現在6歳の息子の子育てをしているアーティスト草野絵美(くさの えみ)が、多方面で頭角を現した2000年代生まれのティーンエイジャーに、「自分の好きなことをどう見つけて、それをどのようにして突き詰めたのか」のストーリーを聞いていく連載 草野絵美とスーパーティーンの「わかってくれない親の口説き方講座」。第四回目の今回は、2000年生まれの李卓衍(り たくえん)を取材した。
李卓衍は、アーティストの感性と科学者の論理を併せ持つ2000年生まれの19歳。幼い頃から小説や文藝のほか音楽に関心があり、その後物理学に出会った感動から科学に目覚める。10代半ばから国内外のアート、科学、エッセイなどさまざまなコンテストやコンペティションで入賞を経験。この秋にはアメリカのコロンビア大学へ入学する。
草野絵美は90年生まれ、80年代育ちで歌謡エレクトロユニット「Satelite Young(サテライトヤング)主宰・ボーカルで、現在2012年生まれの息子を子育て中。自身が10代の頃は、国内外で多様なカルチャーに触れ、ファッションフォトグラファーとして活動していた。
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勉強が好きなわけではない
草野絵美(以下、絵美):まずは李さんの生い立ちから聞かせてもらえますか?
李卓衍(以下、卓衍):両親は中国人です。私は茨城県のつくば市で生まれて、小学校1年生の1年間は中国で過ごして、その後アメリカで3年ほど過ごして、小学4年生の年に日本に帰ってきて、その後はずっと山口県で過ごしています。
絵美:じゃあ日本が一番長いんですね。中学や高校時代はどんな風に学校で過ごされていたんですか?
卓衍:学校の中のコミュニティと外のコミュニティをさまようことが好きだったので、内外でいろんな居場所を作っていました。特に東京とは情報感度が違う山口という場所に住んでいたからこそ、興味のある情報は貪欲に探していました。人伝いに知った「面白いなと思う人」に会って、その人がどんなことを考えているか聞くためにインタビューをしたりして。それは今も続けています。
絵美:行動力があるんですね。李さんのお父様はつくばで研究をされていたと聞きました。何の研究をされているんでしょうか?
卓衍:両親ともマテリアル・サイエンス*1の分野の研究をしていました。父の方は今でも大学で教授をしていて、母はもうやめているんですけど。
(*1)材料工学や材料科学ともいい、物理学や科学の知識を融合させることで新たな素材を開発したり、既存の素材をより利用価値の高いものとして活用したりするための研究を行う分野
絵美:研究者のご両親だからこその影響は受けていますか?
卓衍:はい、かなり。小学校の頃に両親が家にいない時は、父の研究室にずっといました。そこで宿題をやっていたりして。で、研究室にいると自然と実験の様子が見られるじゃないですか。そうした記憶は今にもつながっているような気がします。
絵美:研究室で過ごした時間が多いということですが、勉強は好きな方ですか? 高校生の頃からエッセイ、アート、科学などでいろんな賞を取られていますが。
卓衍:うーん、そうですね…勉強が好きというわけではないですね。賞は取っていますが、その成果を出す過程は私にとっては勉強ではないんです。どちらかと言えば趣味に近い感覚があります。
絵美:なるほど。アメリカの学校に通われていたときギフテッドクラス*2に選抜されたとうかがっていたのでそういう面があるのかと思っていました。私の息子がこの前小学1年生になったんですが、宿題が面倒くさいようで…。「勉強しなさい」とご両親に言われたりはしなかったですか?
卓衍:それは特に言われてないですね。ただ日本の勉強方法が苦手でした。アメリカの教育の方が楽しかったですね。例えば理系の授業の時に、先生が「明日は実験やります。〇〇という条件で実験しますが、その結果どういうことが起きるか、明日までに仮説を立てて来てください」というような課題がよくあって。そういう決められた答えを求められない教育方法はすごくモチベーションが高まるというか。あとは親が夕食後の20時以降は絶対に座って何かをしていたので、私もそれを真似して読書なり絵を描くなりして、自然と勉強もしていました。
(*2)高度の知的能力があると判断された子どもが選抜されて入る、通常のクラスよりもハイレベルな授業を行うクラス
絵美:なるほど、自然と机に向かうような環境を作ればいいのかなあ。
卓衍:あと、両親は友達のような一面と教育者としての一面のオン・オフがうまくできる人たちだったと思う。それも良かったのかな。
絵美:仲もいいけれど、ある程度は厳しかった?
