お久しぶりです。赤澤えるです。
思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』、第12回です。
たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。
それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?
服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。
本日のゲストは、ホテルプロデューサーの龍崎翔子さん。大阪、京都、北海道などにホテルや旅館を企画し経営している彼女は、現役東大生。業界に新風を巻き起こす彼女の『記憶の一着』とは?
晴れ着は必ずしも振袖と決まっているわけじゃない
赤澤える(以下、える):『記憶の一着』について聞かせてください。
龍崎翔子(以下、龍崎):この鞄です。自分が20歳の時、神戸・三宮のイッセイミヤケで買ったんです。成人式には出なかったんですけど、その後のパーティーのために買いました。
える:成人式、私も出てない。翔子ちゃんはどうして出なかったの?
龍崎:京都って人が多いから成人式が抽選なんですよ。当時は富良野にホテルをつくるためにそっちに住民票があって。それを元に移さなくても抽選には参加できるらしいんですけど、何だかその手間をかける必要があるのかな…って考え出して。
える:振袖を着たいなって思うとか、親から着てほしいって言われるとか、そういうのは無かった?
龍崎:特に無かったですね。うちは親から着物を受け継いでいるなんてこともなく、親もそんなに振袖に興味がないんです。18歳くらいからカタログが届き始めるじゃないですか。有名な人がモデルをしているようなのがいっぱい届くようになって見てたんですけど、柄もそんなに好きじゃないし、伝統かというとそうでもない。そしてレンタルも本当に高い。そうまでして着る必要が果たしてあるのだろうかと考えるようになったんです。自分にとって「本当の晴れ着を着る」というのはどういうことなのかなと当時は結構考えました。
える:わかる。晴れ着は必ずしも振袖と決まっているわけじゃないもんね。
龍崎:18,19の頃、親から仕送りをもらわずに大学生をやるというミッションがあって。「将来起業したいからお金要らない。自分で稼ぐ!」って言って生活していたので、当時は本当にお金がなくて。フォーエバーで2,000円以下の服を買うみたいな感じだったんです。そういう経済感覚だったのもあって「本当の晴れ着ってなんだろう」って考えた時に、DCブランドとかの“良いやつ”をちゃんと自分のお金で買って着ようって思うようになって。それでイッセイミヤケに行ったんです。
自分で選んだ晴れ着
える:イッセイミヤケを選んだ理由は?
龍崎:なんだっけ。細かいことは忘れちゃいましたけど、17歳くらいの頃から欲しかったんです、このBAOBAOが。買うお金がない頃からコムデギャルソンに行ったり、そういう気になるものは割とチェックしていました。ヤフオクでヨウジヤマモトのセットアップをディグる、みたいなこともしていましたね。でも、ちゃんと自分で買いにいくつもりで正規店に行くということは無かった。それはハードルが高いし、イッセイミヤケって年齢層が割と高い。若いからかお客さんから店員に間違えられたりしつつ、少し不安になりながらも買ったのがこのバッグ。今日は持ってきていないのですがその時ワンピースも買いました。それを身につけて、成人の日を迎えましたね。
える:自分で選んだ晴れ着でその日を迎えたわけだ。
龍崎:式典には行かず同窓会パーティーだけ参加しました。式典に行かなかったのは、クラスメイトの中で私だけだったと思う。みんななんだかんだ抽選は当たってたんですよ。はずれてしまうと朝の部になったりもするんですけど、そうするとそこに参加する人はヘアメイクが深夜2:00とかになるんですよね。それも意味がわからない。本当に意味があるのか?って私なら考えてしまう。
