東京コレクション発起人・太田伸之の忖度しない人生の選び方 <太田伸之>|Ome Farm太田太の「僕が会いたい、アレもコレもな先駆者たち」 #006

Text & Photography: Yuuki Honda

2020.6.26

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“東京生まれ、無農薬育ちの野菜”を育てる「Ome Farm」代表の太田太(おおた ふとし)さん。

もともと国内外のアパレルブランドや会社で海外営業/PRとして働いていたファッション畑出身の彼が、“本物の畑”で作る野菜は今方々で話題を呼び、都内人気飲食店を中心に提供されている。

ファッション×農業という視点から飛び出すアイデアで業界を変えていこうとする、そんな太田さんが、同じく複数の分野をまたいで活躍する先輩たちに会いに行き話を聞く連載「Ome Farm太田太の『僕が会いたい、アレもコレもな先駆者たち』」。

その最終回、第六回のゲストは、太田さんの実の父親である太田伸之(おおた のぶゆき)さん。

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太田伸之さん

太田伸之さんは学生時代から執筆活動を始め、大学を卒業後、繊研新聞の通信員としてニューヨークのアパレル業界を取材する仕事をこなす傍、現地の百貨店などのバイイングなどにも携わった後、東京ファッションデザイナー協議会(CFD)の為に帰国。同協議会他、さまざまな組織の立ち上げに尽力。のちに松屋銀座の要職を歴任しつつ、ISSEY MIYAKEの社長も務めあげた。そして2013年に官民一体の投資ファンドであるクールジャパン機構の代表取締役社長に就任し、同職を2018年まで務めた。

現在は慣れ親しんだファッション・小売業界で、その豊富な経験と知見を持って、後進の育成と支援などに携わっている。

今回は、太田太さんの父でもある、そんな尊敬する先輩に話を聞いた。

ジャーナリストとして身につけた現場主義

太田太(以下、太):まずはキャリアのスタートがジャーナリストだった理由から聞きたいんだけど。

太田伸之(以下、伸之):なりたくてなったわけではないんだよね。本当はマーチャンダイジング*1をやりたくてアメリカに行ったから。でも、ずぶの素人がいきなりマーチャンダイザーになれるわけはないから、まず食べるためにジャーナリストになったというわけ。あとメディアの人間ってさ、ちゃんとアポイントさえ取れればいろんな人に会うことができるから、言っちゃえばいい立場なんだよね(笑)

太:確かにね(笑)

(*1)消費者に商品を届けるまでの企画、開発、促進なとを戦略的に行うこと。実行者はマーチャンダイザー(MD)と呼ばれる。

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太田太さん

伸之:で、アメリカでファッション業界のいろんな人に取材をすると同時に、マーチャンダイジングのスキルを身につけていったのよ。取材を通して勉強させてもらったかたち。あとは書くことを通して、業界の方に自分の思いを伝えてきた面もある。自分はファッションの未来についてこう考えてますって。プロモーションとしてもいい立場だったと思う。

太:約10年ニューヨークにいて、帰国したあと本格的にマーチャンダイジングに関わり始めて。これはかなり異色の経歴だと思う。だからこそ、他のマーチャンダイザーにはないだろうという感覚は持ってる?

伸之:いい意味でも悪い意味でも現場主義なところかな。ジャーナリストが事件の現場に行くって話じゃないけど、しょっちゅう売り場には行くから。そして現場で考える。俺に文章を書くことを教えてくださった先輩方は、「まず現場に行け」という方々だったんだけど、その影響は大きいね。

太:ジャーナリズムの精神と繋がっているね。

伸之:そうそう。俺は追われる立場になって「嫌だな」と思うようになったけど、まあそういうものだよね。記者精神というか根性だ。いや、もう一度言うけど本当に迷惑だよ?(笑) でも、そういう姿勢には敬意を表する。取材もしないで勝手に書かれたらたまんないもん。

太:そして松屋銀座か。彼らに誘われたとき、他に選択肢はなかったの?

