生活のストレスを取り除く機能性を備えた、ライフスペックな服を作るファッションブランド「ALL YOURS(オールユアーズ)」代表の木村昌史(きむら まさし)さん。
比較的“普通”の人生を歩んできた彼が憧れる、いわゆる就活をして出世して…という王道を外れたアウトサイダーの、一見自由な生き方の裏にあるロジックやその原点を、失敗も成功もひっくるめて深掘りしていく連載「ALL YOURS木村の“よりみち見聞録”」。
第三回のゲストは、2011年に結成されたクリエイティブユニット「TENT(テント)」で活動する青木亮作(あおき りょうさく)さん。
TENTは青木さんとその相棒である治田将之(はるた まさゆき)さんによる二人三脚のチームで、彼らは「高層ビルのような固定された強さではなく、テントのように自由で風通しの良い強さを目指して創作活動をする」をモットーに、さまざまなプロダクトをデザイン・プロデュースし、ドイツのiFデザイン金賞やGOOD DESIGN AWARD BEST 100をはじめ、国内外で多数の賞を受賞している。
また、TENTは日々の生活に欠かせないプロダクトを手がけることが多く、昨年は「つくる」と「たべる」を1つにするフライパン「JIU」をヒットさせ、今年の2月には象印マホービン株式会社と共に家電シリーズ「STAN.」をローンチした。
青木さん自身はTENTの結成までオリンパス、ソニーといわゆる大企業に在籍してきたため、とてもアウトサイダーとは思えないのだが、その歩みは決してエリートのそれではなく、まさにアウトサイダーのそれ。青木さん自身に言わせると、「経歴がエリート風に見えるだけで基本的にはダメ人間」なんだそう。
では、この連載でおなじみ(?)の無職時代もしっかり経験している彼に、これまでの歩みがどのように今に繋がっているのか、その人生を紐解いていく。
「勉強する意味がわからなかった」
木村:「勉強する意味がわからなかった」って以前言ってましたけど、それってどういうことですか?
青木:いわゆる「何のために勉強するのか」を全く知らなかった子どもでした。授業そっちのけでノートに漫画ばっかり描いてました。
木村:青木さんって基本的に頭の構造がアナーキーなんですよ(笑)。
青木:でも中2の頃に勉強が少し楽しくなりだした瞬間があって。というのも、ある時、隣の席の男の子が自分のノートに、黒板の写しだけでなく、メモや漫画を自由に織り交ぜて書いているのを見たんですね。僕はそれに「その手があったか!」と衝撃を受けて。勉強と自分の得意とを混ぜていいんだ、みたいな。
木村:その原体験、超いい話だなー。
青木:あとは日誌とかあるじゃないですか。毎日先生に提出してハンコもらうやつ。それもすごい苦痛で。でもそのやり取りを楽しめるように、「クイズ、ハンコでポン」というゲームを作って。僕が作ったクイズの答えを先生が3択から選んでハンコを捺すんですけど、それで「昨日のクイズはハズレですー!」とかやってたら、そのアイデアを先生がすごく誉めてくれて。
木村:いい先生だ。
青木:それが中3で、「案外いいかも学校」って思ったけど、もう遅かった。
木村:卒業だ(笑)。
青木:まあ中3からテストの点も自分なりにググッと上がるんですけど、時すでに遅し。受験結果はダメダメで、入った高校ではわりとひどい3年間を過ごしました。
有刺鉄線に囲まれた高校三年間
木村:と言うと?
青木:志望校に入れず、しかも滑り止めだったはずの二番手にも落ちて、結果の三番手の高校に入ったんです。そこ、金持ちの家のヤンキーさんが比較的多めなところで、話も合わないし、しかも…もうこの話やめていいですか?
