「社会は“無意味なルール”で溢れている」空 音央(Neo Sora)が伝える今を生きる私たちへのメッセージ、初の長編劇映画デビュー作『HAPPYEND』

Photography: takachrome unless otherwise stated.

Text : Rumi Miyamoto
Edit: Jun Hirayama / Rumi Miyamoto

2024.10.4

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 ニューヨークと東京をベースに活動する映像作家 / アーティスト / 翻訳家の空 音央(Neo Sora)。これまでに短編映画、ドキュメンタリー、PV、アート作品、コンサートフィルムなどを監督し、個人での活動と並行してアーティストグループ “Zakkubalan” で、写真と映画を交差するインスタレーションやビデオアート作品を制作。今年日本公開された坂本龍一のコンサート・ドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』では、ピアノ演奏のみのシンプルかつストイックな演出でヴェネツィア国際映画祭でのワールドプレミア以降、山形、釜山、ニューヨーク、ロンドン、東京と世界中の映画祭で上映、絶賛されたことも記憶に新しい。

そんな彼の初となる長編劇映画デビュー作『HAPPYEND』が、10月4日より全国公開された。構想から7年の制作を経て公開される今作へ向けて、自身のキャリアやルーツ、実体験から芽生えた視点やアイデンティティ、そして今作への想いなどについてたっぷりと話してもらった。

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シネコンに忍び込む学生時代、映画愛が生まれたきっかけ

ー映画監督を目指したきっかけやこれまでのキャリア、ルーツについて教えてください。

名指しできる瞬間みたいなものは特にないんですけど、幼少期の頃からずっと映画は観ていたし、親にも観させられるし、友達と遊ぶ時も映画を観に行ってました。高校の頃は友達と動画作りみたいなことを遊びでやったりとか、学校から帰る途中にシネコンがあるんですけど、毎日のように忍び込む方法を見つけて忍び込んだりとかしてました。

趣味が結構多くて、絵を描くのも好きだし、音楽ちょっとかじってみたりとか、写真もちょっとやってみたりとかしてたけど、どれもそんなに上手くないんですよ(笑)。大学に行って、ちょっと興味のあった映画の授業を始めてみたら、結構今までやってきたことが一気にできるような感じがしたので、本気でやってみようって。

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ー映画制作など今の活動において影響を受けた人や作品は何かありますか?

本当にたくさんあるんですが、監督で一番有名な人だと、自分の中の金字塔的存在の台湾人監督エドワード・ヤンですかね。僕にとっては北極星みたいな感じで、目指すべき指標のような人です。彼が作る映画はなんでも好きなんです。あとは、自分のなかで確固たるものとしてあるのが、ドイツの監督のライナー・ヴェルナー・ファスビンダー。彼の作品も全部好きなんですけど、とりわけ『マリア・ブラウンの結婚』が、なんかすごく好きなんですよね。あとは、フランス人監督のジャック・タチ『プレイタイム』は傑作中の傑作。映画史ベスト5くらいに入るんじゃないですかね(笑)。そういうのも好きです。

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実体験や日本の過去と将来への危機感から生まれた今作への想い

ー今回初の長編映画デビュー作ということで、今作を製作するにあたった経緯や想いについて教えてください。

いろんな短編とか作ってますけど、それ以前から構想を持ち始めていました。経緯はいくつかありますが、2016年くらいに構想を持ち始めて、2017年くらいから書き始めました。それまでに蓄積されてきた自分の高校や大学の経験が割と元にあって、それに加えて2011年の東日本大震災の時に自分にも“政治性”が芽生え始めたんですよね。そこからいろんな社会問題を追うようになって、自分のなかの政治性がどんどん発展していったと思います。

