元南アフリカ大統領ネルソン・マンデラの意志を受け継ぐ“アンチ・アパルトヘイトの夫婦”が提案する「人種の壁がない新時代」の作り方

2017.6.26

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黒人や白人などない、南アフリカの全ての国民が共に恐れることなく、背筋を伸ばして歩を進めていくことのできる、決して人としての尊厳を奪われることのない社会を作ろう。我々のみならず、世界が平和になるような、そんな「虹の国」を!

これは南アフリカで人種隔離政策の“アパルトヘイト”が撤廃し、1994年に黒人初の大統領ネルソン・マンデラ氏が就任演説で国民の前で行ったスピーチでの一言である。

あれから23年、南アフリカは“虹の国”をスローガンに歩み続けてきた。しかし今でもその傷跡が根深く残るこの国で、一組の「虹の心」を持つ夫婦が、村の黒人達と人種を超え、“エコ・ロッジ”という宿を作り、南アフリカに大きな虹の橋を架けたのだ。

アパルトヘイト時代は違法であった“他人種間の結婚”

ご主人のデイブさんはイギリス系の白人南アフリカ人。奥さんのリジャーンさんは南アフリカの言葉で「カラード」と呼ばれる混血した民族である。こうしたカップルは南アフリカで最近では見かけるようになったが、実はアパルトヘイト時代には他人種同士の結婚は硬く禁止されており、罪に問われていた。

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デイブさんと奥さんのリジャーンさん

1975年生まれの二人は、アパルトヘイト時代にテーブルマウンテンで知られるケープタウンに生まれた。教育も、居住区も、外出する場所まで、全て隔てられており、同じ国で暮らす他の人種がどんな人間なのかを知ることもできなかったという。

しかしデイブさんが他の白人系の南アフリカ人と少し違っていたのは、彼の母親がアンチ・アパルトヘイト活動をしていたことと、彼自身が若い頃に南アフリカからイギリスまでバックパックの旅をし、アフリカで自由に暮らすアフリカ人と触れ合っていた経験だった。

南アフリカは世界初、“フェアトレードな観光”を紹介した国

デイブさんはバックパックの旅の中で、アフリカ人が作るコミュニティと触れ合ううちに、違いこそあれ、彼らが自分と同じような人間であることを肌で感じた。そしていつか、そのコミュニティの中で暮らしてみたいという、夢を抱くようになったのだ。

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Photo by バンベニ桃

旅を終えた彼は、コミュニティで運営できるような宿を作ろうと、南アフリカの海岸沿いを長距離に渡って探し歩いた。そして2002年、大自然が素晴らしいこのトランスカイ地方のブルングラ村にたどり着いたのだ。トランスカイ地方とはアパルトヘイト時代に「ホームランド」と呼ばれ、南アフリカから独立していた旧独立国である。アパルトヘイト撤廃後に南アフリカと統合されたものの、この地はアフリカ人の伝統文化が色濃く残っていることで知られている。そしてこの地で夫婦は“フェアトレードの宿”を作ることにしたのだ。

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手前の虹色のタンクは屋根から伝った雨水を貯めるタンク。洗濯物などはここから使う

普通はフェアトレードと言えば、バナナやチョコレートなどの商品を想像するかもしれない。でも南アフリカは世界で初めて、ツーリズム(観光)にフェアトレードを取り入れた国なんだ。その南アフリカの「フェアトレードツーリズム」のランキングでブルングラロッジはここ10年間1位をキープしているんだよ。

デイブさん曰く、フェアトレードの審査には以下のような項目があるということ。

・ いくらボスが収入を得ているのか
・ いくら雇用人が得ているのか
・ 労働法に沿っているか
・ ゲストのための保険に加入しているか
・ どのようにエネルギーを得ているのか
・ 不要なものはどのように処理されているのか
・ どこから食料などを買っているのか
・ 黒人をサポートしているのか
・ ガソリンをどこから買っているのか
・ HIVの方策はされているか
・ 児童労働に関与していないか
・ 男女平等の雇用状況 など

アパルトヘイト撤退後、たくさんの有色人種の人権が認められ、平等に教育を受けることができるようになり、仕事も得ることができるようになったが、アパルトヘイトの残した傷跡は今も深い。失業率の高い南アフリカでは労働環境は悪く、今も黒人を中心とする有色人種が日常的にストライキを起こしている。その中で、夫婦がフェアトレードにこだわるのは、その社会的な背景と、自分達もコミュニティの一員として共に何かをやっていこうという、真っ直ぐな想いからだろう。

二人は2005年にブルングラ村でコサ族式の結婚式を挙げた。アパルトヘイト時代は人種を超えた結婚さえ許されなかったのだが、さらに彼らは黒人式の結婚式を、村人に祝福されながら行ったのだ。これは南アフリカではとてもセンセーショナルなことである。

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コサ族式結婚式を挙げる二人
Photo by デイブ・マーティン