伸之:相手がいるから名前は伏せるけど、松屋銀座に誘っていただいたときには、某百貨店にも同時に誘われてたの。普通はそっちに行くだろうね。ギャラもいいし規模も大きいし。松屋銀座に行ったのは、誘ってくれた社長が誠実だったから。この人と仕事がしたいと思ったからなの。

太:そのあとISSEY MIYAKEとの兼任が始まるんだよね。

伸之:そう。そこから二足のわらじを履くことになったのかな。まあ学校も作ったりしてたから、それ以上にいろんなところと仕事はしてたんだけど。

太:ISSEY MIYAKEと松屋銀座の兼任してたことを掘り下げたくて。だって前例がなかったじゃない。今もないし。

伸之い:ないね。

太:これってシャネルとかエルメスとか、ホールディングスに入っていないブランドの人間が、あろうことかボンマルシェとかギャラリエ・ラファイエットのディレクションをやってるようなもんだよ。普通はここで癒着を疑われるんだよね、真っ先に。客観的に見て不自然だもん。だからどうやったんだろうって。

伸之:もうずっと公平にいるしかないよね。どちらの相手に対しても。それにネットがあったから、松屋銀座のデスクにいながらISSEY MIYAKEにも指示が出せたんだよ。ネットがなければできてないと思う。まあでも普通はありえないよね。だから利益相反にならないように気をつけてた。

太:こういう人が今後に出てくるかもしれないから、もう少し具体的に聞きたいな。

伸之:推奨されることではないよ。たまたまそうなっただけ。さすがに忙しすぎてビジネススクールの指導はやめたよ。まあISSEY MIYAKEでも松屋銀座でもしっかりやったわけだから、最終的にISSEY MIYAKEも松屋銀座も信頼してくれた。兼任で大丈夫ですと調整してくれたわけで。ちゃんと仕事してればいいんだよ。ギャラ分ちゃんと働いてたら、誰に何を言われる筋合いもないから。

画家にはなれなくても、良い画商にはなれるかもしれない

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太:親父が一貫してやりたいことはマーチャンダイジングなんだよね?

伸之:そう。

太:そもそもなんでマーチャンダイジングだったの?

伸之:父親は俺にロンドンのサヴィル・ロウ*2に修行に行ってテーラーを継いでほしいと思っていた。俺も漠然とそっちに行くんだろうなって思ってたんだけど、ハワイに視察に行ったときにガラッと意識が変わった。郊外のショッピングモールに行ったんだけど、そこにある決して質の高くない商品をダイナミックに展開している様子を見たときに、俺もこういうことがしたいと思ったの。ダイナミックかつロジカルに商品を動かしてみたいと思ったんだよ。

太:テーラーの方が服の質としてはいいけれど。

伸之:そう。物としてはあっちの方が良いよ。お金があれば俺も買ってみたい(笑) でもね、それは決して庶民の手が届くものではない。俺はね、一級品と比べれば決して良いものではないけれど、そういうものを一生懸命にカッコよく見せてる姿に惹かれたの。そしてこれこそマーチャンダイジングじゃない。だからその道のプロになろうと思ったわけ。

太:マーチャンダイジングの要になるのって何なんだろう。

伸之:マーチャンダイザーは右脳と左脳の両方を動かせないといけない。クリエイターは右脳だけガンガン動かせてたら良いけど、俺はそういう人間にはなれないと分かってた。画家にはなれないってね。でも、良い画商にはなれるかもしれないと思った。画商はそろばんを弾くことと、画家のクリエイションを理解して受け止める素養の両方を持っていないと成り立たない仕事だよ。左脳と右脳を使えなきゃいけないってのはそういうこと。

太:天才にはなれないけど、天才がつくったものを届けることならできそうだと。

伸之:簡単に言うとね。ただ、物を売れるだけの画商ではなくて、才能を伸ばせる画商になりたいと思って。

太:教えることは好きだよね。

伸之:大好きだね。先生になりたいと小学生の卒業アルバムに書いたぐらいだから。今はマーチャンダイザーを育てる側にいるんだけど、確実に若い子たちは吸収していってくれるのね。そうやって成長してくれるのを見るのは楽しいよ。

(*2)ロンドンの中心部にある通り。オーダーメイドの高級紳士服店が集中していることで有名。

クールジャパン機構での苦心

太:じゃあクールジャパン機構について聞きたい。全く畑違いの業界へチャレンジができたのはなんで?

