モデル/アーティスト・ベイン理紗の初めての畑づくり「初めまして北杜市。こんにちは0site。よろしくベイン畑」|FEEL FARM FIELD #001 前編

2022.1.11

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こんにちは、ベイン理紗です。
この連載「FEEL FARM FIELD」では東京で活動をしている私が山梨に畑をもつ中で出会う人についてや発見を綴っていきます。
「FEEL(五感を)FARM(農から) FIELD(広げていく)」という意味を込めて、3つのキーワードをもとに、知らなかったこと・知りたいこと・分からないことに愚直に向き合うことの楽しさ、面白さをお届けします。
この記事を読みながら、頭と身体で五感や繋がりを感じること、日々転がり落ちている興味を拾い上げてみることを一緒にできたら嬉しいです。
それぞれの頭も身体も心も、それぞれのものでしかないのだから。

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あけましておめでとうございます!FEEL FARM FIELD #000を出してしばらく経ちましたが、2022年1発目の記事では、やっと(?)畑を持つべく山梨県北杜市に向かった2021年5月の出来事を綴りながら、私の畑がある山梨県北杜市や私が畑に興味を持つきっかけになった、持続可能な生活や原点回帰できる場所作りを提供しようと活動している0siteやそれを運営している古山憲正についてお伝えしていきます。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします!

畑を持つべく「増富」へ

山梨県北杜市に降り立って一番最初の朝は、日差しに起こされて朝5時に目が覚めた。
5月頃の山梨はひんやり寒くて、通り過ぎていく空気の粒が見えてしまいそうなくらいさらさらしていて、空気も空も葉っぱたちもぜんぶが澄んでる。
0siteを運営する憲正と同じタイミングで山梨へ訪れていて助っ人をしてくれる風人くんはまだ眠りについていたので、散歩することにした。

ここで少し、山梨県北杜市とそこに位置する増富について紹介する。
山梨県に位置する北杜市は北西部にあって、年間の平均気温は10°〜15°なので5,6月でもフリースが必要なほど寒い。この記事を執筆している今は霜が降っているはず。
その中でも、私が畑を持つ0siteがある増富は標高1000mを超える場所にあり、山に囲まれた高冷地。人口は430人ほどで、半数以上が高齢者だそう。実際、憲正の家のお隣には91歳の養蜜農家さんが住んでる。
おすすめは村松商店といううどん屋さんと溪月という旅館のおばあちゃん手作り饅頭!

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その日はのろのろと歩きながら天然の蜜蝋を見つけて観察したり、山の隙間から出てくる太陽を眺めたりして0siteの周辺を1時間ほど探索した。
そのあと泊まっている場所に戻って二度寝して、ちゃんと目覚めた時は9時前くらい。
外に出てみると家の隣にあるビニールハウスで憲正が作業してたので見に行った。

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朝の光に透ける葉っぱたち。道端に落ちていた蜜蝋

定植するための苗の様子を見たり水をやったりしていたところだった。このビニールハウスの役割は、大まかに言うと畑に移す前に作物をある程度の大きさまで元気に強く育てるため。ある程度苗を育ててから定植することで0siteの地域のような山に囲まれた標高の高いところでも頑張って育ちやすくなるんだとか。

憲正の一日ははだいたい8時前後に起きて飼育しているヤギの「ふじ」「さくら」に餌をやることから始まるそうだ。それからヤギたちを除草して欲しい地へ導いて草を食べてもらっているあいだ、朝ごはんを食べて畑作業をして、といった日々。
畑をいじってれば昼になって、お昼を食べた後は掃除したり、生活の中で足りない物事があったらそこを直す。暮らしの中で必要なことをやっていれば日が暮れていく。衣食住をしとやかに繰り返すのは東京にいる私にとって簡単なようで難しいように聞こえた。
それから自分の畑になる場所に行った。畑は、憲正の自宅から歩いて5分ほど道を降った場所にあり、草木が生え渡った荒地の中にポツンとある。こういう地のことを「耕作放棄地」と呼ぶそうだ。

