「人間が嫌い」という気持ちをポジティブに昇華した楽曲を含む1stアルバムをリリースした清水文太に聞く、活動の根底にある強い思い

Text: Shiori Kirigaya

Photography: Hideya Ishima unless otherwise stated.

2020.1.7

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2019年12月14日、下北沢ハーフムーンホールで清水文太のアルバム『僕の半年間』のリリースライブが行われた。歌はもちろんのこと、ダンサーと即興で作ったというパフォーマンスが観客を魅了した。開演前の会場には「この半年間、あなたは何をしていましたか?」というナレーションと、彼の友人たちが各々の半年間を話すボイスメッセージが流れ、観客が感情移入しライブの世界観へ引き込まれていった。そんな工夫も、同ライブの魅力の一つだったといえよう。「人材育成事業の開発に尽力していました」「スランプに陥っていました」「Netflixを観てご飯食べて寝る生活をしていました」など、語られた半年間はさまざま。

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清水文太

裏話だが、「半年間」を音声で送ってもらえないかと聞くボイスメッセージを送りすぎたために、未だに送ってくる友人がいるのだと彼は笑う。ライブを開催した理由は、配信は曲を聴いてもらうきっかけにすぎず、直接でないと本当に伝えたいことが伝わらないと感じたから。CDやレコードに親しみがある世代だとアルバム全体を通して聴いた感想を送ってくるのに対し、好きな曲だけを選んで聴きやすい音楽配信サービスに親しんできた若い世代だと「この曲が好きだった」というように一つの曲に対する反応が返ってくる傾向があり全てを聴いてもらうことは難しいのではないかと感じたことも関係している。

今回NEUT Magazineは、スタイリング、クリエイティブディレクション、執筆、モデルなど多岐にわたって活躍する彼に、自身が制作した音楽アルバムについて、そして全ての活動の根底にある「悲しい出来事を少しでもなくしたい」という強い思いについて聞いた。

半年間であり、22年間の積み重ね

清水文太といえば、2019年にはベネトンのデジタルルックブックのアートディレクターを務めたり、ニューバランスのコレクションのストーリームービーに登場したりするなど大手ブランドとの仕事も数多く行ってきた。そのようにしてファッションの分野を初め、幅広い活動をしている彼。なぜ音楽を使った表現を始めたかというと、普段自分が目にしているものを表現しやすく、ゼロ(何もないところ)から自分で生み出せるものは音楽だと感じたからだった。これはスタイリングの仕事で、一から(プロダクトを使って)スタイルを作り出すのとはまた異なる。2019年の春から日記のように音楽を制作してきており、身の回りの物事を、周りで出ている音や音楽制作ソフトにある音を使って表し、そのままアルバムにした。楽曲は1時間かかったものもあれば、15分くらいで完成したものもある。共通するのは、短時間で制作されたということ。

ほとんど初期衝動で作ったんですよ。すごく短い時間で作っているからこそ、感じていたことをそのまま表現できたのかもしれない。文字に書いたり、服を選んだりするのと一緒の感覚だったかも。

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夜中の3時に近所のトンネルで録音したものがあれば、旅行先の温泉で作ったもの、遊びにいくのに気乗りしない友人の気持ちを高めるために即興で作ったものまである。そうやって作られた『平和と混沌』『再会』『叫び』『曖昧』『歩み』『戦慄』『脱出』『言葉』『城』の9曲で構成される『僕の半年間』は、アルバムを通して一つのストーリーである。独唱を中心に作られた曲もあれば、ノイズ系の電子音と友人の笑い声、詩の朗読とゴスペルを組み合わせたものまであり、表現されたものの幅は広い。

自分で行動してきた半年間だったと思うし、停滞したときもあった半年間だった。だからお話みたいにアルバムを作ったけど、そのような起伏を人生のなかでずっと繰り返しているんだって気づいた。

