SNSが私たちの生活に浸透するなかで、個人の声が社会を変える原動力になる事例が増えた。アメリカから始まって日本を含めた全世界へ広がったセクシャルハラスメントや性的暴行の被害体験を告白・共有する#MeToo運動などはその代表例と言える。個人の声が可視化されて、インターネット上で連帯が可能になったことから、世の中の不条理は少しずつ解消されていっている一方、誹謗中傷や炎上を目にする機会も増えた。タイムライン上では毎日、さまざまな立場の人が主張をぶつけ合い、そこには永遠に交わることのない対立軸がいくつも存在するように思える。世の中は少しずつ良くなっていっているはずなのに、息苦しさや社会の分断を感じるのはなぜだろう。私たちは、この対立を乗り越えることは出来ないのだろうか。
今回NEUT Magazineは、そうした現状に課題意識を持って活動をしている辻愛沙子(つじ あさこ)に話を聞いた。
大学に在籍しながらクリエイティブディレクターとして活躍する彼女は、若者の視点と独自のデザインセンスを活かして、RingoRing、お台場ウォーターパーク、Tapistaなど、主にF0、F1層呼ばれる10代~30代前半の女性を対象としたヒット企画を数多く手掛けている。2019年10月からは日本テレビのニュース番組news zeroで水曜レギュラーに就任。「ニュースを自分ごと化」するためのコメンテーターとして出演中。雑誌JJの特集「私たちの明日を変える53人」をはじめ、次世代のロールモデルとしてメディアに登場する機会も多い。「インスタ映え」や、SNS上で話題となる企画を得意とすることから華やかなイメージで語られることも多い辻だが、Twitterのプロフィールには「社会の不均衡と戦う」ことを掲げていて、広告コミュニケーションの技術を活用して社会課題の解決に挑むことをライフワークとしている。
今年の5月には、女性を取り巻く社会のなかのさまざまな不均衡について知ることで女性の生き方や働き方を後押しするプロジェクトLadyknows(レディーノーズ)を立ち上げて、ジェンダーギャップにまつわる社会問題に対しても積極的に活動をしている。ビジネス、クリエイティブ、ソーシャルと領域を越えて思想と社会性がある事業づくりを目指す辻が現在に至るまでの経緯と、Ladyknowsの活動に込められた思いに迫った。
「何が自分と相手の共通部分で、何が自分と相手を分かつところなのかは、語り合わなければ分からない」
辻は江戸時代から続く医者の家系に生まれ、3つ上の姉が通っていた幼稚園から大学までが一貫となっている私立の女子校に入学した。髪の毛は三つ編み、スカートの丈はひざ下、挨拶は「ごきげんよう」。統一された様式美と育ちの良い同級生に囲まれた穏やかな学校生活。恵まれた環境だったが、次第に自分をとりまく世界に疑問を覚えるようになった。
本当に平和で、幸せだしあったかい場所でした。でも、幼稚園から同じメンバーと同じ環境で過ごし、学校以外の世界との接点があまりにも少ないことに少しずつ危機感を覚えたんです。社会のごくごく一部の、このクローズドで偏ったコミュニティが、自分の知りうる世界の全てになる。そのアンバランスさに危うさを感じて、外の世界を知りたいという気持ちが抑えきれなくなった。それが中学1年の終わりでした。
周囲のほとんどがエスカレーター式に高校や大学まで進学する環境のなかで、辻は中学校に進学したタイミングで海外に行くことを決意した。両親を説得して、通っていた中学校を退学。その後はイギリスの語学学校を経て、スイスの全寮制の学校に入学した。海外で全寮制で共学。進学先を決めた理由には、「自分から一番遠いところ」、それまでとは真逆の環境に身を置きたいという思いがあった。
当たり前だけど、そもそも人間は全員違うんだということをもっと感じなければいけないと思って。日本の学校のときは、みんな一緒であることが大前提の環境だったので、とにかく自分とは全く違うバックグラウンドを持った人たちに触れたかったという好奇心が自分を突き動かした感覚がありました。
