクの旅が起こす奇跡
旅の予算が少なかった私は旅費節約のためヒッチハイクを始めた。しかし実際に始めるとそれだけのためではなくなっていた。もちろん全ルートをヒッチハイクで進んだわけではない。気が向かなければ、乗り合いタクシーやバスに乗ることもあった。バスをヒッチハイクする、というケースもあった。全てが陸続きではないので、時には船や飛行機に乗ることもあった。
ただアフリカ大陸へ行く旅であれば、アフリカ行きの飛行機のチケットを買うこともできた。でも私は何か苦行をすることで、見えないものが見えるようになるような、そんな修行のような気持ちで旅をしていた。そして私が実行したのは、ユーラシア大陸を横断してアフリカを目指す、というものだった。
Photo by ふるやわたる
親指一本に身を任せて、時間に縛られることなく、その一台の車を求めてひたすら待つ。自由に成り行きに身を任せた旅では、奇跡が連鎖して起き、お金とは関係なく、必要な物が必要なタイミングで与えられる、そんな体験を幾度となくした。私は世界中の心優しい人々に感謝しながら、親指を挙げ続けた。
一度ヒッチハイクを始めると、そこにはたくさんのドラマが待っていた。ドライバーとの出逢い、家に招待され、家庭料理をご馳走になり、寝場所を与えてくれた。時には家事や家業を手伝いながら、しばらく滞在させてもらうこともあった。彼らと積極的に友達になり、文化や思想を肌で感じ、そしてやっとその民族のことを少し知ることができた。そしてこれらの体験が私に「発展途上国」と呼ばれる国と「先進国」と呼ばれる国の間にある奇妙なギャップを考えさせるきっかけとなったのだ。
イラスト by バンベニ桃
「先進国」と「発展途上国」を通して「発展」という意味を考える
日本という国は「先進国」と呼ばれており、手軽に世界中からいろんな物が手に入り、海外旅行も気軽にできる。日本という島国に生まれた私は、生まれた時から日本人だ。日本文化の中で、日本の歴史を背負いながら、経済の恩恵を受け、日本の常識、教育、法律に従って生きてきた。
当然のように「日本は豊かな国だ」と信じて旅していた私は、旅の始め発展途上国を旅しながら戸惑いを感じた。「貧しい」と思っていたその国は、経済やインフラこそ整っていないものの、驚くほど豊かな暮らしを送っていたのだ。年寄りはその知恵から尊敬され、子供達は自由に遊び回り、社会全体に愛され、叱られ大きくなる。大人もみんな楽しそうに暮らしていた。それは私たち日本人が忘れてしまった「人間らしさ」のようなものであった。
Photo by バンベニ桃
そして「発展途上国」と呼ばれる国々は、歴史的に植民地など何かしら先進国から支配された歴史があることが多く、現在も先進国に貴重な資源を安い値段で輸出したり、低賃金で労働したりしている国がほとんどで、その歪みが貧困を生んでいた。それはどこか「先進国」の豊かさを支えているようにも映った。
私は旅の中で「発展」という言葉にとても不自然なものを感じていた。地球上には様々な民族が様々な生活様式で、その土地と循環しながらサステナブルな暮らしをしている。彼らは全く違う社会形式を持っているだけなのだ。その暮らしのスタイルは多様であっていいはずなのに、民族独特の暮らしに「教育がない」「病院がない」「雇用がない」などと勝手な価値観を植えつけ「発展途上国」と呼ぶのはあまりにも不躾ではないか。
Photo by バンベニ桃
現に私が訪れたアジア、アフリカ諸国の国には教育や伝統医学のない文化はなかった。病院ができても病気はなくならないし、どの文化にも伝統的な医者がいる。「学校」と呼ばれるものがなくても、生きていく術は文化の中で教育される。民族の伝統的な暮らしは経済的には豊かではなくても、そこには遥か昔から続けてきた豊かな知恵がある。そんな暮らしを見て、私は本当の貧困というのは、伝統文化を捨て街へ出て、持っていないものを求めて彷徨うことにあるような気がしていた。
「教育」という名の元に消えてゆく伝統文化
あれは南部アフリカのナミビアという国を旅していた時、北部に住むヒンバ族の暮らす地域を訪れていた。そこは伝統的なアフリカ人の暮らしが今も残る貴重な地域であった。
放牧民族である彼らの民族衣装は赤粘土に牛の油脂を混ぜたものを体と髪の毛に塗り、上半身は男女共に裸だった。動物の骨や皮から作られたアクセサリーを身に纏う、誇り高い美しい民族だ。彼らの暮らしはほぼ自給自足であり、はるか昔から受け継がれた文化の中で大自然と循環しながら社会を形成していた。その暮らしはシンプルながらも、長い歴史の中で受け継がれてきた豊かなものであった。
Photo by バンベニ桃
偶然ヒッチハイクで拾ってくれた男性がヒンバ族の開発リーダーを担っている人で、ヒンバ族の村に連れて行ってくれ、彼らが抱える問題を話してくれた。このヒンバ村には学校へ行っていない子供がほとんどだという。彼らが学校に行くためには、民族の証である赤土を落とし、民族衣装を脱ぎ、その美しい髪を切り、学校の制服を着なければならない。私は「教育」という意味をもう一度考えていた。教育とは文化やそれまでの生きてきた価値観を全て捨てて、新しい価値観を得る場所なのだろうか。
その後、アフリカ諸国などの旧植民地では、「教育」の名の下にたくさんの先住民の伝統的な暮らしが奪われているという事実があることを知った。教育とは私たち日本人が思うほど良いことばかりではなく、他の国を支配するために使われる手段でもあったのだ。一度民族衣装を脱ぎ、教育を受けた者は卒業後に民族衣装を着ることはなく、伝統文化自体を発展していない暮らしだと軽視し、街へ出る場合も多いという。旅の途中、私は自分の頭の中にある「先進国=豊か」「発展途上国=貧しい」という固定概念を一度リセットして、全て考え直す必要があると感じた。
ヒッチハイクの旅が私にくれたもの
私が旅した2006年当時は、スマートフォンなどはなく、PCを持って旅する人もごくわずかだった。あの3年弱の旅の間、私はテレビや新聞などのメディアから離れ、自分の目で見たことや、世界中の多種多様な民族と交わした会話だけが、唯一の情報源となっていた。そうして得た情報を自分の頭で考え、地元の人の話を聞き、自分で答えを探した。その作業を通して私は自分の中で確固なる考えが生まれていることを感じていた。
Photo by バンベニ桃
私がこの目で見た地球の人々は、ヒッチハイクをする東の果てから来た一人の日本人の旅人にいつも優しく手を差し伸べてくれた。世界は愛で溢れている。私はその暖かさに抱かれながら、親指を挙げ、気持ち良くヒッチハイクの旅をしていた。
情報に溢れた現代社会。何が本当だかわからなくなることもある。そんな時はパソコンやケータイ、固定概念など全てを置き去り、バックパックに少しの着替えを詰め込んで、何にも縛られない自由な旅に出てみてはどうだろうか。何もヒッチハイクすることはない。自分の旅のスタイルと、自分のペースで世界を見てみると、きっとそれまでにない価値観を手に入れることができる。私は自分の体験からそう信じてならない。
※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。