「オフグリッド」+「フェアトレード」でエコ・ロッジ

このブルングラ村は水道も電気もない、コサ族の伝統文化の残る小さな村である。夫婦はこのインフラの整っていないことを逆手に取ることに。

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ブルングラロッジ
Photo by バンベニ桃

電気は20枚の太陽光発電から自給し、トイレはコンポストトイレを作り、堆肥として収穫。シャワーはほんの少しの灯油で7分間お湯が出るロケットシャワーと、太陽光湯沸かし器のシャワーを設置。水は井戸を掘った。また屋根を伝ってくる水をタンクに貯め、洗濯などにも使っている。そしてロッジで料理される野菜は村人から買うということから、大抵のコサ族は家庭菜園を持っているので、どんな家庭でも収入を得るチャンスを生み出した。

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ロケットシャワー
Photo by バンベニ桃

こうしてオフグリッドとフェアトレードを持ち合わせた、南アフリカ初の“エコ・ロッジ”が誕生。このようなユニークなスタイルが認められ、なんと世界的に読まれているガイドブック、ロンリープラネットの「エコ・ロッジ部門2位」に選ばれるという快挙を成した。その後、それを聞きつけ、南アフリカ中からトランスカイの僻地に大勢のツーリストがそのユニークな大自然と循環して成り立つ宿の姿を見に訪れている。

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ブルングラの客室はコサ族伝統家屋のスタイル。目の前には海が広がる。
Photo by ブルングラロッジ

しかしその後二人は、ブルングラ村のコミュニティの教育や医療の部分に力を入れるため、2007年に全てのロッジの所有権をコミュニティに譲り、完全に村のコミュニティが運営する宿となった。

宿を作って、雇用を生み、村人たちに収入をもたらしたけど、村の赤ん坊が不衛生な水を飲んで死んでいっていることなど、収入よりも重大な暮らしの問題に気がついたんだ。だから暮らしの衛生面の見直しなど、この村の問題と向き合おうと思った。それにはNPOのコミュニティ施設を立ち上げる必要があった。その時、宿を全てこの村のコミュニティに渡したんだ。だから宿の収入は運営に関わる村人が得てるんだよ。

夫婦は14年にも渡り、このブルングラ村で暮らしている。短期間の滞在でアフリカの村の開発などはできないと語るデイブさん。それはその民族を学ぶ必要もあるし、全ての村人の暮らしが微妙に絡み合って問題を起こしているので、問題を解決するのはとても複雑だという。彼らは村のコミュニティと共に、教育、医療、雇用など解決を長年かけて続けてきたのだ。

アパルトヘイトが残した新しい世代への課題

南アフリカはアパルトヘイトがあった国なので、差別主義を拭いきれない白人もたくさんいるんだ。ブルングラロッジを訪れる南アフリカの白人は、最初この宿に着いた時、黒人だらけで心配になる人も多いよ。ここには黒人しかいないからね。

街では白人は大抵黒人や部外者が侵入できないような、彼らにとって安全な場所が確保されているんだ。でもここにはそれがない。どこを見ても黒人しかいない。宿にはフェンスもない。そしてここには南アフリカの都市部で心配するような犯罪がないことに気がつくんだ。これが本来の黒人の社会形式で、都市で犯罪などを起こす黒人は南アフリカの特殊な政治背景の影響を受けているんだ。

そう語るデイブさん。ここを訪れるあらゆる人種の南アフリカ人は、本来の文化的な黒人と触れ合うチャンスを得て、新たなインスピレーションを受けているという。「虹の国」というスローガンが掲げられても、混ざり合うのは個々の課題でもある。この宿はそんなことに気づかせてくれる。

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Photo by バンベニ桃

アパルトヘイトがもたらした被害は大きいよ。でもそれも僕たち次第だと思っているんだ。とっても大きな問題だけど、不可能なことはない。

アパルトヘイトを乗り超えるために、南アフリカはどんな風に変わっていけばいいのだろうか。これからの南アフリカの大きな課題をデイブさんに話してもらった。

僕はアパルトヘイトを終えるには、どんな人でも集まれる場所を南アフリカ中に作っていくことが大切だと思っているんだ。そうすることで、人種を超えたコミュニケーションが生まれ、お互いを知ることができる。

アパルトヘイト時代、黒人は黒人のミュージックを聴いていて、白人は白人のミュージックを聴いていた。だからクラブに行くにしても、別々のクラブに行っていたんだ。でも例えばレゲエやジャズとかだと人種を選ばないから誰でも楽しめるでしょ?そんな感じで、人種フリーの場所を増やしていくことが必要だと思ってる。

後はその場所が楽しければ、人は集まってくると思うし、そんな場所さえあれば、人種の壁は自分たちで勝手に解決していけると思うんだ。自分と同じ部分や、違う部分を発見して、付き合っていくことが大切だよね。

南アフリカの僻地、ブルングラ村。二人は黒人のコミュニティの中に入り、エコ・ロッジという、自然と文化と寄り添う形で、この村の開発を村人と共に行ってきた。彼らの歩く後にはまるで虹が架かっているようだ。夫婦とコサ族の村人とで作られたこの宿は、まさにいろんな人種が混ざり合える場所となった。だから訪れるツーリストたちは、観光という枠を超えて、何か大切なことに気づかされるのだろう。

ブルングラロッジ

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※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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