木村:なにがあったんですか(笑)。
青木:いやね…校舎が塀で囲まれているんですよ。そして出入り口が一つしかなくて…だからいわゆる…『進撃の巨人』の世界みたいな(笑)。
木村:ええ…。
青木:で、もちろん塀の上はすべて有刺鉄線なんですよ。
木村:それ常識じゃないから(笑)。
青木:で、門には守衛室もあってね、もはや…
木村:監獄(笑)。
青木:そう、監獄、もう完全にプリズンなんですよ(笑)。しかも美術の授業がなかったんです!
木村:それは辛い!
青木:だから「まあいっか」ってテキトーな感じになっちゃって、毎日惰性で学校に行ってたんですけど、高2からいわゆる進学クラスに入ったんですね。まあそんなお世辞にも頭のよくない高校の進学クラスなんて微妙なんですけど、比較的授業を真面目に聞くクラスに入れたんです。進学クラスに入る前は授業中に誰かが膨らましたコンドーム風船が教室を飛び交っているみたいな環境で過ごしてたので。
木村:やばいなーそれ(笑)。でもその高校の付属大学に一応進学したんですよね?
再びなにも学ばなくなる大学時代
青木:そう。工業系の大学だったんですけど、そこの建築学科に行って、勉強もせずにテレビばかり見てました。ひたすらスペースシャワーとMTVを行ったり来たりし続ける日々。
木村:なぜそうなる(笑)。
青木:まあだらだらと単位を落とさない程度に時間を過ごしていたんですが、大学2年ぐらいかな、急に「あ…だめだわこれ」と思って。
木村:なんか降りてきたんですか(笑)。
青木:女の子にフラれたからですね(笑)。あとはちょうどそのとき「建築設計」っていう授業を受けていてこれもきっかけかもしれない。たとえば「こういう土地があります。ここに図書館を建ててください」っていう課題が出て、その設計を製図に落とす授業なんですけど。
木村:やっぱりビジュアルなんですね。そっち側になると急にスイッチが入る。
青木:僕はそういうタイプみたいですね。それで僕の設計はその授業で何度か優秀作品として紹介されて、そうするとすぐに「あー結構楽勝だな~」と調子にのってしてしまうんですけど、まあ、今思うとちょっとずるくて。だって浴びてきた情報量が違うわけですよ。父がフリーのデザイナーで、決して裕福ではない家だったんですけど、昔からデザイン関連の書籍や雑誌だけはたくさん置いてあって、なんとなしに眺めていたし。
木村:なるほど。親父さんの持ってる資料がたくさん家にあったのか。
青木:そう。暇なときにずっと読んでたんで。
木村:でもそれ、理由は家にあるからでしょ?
青木:そうですね。
木村:この連載に出てくれる人は基本的に行き当たりばったりなんだよなあ(笑)。
青木:あとね、僕、何かを考えるときに、ルールを最初に確認するのがよくわからないんですよ。
木村:どういうことですか?
青木:例えば、図書館の設計を考える課題をやるときに、みんなルールを求めるんです。「柱のスパンは何メートルですか?」「必要な設備は?」みたいなことを先生に聞いて、縛りがある状態に自らをもっていくんです。対して僕は、「なんか光が入って風が吹き抜ける図書館があるといいな!」っていうイメージを起点に作ってた。
木村:それね、たぶんだけど、みんなは“思考を楽するために枠を作る”っていう考え方なんだと思う。それでがんじがらめになって墓穴を掘るパターンもあるんだけど。
青木:こっちの方が楽なのにって当時は思ってました。でね、それなりの成績が取れ始めたたのをみて、非常勤の先生が「建築系の大学院にいったら?」って言ってくれて。
木村:でも大学院が何か知らなかったんですよね。
青木:そう、大学院の存在自体知らなかった。
木村:ごめん、それうちの息子と同じくらいの知識レベルですよ。
青木:いまだにたぶん、正確にはわかってないかもしれないですね。それで候補を探すうちに、自分にとってはレベルがかなり高くて「まあ受かんないだろ」と思う大学院があって。そこがたまたま実家から近かったので記念に受験したら受かっちゃって。
木村:おお!
