「普通の反対は異常じゃない。また別の普通だ」。ナレーションとともに5組の登場人物の日常が映し出される、2分弱の映像。パートナーを持つ、二次元に恋する、一人でいる…人それぞれの多様な関係性を肯定する、コミュニケーションプロダクト「イマーシブヘッドホン」。からだ・プライベートゾーン・すきという3つのテーマで構成され、子と保護者、二つの視点からともに“性”について考えることのできる「YOUR NORMALきみを かんがえる ほん」。これらはパナソニックのデザインスタジオFUTURE LIFE FACTORY(FLF)がこの春ローンチした「YOUR NORMAL」プロジェクトから展開される3つのプロトタイプだ。
「YOUR NORMAL」プロジェクトは、世代を超え、誰もが自分にとっての普通=個“性”を尊重し合える世の中を実現することを目指している。そもそも“普通”は誰が決めるのか。プロジェクトを立ち上げたパナソニックのデザイナー、白鳥真衣子と東江麻祐に話を聞いた。
自分に向き合うことで、相手を受け入れる
“豊かさ”とは何だろう。これまでの機能性・利便性を重視した開発や販売の方向性だけではないことが、今、求められている時代なのではないだろうか。100年以上の歴史をもつパナソニックで、そんな危機感から立ち上げられた型破りなデザインチームがFUTURE LIFE FACTORY、略称FLFだ。所属するメンバーは6名。固定ではなく、約2年で入れ替わっていく。ここでは既存の延長線上にある商品のデザインはせず、各々が社会と向き合い、生まれた“問い”からプロジェクトがスタートするのが特徴だ。自分たちの手でアイデアを具現化、実践、時には失敗と検証の作業を繰り返しながら、一つの「解」に固執することなく、“豊かさ”を問い直していく。
FLF設立から3年。正解が一つではないからこそ日常的に感じる“モヤモヤ”に向き合いたいと、さまざまなフィールドで多様化する“性”について問う「YOUR NORMAL」プロジェクトが発表された。ともにFLFに所属して2年目のデザイナー、白鳥真衣子と東江麻祐によるもので、人生のタイムラインごとの「YOUR NORMAL」=「個“性”」を育むことについて考えるための3つのプロトタイプを提案している。
幼少期にフォーカスした「YOUR NORMALきみを かんがえる ほん」は、保護者や兄弟・姉妹、友人と一緒に個“性”について遊びながら学べる絵本。10代、ちょうど悩みごとが増える頃、性に関する話題を“気まずい”と感じて保護者に相談しづらかった、もっと早い時期から当たり前のこととして性の話をしたかったという声に着想を得た。「からだ」「プライベートゾーン」「すき」という3つのテーマで構成されており、専門家の意見も交えながら最終的にイラストと文章はすべて二人で手がけた。「からだ」の章は“人”の姿のイラストで体の部位の名称を知ることから始まり、自分の体を理解しポジティブなイメージを持つこと、体型や容姿の多様性を伝える。「プライベートゾーン」の章では、プライベートゾーンとは何かを知ることで、自分を大事にするための他者との関わり方を学ぶことができる。絵本を締めくくる「すき」の章では髪型やトップス、スカート、パンツ、靴まで取り外して使えるパーツが付属されており、ジェンダーや固定概念にとらわれない自分らしい好きの表現を肯定する仕組みも。幼少期から日常的な出来事として、性についても自然に話題にできることを目指し、絵本も今後一般流通できるよう、出版社なども探している途中だ。
思春期にフォーカスしたショートムービー「#ThinkYourNormal」は、身体的にも精神的にも悩みが増え、学校と家族、友達が生活の中心にある子どもたちに向け、より広い比較対象を知ってもらい“普通”の概念の幅を広げる目的で制作されたもの。ある多様な5組の関係性を切り取ったショートドキュメンタリーで、公式サイトでは出演者それぞれのインタビューを読むことができる。
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成人期にフォーカスした「イマーシブ・ヘッドホン」は、遠距離恋愛、事実婚、二次元との関係、一人で生きていくなど、多様な関係性を肯定するコミュニケーションプロダクトだ。通常のヘッドホンと同様に装着すると、声と同時に耳の後ろから首筋に、吐息のような風圧が発生する仕組みになっている。音量もささやき声に近い大きさに自動調整され、さまざまなシチュエーションや心地良いと感じる関係性に応じて、親密なコミュニケーションを実現する。
それぞれ、人生の節目ごとに訪れる環境の変化や悩みに応じて、“性”への向き合い方と、年代に応じた他者との関係性を築くための仕組みが散りばめられているのが分かる。
何カレー好き?のノリで。生きていくことの隣にある“性”の話を