伸之:まあできないことはできないのよ、はっきり言って。正直、投資をする会社なんて好きじゃなかった。だから最初は「なんで俺が?」って思ったんだけど、日本のコンテンツは漫画であろうがファッションであろうが音楽であろうが、海外に出さなければいけないとは思ってて引き受けた。

太:でも、クリエイションとビジネスのバランスは常に取らないといけないじゃない。

伸之:そうなんだけどね、これが官民機構の難しいところで。俺たちは出資をするだけ。しかも株式を51%以上とってはいけないのね。

太:ああ、そういうことか。”お願い”しかできない。

伸之:そう。株式を80%ぐらいとってたら、もっと強気に言えるけどね。だから「こんなの違う」ってことが起こっても出資先には強く言えない。官民でやる限りはそうなるよね。

太:二極論が多すぎるのが日本の悪しき風習だと思ってて。挑戦か失敗か、賛成か批判かって。親父がクールジャパン機構をまとめてたときもそうだけど、事業の過程をちゃんと追っていくニュースが一つもないじゃない。今もクールジャパン機構については「俺らの税金を使って国がしょうもないことやってるよ」って言われてる。

伸之:まあ誤解だよね。そもそも投資だから。融資とは違う。

太:そこだよね。

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伸之:100発打って100発返ってくるわけないから、投資なんて。答えは最後まで分からない。ところがアレは損したコレは儲けたという話しかメディアには出なくて。しかも上手くいった話は滅多にニュースにならない。そしてこちらからも、この投資は上手くいったとアピールはできない。そういう決まりだったから。一風堂もさ、民間が彼らを助けないからクールジャパン機構から出資したんだよ。

太:今も一風堂は海外で伸びてるよね。

伸之:そうやって事業が大きくなって、うちが抜けるときも、官民だと迷惑をかけないかたちでないと抜けれないの。単純に株式市場で売ると株価が下がるから、彼らが連れてくるパートナーに売り渡すというかたちにしないといけない。そしてこれがまた完結するまで外には何も言えない。

太:辛いところだね。

伸之:官が絡むからできることもたくさんあるけど、官がいるからってすぐに批判してくる人もいるわけ。それにいちいち答えてたら情報が漏れちゃうから、打たれても打たれても黙っているしかないの、こっちは。体にはとても悪いよ。

太:老けたもんね、あの5年で。そういう辛さがあるんだろうなっていうのは感じてた。じゃあファッションの仕事だけしてた頃と比べて、なにか気づきはあった?

伸之:あったね。日本は世界から遠いんだと改めて思った。世界への売り方を知らない。でも向こうから見たら日本は近いんだよ。強く言えば日本人は値段を安くしてくれるから。楽勝だよね。

日本の悪癖、「性能が良い割には安いですよ?」

太:交渉が下手だよね。

伸之:謙虚なのよ。それが美徳でいいところでもあるけど、騙されちゃうから、ビジネスの世界では。俺の仕事は最高だと胸を張って言えばいいのに言えない。中身はうまいんだよって言うだけ。でも、中身がうまいだけじゃもう価値はないんだよ。

太:アピールも下手。

伸之:日本の悪癖だね。「性能が良い割には安いですよ?」ってず〜っと言ってるわけじゃない。対して、「高いけどかっこいいだろ?」って言うのが欧米のブランド。Appleとかね。なんでこんなに高いのって思うじゃない? Windowsの商品と大差ないのに(笑) でもかっこいいからみんな使うわけ。だから強気の商売よ。買わない人は買わなくていいよっていうスタンス。日本のブランドはみんなに気に入られようとするから、値段を下げるの。

太:そしてみんなでジリ貧になっていくと。

伸之:日本はメイド・イン・ジャパンをまだ本当の意味で売れてないし売ってないよ。漫画だってアニメだってどれだけ買い叩かれてたか。高く買ってくれる人に売ればいいの。もちろんちゃんと高く売る方法を考え抜いてね。そこが日本の情けないところだね。クールジャパン機構にいて、本当にそれは痛感した。一丁前になれない理由はここだと思ったよ。それが変わらない限り、Appleは日本には出てこない。エルメスもBMWも。今のままではね。

太:そういう気づきを経て、そのうえで今の日本に必要なものはなんだと思う?