青木:とはいえ、入学するお金もなかったんで、バイトに明け暮れたりいろいろありまして。なんとか入学。でもね、入学後、受かった後にまた苦難が待ち受けていたんですけど…次回に続く。
木村:なんだそれ(笑)。
初めての敵わない人
青木:入ったのは芸術工学研究科というところの、「プロダクトデザイン」に関する研究室なんですけど、なんでプロダクトデザインだったかと言うと、そこを受験する前に、幼い頃の原風景になってるお弁当箱を思い出したからなんです。
木村:あ、親父さんの話ね。青木さんの親父さん、お弁当箱の中に箸を入れられるとか、2段のお弁当箱を1段に収納できるとかを考えた人で、あとはアルミ製のお弁当箱のオリジナルを作った人なんだよね。
青木:そう。
木村:これすごくないですか? たぶん誰もが見たことのあるお弁当箱のオリジナルを、いくつも作ったっていう。
青木:誰も知らない地味なところで、すごく実直に仕事してたっぽいです。それでね、建築って納品したら、基本的に自分の手から離れちゃうよなと思ったんです。でも、お弁当箱を作るみたいなプロダクトデザインの仕事って、自分はもちろん友達とか子どもとか、みんなが使えるから超ハッピーだなと思って。だから建築から転向して、プロダクトデザインを学ぼうと思ったんです。
木村:なるほどなあ。それで、その大学院の研究室には何人ぐらい院生がいたんですか?
青木:僕も含めて6人です。
木村:6人!?
青木:はい。大学院は2年間なので、同学年のいわゆる同期が1人。あとは先輩が4人。
木村:結構少ないですね。
青木:はい。まあともかく、その研究室の教授がかなり厳しい方で、天狗になってた僕の鼻を完全にへし折ってくれたり、まあ、いろいろありましたけど、なかでも、たった1年間という短い接触のなかで、すごく影響を受けた先輩がいて。その人は僕の知らないカルチャーをめちゃくちゃ知ってる人だったんです。
青木:例えばその先輩と音楽の話になって、「青木くんはどんなの聴くの?」って言われて、「ナイン・インチ・ネイルズとか…」って僕なりに背伸びして言ったら、「あーいいよねえ」って言いながら、初代iPodを見せてくれるんですけど、ものすごい数のアーティストの曲がその中に入っていて、もうね、ロック史を網羅して深めているわけですよ、彼は。「僕浅かったわー…」ってもう恥ずかしくて。彼とは何を話してもそうなりました…。
木村:その人の影響は大きいんですね。
青木:はい、あの出会いは大きかった。カルチャーを知っているだけでなく、やること話すことの全てにアイデアが溢れてるんです。課題でも何でもないし、誰にも頼まれてないのに、常に面白いことをしてやろうっていう姿勢がある人でした。雰囲気が似た人を言うとみうらじゅんかな。圧倒的でしたね。僕と同じひょろっとしてるオタクみたいな風貌なのにモテモテだし。
木村:大きく分けるとこっち側なのに、明らかに線が引かれている、みたいな(笑)。
青木:そうそう(笑)。勝手な自分の価値軸で言えば、父と姉以外で言うと、一番最初に「本当に勝てない」と思ったのはその人かもしれない。ちなみに彼は今、とある機器メーカーのデザイナーをしてると思います。きっと組織のなかでもきちんと偉くなりつつ、ちゃんと人生を楽しんでるでしょうね。
木村:すごい人がいるんだなあ。
「正しい写真なんてない」
木村:で、院を卒業されてオリンパスですよね。どんなことをしてたんですか?
青木:最初は医療機器の部署に入ったんですけど、その院の先輩の影響もあって、頼まれてもいないのに、どんどん他の部署の仕事なんかにもアイデアを提案しまくってたんです。そしたら「もううるさい。じゃあお前勝手に好きなことやってろ」っていうことだと思うんですけど、入社3年目くらいに新規カテゴリー創出部署みたいなところの立ち上げに当てがわれて。そこからは本当に好きなことを最後までずっとやってました。とんでもなく面白い上司もいたりして、居心地はよかったです。
木村:じゃあなんで辞めたんですか?
