第2弾のトピックは、「MUSIC」
街を歩いていると、誰もがイヤホンを耳に挿し、足早に過ぎ去ってゆく。現代において、それは各々が自分の世界に入るために必要なポーズなのかもしれない。音楽は今や誰もがアクセス可能なものになり、日々街のどこかで誰かの生活を色付けている。
コロナ禍では、そんな音楽の「現場」に逆風が吹いた。私たちを取りまくカルチャーに対して政策的に下された判断は、文化施設への支援がなされないという、厳しいものだった。これを契機に文化施設への助成を求めるSave Our Spaceのムーブメントも起こった。
本記事では、DJをはじめグラフィックデザインなども手掛けるハウス・ミュージック・コレクティブCYKのKotsuさんにインタビュー。東京カルチャーシーンの最前線にいる彼のコロナ禍におけるフラストレーションや、シーンとの関わり方を軸に、私たちと音楽をはじめとするカルチャーの関係性を改めて考えてみた。
ーまずはじめにKotsuさん自身について少し教えてください。
Kotsuと申します。1995年生まれで千葉県に生まれ、18歳のときから今に至るまでDJを中心にイベントフライヤーなどのグラフィック制作やZINEの制作、そしてあらゆるパーティーを企画するなどクラブカルチャーに軸足を置きながらさまざまな活動を通して日々何かしらやっています。CYKというハウス・ミュージック・コレクティブの一員でもあります。
ーKotsuさんが音楽に携わるきっかけとなった原体験を教えてください。
音楽は高校3年あたりから意識的に聞くようになり、徐々に足を突っ込んでいくようになったのですがナイトクラブでの原体験として強く印象に残っているのはCIRCUS Tokyoで行われたベルリンのFlorian Kupfer初来日公演です。もともと好きなプロデューサー兼DJではあったのですが、CIRCUSの広いフロアにごうごうと鳴り響く血走ったマシーンサウンドにがむしゃらに身体を動かしたことは今でも忘れられません。ダンスミュージックにおいて身体全体でその魅力を味わうことは、いうまでもなく自室での聴取体験よりも何千倍も重要なことだからです。
ーコロナ禍において、DJとして活動するなかでフラストレーションに感じたことはなんですか。
コロナ禍では“ステイホーム”の名の下自室にいることが世に要請されましたが、人々が集い音楽を媒介として身体をぶつけあわせながら生きてきた僕にとって、あまりにも酷な状況でした。考えるなと言われるとどうしても意識してしまうように、バーチャルでのコミュニケーションが活性化しそれが合理的に扱われれば扱われるほど、常だった現場が恋しく、そして現場の価値が否定され、見過ごされてしまうのではないかということに焦りを持っていました。一方で、オンラインでのコミュニケーションが活性化すればするほど現場との差異が浮き彫りになっていき、現場の価値が再評価されることにも繋がったかなとは思っています。
ーコロナ禍で変わった価値観はありますか。
上記ではオンラインでのコミュニケーションを比較的ネガティブな要素として答えていましたが、その一方でZINEをオンラインで発表したり、DJ配信にたくさん出演したりしたことによってクラブミュージックカルチャーの新しい歴史が紡がれ始めていることに参加できているのは嬉しいです。クラブなどのスペースが生き残るための企画や、エネルギーが溜まりに溜まった若者パワーの自主的な企画、そしてネットでの創作活動に親和性のあったアーティストに自然と目が向けられるようになったことなど、時勢の要請によるフラストレーションが新しいクリエイティブを加速させていくのは改めて素晴らしいなと。同時に技術的な部分も込みで自分が出来ることと出来ないことの境界線がはっきりしたのも事実で、あらゆる人と一つの大きなテーマの下にどう物事を考えていくのかを考えるいい経験になりました。そのなかで出来ない時期は気長に待つことも大事だという発見にもなりました。
ーコロナ禍で音楽をはじめとする文化芸術シーンは大きなダメージを受けました。そのなかで「Save Our Space」のムーブメントが起こりましたが、こうした動きに対してKotsuさん自身はどういった関わり方をしていますか。
