あなたは小中学校に通っていたとき、どんな生徒だっただろうか。
部活に熱中した人もいれば勉強で優等生だった人、あるいは毎日のように先生に怒られていた人もいるかもしれない。そんな生徒だった頃を思い出して想像してほしい。あなたに勉強や人間関係について教えてくれた先生にはどんな苦悩があったのだろう?
今回紹介する映画は『ヘィ!ティーチャーズ!』。その名の通り、先生を主人公としたドキュメンタリーだ。舞台はロシアの小さな田舎町。モスクワの大学を卒業したエカテリーナとワシリイは新米教師として公立学校に降りたつ。道徳やフェミニズムについて教えたいと願うロシア語・文学教師のエカテリーナ。多様性やグローバリズムについて伝えたい地理教師のワシリイ。期待を胸に赴任してきた2人の挑戦が始まる。
ここでまず、参考としてロシアの教育について説明しておきたい。ロシアの初等・中等教育は6歳から4年、5年、2年の11年制でほとんどの学校が国立校だ。また、多くの学校は1つの敷地内に1年生から11年生までの生徒が集まり学んでいる(参照元:外務省)。9月1日は「知識の日」と言われ、入学式が行われる。そんな9月の入学式から本作はスタートする。
エカテリーナとワシリイは首都モスクワのエリート大学を卒業。都会に住んでいた2人は溢れかえる情報に簡単にアクセスし、自由に過ごすことができたが、赴任先の田舎町でそれは通用しない。地方の産業都市は情報が限られ、保護者の多くは労働者階級。子どもへの教育に熱心になる余裕はない。教室では授業中にスマホでゲームをしたり、輪ゴムを飛ばしあったり…。2人の話を聞かない生徒の姿勢に悩んだ彼らは、彼らなりの工夫をしながら授業を進めていく。
「学校にスマホを持ち込むべきか」という、実際に学校を賑わせている問題に対して生徒に討論させるワシリイ、生徒の作文の人種差別を指摘し、なぜ移民を排除しようと思うのか生徒に問いかけるエカテリーナ。生徒の意見はさまざまで「外国人はルールを守らない」「ロシア人の方がまだマシ」「プーチンは終わってる」といった人種や政治体制、ジェンダーに関する彼らの純粋な意見が教室を飛び交う。全く話を聞かない生徒に疲弊したエカテリーナは苦悩の末、先輩教師に相談をする。しかし、彼女の考え方とは反対に「子どもたちに自主的な考えを持たせるな。自分で何かを解決させる教師は災いの元だ」と言われてしまう。他の教師たちと歳がかけ離れているエカテリーナはここでも考え方の違いという大きな壁にぶち当たるのだ。
大半のロシア人は彼らが赴任したような保守的な学校に通っている。行儀の良さと従順であることが評価され、教育システムはロシア正教会と密接に連携している。作中でエカテリーナの台詞に「『神様はいない』のひと言でクビになる」とあるが、そう言っても過言ではない。反対に教育の外で、生徒たちはスマホを手にし自分でたくさんの情報を集めている。保守的な教育に対し、自らが情報を集められる生活。この二層の構造のなかで生徒自身も混乱の日々を送っている。
2人のヒーローが対決しなくてはいけない疑問やチャレンジは、ただロシアの学校だけではなく、世界における現在の教育の状況を示していると思っています。ーユリア・ヴェシュネヴェッツ監督
教育現場におけるこのような問題はロシアだけのものではない。実際に本作は校長先生が教室に入ってくると静かになる生徒や休み時間に取っ組み合いをする生徒など、私たちも体験してきたような身近な学校生活に溢れている。日本でも同じように保守的な教育は存在し、インターネット世界に住む子どもたちに不信感と困惑を与えてしまっている。現在ウクライナ侵攻に関するニュースが絶えないロシア。私たちは、それらの報道により曲がった偏見を持ってしまうかもしれない。しかし、ロシアには今日も私たちと同じように多様な意見と葛藤を抱え、日々を過ごしている先生や生徒たちがいることも事実だ。
『ヘィ!ティーチャーズ!』はロシア語では『エカテリーナとワシリイは学校へ行く』というタイトルになっている。本作の内容を知らない方からすると2人の生徒の物語のように思えるだろう。しかし、新米教師にとって初めての学校は彼らから見ても人生の「学校」として写る。監督が「あらゆる社会的変化は学校レベルで始まるべき」と述べたように教育はその後の人生に大きな影響をもたらす。教育システムの大きな壁に挫折をした彼らだが、改革しようとする人が1人でもいれば、いずれ変化は訪れると信じたい。彼らと同じような挑戦を続けている人たちは全世界に大勢いる。彼らの背中から世の中の大きな壁にぶつかる勇気を受け取ってくれると幸いだ。