「未来を担っていく若者」である私たちは物心ついたころには「失われた20年」がはじまっていて、ゆとり教育を受けて育った。この失われたといわれる「時代の産物」である私たちは成長期を終え、さとりがちな大人になりつつある。「不遇の世代」「欲がない」「内向き」など様々なレッテルを貼られることがあるが、「社会を良くしたい」と願い、立ち向かう人はいつの時代にもいるように、私たちの世代にもいる。確かに過去の世代とは違って、熱が失われがちな、引きこもりがちな、スマホと向き合いがちな世代かもしれない。でもそこから私たちのスタイルで起こすレボリューションがあるのだ。
この連載では、さとり世代なりの社会を良くする方法とはどんなやり方なのかを紹介していく。そして、イラストから執筆まで、記事製作を「失われた20年」「さとり世代」でおこなっていく。その名も『さとり世代が日本社会に起こす、半径5mの“ゆる”レボリューション』。
食の命に感謝する、一見野蛮な大学生
連載の記念すべき第一回目に取材したのは、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下、SFC)に通うある男子大学生。インタビューの前に、SFCの学食で遅い昼食を彼と食べていたら、私が残したお茶碗の数粒の米を彼は横から手を出して食べた。
大学1年生の時にカモの解体を経験してから、食べ残しができなくなった。「食べ残し=無駄に命を殺している」と考えるようになって、友達が食べ残しているとムカつくようになった。
そう語るのは野生児のような風貌が印象的な菅田悠介、SFCに通う21歳。見かけによらずか、むしろその通りと言っていいのか、彼は食糧廃棄問題や自給自足などに感心を寄せ、食べる、を考えてもらう取り組みをおこなっている。きっかけは受験期に知識と教養を身に着けようとしていた時に出会ったブログ「ちはるの森」。大学入学後に筆者の畠山千春さんにコンタクトを取り、会ったという。そこでカモの解体を目の前にし、衝撃を受けた。こうやって動物を殺し、命をいただいているのに自分は食べ残しはできないと。
「いただきます」の意味って、作ってくれた人への感謝にはもちろん、作られた食材の命への感謝のいただきますもある。自分の命とさせていただきますっていう。
「いただきます」。彼にとってはこれは単なる文化ではなく、命に対する感謝を伝えるための言葉だ。
“余り物”に注目して開始した「モッタイナイト」
そんな彼は「食糧廃棄問題」へのアプローチのひとつとして月一回自主イベント「モッタイナイト」を開催している。名前の通り、一人暮らしの大学生が冷蔵庫に入れっぱなしにして忘れかけている“余り物”や飲み会でのフードウェイストを持ち寄って、皆で料理して「もったいないを夕ご飯にして食べちゃおう」というシンプルなイベントだ。
食材は皆で持ち寄ったものを使うだけなので参加費はかからず、施設利用料の500円のみ。事前にカレーやビーフシチューなど、作るものを提示して、持ち込みやすい環境をつくることを心がけている。参加しやすい環境作りの一方で、食糧廃棄問題について考えることを押し付けない。
堅苦しいことはしない、利益も考えていない。楽しんでもらえればいいし、自分もみんなで集まって料理して、楽しいからやっている。それで、家に帰ったりして誰かがふと食糧廃棄とかについて考えてくれたらそれは嬉しい。
イベントの意図は、食べ物はいのちである感覚を知ってほしいというところにあり、それから感謝をするか否かは人それぞれに任せるという。そして、あくまでも“楽しい”を軸におこなうのが彼のやり方だ。
「いただく命」と私生活を共にする
「モッタイナイト」で“楽しい”を軸に食糧廃棄問題に取り組む一方で、「食への感謝」に対しては鶏を私生活の中で飼育し、解体をおこなうイベントなどをおこなっている。自身がカモの解体を目の前にしてから意識が変わったように、命をいただくプロセスを人に知ってもらい、食べ残しが減って欲しいと思い、狩猟免許を取得した。しかし、イベントの時でしか伝えられないなら、普段から鶏を飼育して身の回りの人に考えてもらおうと思いついた。そう決めて、大学の先生の知り合いの養鶏所から頂いた3羽鶏をもらったが、今は9羽になった。
考えただけでは行動につながらないから、卵を温めて鶏を育てたり、鶏の産んだ卵をいただいたり、鶏を解体して鶏肉をいただくということを自分が私生活でおこなって、周りに鶏を見せて、触れてもらって身近に感じて自分事にしてもらいたい。
そう語る彼の自転車のサドルにはイノシシの毛皮が敷かれていた。彼は絶妙「いただく命」を私生活に馴染ませつつ、目立たせている。
原動力は「怒り」
表情を輝かせて話をしていたが、彼を突き動かす原動力は意外なものだった。
食糧廃棄問題に取り組んでいるというか、残している人がムカつくからやっている。「怒り」っていう不快感を快にしたくて動いているんだと思う。好きなことは変わるかもしれないけど生理的に受け付けない嫌なことってなかなか揺るがない。
やんちゃな大学生が考える、社会が良くなるために大切なこと
食べ物を身近に感じるようになった。スーパーでは食べ物を間接的にしか手に入れられないから。自分の生活は自分でつくる。これが本当に生活しているということなんだと思う。スーパーで食べ物を手に入れることが当たり前だけれど、当たり前を疑ってみて欲しい。常識を疑ってみるってすごく大切なこと。常識を疑うと当たり前なことに感謝の気持ちが生まれて、そこから思いやる気持ちが生まれる。食糧廃棄問題に限らず、皆が常識を疑ったら社会はもっとよくなると思う。
一見やんちゃな大学生、しかし彼の目先には食糧廃棄問題にとどまらない、“社会がよくなる”がみえていた。
取材を通して、彼の「人を惹きつける力」みたいなものを目の当たりにした。それは食糧廃棄問題にまっすぐに取り組む姿勢や、正直な感情を原動力にしていることもあると思うが、それ以上に持ち前のはじけるような明るさだったり、素直さみたいなもので“彼だから惹きつけている”というものを感じた。
実際にモッタイナイトにも参加したが、彼を慕う後輩がたくさん彼の活動に興味を持って来ていたり、彼の高校以来の友人が訪れていて、そこからまた環が広がっていくのは、菅田悠介の人柄でこそ起きているんだと思った。
※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。