また、この考えに至る背景には今では二人で旅行に行くほど仲のいい、大好きな姉との思春期のすれ違いもあった。
一時期、価値観の違いから私がただ存在しているだけで一番大好きなお姉ちゃんを傷付けてしまっていると思っていた時期があって。それから、自己と他者が、たとえ家族であっても、他人であって、異なる価値観や思考を持っている全く別の生き物であるという認識を持つようになりました。
「何が自分と相手の共通部分で、何が自分と相手を分かつところなのかは、語り合わなければ分からない」、辻の他者に対する姿勢はこの頃に芽生えた。
海外の学校生活のなかで、辻は現在へと繋がる思想や感性を育んでいった。全寮制の学校は自主性を重んじる校風で、仮に学校をサボっていたとしても誰も干渉はしてこない。「友達はいるし、同じ環境で生活しているけど、みんなそれぞれの人生を生きているような感覚」があった。
学年で日本人はもう一人しかいなかったんですけど、逆に違う国の人より、同じ国の人の方が分かり合えないと思うこともあって。すごく不思議で。だから、単純に出生とか、社会からカテゴライズされる自分の属性と、自分が実際に感じる共通項みたいなところって必ずしも一致しないこともあるんだなって思いました。
日本の学校では、一緒に登校したり、お昼を食べたり、放課後こっそり寄り道したりが当たり前の生活だったが、スイスでは独りで過ごす時間が長かった。辻は、当時を振り返りながら「あの頃、孤独になってたことが私の人生にとって一番大事だった」と話す。独りで過ごす時間のなかで、自分に向き合い自分を知ることや、自分のことを自分で考えて決める癖がついた。スイスの学校の同級生はこれまで出会ったことのないぐらい裕福な家庭に生まれ育った人が多く、一見何不自由のない生活を送っているようだったが、どこか苦しそうにも見えた。「自分の人生を自分で選択出来ていない苦しさを抱えている人がすごく多かった」と当時の辻の目には映っていたそうだ。
「人には人の地獄がある」ということをそこで感じました。そもそも自分の軸を持たないと、どういう環境に身を置いても苦しいんだっていうそのときの学びが今の自分に根付いているように思います。
日本にいた頃は、自分が身を置く環境に縛られて物事を考えてしまっていたが、海外の生活を続けるなかで、徐々に自分の輪郭が鮮明になっていった。現在の辻のインスピレーションの源泉となっているヨーロッパのデザインや日本のサブカルチャーと出会ったのもこの頃だった。
ヨーロッパのデザインがものすごく好きで、今でも自分のルーツなんです。建物の造形から、本屋さんで売ってる本の表紙のグラフィックまで、今までの自分の世界のなかにはなかった美しさでした。新しい美しさみたいなものを目の当たりにして、純粋に自分の意志でそういう美しいものを手に取れる喜びが日々あふれていました。
自分の意志で美しいものを探して掴み取ることが出来る。「自由になった感覚」があったと語る辻はこの頃、日本のネットカルチャーにも夢中になっていた。
当時はニコニコ動画全盛期で、大きな影響を受けました。目の前の利益のために作品をつくってるんじゃなくて、ただ単に面白いものがつくりたいって思いのつくり手さんが多い環境で、大人にもそんな無邪気さがあるというのが嬉しかったんです。
学校の地下にピアノが一台だけある小さな音楽室があった。辻は、暇さえあれば、ずっとその部屋にこもって、自分の好きな音楽をYouTubeで探したり、ニコニコ動画で音楽演奏の生配信をしたりして過ごしていたそうだ。この時の経験が、辻のものづくりに対するこだわり、クラフトマンシップの原点となった。
一番向き合って対話すべきは今自分ごと化していない人たち