青木:調子にのって、「僕は世界をとれるんじゃね?」みたいな勘違いをしてしまったからです(笑)。
木村:また調子にのっちゃったのか(笑)。辞めるまでにはどういう経緯が?
青木:カメラの会社なので、技術を高めていくためには当然のことなんですけど「綺麗な写真とはこういうのものだ」という定義づけがしっかりあるわけです。そんななかで、ある先輩デザイナーから「お前が撮った写真を見せてみろよ」と、何度か言われたんです。なんか値踏みされてるような嫌な気持ちになって。
木村:はいはい。
青木:だから、いわゆる「きちんと綺麗に撮れる」という価値観とは全く違うベクトル。チープなカメラのように、光量が足りなかったり色味がおかしかったり、変なふうに撮れるフィルターをいっぱい搭載した「正しい写真なんてない」を合言葉にしたカメラを作りたいって言って企画して、それが社内の評判もよくて。
で、また天狗になった僕は、突発的に偉い人たちへのプレゼンテーションを敢行して、その場で「こんなの流行りすたりで終わるじゃないか」って一蹴されて、「あーこの会社と僕の価値観は合わないんだな。違う会社に行こう」って思って、すぐに辞めて転職したっていう。
木村:今だったら売れるよね。
青木:いや、その構想の一部がね、僕が辞めた後に「アートフィルター*1」って機能になって、オリンパスのカメラに実装されてるんですよ。
木村:結構有名なやつじゃないですか(笑)。この機能、名前は違うけど今やどのメーカーも当たり前のように開発してるし。
(*1)撮られた写真(もしくは撮ったあとの写真)にフィルターを重ねるようにして色味などの加工を加える機能
青木:そう。まあもちろん、時代的に、他の人も同じような企画していたでしょうし、実現したのはさまざまな人の努力の成果だとは思いますけど、少なからず爪痕は残せたんだとは思いました。Instagramが普及した現代からすると、どうってことない話なのかもしれませんけど。ちなみに、この時の開発プロセスって、姉に「カメラ欲しい?たとえば一眼レフとか?」ってインタビューしたところから始まってて。
木村:へえ。
青木:で、姉に「全然いらない。でもトイカメラみたいにかわいいやつなら欲しい」って言われたことがキッカケだったんです。姉の個人的な意見ではあるけど、めちゃくちゃ精密に作って綺麗に写真が撮れるカメラがトイカメラに負けるってすげえなと思って。
木村:たぶん技術先行でいくと、“綺麗に、速く、正確に撮れる”みたいな要素を突き詰めていくのが正しいけど、必ずしも皆がそれを求めてはいないというね。
青木:そうなんです。僕は「ブレもボケも周辺減光も”味”としてポジティブに取り入れていく」っていうカメラを作りたかったので。
「そんなに辛いなら辞めちまえ」。いつでも広げていつでも畳める会社TENTの結成秘話
木村:ソニーに転職してからはどういったことを?
青木:ま、完全に歯車になったんです。カメラの価値観をどうこう言ってた立場から、図面を渡されて「これやって」みたいな、一担当になってしまって。転職したんだからゼロからのスタートは当たり前なんですけどね。
木村:じゃあソニーは仕事がつまらなくて辞めた?
青木:うーん。もちろんありがたいことに、楽しいプロジェクトもあったし学ぶこともあったんですが、じわじわと辛くなって。
木村:歯車になりすぎて?
青木:それもありますけど、原因は、実は会社だけではないんです。ソニーの本社がある品川に行くと、駅の通路にバーっと大量のモニターがあって、毎朝大量の広告が映し出されている。その下を大量の会社員が軍隊のようにザッザッと歩いていく。自分がその一人になっているのに心底まいっちゃって。吐くほどつらくなっちゃって。もう本当にただ辞めました。「もう辛い」って言って(笑)。
木村:それ奥さんはなんて?
