私たち、さとり世代が生まれた頃には既に情報や物の溢れる時代がはじまっていた。「もの」と一生をともにするというふうに考えたことはあっただろうか。
漆(うるし)を「人の一生に寄り添う素材」として、人に漆の良さを伝えたい。
触れる空気や水分によって変化する漆は人の皮膚のようなものだと表現するのは石川県輪島市発祥の漆器「輪島塗」の工房の家に生まれ、日本の伝統工芸で世界に勝負に出ようとした桐本 滉平(きりもと こうへい)。さとり世代から、伝統工芸で新たな消費社会への道をつくる新気鋭があらわれた。
「未来を担っていく若者」である私たちは物心ついたころには「失われた20年」がはじまっていて、ゆとり教育を受けて育った。この失われたといわれる「時代の産物」である私たちは成長期を終え、さとりがちな大人になりつつある。「不遇の世代」「欲がない」「内向き」など様々なレッテルを貼られることがあるが、「社会を良くしたい」と願い、立ち向かう人はいつの時代にもいるように、私たちの世代にもいる。確かに過去の世代とは違って、熱が失われがちな、引きこもりがちな、スマホと向き合いがちな世代かもしれない。でもそこから私たちのスタイルで起こすレボリューションがあるのだ。
この連載では、さとり世代なりの社会を良くする方法とはどんなやり方なのかを紹介していく。そして、イラストから執筆まで、記事製作を「失われた20年」「さとり世代」でおこなっていく。その名も『さとり世代が日本社会に起こす、半径5mの“ゆる”レボリューション』。
パリで痛感した「Made in Japanが世界に認められている」が幻想だということ
「クールジャパン」「おもてなしの国」というフレーズをよくメディアで目にする。外国人が日本文化や日本製品を絶賛し、日本は世界から賞賛されているというようなテレビ番組が毎日のように放送されている。筆者はこれに違和感を覚えることもあるが、だからといって「日本は世界に賞賛されていない」という根拠もなかった。
ところが、石川県輪島市発祥の漆器「輪島塗」の工房の家に生まれ、日本の伝統工芸で世界に勝負に出ようとした桐本氏は「Made in Japanが世界最高峰である」とか、「世界に認められている」と言ってしまうのはいきすぎていると実感する経験をしていた。
世界中からものが集まるパリで、「Made in Japan」であるからといって商品を選ぶ人はほんの一握りだった。はじめは「これは日本製なんですよ!」とプレゼンをしてしまっていて、それで嫌な顔をされることもあったし、「それがどうした」とはっきり言われることもあった。
日本の伝統工芸を世界に通用するブランドにするべくパリへ渡った彼を待ち受けていたのはMade in Japanというだけでは通用しない厳しい現実だった。
かつて漆は世界に通用していた
彼はこのパリでの経験から、今は日本の漆器が世界に通用していないと知る。しかし、かつて確かに漆器が世界に通用したんだといえるシーンはあったのだ。
一番自分の原体験で、世界に通用したといえるのは、10年前の能登半島地震で、多くの漆器工房が甚大な被害を受け、輪島塗の存続が危ういと思われた時のこと。世界的なブランドのルイ・ヴィトン・フランスの次期代表の人が輪島にわざわざ来てくれて、調査を重ねた上で自分の実家の職人さんたちとコラボして、実際にものづくりをしたということは世界に通用するという出来事を自分の目でみた瞬間だった。
歴史の中にも、漆器が世界に通用したといえるシーンがあるという。
16世紀の南蛮貿易時、日本からヨーロッパに届いていたのは漆器であった。当時日本の職人から海や言語をこえて漆器がヨーロッパに渡り、漆器が「japan」と呼ばれるようになるまでになった事実は確かに世界に通用したからだと思う。フランスにはマリーアントワネットの遺品として漆器が残っていて、最期のときに「これだけは残しておいてほしい」と家臣たちに言ったというエピソードから、マリーアントワネットは僕にとってとても大きい存在。
伝統だけを重んじていたら衰退する。伝統は変化してこそ意味がある。
そんな彼は今は世界に通用していないと思う輪島塗を変化させて、通用させたいという。しかし、“伝統”ある輪島塗を“変える”とは相反する言葉の並びであり、そもそも変えていいものなのだろうか?
伝統って変化してこそ意味がある。伝統だけを重んじていると現状維持をすることになり、衰退していくこともある。そうやって多くの伝統は消え去っていった。
漆もまた、変化してきて今に至るという。
漆はもともと中国発祥のものだった。中国から渡ってきた漆を約9000年日本人の生活にカスタマイズしてきた。そうやって日本の伝統として漆は生きてきた。戦後、漆の変化は緩やかで、革新を起こそうとする人がいなくなった。
変化して、その時代に合った在り方をして生き残ってこそ、伝統といえるのかもしれない。
伝統工芸の押し付けは文化の侵略になりかねない
世界に通用させるにしても、彼はやり方にこだわりがある。その“やり方”は日本食を広めるべくフランスに進出している日本人シェフから学んだものだ。
日本人としてのアイデンティティは大事にしていながらも、日本人として日本のためにどうしようっていうのではなく、現地で自分のものを食べてくれる人のことを考えているシェフだった。現地の人に受け入れてもらえるものをつくれなくて、日本のものとしての料理をつくるだけなら文化の侵略だという考えをきいて、Made in JapanではなくてMade with Japanなのではないかという考え方が浮かんできた。
この考え方から、彼はフランス人アイウェア職人と共に、木と漆のアイウェア共同商品開発に取り組んでいる。フランスのアイウェア市場は大きく、購入費に国民保険が適応されるほど、文化として深く根付いている。フランス現地人の価値観やセンスを盛り込みながら、現地の人々の心を揺さぶる漆の表現を追求していきたいという。
こうして彼はMade in Japanとして世界に日本の伝統工芸を伝えていくことよりも、Made with Japanで世界と文化の融合をすることで世界に日本の伝統工芸を発信していきたいと考えるようになったのだ。
輪島塗が地球を変えていく
しかし、彼が見据えているのは輪島塗の行先だけではない。
現代は、地球が持続可能な社会とはかけ離れていて、人類の消費スタイルを見直していかなきゃいけない。そんな中、日本の価値観にはアニミズムとか八百万の神というような、物を大切にするとか自然と共存していくとかいう考え方が奥深くにある。衰退しているけどまだ残っているはず。だからこそ、今の消費スタイルを変えていくきっかけになれるのは日本の伝統工芸なんじゃないかと感じている。
「地球を豊かにする消費社会の実現」こそが自然が大好きな桐本氏の目指すものなのだ。
日本が本当に発信するべきものは何なのか
もともと彼にとって、輪島塗の工房に生まれたことは自由に夢さえ語ることができず、コンプレックスに感じていたという。今、輪島塗を自らの手の中にあるように語る彼からは想像もつかなかった。さらに目指す先は、その伝統を引き継ぐことだけでなく、日本の地方の活性化、世界に新しい価値観を届けること、そして地球規模で消費社会を変えていくことに及ぶ。
オリンピックを前に、もちろん日本は世界を舞台に前に出ていかなければならない。しかし、日本からの見え方を最優先に考えてはいないだろうか。受け取る側を考えてから「クールジャパン」「おもてなし」と言えているだろうか?本当に発信すべきものは何なのか、桐本 滉平と輪島塗と、日本の伝統工芸から考え直せるのではないだろうか。
※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。