中学高校と海外で過ごした辻は大学入学に合わせて帰国。大学2年生のときに現在所属する広告代理店エー・ドットと出会った。プランナーを経て、クリエイティブディレクターとして頭角を現し、RingoRing、お台場オーターパーク、Tapista等、若い女性をターゲットに手掛けた商品やイベントは軒並み大きな反響を呼んだ。
そんな彼女は2019年4月、これまでの知見を活かして「自分を知る。女性を知る。社会を知る。」をテーマに、女性を取り巻くさまざまな不均衡に向き合うプロジェクトLadyknowsを立ち上げた。普段は、上場企業における女性役員の役割や、男女別賃金格差、国別無痛分娩実地比率など、女性を取り巻く問題や知るべき事実を、データに基づき紹介していくWebメディアの運営や、月に1回のトークイベントを中心に活動している。10月には、国際ガールズデーに合わせて一大イベントを開催した。「Ladyknows Fes 2019」と題されたそのイベントでは、普段あまり意識をすることがない「健康」について考えることをテーマに、500円で婦人科検診を受けることが出来る「ワンコイン・レディースドック」を企画した。背景には、20代・30代の女性の検診の未受診率の高さがある。これまで、国や自治体が啓蒙活動を続けても抜本的な改善がみられなかった課題に対して、辻は広告コミュニケーションの視点を活かして新しい提案を考えた。大企業から協賛を募り通常1~3万円する検診の費用を500円に抑えたうえで、会場を結婚式場にし、「写真映えする」空間演出にこだわることで、地味でめんどくさいイメージの健康診断を「ときめく」「楽しい」と思えるエンターテイメントにするというものだ。
社会問題をマス化してより多くの人々を巻き込み解決を図っていくためには、そのテーマについて意識が高くなかったり、自分ごと化していない層にも届くコミュニケーションの仕方を考える必要があるんです。例えば「コスト」で下げられるハードルや、「デザイン」で広げられる入り口がある。意識を持つきっかけは環境側にあることも少なくないので、いかにその入り口を作るかだと思っています。特にジェンダーやフェミニズムに関しては、老若男女全員が当事者で、語る資格がない人なんて誰もいない。だからこそ、まずは一人でも多くの人が「楽しそう」「行ってみたい」と思える入り口を作り、そこから課題について考え語っていける場づくりをする。そんな事を意識してイベントを企画しました。
「ワンコイン・レディースドック」は結果的にテレビや新聞など多くのマスメディアにも取り上げられて、「インスタ映えする健康診断」という切り口と一緒に、20代・30代の女性の検診の未受診率の高さという社会課題についても広く報じられることになった。
現役大学生ながら話題の企画を数多く手掛けるクリエイティブディレクターとして一躍スポットライトを浴びることになった辻だが、自身が手掛けた仕事が語られる際に「女子大生なのに~」「女子大生だから~」と言った肩書が付きまとうことには違和感を覚えた。「若い女性である」ことを理由に、理不尽にジャッジされタグ付けされる社会。この経験が社会のなかで女性をとりまくさまざまな不均衡に関心を持つことのきっかけとなった。Lady Knowsを立ち上げた理由と自身の課題意識について彼女はこう語る。
私がLadyKnowsの活動をはじめた背景には、ジェンダーやフェミニズム、ヘルスケアを軸に課題意識を持った人たちや企業と連帯を組み、今目の前で起こっている不均衡に立ち向かうという目的がありました。そして、それを達成していくためには、一人でも多くの人が課題意識を持ったり自分ごと化することがとても重要です。課題を解決し、社会を変えていくには、分断を超え越境していくコミュニケーションが必要だと思ったんです。つまり、Ladyknowsがまず一番に向き合って対話すべき相手は課題への意識を既に持っている”界隈の”人たちだけでなく、その外にいるさまざまな人たちなのだと感じました。