伸之:十八番を持つのは大事だよね。例えばISSEY MIYAKEにはプリーツって十八番がある。それを持ってるからISSEY MIYAKEは強いと思うよ。「いつか飽きられるかもしれない」と不安はあるけど、飽きられてもやり続ける、これが一番ね。

太:ルイ・ヴィトンのモノグラムもなくならないからね。

伸之:「何ができる?」って聞かれて「なんでもできます」って言うやつが一番ダメじゃない。「これができます!」ってことが大事だよ。

太:なんでもできるは、下手すれば何もできないになるからね。「なんでもやります!」とはまた違う。

伸之:こうなった一番の悪影響は教育だと思う。日本って戦後から誰かが倒れてもスペアがいるって体制を作るために、金太郎飴をつくる教育をしてきたわけよ。軍隊でもないのに「前にならえ」って学生の頃からそう言ってね。でもさ、「なんで前に習わなきゃいけないんだよ」と思わなきゃ。だって話をちゃんと聞いてりゃいいわけだろ? 姿勢は関係ないじゃない。でもそうしてないと気持ちが悪いと思わせるようにしてきたわけだ。均質化を図って、労働も均質化してきた。だからある一定のラインを超えると伸びていけないの。

太:少しずつ時代が変わってきてるから、まだ救われるけどね。

伸之:そうだね。昔は履歴書に転職が多いと悪者扱いだったけど、今は変わってきてるじゃない。

太:そうだね。

伸之:なんにせよ、やりたい仕事をするのが大事よ。会社に勤めるのが先ではなくて、自分がどんな仕事がしたいのかってことを知るほうが先だよ。組織がファーストではなく俺がファースト。そのうえで組織に貢献できるのが一番いい。やりたいことがやれないなら、早く出ていった方がいいよ。その人にとっても会社にとってもね。

太:じゃあやりたいことが見つかっていない人は?

伸之:探すしかないよ。ちゃんと探せば分かる。探してないから見つからないだけだよ。

「ヒールの高い靴なんてこれから売れないよ」

太:ちゃんと考えろと。

伸之:そう。話は変わるけど、この前さ、若手建築家のコンペを見てきてね。最後に講評を話したんだけど、そこで真面目でつまんないって言ったの。全然盛り上がらないのよ、壇上が。何を建てたいか思いが伝わってこなかったから。コンセプトうんぬんの話しかしないんだ。今さ、渋谷にものすごい勢いでビルが建てられてるだろ? でも、誰が喜ぶのよ、あれ。だいたい5階までは商業施設でさ、おんなじような店が並んでるだけ。だからそんなつまんないことはもうやめてよって思う。

太:反応はどうだった?

伸之:なんかボーッと聞いてたね。いまだに「前にならえ」だよ、みんな。

太:人と違うことを言ってても、変なこと言ってるって認識で終わるんだよね。

伸之:枠から出ないようにって言われてきたからね。でも、枠内にいるやつにろくなのはいないんだよ。自分を殺してまで枠の中にいるわけだから。安藤忠雄*3さんみたいな常識外れな人がいるとその業界は面白くなる。

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太:じゃあ今注目している業界はある?

伸之:それは太たちがやろうとしてることよ。食の安全。これは贔屓目で言ってんじゃないからね。お前が野菜を売るだけじゃなくて提供するところまでやる。中間マージンは誰もとらない。漁師が寿司屋をやればいいじゃんって話。今までは仕組みとして、いろんな人が介在することで価値が上がったかもしれないけど、今は1人(一組織)が全部やることで付加価値をつけられる。例えば一括管理できるから、安全性を担保できて美味しいです、とかね。今はそっちだろうと思ってる。

太:食に関連して健康への意識も高まってきてるよね。

伸之:ヒールの高い靴なんてこれから売れないよ。あとこの前さ、美容師と話してて、「なんでどこも料金が一緒なの?」って聞いたの。どこのパーマもカットもシャンプーもだいたい値段が一緒なんておかしいじゃない。俺に言わせると、それは価値を売ってないの。

太:ここでも均質化してて、選択肢がないよね。

伸之:そう。付加価値って人それぞれで違うじゃない。だからお互い目配せしあって統一料金でやるのってさ、ダサいよ。

太:私たちのサービスは他と大して変わりませんって言ってるようなものだからね。

伸之:だからやりたいことをすればいいんだよ。本当にやりたいことをやってると、他と違う個性が出てくるから、絶対に。俺はそれを若い人にぜひ伝えたい。会社が小さくても大きくてもいい。フリーランスでも兼業でもいい。とにかくやりたいことができるのが、俺は一番良いと思ってるから。

