1967年に『夜空に星のあるように』で長編映画デビューを果たして以来、階級や移民問題に切り込み、社会的弱者に愛を持って光を当て続けてきたイギリスの社会派映画監督、ケン・ローチ。脚本を手がけたものも含めると、これまで30本以上の作品を作り続けてきたにも関わらず、賞を取っていない作品の方が少ないというから驚きである。
ローチの作品といえば、カンヌ国際映画祭における最高賞パルムドールを受賞して世界中で賞賛を受けた『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016)が記憶に新しいが、同作の制作後に引退を宣言した彼が自身の発言を撤回してまでも作りたかった映画がある。それが2019年12月13日(金)に日本での公開を控える『家族を想うとき』である。
舞台はイギリスの北東部、タイン川河口近くに位置する工業都市ニューカッスル。この街で暮らす父リッキー、母アビー、長男セブと妹のライザ・ジェーンのターナー家は10年前に銀行の取り付け騒ぎで住宅ローンが流れ、リッキーが職を失って以来長らく安定しない生活を送っていた。そんななかリッキーに訪れたチャンスが、フランチャイズの宅配ドライバーとしての仕事だった。ドライバーが“個人事業主”として働くこの制度では、バンや宅配に必要なデバイスは有料で借りるか自分で買い取らなければならないが、報酬は仲介人を通さず直接もらうことができる。
「勝つのも負けるのもすべて自分次第。できるか?」本部のマロニーの言葉に「ああ、長い間、こんなチャンスを待っていた」と、不安を抱きつつもリッキーは二つ返事で仕事を引き受ける。一生懸命働いて2年も経てば、念願のマイホームが買えるぐらいのお金が貯まるはずーそんな希望を胸に働き始めた。
しかし現実は理想とはほど遠かった。クライアントの希望の時間に宅配することが絶対のなか、まともに昼食を食べる時間どころか、トイレに行く時間もない。緊急で休みが必要なときに代理のドライバーを見つけられなければ1日100ポンド(2019年12月の時点で約14,163円)、もしも荷物をなくすことがあればさらに多額の罰金が待っていた。「話が違う、こんなの個人事業主なんかじゃない」とマロニーに訴えても、すでに借金を抱えているリッキーに辞めるという選択肢はなくなっていた。
一方、リッキーが仕事を始めるにあたって宅配に使うバンは買った方が得だと説得され、資金を調達するためにパートタイムの介護福祉士として働いている妻アビーが仕事で使っていた車を売ったため、アビーは毎日長時間のバスでの移動を強いられていた。労働に追われ両親共に家にいる時間が少なくなっていくなか、それに比例するのかのように息子リッキーはトラブルを起こし、家族が大好きな妹ライザ・ジェーンは寂しい思いを募らせていく。
『家族を想うとき』は、ある家族の愛と絆を描くと同時に、現代社会の労働問題を明らかにした作品といえるだろう。
新自由経済が持ち込まれてから、労働者を守る仕組みが崩壊した。“個人事業主”“フランチャイズ”という誘い文句で、労働者は「働いただけ儲けは全て自分のものになる」という幻想を植えつけられる。その挙句働くことをやめられなくなり、家庭や健康といった個人的な基礎が侵されていく。仕事は家族を守るためのものなのに、現代では家族との時間を奪っているだけなんてバカげている。
ーケン・ローチ(第72回カンヌ国際映画祭会見にて)
同じニューカッスルを舞台に、イギリスの福祉制度と貧困の問題を描いた前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』の制作過程で行ったリサーチでフード・バンク*1を訪れたローチが出会ったのが、そこに通う「ゼロ時間契約」で働く人たちだった。会社側がクライアントの要望のままに、自由に労働者の労働時間を決定する「ゼロ時間契約」は、まさにリッキーやパートタイムの介護福祉士として働いている妻アビーが置かれていた状況である。作中では経済的、そして精神的に、2人には本来あるべきはずの「選択肢」が与えられていないのが問題だった。選択肢のない職場では、人の尊厳は失われていく。そしてそれはどのように人間関係、この物語の場合は「家族」に影響するのか。
(*1)フード・バンクとは、賞味期限接近などの理由で流通させられない食品を食べ物に困っている人へ届ける活動、またはその活動を行う組織をいう
ローチは決して映画の最後に「希望」を与えてくれるわけではない。ただただ観客は現状を突きつけられる。だが不思議と、苦労する家族の日常の描写から人間の愛情や優しさが鮮明に感じられる。だからこそなおさら、愛に溢れた家族が幸せを手にするためにもがき続ける姿を見て、この不条理な社会に疑問を持つ人は少なくないだろう。
予告編
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『家族を想うとき』
12月13日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
監督:ケン・ローチ『わたしは、ダニエル・ブレイク』『ジミー、野を駆ける伝説』
脚本:ポール・ラヴァティ『わたしは、ダニエル・ブレイク』『ジミー、野を駆ける伝説』
出演:クリス・ヒッチェン、デビー・ハニーウッド、リス・ストーン、ケイティ・プロクター
2019年/イギリス・フランス・ベルギー/英語/100分/アメリカンビスタ/カラー/5.1ch/
原題:Sorry We Missed You/日本語字幕:石田泰子
提供:バップ、ロングライド 配給:ロングライド
Photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
© Sixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2019