1923年の関東大震災をきっかけに起こった朝鮮人虐殺を知った時に、“こんなことが日本で起きたんだ”っていう驚きとショックがありました。なんでこんなことが起こってしまったんだろうって調べていくと、当時日本の帝国主義、植民地主義、日本の人たちに蓄積されていた差別みたいなものが、地震とデマによって噴出してしまったことが要因だと思うんです。それに似たようなことが2010年以降、日本でヘイトスピーチのデモが激化して、その後ヘイトスピーチ解消法が施行されて落ち着いてきて。しかし、その差別が消えることはなく、どこかに潜んでいる。近い将来、大地震が起きると言われているじゃないですか。だったら、数十年後これらの歴史を反省せずに地震が起きたら、また朝鮮人虐殺みたいなことが起きる可能性だってあるじゃないかっていう危機感があったんです。そこから“数十年後の日本の社会ってどうなっているんだろうか”っていうのを考え始めて、それと自分の高校と大学の体験を掛け合わせてみました。

ー今回、7年かけて制作されたということで、新しく試してみたり既存作と変えた点などは何かありますか?

映画作りの面でいうと、時間の使い方を大事にしました。過去に出した短編の一つは3日で撮影してたんですけど、タイトなスケジュールのなかでスタッフやキャストの心の余裕がなくなってしまったり、一緒に制作したコラボレーターとコミュニケーションをとる時間があまりなかったので、今作では意識的に学びを取り入れ、時間に余裕を持って制作しました。

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▲映画『HAPPYEND』本予告編_空音央(『Ryuichi Sakamoto | Opus』) 長編劇映画デビュー作

多様なバックグラウンドを持ったキャストとの奇跡的な出会い

ー今作には多様なバックグラウンドを持った登場人物がいますが、キャスティングはどのように行っていきましたか?

多様なバックグラウンドを持った人が登場するのも、大事な要素の一つで、近い将来、日本はもっともっと多様化していくっていう確信があってそれを特出せずに“当たり前かのように写す”っていうのは一つやりたいなと思いました。結構時間がかかったんですが、キャスティングは入念に行いました。一番大事にしていたのは直感で、入ってきた時に“この人しかいない!”って思わせるくらいの完璧な人に出会うまで決めないっていうのを、特にメインの5人に関しては徹底しました。直感的に「この人だ」と思った人たちが一番演技もちゃんとできるし、話し合ってみるとキャラクターの要素といろいろマッチするところがあって、やっぱり自分の直感を大事にしてよかったと思いました。でもその人を見つけるまでは本当に大変で、オーディションしまくってました。

ー出演者の“その人らしさ”がそのまま出ているような演技でした。

演技未経験の子が多かったので、最初から“想像上の設定の中でいかに自分らしく振る舞うか”っていうのを演技の方針として共有して、ワークショップをやったりしていました。なので本当に“彼ら自身が映っている”という感じです。

ー登場人物の絶妙な感情の変化が演技や表情に表現されていましたが、どうやってキャストに共有したのでしょうか?

演出の仕方は、与えられた状況のなかで“自分らしく生きて振る舞ってほしい”っていうのを徹していたので、そういうことが引き出せるように脚本を書くことを大事にしていました。ちょっとした言葉のニュアンスとか駆け引きのバランスとかで、そういう風に言われたらムッとなったり、でも実はまだ仲が良いわけだから全部を否定しているわけじゃないっていうのも自然と引き出されるっていう。細かく俳優たちに「この瞬間はこうしてくれ」とかは言ってないんですけど、事前に共有する「今のこのシーンはみんなもわかってるようにこうだよね」みたいなディスカッションを始めて、「じゃあ自分がその立場だったらどうする?」っていうのを話し合いました。そこまでにキャラクターたちに起こったことをちゃんと理解するっていうのが大事なことで、それを受けて彼らの素のままを引き出していく演出の仕方ですね。

ー今作の世界観作りで工夫した点などあれば教えてください。

僕は写真が好きなのですが、切り取り方によって全然世界観が変わるじゃないですか。ロケーション選びもめちゃくちゃ大事だし、選んでどういう方向にカメラを向けるのかもよく考えて、よくみるような街中の看板は時代性もあるので映さないようにするとか。あとは、引き画が好きで、ロングレンズを用いて引き絵を撮ることも多かったです。空間そのものに全部映っているような感じでリアリティを出すとか、記憶の中の出来事とか、本当にそこに人がいて生きているんだっていうような感触を意識的に取り入れるようにしました。

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ー今作のタイトル『HAPPYEND』はどこから着想を得たのでしょうか?