もともと増富という地域は面積の60%以上が耕作放棄地となっている(2018年度北杜市調べ)。この耕作放棄という言葉は、畑に興味を持つようになってからよく耳にするようになった。以前は田んぼや畑として耕作されていたが、なんらかの理由によって1年以上作物が栽培されなくなり、今後も耕作する予定のない放置されている農地のことである。
これは、農家さんの高齢化や後継者がいないことによって農業を行なう人が少なくなっていることが主な原因だそうだ。悠々と生い茂っている草木や伸び伸びとする虫や動物が存在していることはとってもいいことだけど、そうすると耕作できている土地に害が多かったり、災害の危険性が高まったり、車や家電の不法投棄も多い。
じゃあ私みたいな若者にどんどん貸していこう!となるかといえばそういうわけでもない。過疎地域にある耕作放棄地を円滑に再利用するには、やっぱり耕作や過疎地域の活性化に対して知識や意欲がしっかりあって、尚且つ信頼してその土地を任せられる人でないと難しい。農地法という法律などいろいろな課題や壁があるそうで、都市と地方を結び付けることや、地方に若年層を増やすことの難しさを感じた。

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見ての通り、雑草、雑草、雑草。隣には雑草の中に抜き出る憲正が育てる野菜たち。
最初はどれがどの野菜か分からなかった。これは不耕起栽培と呼ばれている。このような栽培方法があることにもびっくりした。作物の栽培方法は数多あるが、私たちがよく耳にするのは有機栽培や無農薬栽培が多いかもしれない。その中の1つであるその不耕起栽培というのは、いわゆる”耕さない”栽培方法のこと。雑草や土壌に手を加えず、わかりやすく言えばそこらへんに空いてた更地にぽんと種を植えるだけ。もちろん農薬は撒かないし、害虫駆除もしない。本当にそれで育つの?美味しいの?と思うかもしれないけど、美味しい。憲正の家でご飯を食べさせてもらうときいつもいただいているけど、立派に育っているし、本当に美味しい。

私はどれだけ時間を割いてやっと1つの野菜ができるのかとか、土に植えてから実がなるまでの順序を知りたかったので、耕して土壌を作るところから始めて、マルチ(作物の株元を覆うフィルム)を用いた無農薬栽培をすることにした。

FARMERS AGENCYのこうきさんが耕作の仕方を教えてくれたものの、まず、釜を振り切れない。平たくなっている土の部分をひっくり返して盛り上がりを1列作ったものを“畝(うね)”というのだけど、朝から始めてこの畝を2列作り終えた頃にはお昼を過ぎていた。その後、畝の上にマルチを引いていく。マルチは、土に湿度を与えてあげたり害虫から守ってあげたりする役割がある。とその前に、マルチを敷きたい部分の土にいる虫たちを他の場所へ移動させる。芋虫やてんとう虫も害虫で、草食のてんとう虫は東京で見るより黒い点の部分が多くて、肉食のてんとう虫とで違うんだって。それも初めて知った。
マルチと土の間に隙間ができて光や湿度が滞らないように土で張っていくんだけど、あまりの不器用さに情けなくなるほど下手くそで、こうきさんや風人くん、憲正のおかげでなんとか終わらせられた。

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マルチを敷き、種を植えるための穴やきゅうりのための竹棒を指している様子

次は苗を植える番。今回は、主にビニールハウスで育てていた定植する苗を植えた。
レタス、茄子、胡瓜、ルッコラ、バジルなど。植え終えて水をやるかと思ったら、これで終わり。畑に水はやらず、自然に任せる。そんなことある?と思ってたけど、どうやら育て方によってはそんなことがあるみたい。
大量生産をして消費者に販売することで生計を立てているような農家さんは水やりした方が上手く成長するから水やりする人もいる。でも水やりがなくても生産できてビジネスにできる人もいる。人それぞれだけど、それでも野菜や自然はなんとか生きてくれる。
最近は品種も良くなってきて育てやすくなってきたことで、水をあげなくても案外できるんだって。

品種という言葉が出てきたけど、私が植えた野菜たちはすべて固定種。人間が子孫を残すのと同じ仕組みで、親から子へ代々同じ遺伝子が受け継がれた種のこと。在来種や伝来種ともいって、その土地の性質で育った種を使っていて、みんな性格や個性が異なるように同じ野菜でも形や育つスピードが違う。スーパーで売られているようなまったくおんなじ形で育つ確率が低いことから最近はあまり使われていないそうだけど、育てた実や花から次期に育てられる種を採取できる“自家採取”もできる。

そうしてやっと!私がこれから作物を育てて自分の身体へ取り入れるための畑ができた。

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0siteのきっかけは初めての海外旅行から

たった2列の畑を耕すためだけに使った半日がすごくあっという間で、畑を通していろんな環境や感動を味わえるスタートラインにやっと立てた。まさに、憲正が運営するコミュニティスペース“0site”が掲げるテーマでもある原点回帰という言葉そのものだった。
憲正は0siteを「自分自身のゼロを見つけられる拠点にしたい」と前置きした上で、これまでのことについて話してくれた。後編では憲正へのインタビューをシェアしたい。

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