青木:僕がずっと愚痴を言ってたから、「愚痴は聞き飽きた。そんなに辛いなら辞めちまえ。やりたいことをやって食っていく方法を考えな」って言われて。
木村:人生の監督だ(笑)。
青木:そう、正論すぎた(笑)。さらに、「前の会社であんなに好きなことやってそれなりに良い結果も出してたのに、なにウジウジいつまでも悩んでんの。その時間、もったいなくない?」と言われました。反省したなあ、あれは。
木村:それでフリーランスになろうと?
青木:そうです。でもね、仕事をやめた罪悪感を消すために、まずは家のことをやってました。毎朝雑巾がけしてましたもん。奥さんが働いてたから、「いってらっしゃーい」って送って、家事をして、あとは漫画を読んだり近くの公園に走りに行ったり。それが1年ぐらい続いたかな。
木村:仕事はしてなかったんですか?
青木:たまに出会った人が仕事を頼んでくれたので、うっかり、ちょこちょこ仕事もしてしまいました。ダメですね。サボるなら徹底的にサボるべきだった。当時はなんかしてないと不安でしかたなかったんですよ。やることがないから、わざわざ自転車で少し遠いスターバックスに行って、コーヒーを飲みながら「アイデア出し」みたいなことをやる。それがしばらく経つと、公園で缶コーヒーになり、最後はカルディまで無料のコーヒーをもらいにいく日々。
木村:そのディティールやばい…!
青木:でも、今思えばその時間の輝きたるや。無職は誰もが一度は経験したほうがいいと思います。
木村:この連載に出てくれる人はみんな一度は無職してますよ(笑)。で、その後TENTの結成にいたると。
青木:そうです。でも当時はまだ“仮設”のユニットで、だからTENTなんですよ(笑)。
木村:それがずっと続いているわけか(笑)。
青木:いや誤解されると困るな、ちゃんと言おう(笑)。それまではだいたい大きなビルで仕事をしてたんですけど、震災を機に、なにか起きたときにすぐ移動できるような軽やかさって格好いいなって思って。いつでも日当たりがいい場所に移動できる身軽さというか。だからTENTはいつでも広げていつでも畳める会社なんです。そして、畳んでもまた広げられる。そういうコンセプトも名前に表れてます。
木村:超いいですよね、そのコンセプト。
青木:一緒にTENTをやってる治田さんとの関係も心地よくて。僕らはふたりとも、なにより今、目の前にある生活をよりよくすることに興味があるんです。デザインというと、なんか海外の権威ある展示会に出して賞をとったらすごいみたいな評価軸があるじゃないですか。
木村:要はコンペ至上主義的な考え方?
青木:そう。それはそれでいいんです。僕らも賞を頂いたりしてますから。でも、「そのプロダクトは目の前の暮らしを少しでもよくしてるのか?」という課題感が常に僕にはあって。
木村:その非コンペ的な思考になっていくのは、お父さんが生活用品のお弁当箱を作ってたことが影響してる?