そんなに深く考えたわけではないです。元々『Earthquake(地震)』っていうタイトルで、ちょうど編集を終わらせようとしている時に、能登半島地震があったんです。元のタイトルも仮で、映画のなかに地震がメタファーとして入っているのでそういうタイトルにしてたんですけど、地震がもたらすトラウマと真摯に向き合っているような映画ではないから、そういうタイトルにしていいのか悩んでいました。

いろいろ考えていくうちに、この映画のラストに感じる感情のことを考え、「ハッピー」と「エンド」っていう本当にシンプルな単語から構成されるフレーズだけど、2つの言葉が対義的なフィーリングを持っていて。悲しさもある“終わり”と若者のエネルギーがある“ハッピー”。それが合わさった時にエンディングで感じるようなどっちでもないような気持ちとすごく似ているような感じがしたんです。

ー今作には政治に関するデモや最新AIに学生を監視させるなど、現代社会を反映させるような印象的なシーンがありましたがそういう場面を描いたきっかけはありますか?

大親友で幼馴染だったユウタとコウの関係性が、ユウタの無関心とコウの政治性の芽生えによってだんだんずれ始めていく話なので、やっぱりコウが“なぜ政治性が芽生えるのか”っていう背景を描かないことには始まらない。

社会問題について考えてほしいとかは特にないけれど、キャラクターたちの視点に寄り添ってみると、おのずとそういうシーンを描かざるを得ない。僕は高校の頃、社会問題とか政治についてそんなに関心が高くなくて、大学から芽生えていったんです。けど、やっぱりそういう視点を持ったうえで高校の頃を思い返すと、社会的、政治的要因って必ずみんなに対して影響していたんですよね。

例えば僕が小5の頃、“9.11”が起きてアメリカでは​​「イスラムフォビア」(※1)が蔓延し始めました。大きい出来事ではあったけど、小学5年生だったし大して考えていなくて、今思うと俺のムスリムの友達とかは本当はどう感じでいたんだろう、もっと気付けられることがあったんじゃないかって今になって考えることがあります。高校時代でもアジア人として「マイクロアグレッション」(※2)を経験することもあり、友達に対してもうちょっと気づいてほしいなって気持ちはあったけど、話せなかった。自分も説明する語彙力とか視点も持っていなかったし、あとになってやっと理解できることがたくさんありました。

映画の中でコウはワーキングクラスの在日コリアンで、ユウタっていう特権があり、良いアパートに住んでいてあまり問題もないような友達と比べると、たぶん社会的問題のことを気にしやすい視点を持っていると思うんです。コウの視点をしっかり描こうとしたら、そういうシーンを描かなければいけない。

※1 イスラム教やムスリムに対する憎悪、宗教的偏見のこと
※2 無意識の偏見、無理解、差別などのこと

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ーすごく都会を感じる作品ですが、例えば田舎の学生がみたらどう感じると思いますか?

正直分からないです。遠くから見てると日本の印象がいろいろあります。若者の間で、政治的無関心な人が多い印象もあるけど、実際現実を見るとその印象とか、持っていた既成概念を乗り越えてくる現実が必ずたくさんある。平均律的な印象に当てはまる人って実はたくさんいないんじゃないかな。

田舎はそんなに多様ではないんだろうな、とか想像するけど、実際は場所によって意外といるんじゃない?って思ったりします。ロケハンで北九州など地方に行ったりした時、普通に学校の帰り道の高校生グループにブラックルーツの子がいたりしたし、僕たちが想像しているほど単一的じゃないんじゃないかな、と思うんですよね。なので分からないというのが正直なところだし、場所によってだいぶ違うと思います。