ジェンダーやフェミニズムに関しての意識はまだまだ人によってギャップが大きい。実体験からくる意識や思いがある人、自ら声をあげてアクションを起している人、普段何気なく生活しているなかで社会の不均衡に意識が向く人もいれば、親や周囲の人との出会いで考え始める人もいる。辻は、今現在まだそういった気づきの外にいる人に向けて、「知るきっかけ」を少しでもポジティブな形で作りたいと考えている。それがLadyknowsを始めたきっかけだった。
LGBTQの問題からレインボープライドが生まれてマスまで届いたのは、ポップなデザインがあったからだと思うんです。難しい社会問題であればあるほど、いかにポップに表現してマスに届けるかが鍵で、デザインの力を使ってマスに向き合ったコミュニケーションをしていくことが、Lady Knows、そして広告クリエイターとして私自身が向き合い担っていくべきことだと思っています。
課題解決や不均衡の是正は、当事者や活動者だけでなくさまざまな意識や温度感を持った人々が、分断なく連帯して向き合っていくことが重要だと辻は語る。同質性ではなく多様性。辻が目指しているのは男女関係なくさまざまな背景の人たちが立場を越えてフラットに女性問題について対話し、社会側にある不均衡を解消するためにゆるやかに連帯できる世界だ。
人と話していて楽しいのは「違う」と思えること
辻がLadyKnowsを通じて、社会のなかの女性をとりまく不均衡と闘ううえで、軸としている考えの一つは、「人を選ぶ活動にしたくない」ということだ。同じ活動に取り組む人の集まりだって多様性があっていい。その多様性こそが、多くの人を巻き込んで社会を変えていくための力になる。考えの背景には他者と向き合う際に辻自身が抱えていた感覚があった。
人が複数集まると、同じところ・共通点を探すみたいなコミュニケーションが生まれるときがありますねよ。みんなの共通点で盛り上がるみたいな。あの感覚が私、ずっと苦手で。最近、「同質性を求めるコミュニケーション」が苦手なんだってことに気づきました。
「人は違って当たり前」という感覚で生きている辻にとって、誰かと会話をしていて楽しいと思えるのは「同じ」ところ見つけられることではなく、「違い」を見つけられることだという。自分を含めた社会も、そのなかで生きる人も、もっと良いものに変わっていけると信じている。だから、どんな相手に対しても対話をしていくという姿勢を大切にしているという。
誰かが救われることで自分が救われる
広告から社会課題の解決まで活躍の領域を広げる辻は、2019年10月にまた新しいスタートをきった。所属しているエードットのグループの新しい会社として新たに自身の会社を立ち上げたのだ。社名のarca(アルカ)はラテン語で箱舟を意味する。「迫り来る社会の不均衡や荒波のなかで、あらゆる多様な人々を乗せて漕ぎ出す箱舟でありたい」という願いを込めた。
私が全力で社会と向き合った結果、今ある社会の不均衡や誰かの地獄が少しでも払拭出来て、私の死後に、それが当たり前の文化として残っていたらいいなと思っています。
「ほんの少しづつでも、社会の不均衡や先行きの暗い未来に、そして今現在思い悩む誰かの力になりたいという思いで日々仕事をしているのですが、その思いが強すぎてついつい自分をないがしろにしてしまうのが密かな悩みなんです」と笑いながら語る彼女は、今日も社会の不均衡と向き合っている。来年には2度目の東京オリンピックを迎える日本。平成が終わり令和になっても相変わらず社会の課題は山積みで、終わりが見えない対立も尽きないけれど、辻は何一つ諦めていない。「一個一個やっていくしかない」と語る姿勢には、理想論ではなく、現実的な戦略を描きながら、社会の課題と向き合っていく覚悟を感じる。そして、彼女の活動を通して、対立を乗り越えて対話が生まれる環境の輪は少しずつ広がっていっている。不均衡のない未来、個人と社会の多様性が尊重される社会に向けての挑戦はこれからが本番だけど、彼女はこの先もずっと誰かの希望であり続けると思った。