卓衍:はい。でも私の行動を制限するような厳しさじゃなくて、私がぶれないように軌道修正をする厳しさでした。そして将来についても自然と話し合える環境を作ってくれましたね。私が本当にやりたいと思っているのか、話しながら両親がちゃんと見極めてアドバイスをしてくれていたんだなとのちのち気づきました。
絵美:すごい、私もそういう目線をもっと持ちたいです。
帰国して訪れたアイデンティティ・クライシス
絵美:先ほども少し話されていましたが、日本の教育への問題意識があるという話を他のインタビューでされていたのを見ました。
卓衍:結構やりきれない思いがありますね。小学校の時って計算ドリルとかあるじゃないですか。あれ、「自分で丸付けするの?」「こんな決まりきった問題を淡々と30問もやるの?」って思っていて。みんながそれをやっているってことが最初は受け付けられなかったな。
絵美:そうした状況で小学生のときにSF小説を書かれていたんですよね。なぜですか?
卓衍:アメリカから日本に帰ってきて、ちょっと閉鎖的で均質的な出来事が多いなと感じて。アイデンティティ・クライシスが起こったんです。だからとりあえず客観的な資料で自分の存在を証明したくていろいろやりました。小説を書いていたのもその影響です。あとは楽器をやったり。それこそいろんな大会に出たのもこれが理由です。
絵美:もしかして、科学と芸術の両方をやろうと今思われているのにはそういう過去に理由が?
卓衍:それはあるかもです。
絵美:この科学と芸術が李さんの好きなものだと思うのですが、この“好き”を突き詰めようと思ったのはなぜでしょうか。
卓衍:突き詰める…という感覚はないかもしれません。でも、結局いろいろやってみて、それで私が確かなものになっているのかというとそうでもないし、みたいな結果になって。だから自分が“逃げきれないもの”や、“つきまとわれているもの”こそが自分らしさなのかもしれない、それが「感情」ってものなのかもしれないと思ったんです。
絵美:なるほど。「感情」に興味を持ってらっしゃるということなんですが、一見科学とは波長が合わないようにも思えます。なぜ「感情」というトピックに興味を持たれているんですか?
卓衍:特に研究に夢中になっていた頃は、本当に成果を出すために作業を進めていたんですね。そしてふと気がつくと、「これ、なんか止めどころがないな」と思って。そういう時に科学者って倫理とかを忘れちゃうのかなと考えて、一瞬身を引いて考えた時があったんです。今もいろいろあるじゃないですか、デザイナーベイビー*3とか、賛否両論ある実験の数々が。科学は客観的で学術的なアプローチで進めていくものなんですけど、そこには主観も必要なんだろうなと思っています。
絵美:なるほど、例えば客観性の塊であるAIがデザイナーベイビーの実験を進めたりすると、倫理的に問題が起きてしまうというか。
卓衍:そうですね。主観というブレーキがなければ本当にディストピアに近づいていってしまう。最近はだんだんテクノロジーやAIが発展してきて、お金がデジタルになって現金は死んだとか、そういう流れになってきているのが私はめちゃくちゃ怖いです。便利だからといって、肝心なところがブラックボックスのまま進んでいくっていう社会の構造が怖い。ただ、私もその社会の一員だから難しい問題なんですよね。
絵美:そうしたことも考えながらも手を止めないのがすごいですよね。成果が出るまで研究を続けようとする、小説を書こうと思ったらちゃんと書く。そういう実行力が本当に素晴らしいなと。どうやったらそうなれるのでしょうか?
卓衍:そうですね…試すことで失うものはないとずっと思っています。プライドとか特にないし。
絵美:なるほど。あと、個人的にはジェンダーバイアスもあるのかなと思っていて。特に日本の女の子は。「私は女性だから理系に行かない」みたいな人も私の世代にはいて。自分にリミットをかけちゃうんです。
卓衍:私の世代の女性にも自分の期待値を勝手に低くしてしまうことって結構あると思う。
絵美:社会の雰囲気もあるよね。
(*3)受精卵の段階で遺伝子操作を行うことにより、外見、体力、知力などを望むものに変えられた子どもの総称。
「もっと議論になる人が増えてもいい」
絵美:将来の目標はありますか?
卓衍:うーん、今はないですね。
絵美:では実現したい社会の像のようなものはありますか?
卓衍:日本には本気で話し合える環境が少ないので、普段から向き合う課題がそれぞれにあまりないと感じます。それは問題なんじゃないかなと。
絵美:たしかに。あと、今はソーシャルメディアで声の大きい人が影響を持つ社会じゃないですか。それもすごい危ういですよね。今のツイッターとか見ててもフィルターバブルが作られてすごい分断されてるし。
卓衍:誰かが代弁してくれると思って安堵してしまう人も絶対いますよね。
絵美:そうですね。私は小さな声も届くような社会は実現してほしいと思っています。
卓衍:実現してほしいですね。あとはもっと“議論になる人”が増えてもいいんじゃないかなと思っています。
絵美:というと?