白鳥真衣子と東江麻祐がチームを結成したのは約1年前。もともとは別の切り口から、常識や社会的な枠組みにとらわれない「自分」に向き合う方法を模索していた。生きていくうえで避けて通れない「食」というトピックから“おいしい“を通じて人の数だけある価値観を可視化・共有する「10000 PROJECT (ヨロズプロジェクト) 」に取り組んでいた白鳥。人のオーラや雰囲気から、人種や文化を超えありのままの自分らしさに向き合う「aura meditation」プロジェクトを進めていた東江。アプローチは違えど、ともにFLFに所属しながら「自分」に向き合うことに取り組んでいた2人は自然と意気投合し、「YOUR NORMAL」プロジェクトを立ち上げた。
「時には妥協したり諦めたりすることも含めて、自分を受け入れることができるようになると、他人にも向き合えるようになった」というが、それまで言語化することがなかった些細なモヤモヤも、プロジェクトを進めながら頭の中で整理されていったのだそうだ。外見やセクシュアリティへの疑問、自分は変なのではとコンプレックスに感じていたこと。「人それぞれの普通=個“性”を尊重する」ことを掲げた「YOUR NORMAL」プロジェクトで、特筆すべきは“性”の解釈の広さと、世代ごとに異なるコミュニケーションの方法を提示している点だ。生物学的な性差(sex)やセクシュアリティにとどまらず、ジェンダーロール、安全、健康、人と人との関係性…と“性“を広く捉えたうえで、幼児期、思春期、成人期と誰もが体験する年代・世代を3つに分けて異なるコミュニケーション方法を提案した。
白鳥:“性”という言葉自体、セクシャルなイメージで捉えられることも多いと思うのですが、英語で表すと、sex、gender、nature、characteristic…生まれつきの性格や性質、ジェンダーロール、安全や健康などを含む、生きていくことと切り離せないもの。私自身、このプロジェクトを始めるまで “性”という単語を口にするのが恥ずかしいと思っていたし、自分のセクシャリティや外見に疑問を持つこともあったので自分は変なのかもと自信が持てない時期がありました。“性”について、もう少しハードルを下げて話やすくすることで自分にとっての“普通”の概念を捉え直したり、「個“性“=YOUR NORMAL」の選択肢が広がればいいなと。
日常的に販売されているプロダクトを見渡してみると、“性”というトピックにはなかなか出会わない。生理でも着用可能なショーツブランドが話題に上がったのもここ最近のことだが、他に見かけたとしても性的快楽にフォーカスしたものがほとんどで、そもそも会話に上がることも少ない。プロダクトを開発するデザイナーという立場から、生活の隣にある“性”というトピックを、より身近なものとして浸透させるためにできることはないか。まずは自分たち以外の人の感覚を知ることから始めようと、白鳥と東江はプロジェクトと並行して、初回から100人ほどの人に協力してもらい社内で全5回ほどアンケートを実施。そのほかトークセッションの場も設けた。あらゆる部署が混在するパナソニック社内で、自分たちとは異なる世代、立場、部署の人も含めた意見の収集ができたことは後のアウトプットの形、どんな文脈でどういうものを作り、どのように伝えたら、YOUR NORMALの価値観を受け入れてもらえるのか。コミュニケーションのチューニングにとても役に立ったのだそうだ。
初めにアンケートで聞いたのが、体と性に関する認識のギャップと疑問。「日常的に自分と周りで、体のこと、生活習慣、異性同性のコミュニケーション、文化、世代間でギャップを感じたことがありますか。感じた場合、具体的なエピソードを教えてください」という質問には、薄毛になり歳とともに身体的に変わっていくことがショックだったという意見から、娘が生理になったら父親としてどういうコミュニケーションをとったらいいのか分からない、自分の子どもが男の子にパンツを触られたときに、親はどう対応するべきかなどの疑問や戸惑いがあると寄せられる一方、小さい頃から性の話をしていたので成人してからもオープンに話せたという体験談もあった。
当初はバイタルの変化とメンタルの関係性や性的なコミュニケーションを取るためにはどうしたらいいかなど、トピックスや悩みごとにアイデアを考えていたが、身体的な性の違いやさまざまな理解の食い違い、問題の原因は何だったんだろうと進んでは立ち戻りを繰り返していた。だがこれらを全部並べてみると、一本の、一人の人生にして考えられるんじゃないかと時系列を用いたアウトプットにたどり着いた。悩んでいる人だけのものではない。目指すのは世代間を超えて、“性”の話がカジュアルにできる光景だ。
東江:性の話がカレーの話をするくらいのノリで話せるようになるのが理想ですね。何カレー好き?と聞いて「え…キーマカレー食べるの」とギョッとしたりしないじゃないですか。
見つめ合わなくてもいい。分かり合えないことから考えるコミュニケーションの形
社内で行ったアンケートやヒヤリングでは、プロジェクトの提案に賛同的な意見ばかりではなかったという。プロジェクトがローンチする直前まで形にするか悩み、受け取られ方に極端な偏りや誤解が生まれてしまうのであればまた後々作ろうと保留になったアイデアも数多くあったそうだ。最初は納得できなかったというが、反対意見や理解できないという声にも二人はポジティブで、むしろ積極的な姿勢なのが印象的だ。
