▶︎▶︎吉本翔のインタビュー◀︎◀︎
環境問題をコンセプトに掲げたオンラインギャラリー「WORDS Gallery(ワーズギャラリー)」が、2021年6月より始動。立ち上げと同時に公開され、気候危機をテーマにしたExhibition #01 “Climate Crisis”には、4人のペインターが参加した。そのうちの一人、画家でありアートディレクターでもある小磯竜也(こいそ たつや)は、WORDS Gallery創設者の吉本翔(よしもと しょう)と兼ねてより親交があり、吉本が当プロジェクトを構想していた段階から、意見を互いに交わしてきた。そこで、この二人が対談にて、社会問題を通して、アートやカルチャーがどのように社会と接続されていくべきかなどについて語った。
「型に縛られない自由」より「型を知って得られる自由」の方が多いと思う
吉本:小磯さんは画家とアートディレクターという肩書きで活動をしているよね。美大を出ていると思うけど、元々は何を学んでいたんだっけ?
小磯:美大に通っていたときは「絵画科油画専攻」というところに在籍していて、絵画を軸に多様な表現のアートに興味を持ち、制作していました。といいつつ具体的には、上野動物園に来日したパンダをモチーフに、架空の土産屋のようなものを作って卒業作品として提出するなど、変な学生だったと思います。音楽や広告が好きだったこともあり、卒業後はデザインの領域で仕事をしたいと大学在学中からぼんやり考えていました。
吉本:それで現在の活動のなかで、他のアートディレクターやデザイナーと違うところとしては、まず、画家として絵画作品を描き、そこからデザイナーとしてその自分の作品にデザインを加えていったりするよね。自身をどういう作家で、どういうアートディレクターと捉えていますか?
小磯:はい。まず前提として僕の立ち位置なんですが、ファインアートというよりは主にコマーシャルアートの文脈にいる人間というつもりで喋ります。大学卒業後、広告代理店やデザイン事務所といった組織への就職経験が一切ないまま、アートディレクター・デザイナー・イラストレーターという方々の仕事の役割分担さえも知らずに、活動を始めてしまいました。
つまり業界のことに無知だっただけなんですが、自分しかいないから一人で全部やるしかない、という現実的な問題と向き合いつつ、自分以外の人に自分の絵をいじらせたくないという頑固さも合間って、今日まで絵描き兼デザイナー兼アートディレクターというやり方で仕事をしてきました。
でも、オレはこうゆう絵しか描かねぇ!というこだわりは一切ないんです。その時々の仕事に最も適した絵描きに、絵を依頼するような気持ちで自分自身に絵を描かせているので、そういう意味ではもともとデザイナー気質なのかもしれないです。
吉本:なるほど。アートディレクターとしての自分がコンセプトを元に、絵描きとしての自分に作品を描かせて、デザイナーとしての自分が最終的なアウトプットとしての形に仕上げる、と。
最近流行りのアートシーンだと、人々の感情や想像力、感受性に訴えるようなアートが本来持つ役割とはまた違った意味合いが出てきているような気がして。ポピュラリティをベースにした投資や投機的な動きや、成功の証としてアートを買うことだったり。それは受け手の問題もありつつ、同時に、作品が持つ意味合いや、表現されているものの深さを作り手や伝え手が生み出せてないから、そういう事態になるのかもしれない、とも思ったり。
アートは自由な表現であればいいので、それはそれでいいけれど、もっと作品に込められた表現の意味合いや深みを相手に理解してもらって、伝えることが必要なんじゃないかと。そういう意味では小磯さんは、自らの表現したいことを明確にして、絵描きとしての自分にそれを課して作品を創り上げ、デザイナーとしての自分が鑑賞者に適切に伝わるようアウトプットしている作家ともいえる気がする。ピカソやマティスやウォーホルも、実は作品のなかにデザイナー的作風で創られたような作品があるというけれど、そもそも実はデザインとアートの領域って究極をいうと重なっているんだよね?