文太が制作をするなかで気づいたのは、半年間で作ったものは彼が生きてきた22年間の人生の蓄積から生まれたものであること。2019年には彼の感覚を変えるような出来事もあり、これまでよりも自ら行動するようになるなどの変化があった。そのように物事への向き合い方が変化し、表現の形は変われど、きっと彼がやりたいことや言いたいことは10年先も明日もあまり変わらないと話していたのが印象的だった。

「人間が嫌いだ」という言葉で伝えたいこと

アルバムに収録された曲のなかでも特に印象的なのは、8曲目の『言葉』という曲ではないだろうか。彼が詩を朗読し、間に明るい声色のゴスペルが入る。「人間が嫌いだ」という言葉、そして彼がなぜそう思うのかを考えて書き出した理由が並べられた詩は一見すると否定的だが、実は肯定のつもりで書いたという。

人間が嫌いだ
虫を気持ち悪いというから
人間が嫌いだ
自分で買った食べ物を腐らせたり
人間が嫌いだ
好きなのに、好きと伝えられないから
人間が嫌いだ
死にたくないのに死にたいと思うから
人間が嫌いだ
生きたいのに生きられないから
人間が嫌いだ
人を傷つけてしまうから
(『言葉』から歌詞を抜粋)

あれは結構「人間が嫌いだ」って思っていてもいいんだよっていう肯定なんだよね。別に僕たちに嫌いなものがあってもしょうがないし、気持ち悪いっていうものがあってもしょうがない。そういうことはあるじゃない。

どのような物事に対しても、嫌いだとかどうしても受け入れられないという人が一定数はいる。文太はそんな現実を受け止め、ネガティブな感情を悪いことだと考えなくていいと話す。大切なのは、嘘をついて「好き」だと思うことではなく、「嫌い」という感情を受け止めて、それからどうするのかだという。例えば職業を一つに定めていないことなどで、偏見の目で見られることのある彼だが、そういう見方をしてくる人たちとはどうしたらうまくやっていけるのか考えるようにしている。また環境についてなら、生きている限り何らかのゴミを出してしまうのは仕方がないが、それを減らすことはできるよなというように見方を転換させて考えるのだ。

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文太が『言葉』とついの曲としてアルバムに収録したのが9曲目の『城』だ。アウトプットは異なるが、「本当は好きでも、人と人とだから傷つけ合ってしまうこと」に対する感情を、ポジティブに昇華したものだと彼は言う。その二曲で伝えたいメッセージは同じなのだ。

社会、周りの人そして自分が見た自分

「高校生スタイリスト」として名が知られることになった文太は、現在でも「スタイリスト」だとラベリングされることも少なくない。だが、彼は「職業=自分ではない」そして自身が「スタイリストで終わるとは一ミリも考えていない」と断言する。自分が考える自分と「他人が見る自分」は異なるが、「他人が見る自分」をどのようにコントロールするのか。例えば楽曲を作っていることを知ってもらうためなら、自作の曲を聴いてもらいたい人に送るなど、自分が動くことで少しずつ変化させようとしている。

恋人から見た僕もいるし、友達から見た僕も、それこそ社会から見た僕もいるし。それは僕が作り出した人生の結果だと思っている。だけどもっといいものを作るだけじゃなくて、伝えていかないと“スタイリストの清水文太くん”から変わらないから。

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文太のように、複数の分野を横断して仕事をする人の存在は目立ってきているが、なかには、そのような者に対してプロフェッショナルさに欠けるのではないかというイメージを抱く人もいるだろう。そんなイメージに対してどう考えているのか彼に質問してみた。

別にそんなことはないと思うし、全部全力でやればいい話だと思ってる。そうしたら何も文句言われないから。言い方悪いけど、みんな中途半端になっちゃうから、そう思われてしまっているだけ。