卓衍:無難に生きている人がちょっと多いと思っています。ちょっと危ない考えなんですけど、さっきも言ったように本気で話し合える環境がないからそうなってしまうのかな。最近自分の素を出すことを恐れないアーティストが出てきていますよね。出し方にはもちろん気をつけなければならないけど、自分の意見を出せる人って本当に自信があるからかっこいい。私は日本でそういうかっこいいロールモデルを見つけられたことがなくて。だから海外のカルチャーに憧れを持って過ごしてきました。
絵美:出る杭が打たれる社会ですからね…。では、これからアメリカのコロンビア大学に秋から行く李さんですが、現地では何を学ぶ予定ですか?
卓衍:ざっくり言うと工学です。工学*4って社会のニーズに応えることだと思うんですね。だから社会のニーズに応えるために、私はちゃんと社会のニーズを知らなきゃいけない。でも、研究者ってこのニーズをちゃんと認識してない人が案外多くて。とりあえず自分の分野で一番先を走りたいっていう人が多い印象。私もそうした面がないわけではないので、ちゃんと周りのニーズを聞くように意識し、それをプラットフォーム化して、より良い研究を進めていきたいと思っています。
絵美:そういう場をアメリカという場に求めていると。
卓衍:はい。あとはさっきアートもやりたいって私言ったじゃないですか。私にとって工学は“客観”でアートは“主観”。その両方を備えた人になりたい。いろんなことをやっていると、その分だけ興味が分散しているように見える。でも、帰納法*5じゃないですけど、たくさん例を知っているからこそ見えてくるものがあるから。
絵美:たくさんの例を知ると言えば、最初の方に話してたインタビューはアメリカに行っても続ける予定ですか?
卓衍:続けたいですね。特にニューヨークなので、多様性が豊かな場所じゃないですか。いろんな話が聞けそうですよね。あっちでもいろんな出会いを求めていくので、記録に残したいなと。
絵美:工学を研究しながら、人の感情に寄り添って発信を続けていく掛け算のような作業は他の人が経験しないことですよね。だからなかなかレアな存在になれんじゃないかと思うんですよ。そういう掛け算が今の時代、なんかすごく重要なのかなって。グーグルの検索で一番上に出てくる人が本当にすごいかといえばそうじゃないと私は思っています。本当にすごい人は、経験や属性を積み重ねている人だと思っていて、だから李さんが見ている景色は本当に素晴らしいなって。
(*4)科学知識を応用し物品を生産するための方法、システムを研究する学問。
(*5)さまざまな事実、事例から導き出される傾向を元に一定の法則を導く論理的推論の方法。ただし例外を想定するために、帰納法で得られる法則は必ず正しいものではないという認識を含む。
視野を広く持つ
李卓衍の視野はとても広い。
自分が研究する分野を突き詰めるために、思考が一点に集中していまいがちな科学者の性を自覚して、社会に研究の成果を還元するためにニーズを知らなければいけないと自省する姿。
あるいは社会の一員として、その時々の情勢にただ身を任せるのではなく、なぜこの流れができているのだろうかと考える思慮深さ。
そうした彼女の性格が、「私にとって工学は“客観”でアートは“主観”。その両方を備えた人になりたい」という態度と、「たくさん例を知っているからこそ見えてくるものがあるから」という言葉ににつながる。
アメリカで学びを深めた後の李卓衍は、まるで空から大地を俯瞰する鳥のようなその瞳で何を見据えるのだろうか。いまからとても楽しみだ。
そして、次回の連載もお楽しみに!
李卓衍(り たくえん)
孫正義育英財団準財団生。World Scholar’s Cup 2017アテネ世界大会、Fedex主催ビジネスコンテスト優勝。幼い頃から文芸創作や楽器が趣味で、美的感覚や想像性などの内面性から創り出されるものに関心を抱いていた。その後、物理学に出会った感動から科学に目覚め、ナノ析出を利用した鉄鋼材料の高強度化についての研究に取り組み、科学技術振興機構理事長賞を頂く他、国際的な科学キャンプの日本派遣員を務める。今は、感情と論理の関係についての考察としてソーシャルドキュメンタリーを作成したり、科学に感性を掛け合わせることで強迫観念や現代アートの恣意的なコンセプト付けから脱却し、より高次元な材料の形を作ることを目標に、材料工学や美術の専門的な造詣を深めている。