(*3)国内外で数々の受賞歴がある日本を代表する建築家。東大名誉教授。代表作に「光の教会」「ピューリッツァー美術館」「地中美術館」など。

自分本意であること

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この連載も今回で最終回。全6回にわたり、さまざまな先輩たちに話を聞いてきた。

その言葉は各々で違えど、奇妙なほどに一致していたのが、いい意味で”自分本位”だということ。伸之さんふうに言えば、「組織がファーストではなく俺がファースト」。先輩方はみんな、自分の感情に素直な方々だった。そしてみんな、生き生きと自分のしていることについて話してくれた。

これが分岐点なのだと思う。

あなたは自分が今していることを、誇りを持って誰かに話せるだろうか。その規模や社会的地位によらず、自分がやっていることを、誰かに胸を張って話せるだろうか。

大事なことはいつだってシンプルだ。誇りの持てる日々を。それがいつしかその人独自の働き方になり、生き方になるのだと思う。

太田伸之

三重県出身。
大学卒業直後渡米し、繊研新聞社の特約通信員、BARNEY NEW YORKのコーディネーター、NAMSB対日マーケティングディレクターなどを務め、帰国。
1985年、東京ファッションデザイナー協議会を設立、事務局長、議長を歴任、1995年同職退任、株式会社東京生活研究所専務取締役所長に就任。
2000年、株式会社イッセイミヤケ代表取締役社長に就任。
2006年からはJFW(日本ファッション・ウィーク)実行委員会委員に就任。
2010年、株式会社イッセイミヤケ代表取締役社長退任し、2011年より、株式会社松屋常務執行役員MD戦略室長に就任。
2013年、株式会社海外需要開拓支援機構代表取締役社長に就任。
2018年 同職退任。 MD-03 Inc設立し、現在に至る。

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太田太

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“世界一のレストラン”と称されるコペンハーゲンは“noma”のレネ・レゼッピ氏がファーマーズ・マーケットにて生産物を称え、全米最注目のホテル&農場併設型レストラン“Single Thread Farms”から畑を評価される。
またニューヨーク郊外で常に農&食の最先端を突き詰める”Blue Hill”側から来訪の打診を受けるなど、着々と“世界レベルの農業”を実践し始めた、東京の青梅市にて無農薬野菜を栽培し、養蜂に取り組むOme Farmの代表。

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太田太さんからお知らせ

新型コロナウィルスの感染拡大により、動き始めていたOme Farmのフード事業は、大幅な方向修正が余儀なくされました。レギュラー出店していたファーマーズマーケットも、この状況では開催が出来ず、また、緊急事態宣言の解除後、いわゆる”コロナ後”の世の中は、これまでとは全く違う世界になると予測され、元通りにはならないだろうと推測されます。

そんな中ではありますが、この度、私の友人が新しいお店を開けます。
7月9日頃にオープン予定です。
10代の頃から炭焼きの厳しい修行を重ね、飲食店グループのアメリカやアジア各国、オーストラリアなどでの新規店舗立ち上げに尽力し、この度独立して、長らく携わってきた鶏・鴨を炭焼きを中心として提供するお店を立ち上げるとのことで、私達も何か出来ないか一緒に考えて参りました。

神田川を望むお店の2階にある隠れ家的スペースを、私達のプロジェクト”Ome Farm Kitchen”で使用して良いとのことなので、”1階で炭焼きを、2階で野菜タパス&バルを”というコンセプトで取り組むこととしました。 1階は焼鳥中心、2階は野菜を中心としたデリ(テイクアウト可能)として、運営していく事にします。 詳しくはSNSで更新していくので、是非Ome FarmのSNSページをチェックしてみてください。

焼鳥 unica & unica おにかい
〒111-0053 東京都台東区浅草橋 1-1-10
JR / 都営地下鉄 浅草橋駅より徒歩3分
(1階 : 炭焼き / 2階 : ベジ・デリ・バル)

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コロナ後の世界に向けて

農業者も進化する時代、適応することが求められる時代。
どんな風に働き、どの様に生きていくのか?

そうしたことをやりたい事がない、取り組んでいる事に悩んでいる若者たちに伝えたいという一貫したテーマを持っていたこの連載も、これで終了です。

より一層、自分の目で見ること、また見る目を養うこと、思考回路を活発にした頭で物事を考えること、仕事をする腕を磨くことが求められます。

常に自分の心に問いかけ、進んで欲しい。生きることを諦めないで欲しい。
そう思っています。

太田太

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