東江:はじめは拒否反応に対して、なんで分かってくれないんだろうと思ってしまったときもありましたが、そこで“NO”と突き放してしまうと、私たちは生きやすくなるかもしれないけど、突き放された方が今度は生きづらくなってしまう。それって自分たちのやりたいことと相反してしまうよなと。伝え方を少し変えてみることでアンテナが立って、関心を持ってもらえるとだんだんと自分の話になっていく。プロセスの重要性を半年を通じて感じました。
白鳥: 世代ごと、基礎常識がそれぞれ異なっているということも自分たちにとっては気付きでした。これくらい伝わるでしょ、と思っていたことが相手からするとハラスメントとして捉えられてしまったり。ただ、そこで生まれた葛藤が今の「YOUR NORMAL」という概念に帰着しているのかなと思います。人それぞれの“普通”がある。今って正しい正しくないと、自分と異なった“普通”を叩いてしまいがちですが、世の中一つの考えでは成り立たないし、分からない人がいてもいいのかもしれない。お互いに目を見つめ合わなくてもいいし、手を取り合わなくてもいいけれど、私たちのような人もいるという認知くらいはしてもらえたら、お互いにとってもすごくいいのではないかなと。許さなくても良いけれど、認識はしている、という方向に持っていくことがまずは第一歩。受け入れられないという意見も間違っていないし、その人の価値観も、一朝一夕で作られたものでもなかったりするので。
形のない、流動的な“普通”。縛るのではなく、解放する言葉として
YESかNOかで括られない選択肢の幅を広げるプロジェクトで、一見、伝えるべきメッセージと相反しているようにも見える“普通”、“NORMAL”という言葉。宗教や文化、ある一定の権力者層がものごとをうまく運ばせるために始まった取り決めから、コミュニティの常識や思想を共有するツール、安定した場所・仕組みを作る目的で考えられたルールまでその解釈は多岐に渡る。“普通”という言葉自体、法律で明文化されているわけでも、はっきりと定義されているわけでもないからこそ、本当にこの表現が適しているのか悩んだ時期もあったそうだ。しかし二人で考えていくうちに、そもそも“普通”がみんな違うというメッセージを発信する方が本質的なことが伝わるのではないかと、「YOUR NORMAL」というコピーにたどり着いた。
東江:縛るのではなく、解放する言葉として“NORMAL”があってほしいし、そのほうが生きやすくなるんじゃないかな。
白鳥:形のない、流動的な“普通”。広く遍く生活のなかにあるプロダクトを作っている企業にいるので、自分たちも局所的にならないようにできたし、全く異なる分野の人たちの意見も聞こうと思えた。企業がなければこの発想にならなかったし、伝え方も変わっていたと思います。とはいえ集合体、大きい身体だと細かい動きは難しい。細やかな行動は個々で持ち合わせつつ、それを大きな視点に広げたときにどうなるかということを繰り返しながら、これからもちょうどいい塩梅を探っていきたいです。
体型や容姿、ジェンダーロールのこと、セックスのこと、生理のこと、パートナーとの関係性。“性”に関する悩みやモヤモヤを抱えていても、「個人的な話」と括ってしまいたくなるし、分かってもらえないかもしれないと思うとなかなか切り出せない。しかし何千人規模の会社組織の社内から、「個人的な話から始めよう」と声を上げた二人の姿に学ぶことは大きい。「分かり合えなくても、見つめ合わなくてもいい。でもみんな“人間”という形をしている以上、共通項が絶対に一つくらいはあるはず」と話してくれた二人のまなざしが強く心に残った。一人の“普通”が押し付けられるのではなく、一人一人の“普通”が受け入れられる社会にしていくために。まずは自分にとっての“普通”に向き合うことから始めてみたい。
YOUR NORMAL PROJECT
FLFの白鳥真衣子さんと、東江麻祐さんが主宰。社会の変化とともにさまざまなフィールドで多様化する働き方、生き方にフォーカスし、「YOUR NORMAL」=「個“性”」を育むことについて考えるプロジェクト。“未来の豊かさ”を模索していくうえで、衣・食・住の分野が取り上げられるなか、なぜ「性」については全く語られないのか。生きていくことの隣にあるトピックが出てきていないことに違和感を感じ、お互いに“モヤモヤ”を共有したことが本プロジェクト立ち上げのきっかけ。▷Website
FUTURE LIFE FACTORY
「これからの豊かなくらしとは何か」を問い直し、具現化していくパナソニックのデザインスタジオ。ユーザーの課題解決や、テクノロジーを中心に置いた従来の商品開発だけでなく、未来洞察を基にした、人々の価値観の変化や社会課題を起点としたクリエイションが大きな特徴。従来の常識にとらわれない発想で、新規事業の種や未来のくらしのビジョンを世に問いかけている。▷Website