小磯:アーティストと名乗る人のなかにもいろんな人がいて「作りたいものを作る人」と「新しいものを作りたい人」では制作態度が違うと思うんです。たぶんマティスもピカソもウォーホルもただ好きなものを作ってたわけじゃないですよね。新しいものを作るにはその前の時代にいた人たちが何をやってきたかを知り、それにアイデア、つまり、その時代の空気や自分の思想を付け加えていくしかないと思います。
「型に縛られない自由」より「型を知って得られる自由」の方が多いと思うんです。そういう意味ではアートもデザインも他の分野のいろんなことも一緒かなと思います。そもそもデザインという概念自体が、産業革命とセットでアートの文脈から派生して生まれたものなので、あまり垣根を作らない方がいいかもしれません。音楽とか政治とか教育とか、全部繋がってますもんね。
吉本:そうだね、デザインもアートも音楽も政治も教育も繋がっている。でもそれを周りが、そして時には発信者でさえも、分かりやすくするためなのか、区切りたがったりするよね。特に日本だと、その繋がりが感じられない表現物が多い気がする。
小磯:美大とかに行こうと思ったら、高校生の時点で自分の専攻科を決めなきゃいけないですし…。普通その時点で決められないですよね。本当はもっと漠然と、横断的にいろんなことを学んだ方が良いと思うんですが。
吉本:うんうん。この間もWORDS Galleryでやったインスタライブで、海外で活動してきた作家の長尾洋(ながお よう)さんが、欧米と日本の美大の教育の違いの話をしてたね。
小磯:海外の美大の多くはファインアートとコマーシャルアートみたいなざっくりした区分けなのに対して、日本は油画・日本画・彫刻・デザイン・工芸・建築などなど入試時点で細かく科を選ばなきゃいけない点が違うという。あと、日本の美大の多くの入試ではテクニック、例えばデッサンなどに重点が置かれますね。対して、海外ではポートフォリオ提出などのアイデアに重点が置かれるというのはよく聞きますが、僕もあまり海外の美大事情詳しくないんでこのへんにしときます。
吉本:その入試の内容の違いも、日本で自分が感じている「表現」自体に全ての繋がりからの分断を感じる一つの要因になっているのかもしれない、という気がするね。音楽に政治を持ち込むな、芸術に政治を持ち込むな、みたいな、意味不明な分断もそれで。本来「表現すること」や、もっというと「生きること」に区切りや分断があるはずがないんだよね。全てが繋がった揺らぎのなかにあるはず。
テクニックではなく、アイデアに重点が置かれれば、自ずと自分が表現したいものを突き詰めていかなければならない。そうすれば、自分を育む全ての要素が表現に繋がっていくはずだから、表現したいこと、伝えたいこと、っていうのが出てくるもんだよね。小磯さんはそれが明確にあると感じていて。個展で会えば作品一つ一つについて丁寧に込められた思いを説明してくれるし。
「なんで描きたいと思ったのか?」を掘り下げて考える必要はある
吉本:小磯さんの作品は、地に足が着いていて、体温が感じられる。それは本人の生活や思想からの表現に向き合っているからだと思う。例えば、去年はアベノマスクの衝撃を、郵便受けからマスクが飛び出てくるオモチャを作ることで表現してみたり、今年はコロナの影響で閉店してしまった大好きな喫茶店のホットドッグを、陶器で焼いて創ってみたり。絵描きといいながら、絵じゃない作品を取り上げてしまったけど(笑)、これもシームレスな表現をしているといえるね。
一方で最近、個人的にはよく聞くんだけど、「別に表現したいこととか伝えたいこととかはない、ただ描きたいから描いてるだけ」とか、作品の解釈や表現について聞くと「特に意味があるわけじゃなくて、自由に受け取ってもらえれば」という作家さんも多い気がして。別にそのスタンスを否定しているわけではないんだけど、そういった伝え方が多いことはアートにとって危険な気がしていて。
小磯:前提として、みんな「描きたいから描いてる」と思うんですが、「なんで描きたいと思ったのか?」を、描く前でも描きながらでもいいから掘り下げて考える必要はあるかな…と思います。伝えることを諦めるのはよくない。言葉で伝えるのは全然ダサくないです。
あと「意味はないので自由に受け取ってください」に関しては、そんなことってあり得るんですかね…。自分が無意識にしたつもりの判断や行動も、実は周りの環境や過去に見たもの、聞いたこと、得た知識なんかに影響されているってことを忘れちゃうと、自分のなかだけで世界が閉じちゃう。全部一人で考えたと錯覚しちゃうと、思考もアップデートされなくなるし。何より見た人に伝わらない。作り手側ができる限り伝えようと創意工夫して表現したうえで、それでも誤解されて伝わっちゃうのは面白いと思いますけど。
吉本:うん、まさにその通りだなー。解釈の余地や自由を残すことは必要だけど、丸投げしちゃうような無関心や諦めとは違う。特に、日本でそれをやっちゃうとアートがもっと根付くことを難しくしてしまう。教育の話に戻ると、子どもの頃から日本人は、物事に関してみんながどう思うかを気にしなければいけない世界に置かれてきた。対して海外では、「あなたはどう思うの?」っていうことを聞いてくれるし、重視してくれる。
だから、アートに触れようとしない人たちから聞くのは、「アートってよく分からないから」っていうけど、本来、分かる分からないじゃないんだろうね。あなたが感じたことがアートです、と。でも傾向として日本人は、個人で自由に感じる行為そのものが苦手なのかもしれない。だから、やっぱりアートを伝えるうえで、「こういう解釈もあるし、こういう思いで作った」というコミュニケーションは、作品を広げたいなら必要だよね。
小磯:本当にそうですね。鑑賞者がどう思うかを作り手はコントロールできないし、する権利もないけど、作り手がどう思ってるかを鑑賞者に伝えることはできる。アートもデザインもコミュニケーションだから「こっちは何も考えてないんですけど、あなたはどうですか?」じゃ会話にならないですもんね。
一方で、作り手が工夫を凝らして表現しても鑑賞者に「よく分からない」と一蹴されてしまうこともあると思います。それを一概に作り手側の表現力不足と捉えるのも危険だなと思っていて。
音楽が好きな方は経験がおありかもしれませんが、最初聴いたときに全く良さが分からなかったアルバムが、繰り返し聴くことで全体像を掴めて細部の音に耳を向ける余裕が生まれたり、関連作品をいろいろと聴いて音楽的な文脈を知ったりすることで、やっと理解できるということはよくあります。好きなものに対して、作り手も鑑賞者も本気で向き合えたら良い関係が生まれますよね。
作り手は受け手のことを信じてものを作り、受け手は誰かが作ったものを消費するんじゃなく、積極的に手を伸ばして受け取る
吉本:自分は伝え手として何かできないかと考えたときに、あえてギャラリー自体にコンセプトを掲げてみることで、作品から何かを感じ取るきっかけにならないかと、このWORDS Galleryを立ち上げてみたわけだけど。小磯さんには、「気候危機」をテーマにした立ち上げ時の展示に参加してもらったけれど、与えられたコンセプトにはどう向き合って表現に繋げていったかを教えてもらえますか?