私はそもそも式典というものが好きじゃなくて。大学の入学式も行きはしたんですけど、途中からずっとトイレにいたくらい。その時もスーツは着ず、セットアップだったなぁ。式典ってそもそも本質が失われていて形骸化していると思うんです。大体の式典がそう。私はそこに行く必要はないと思った。それが自分の成人の始まりとしてベストじゃないなって。
える:本当にわかる。私はその式典の意味が理解できたら出席しようと思ったけど、結局当日を迎えてもやっぱりよくわからなかった。
伝統や習慣だから、ではなく自分にとって意義があるかが大切
龍崎:京都ということもあって、代々受け継がれている振袖がある子や、小さな頃から何百万円というお金をかけて振袖を仕立てている子もいて。そうでなくても、振袖がその人やご家族にとって特別な存在だったらすごく良いと思うんです。着る意味がものすごくあるから。「晴れ着を着る」ということにちゃんと意味を見出すことができればそれは本当に価値のあることだし、その中で振袖を選ぶことは本当に素晴らしいこと。でも私みたいにそういうヒストリーが無い場合、その服に何十万もかけるっていう意義が本当にあるのかな?って思ってしまった。いかに振袖で目立つか…という観点での着こなしも、自分の晴れの日の装いとして納得感を感じられなかった。
しかも成人式は振袖じゃなかったら排除される感じがある。こいつ変わってるな、奇抜なことしようとしてるな、っていう視線や意見も避けられない。何も選べないんですよ。
える:みんなが今までやってきたからやる、みたいなのが自分に合わない。私は普段からじっとしているのが苦手だから、入学式や卒業式を含め“形骸的な式典”というものは今でも不得意。「これに出なかったらどうなるんですか?」っていう質問を受け付けない感じとか、聞いたところで誰もその答えを持っていないこととか、みんなが疑問に思わずに参加できる感覚とか、全てをひっくるめて小さい頃から不思議で苦痛だった。はずれていることがカッコイイという気持ちではなく、ただただ疑問。
龍崎:えるちゃんは小さい頃から苦手なんですね。わたしは中学の時とか、式典はむしろ有り難い気持ちで参加していました。「すごい…式典だぁ…」とか思いながら国歌斉唱をしっかり歌ったり。中学は式典が多い学校だったのもあって、そこに参加することに対して誇らしい気持ちもあったし、コミットしている感があったんですよ。対象に対してのリスペクトがあって、そこに自分が集められることや参加することに意義を感じて理解することができれば、式典って受け入れられるものな気もする。
える:確かに、まぁやらなかったらそれはそれでびっくりすると思う。「入学式が無いって何?!」みたいになるかも。でもやっぱりやる意味や意義を考えて理解して納得して、出ることを自ら選ぶ形をとりたいよね。主催する側も参加する側も、互いに想い合える状態でそれを迎えたい。ただただ時間が過ぎるのを待つしかない閉鎖空間なんて…自分で他のことをしていた方が良い気がしてしまう、どうしても。
人間って思い出でできていると思うんですよ
龍崎:わかります。私、人間って思い出でできていると思うんですよ。その人の過去にあった出来事とか、積み重ねてきた選択によって今がある。それって何だろうっていうのをもう一度探しにいくことはすごく大事だと思う。自分探しで海外に行くのも良いけど、自分のルーツを辿っていく方が自分らしさを見出しやすいと思う。それをするための1ツールが服だと思うんです。自分が何を着てきたかで「外部にどう思われるか」が変わる。外からどう見られているかの鏡になるようなもの。服という切り口で自分のルーツを辿っていくことは、自分の現在地を知る上で有意義だと思う。自分が積み重ねてきた選択だから。
える:だからこそ、大切なタイミングで着る服や居る場所って自分で選びたいよね。自ら参加できるものだったらこんな風に思わない気がする。式典って高い服を着る場所という決まりはないのに何故かそういうことになっていて、式の内容もだれかが決めた常識や相場的なものがあって。これが普通だからこうしなさいっていうのが強くありすぎて理解できないものになっているのかもしれない。本質的には1,000円の服で行ったって良いわけなのに、そこの選択肢が潰れてしまっている。祝うことが本来の目的なら、そういう常識ではなく自分で選んで決定して良いはず。誰にどう迷惑がかかるんだって話。