Save Our Spaceなどの社会や政治に訴えていく活動に対しては勢力的に動いてくれている方々に感謝しつつ、自分なりに咀嚼しながらリアルでの会話に近い文体でSNSで発信していました。場を守るということにおいてはクラウドファンディングなどの動きが盛んでしたが、お世話になっているスペースが限りなく多いのは事実で、そうしたニュースは積極的に発信しながらもサポート出来る人がしてくれ…!と思いながらやっていました。実は僕はどこのクラウドファンディングも使用していません。代わりに現場が再開するようになったら、いち早く駆けつけて実際の現場を通してサポートしたいと思っていたからです。それは一人のDJとしてもそうだし、週に5回以上は現場で遊んできた一人の人間として本音が話せるリアルでコミュニケーションをすることが何よりも救われると感じていたからです。それは僕にとってもそうでしたから。
ーDJの他にもグラフィックデザインやZINEなどフォーマットを問わずカルチャーシーンに携わっているKotsuさんですが、それらを行ううえで共通してもっている考え方、軸はありますか。
僕のライフスタイルは現在クラブミュージックカルチャーが中心ではありますが、そんなものはある種の記号でしかなく、あくまでもこの世界を構成する人間の一人だということは世界の動きによって大きく認識することになったのは事実です。そうしたなかで僕の周りに集まっているのは、生きるパワーを何かしらのカルチャーに見出している人が多い気がしています。それは音楽だけでなくファッションだったりアートだったりもしくは食や言葉だったりとジャンルなんてもので区切り切れるわけはなく、近しい価値観を持つ人間にフィールしているだけでそうした人たちが集う空間に居心地の良さを感じ、そこから生まれるパワーに魅了され続けているだけなのです。そうした近しい価値観を持つ人が各々の好きなものを持ち寄って会話し、その共通項を探っていくことには新しい発見が伴っていて喜びを感じるし、だからこそさまざまな文化を持ち寄って自分なりに翻訳していくことに希望を感じています。
ー活動拠点を関西に移されるそうですが、そのきっかけや理由、そして今後何をやっていきたいかについて最後にうかがいたいです。
上記の希望にまた新しい広がりを持たせたかったのかもしれません。関西移住は現在1年という期限付きで考えているのですが、同じ1年間なのであれば関西に拠点を移す方がより刺激的な1年になるだろうなと直感で思ったからだと思います。正直コロナ以前までに考えていた次のステップはこうした状況下で実現出来ないことが多く、大きな目標なくただただ楽しいだけの日常が過ぎていくよりも、ガラッと自分に偶然性を用意する方が結果がどうであれ面白いのかなと。あとはまた新しい文脈で東京のシーンを眺めたい気持ちもありますし、細々とした理由はザクザク掘れますが、まずは一旦向こうでも東京での活動と同じテンションでDJを中心にやっていきたいって思っています。週に5回以上クラブに通い、いまだに大人びた遊びが出来ずフロアでガン踊りしてしまうクラブミュージックに魅了され中の人間が関西で同じテンションで生きてみたらどうなるか!そうした実験をしてみます!よろしくお願いします。
インタビューでは世界に対して常に高いアンテナを張り、吸収したことを自分なりに咀嚼して枠にとらわれない形で発信する彼自身が生きるうえでの哲学に話が及んだ。
また、コロナ禍にあって音楽の「現場」が奪われたことで、結果的に私たちの生活に及ぼす音楽やカルチャーの影響力の大きさを実感することになったと気がついた。私たちの生活と密接に関係するカルチャーを守るために、私たちに何ができるのか。終わりがみえないコロナ禍でこそ考えていきたい。
kotsu
日本を拠点に広義の”ハウス・ミュージック”を体現するコレクティブ「CYK」の一員。DJをメインにグラフィックデザイン、ZINE製作などクラブカルチャーを軸にさまざまな文化を発信&吸収中。9月末から関西に拠点を移し活動。
《MUSIC》チームメンバー
Hiroto Konno
1999年生まれ。名前の由来は甲本ヒロト。早稲田大学在学中。
Instagram: @hiroto__konno
Keigo sato
1999年生まれ。青山学院大学総合文化政策学部在学。DJ BAR KOARAスタッフ。
Instagram: @kei66__
Masanojou Sato
1997年生まれ。Ivy styleの老舗JPRESSのスタッフ。またTechnoを中心とし、兄弟でB2B DJとしても活動。
Instagram: @ivyjoe__yo