小磯:ギャラリーそのものに初めから環境問題・社会問題というコンセプトがあるのは作家側としても大変気が引き締まりますし、素晴らしい試みだと思います。コンセプトというのは「それをやるに至った動機」のことだと思うので、普段からぼんやり考えてはいたけど、作品を作るまでには結びついていなかったテーマをお題としていただくことは、必然的に自分の暮らしを振り返ることになりました。絵を描くうえで手を動かしていく行為は、思考を深めるためのプロセスなんだと思います。そのプロセスを経た絵の具が画面に定着して固まって、作品になる。
吉本 : それで、実際に作品を制作してみることで、環境問題全体や気候危機に関して、何か気づいたことや考えたこと、もしくは自分のなかでの変化などはあった?
小磯:一応普段からリサイクルできるものはゴミに出さないとか、服や日用品は直しながら長く使うとか当たり前のことはやってたんですが、改めて環境のことを考えるといろいろ悩んじゃいました。それこそ音楽の仕事をするときなんかでも、配信だけじゃなくCDやレコードで発売してほしい!と今までは強く思っていたのですが、環境のことを考えたら配信リリースだけの方がいいよな…?とか。でも、文化を残していくうえで物質を残すというのはある程度必要だったりするし…とか。ただ、大量消費に加担する仕事はできるだけしないぞ、と改めて思いました。捨てられちゃうものは絶対作りたくない。
吉本:そうだね。真剣に考えれば考えるほど、常に矛盾を抱えてしまうけど、そのときの自分なりにできることをやればいいと思う。いろんな作家さんに参加してもらってて、その人のスタイルや解釈、そして創作の手法によってもアウトプットが全然変わってくるのがとても興味深かった。環境問題の事象を自身の作風で直接的に描く人もいれば、小磯さんは起こっていることの単なる解説図になることを避けたかったと言って、表現してくれたよね。その点についても、意識したことや理由など、聞かせてほしいです。
小磯:高校生のときに、マグリットの画集を読んだんです。そこに「題名は絵の説明であってはならないし、絵は題名の図解であってはならない。両者は詩的な関係で結ばれてなければならない」って書いてあって、マジで意味わかんなくてずっと悩んでたんですが(笑)、浪人時代に高田渡(たかだ わたる)の曲を聴くようになってからちょびっとその感覚が分かって…。それからいろんな作家の影響を受けましたが、言葉と絵の関係ってことになると、マグリットのその言葉がずっと頭から離れないんですよね。
吉本:詩的な関係!いい表現だ。それこそ前段で話題に上がった作り手と鑑賞者の関係も、詩的であればいいね。「この絵はこういうものです」という断定的な解説になってはいけない。けれど、詩を詠うように、伝えるための語りかけは必要だ、という。
小磯:そうですね。作り手は受け手のことを信じてものを作り、受け手は誰かが作ったものを消費するんじゃなく、積極的に手を伸ばして受け取る。時には作り手と受け手が逆になることもある。そんな関係性が増えていけば嬉しいですね。
小磯竜也(こいそ たつや)
1989年群馬県館林市生まれ。東京都在住。 2013年に東京芸術大学を卒業後、フリーランスの絵描き兼デザイナーとして活動。主にポスターなどの広告物や、音楽・ファッション・出版関連のアートワークを手掛ける。 2018年にはTOKYO CULTUART by BEAMSにて個展を開催し、絵画とポスターの重なる領域を探る「ポスター・ペインティング」シリーズを発表。
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