龍崎:わかります。あと私、成人式が“地縁的な式”というとこにも若干疑問があります。今ってひとつのところで生きている人だけじゃないから。でもそれを変えるべきかという話より、そこでの選択や行動にその人らしさってやっぱり出るなって思うんです。うちのスタッフには、知り合いが一人もいない成人式に行った子がいるんです。すごいなって思うけど、誰も知らないけど飛び込めて仲良くなれるって感じの子で、本当にその選択が彼女らしいんですよ。人生の節目でとった行動や選択が長い間その人らしさになるっていうのは本当に思います。私の場合もそう。成人式に行かなかったということが、「みんなが同じ選択をすることが正解」ってなっていることに対する疑問提起というか。今の姿勢に繋がってると思うんです。
える:本当だね。翔子ちゃんが成人式に出なかったことって、今翔子ちゃんが仕事をしている姿勢に似てる感じがする。
選択肢の多様性を増やすを意義
龍崎:成人式って選択肢がほぼない。行くか行かないか、それしかないんですよ。そこに「何を着るか」という軸で選択肢が出てきたらその人らしさってもっと出ると思う。服ってやっぱりその人の在り方を表現する手段としてとても機能すると思うんです。何が言いたいかと言うと、成人式で振袖だけじゃなくて何を着るかっていう軸の選択の幅が出たら、参加した人の今後の行動様式に繋がりやすくなるかなって思います。私の会社はそういう選択肢を増やすような事業をやってきたしこれからもやるつもりなんです。選択肢の多様性を増やすっていうのは今後も取り組んでいきたい。
える:じゃあ今後、式典を選ばなかった人が翔子ちゃんの生み出す場というものに、期待しても良いのかな?それならもう一度成人したい!
龍崎:もちろんです!えるさんが振袖をデザインするっていうのは無いですか?
える:着ていく場所を式典以外につくれるならやりたい。え、一緒にやらない?
龍崎:良いですね。やりますか!
える:式典とか常識に「え?」って思っている人同士でその日のことを解決してみたい。
龍崎:届いたカタログの中に自分の好きなデザインや空気感がなかったっていうのはあると思うんです。でも、好きな服屋さんのだったらって思うと…良いですね。じゃあ来年の成人の日、あけときますね!
実は、私が仲間たちと昨年開催した“世界初の服フェス”、instant GALA〜思い出の服の祭典〜を今年はHOTEL SHE,OSAKAで行うことに。
ホテルがフェス会場になる特別な一夜、翔子ちゃんも主催者の一人として参加してくれることになっています。
開催日は2019年4月26日(金)。平成最後の華金です。翔子ちゃんが語ってくれた鞄のような思い出の詰まったアイテムと一緒に、新しい思い出をつくりたいと思うんです。ここまで読んでくれた人には是非来ていただきたい。
今回の対談は、翔子ちゃんの核となる部分に触れるような時間でした。成人式に出ないという選択、そしてその答えへの向き合い方、確かに私も自分の生き方に繋がっているなぁ。当時は変わり者だと言われてしまったことも、今こうして世界が広がったら、ちょっと変わってくる。これだから大人になるのって楽しいです。今後、人生の節目の迎え方を私たちのように考える人たちに、素敵な空間を提供できたら良いな。
instant GALA
「思い出の服」をドレスコードとし、服への愛着・愛情を喚起し、ソーシャルグッドなファッションのあり方を発信する、思い出の服の祭典「instant GALA」が2回目のイベントを開催します。場所は人と街のメディアになるソーシャルホテルHOTEL SHE,OSAKA。平成最後の華金の4月26日、平成最高のハレの場を作り出します。
龍崎翔子(りゅうざき しょうこ)
L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.代表/ホテルプロデューサー。2015年にL&G社を設立。15年に「プチホテルメロン富良野」、16年に「HOTEL SHE, KYOTO」、17年に「HOTEL SHE, OSAKA」を開業。「THE RYOKAN TOKYO」「HOTEL KUMOI」のリブランディング・運営も手がける。