彼はそう否定しながらも、努力することは必要で、鍛練を重ねた技術には数時間で作ったものとは異なるベクトルの良さがあると付け加えていた。それでも彼のように、どの活動に対しても全力で取り組み、それで自分がやりたいことができていれば、偏見の目で見られたとしても真に受けずにすむのかもしれない。ただ悪いことを言われても受け流しやすいという文太の場合は、アドバイスとして「もっと悪い意見を言ってほしい」という。それは対面できるイベントにおいて、面と向かって否定的な意見をもらうことは少ないように感じているから。

悲しい出来事を、少しでもなくしたくて活動している

文太はなぜ、音楽を初めとした創作活動をしているのか。それは、例えば自分で死を選んでしまう人や他人を傷つけるような事件を起こしてしまう人に対し、どうにか助けられないかと考えているからだ。人を支えるうえで物理的なものも必要だが、曲を使って間接的に寄り添うこともできるかもしれない。

そういう悲しい出来事を減らすためにも、人と考えるきっかけを作るためにも、こういう何かを創造する仕事が必要だと思うし、だから続けているのかも。僕は少なくとも大事な人が死んだら悲しい。純粋に、そういうことが減ってほしいと思うよね。

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彼が彼らを突き放さない姿勢でいるのには、毎度自身や身近な人がそうなっていたかもしれないと想像をめぐらせてしまうからだ。自身にも自分の考えていることを言えずに苦しんでいた過去があり、それが自他を傷つけるようなネガティブな方向に向いてしまった可能性だってあったのではないかと思わずにいられないという。「人間が嫌いだ」と明言した曲『言葉』についての話からも分かるように、ネガティブな感情を受け止め、どうやって一緒に乗り越えていこうかと彼は考えるのだ。

それは現在の彼が、助けてくれる人もいて食事などに困ることのない、ある程度安心できる環境で暮らせているからだと話す。貧困や虐待を経験するなど、あまり家庭環境がよくなかったときや、やりたいことができていなかったときは、そんなことは到底思えず、悪いことや大変なことに目を向けがちだった。

昔、大変だったときは、何をどう伝えたらいいかわからなかった。苦しんだあの時間は辛かったけど、自分がいた環境の何がいやなのか、何が嫌いなのか、何が好きなのかを見定める時間になったから、無駄じゃなかったと思う。だからこそ、今こういう曲を作れるようになったのかもって思ったりもする。

今では他人がどう思うかのような“無駄なこと”は考えず、思ったことは全部伝えようとしている文太。そうしないと仕事もうまくいかないと彼は考えている。周囲の友人を見てもそうだという。自分の頭の中にあった言葉は、放つと変化することもあり、それを受けた相手の反応は予測できないが、彼にとって人生は実験のようなもの。どんな反応がきても、楽しもうとするくらいの余裕を残すようにしているのだ。

彼がインタビュー中に何度も口にしていた言葉がある。それは「人はいつまで生きられるかわからない」というもの。自分のリミットがいつなのか分からないことを念頭に置き、そのなかで自分の指標を“創作”して生きていく、その繰り返しが人生なのかもしれない。

そして最後に彼は、今後の音楽制作活動についてこう話していた。これまでの作品は初期衝動を生かし短時間で制作したという特徴があるが、時間をかけて作り込んだなら、生み出される作品はどのようなものになるだろうか。

もっとゆっくり時間をかけた曲を一つ作りたい。そこで僕の本当が出る気がする。

1stアルバム『僕の半年間』

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清水文太

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スタイリストとして、水曜日のカンパネラや千葉雄大といった著名人の他、資生堂広告のスタイリングやベネトンのアートディレクションも手がける。コラムニストとして雑誌「装苑」の連載などに寄稿。88rising所属JojiとAirasiaのタイアップMVにも出演。RedbullMusicFesでのDJ・ライブ出演など音楽活動にも精力的に活動を始めており、アーティスト・クリエイター・スタイリストとして多岐にわたる活躍を見せている。

 

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