ー最後に今作の公開に向けてみどころやコメントをお願いします。

無意味なルールがたくさんあるなかで、この映画のメインの5人はルールだからって自動的に享受せず「無意味なルールは、くだらないんだから従わなくていい。むしろ壊しちゃった方がいい」っていう風に意識的・無意識的に生きている。それは実はすごく大事なことで、社会は“無意味なルール”で溢れている。法律面でも、合法だからといって自動的にそれが良いことや道徳的なことだとは限らない。逆に違法だからといってそれが自動的に悪いことだとは限らない。場合や状況によっては、むしろルールを逸脱してまで何かをやることの方が絶対大事な局面だって必ず訪れると思うんです。日頃からルールを疑い、考え、必要ならば壊していくっていうことを意識的にやっていった方が良いと思うんですよね。そうじゃないと、何があっても否定すべき大きいルールがでてきた時に拒否できなくなっちゃうと思うんです。なので日頃からその「従わない」筋肉をトレーニングしていったほうがいいということを伝えたいです。

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監督が伝える私たちへのメッセージ

空 音央(Neo Sora)が描く最新作『HAPPYEND』は、今を生きる私たちに過去や今の概念にとらわれない大切さをナチュラルに提示してくれている。

「社会は“無意味なルール”で溢れていて、それが良いことだとは限らない。状況によっては、ルールを逸脱してまで何かをやることの方が大事な局面だって必ず訪れると思う」とコメントでくれたように悪いことはもちろんダメだが、ルールが全てではない。自分の考えをきちんと持って“無意味なルール”は精査すること。今作が私たちの生き方を改めて考えていくきっかけとなるだろう。

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映画『HAPPYEND』

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2024/10/4より全国公開

監督・脚本:空 音央
キャスト:栗原颯人 日高由起刀 林裕太 シナ・ペン ARAZI 祷キララ 中島歩 矢作マサル PUSHIM 渡辺真起子/佐野史郎
撮影:ビル・キルスタイン
美術:安宅紀史
音楽:リア・オユヤン・ルスリ
サウンドスーパーバイザー:野村みき
プロデューサー:アルバート・トーレン、増渕愛子、エリック・ニアリ、アレックス・ロー アンソニー・チェン
製作・制作: ZAKKUBALAN、シネリック・クリエイティブ、Cinema Inutile
配給:ビターズ・エンド
日本・アメリカ/2024/カラー/DCP/113分/5.1ch/1.85:1 【PG12】

© 2024 Music Research Club LLC

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空 音央

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米国生まれ、日米育ち。ニューヨークと東京をベースに映像作家、アーティスト、そして翻訳家として活動している。これまでに短編映画、ドキュメンタリー、PV、アート作品、コンサートフィルムなどを監督。2017年には東京フィルメックス主催の Talents Tokyo 2017 に映画監督として参加。個人での活動と並行してアーティストグループ Zakkubalan の一人として、写真と映画を交差するインスタレーションやビデオアート作品を制作。2017年にワタリウム美術館で作品を展示、同年夏には石巻市で開催されている Reborn-Art Festival で短編映画とインスタレーションを制作。2020年、志賀直哉の短編小説をベースにした監督短編作品「The Chicken」がロカルノ国際映画祭で世界初上映したのち、ニューヨーク映画祭など、名だたる映画祭で上映される。業界紙Varietyやフランスの映画批評誌 Cahiers du Cinémaなどにピックアップされ、Filmmaker Magazineでは新進気鋭の映画人が選ばれる 25 New Faces of Independent Film の一人に選出された。今年公開された坂本龍一のコンサートドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』では、ピアノ演奏のみのシンプルかつストイックな演出ながらヴェネツィア国際映画祭でのワールドプレミア以降、山形、釜山、ニューヨーク、ロンドン、東京と世界中の映画祭で上映、絶賛された。本作が満を持しての長編劇映画デビュー作となる。

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