7月に予定されている参議院議員選挙が間近に迫ってきた。この参院選と同時に、衆議院議員選挙も行うというダブル選挙の可能性が取りざたされているが、この動向を意識して日々を過ごしている人がどれだけいるだろう。
総務省が公表している資料によると、近年はやや上昇傾向にあるものの、日本の選挙における投票率は昭和の中頃から下降を続けている。毎週のように政治家の不祥事や汚職がニュースに挙がる現状では、それも仕方のないことかもしれない。
政治への無関心は今や常態化している。自分が政治家に何を求めているのかさえわからないという声も珍しくないそんな状況で、「でも、毎日生活してればそれだけで政治家に何を求めているか分かると思いますよ」と言うのが、今回話を聞いたフォトグラファーのWOODDY(ウッディー)だ。
「政治なんてわかんない」ってよく聞くんですけど、結構シンプルな話だと僕は思ってます。投票やデモに行くだけが政治参加でもないですし、もっと気楽に、そんなに難しく考えなくていい。毎日生活してればそれだけで政治参加になりますよ。
政治への参加といえば投票が一般的で、あるいはデモに加わることもこれに当てはまるかもしれないが、“毎日生活してればそれだけで政治参加”とは一体どういうことなのだろうか。
「日本は最高の国だと思っていた」
湘南生まれのWOODDY。生まれたときから海が身近にあったという彼にはスケーターやサーファーの友人が多く、そんな彼らが被写体としても身近な存在だと話す。
実際、スケーターやサーファー御用達のライフスタイルブランド『Afends(アフェンズ)』に所属するクルーが来日した際には彼らの動向を追って写真を撮影するなど、その方面で活躍している。
そうした活動と同時に彼が熱心に取り組んでいるのが、海洋問題への取り組みだ。
前述したように海がすぐ側にある環境で育ったWOODDYは、年々悪化の一途をたどる環境問題の中でも海に関する問題に敏感だ。特に3.11以降、汚染水の報道が増えるに連れて、環境問題に政府がどう対応しているかを知るために政治へ関心を持ち始めたという。当時の彼は、中学卒業を控えた15歳。この時初めて政治が自分事になったという。
当時は「汚染水でもう海がダメになる」って思ってました。ニュースで目にする“安全”も不確かだったし、いろんなことに疑問が湧いてきて。それまでは日本は最高の国だと思ってたんです。でもその信頼が全部崩れた。それは自分が知ろうとしてなかったのも原因です。だから3.11以降、政治についてもいろいろ考えなきゃいけないなと思いました。
二項対立で議論するのは“ダサい”
「まずは自分の目で見ないと本当のことが分からない」。
メディアの右往左往する3.11への報道を前にそう思ったWOODDYは、現地に足を運び、報道に頼らずことの動向を見極めるようにしていたという。
また原発がコントロールを失ったことに衝撃を受けた彼は、原発に反対するデモにも積極的に参加してきた。
ただし視点が偏らないようにと、さまざまな考え方を持つ人が集まるデモに参加し、あるいは“お散歩デモ”と称されるようなゆるい雰囲気の集まりにも参加して、いろいろな角度から原発を巡るイシューについて考えるよう気をつけてきたという。
彼がこのようなニュートラルな視点を意識しているわけは、あらゆるデモへの参加を通してイデオロギーで人は測れないと知ったからだ。
いろんな形のデモに参加して最終的に思ったのが、「リベラルだからいい、保守だから悪い」なんて単純な問題じゃないってことです。思想の土台にはそれぞれの生活と状況があるから、なんか右とか左とかじゃないんですよ。もっと複雑なんです。みんな仲間や大切なものを守るためって行動原理は同じで、だからイデオロギーで人は測れないと思います。
何かをカテゴライズする言葉は便利だ。議論する上での定義付けとしても役に立つ。しかし、「リベラル」や「保守」などの二項対立で議論するのは“ダサい”とWOODDYは言う。机上の空論ばかりだと「なにか大切なものを見落とすから」だ。
政治に関心を持つ以前は与えられる情報ばかりを鵜呑みにしていたことへの自省が、彼のスタンスに表れている。
完璧を目指さないで生きる
また、WOODDYが何よりも重要視しているのが、“続ける”ことだという。
「生活は何があっても続いていくから」というのがその理由で、何かに駆られるように完璧を追い求めるのではなく、継続することを第一のスタンスにしていると話す。何事も続けるためには一喜一憂に揺さぶられない平常心が必要だと考えているそうだ。
僕は環境問題に関心があるけど、毎日100%環境に配慮した生活はできてません。でもそれでいいと思うんです。完璧を目指すと疲れるし、それよりも続けるほうが大事。完璧を目指して挫折するよりも、ゆるくていいから続けたほうがいい。というか続ける方が大変だからそこには信念が必要です。だから何が自分にとって大事なのかを常に考えなきゃいけない。
3.11以降、投票はもちろんデモや署名活動にも積極的に参加してきたWOODDYは、年々、少しづつ熱が冷めて離れていく友人たちを横目に、「世の中そう簡単に変わらないけど、とりあえず続けるってことが大事なのかもしれない」と思い、今の考えに至ったという。
また、常に考え続け、フォトグラファーとしても活動しながら、投票やデモだけが政治参加じゃないと気づき始めたのが2015年。3.11から4年が経ち、自分のちょうどいい活動ペースがわかり始めた時のことだった。
毎日の選択が政治に直結している当たり前を自覚する
同じものでも人によって買うものが違いますよね。例えばビール一つとってもいろんな人が作っていて。中でも環境に配慮して作っている人たちから好んで買うのであれば、それは政治家に環境問題への対策を求めたいのかもしれないって感情が見えてくる…。という感じで、その人が政治家に求めているものが、無意識だとしても買うものや買う基準に少なからず反映されてると僕は考えてます。
買うものにその人の求める政治が表れるというのは、そう言われてみれば至極当然なことのように思える。できるだけ安くものを買いたいという人であれば、消費税の増税には反対かもしれない、というように。
WOODDYはこの“かもしれない”を自覚することが、同時に自分が政治家に何を求めているかの気づきにつながるのではないかと話す。毎日の買い物に政治家へ求めたい政策の方向性が見えると考えれば、たとえ政治に関心がなくても、どの政党に投票すればいいかが分かる、というのが彼の主張だ。
そしてそうした毎日の選択が、政治を動かすことにも繋がりうる。
投票が直接的な政治へのアクションだとすれば、SNSで何か言ったりデモに参加することは間接的な政治へのアクションだと思うんです。そしてそれに繋がるのが日常生活で何を買うかとかの選択。政治って社会の流れに左右されるから、毎日の選択で少しずつ流れを作って変えていけると思う。政治家に期待しづらい今だからこそ、その人が続けられるペースでやるのが一番。マイペースでいきましょう。
WOODDYのスタンスは、人によっては不真面目に映るのかもしれない。実際、政治に関心の強い友人と議論する中で「もっと真剣に考えろ!」と言われたこともあるという。しかし、政治を真剣に考えなければいけないという空気感が、政治への無関心や敬遠につながるのではないかと彼は言う。
「政治家に期待しづらい今だからこそ、その人が続けられるペースでやるのが一番」。
力みもよどみもない彼の楽観具合が、今の時代にはちょうどいいのかもしれない。