青木:うーん、確かに、完全にそうですね。目の前の生活をよくしないで自分だけ賞とかで評価されていても…ってこれは偏った意見だな…吠えちゃった。
まあ僕はやっぱり、「明日をよくしないとその先の未来はよくならない。身近な人が幸せにならないと社会はよくならない」って思っているので。社会をよりよくしたいなら、まずは身近な笑顔から、じゃないですか。
木村:そうそう。その話でいうと気になってることがあって。ALL YOURSにはインターン希望の子が飛び込みで来てくれたりするんですけど、その子たちの話を聞いていると、だいたい「児童就労が…」「大量生産・大量消費が…」という流れになっていって、「まあわかるけど」みたいな。もちろんその話もわかるんだけど、ちょっとピントが合ってないんじゃないかい? と。
青木:おお、それで言うと、この間すごい自論に至ったんですよ。「社会問題を解決したい」って言う人は要は“モテたい”人なんですよ。
木村:ほう。
青木:その心は、解像度の低さなんです。要はターゲットを絞り切れてない。社会問題そのものは社会全体が抱えている問題で、個人じゃ解決できないスケールだから「社会問題」という名前が付いているわけです。それらを個々に分解しないと現状を変えられないじゃないですか。ただ漠然と大きな話をしてもどうにもならない。
木村:その社会問題を解決するために、誰と何をどうするのかという視点に立ててない。
青木:そう。「社会問題を解決したい」っていうのは、いい目標のように見えて、あまりにも漠然とし過ぎてるんです。だって「世間から漠然と評価されたい」っていう気持ちって、言い換えれば「モテたい」と変わらないじゃないですか。
木村:「〇〇さんと付き合いたい」だったらまだやり方があるっていうね。まあ若いうちはモテたいでもいいと思うんです。だけど、その問題に対して自分が何をできるのかまで考えないと、いつか行き詰まっちゃうんだよなあ。
人生に必要な“何も頼まれない時間”
青木:繰り返しになるけど、無職期間、すごくおすすめしたいんですよね。だってもうね、自分がやりたいことしか残らないんですよ、誰にも強制されないし、誰も何も依頼してくれないから。だから自分のやりたいことがわかってくるの。
木村:しなきゃいけなかったり強制されると人は途端にやらなくなりますよね。
青木:そうなんですよ。TENTもいつでも畳めるからこそ畳まないんでしょうね。
木村:はははは(笑)。
青木:治田さんも似たようなことを言ってました。彼、フリーになってから初めて毎日オフィスにいくのが辛くなくなったらしくて。その理由が「毎日出社しなくてもいいから」ってことなんです。
毎日行かなくていいからこそ、毎日行きたくなる。治田さんいわく、今のTENTは楽しいお砂場なんですって。だから一生懸命、楽しいお砂場をもっと楽しくするために、僕らは日々努力しているんです(笑)。
木村:お、なんか素敵な感じになってる、ここで締めよう(笑)。それでは皆さん、また次の記事でお会いしまょう!
その手腕でデザインに関する多くの賞を受賞しているのにも関わらず、そこに重きを置かず、生活に寄り添うプロダクトを追求することにやりがいを感じている青木さん。そのスタンスは、漠然とした視点から物事を考えるのではなく、すぐそばにいる人の幸せを最初に考えてきたからこそ生まれたものなのだろう。
「社会をよりよくしたいなら、まずは身近な笑顔から、じゃないですか」。
あらゆる物事に通じる金言ではないだろうか。
TENT
Not a strength
like a fixed building,
but a flexible strength
just like a TENT.
TENTは2011年に治田将之と青木亮作の2人によって結成され
活動を開始したクリエイティブユニットです。
高層ビルのような固定された強さではなく、
テントのように自由で風通しの良い強さを目指して、創作活動を行っています。
また、このインタビューにも少しだけ登場する
青木の父(ヒゲじい)について
TENTのWebで記事を公開しています!
気になる方は読んでみてください。
ALL YOURS CO.,LTDライフ・スペック伝道師
Masashi Kimura(木村 昌史)
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24ヶ月連続クラウドファンディングの最終回が現在進行中!
オールユアーズの今後の事業計画はこちらから。
ALL YOURS
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DEEPE’S WEAR
服を選ぶとき、何を基準に選んでいますか。
天候や環境を考えて服を選ぼうとすると、着られる服が制限されてしまう。
そんな経験ありませんか。
そこで、私たちDEEPER’S WEARは考えました。
服本来のあるべき姿とは、時代・ライフスタイル・天候・年齢・地理など、
人ぞれぞれの環境や日常に順応することではないだろうかと。
あなたの持っている服は、どれくらいあなたに順応していますか。
服にしばられず、服を着ることを自由にする。
人を服から“解放”し、服を人へ“開放”する。
このDEEPER‘S WEARの理念を可能にするのが、
日常生活(LIFE)で服に求められる機能(SPEC)を追求した日常着(WEAR)、
「LIFE-SPEC WEAR」なのです。
DEEPER’S WEARはALL YOURSが取り扱うブランドです。