「アメリカを真似しすぎる日本」に危機感を覚えた最年少ギャラリストが作る、2010年代の美術史

Text: Shiori Kirigaya

Photography: Keisuke Mitsumoto unless otherwise stated.

2018.4.18

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「好みが細分化した時代」と言われて久しいが、自分と似たような考えの人たちとばかり付き合っていないだろうか。たとえばストリートカルチャー好きはストリートカルチャー好きと、サーフカルチャーが好きな人はサーフカルチャー好きと、といったように似たような志向の人たちと集まりがちかもしれない。

人がどうしてそんな関係を選びやすいかというと、共通の認識があれば話が早いし、意見の衝突が比較的少ないから。そのほうが楽に生きられるといえば、その通りかもしれないが、それが続いていくとコミュニティ同士の分断が進み、それぞれの対話が不能になってしまわないだろうか?

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そんなことに危機感をおぼえ、社会が“機能不全”に陥らないようにと、ギャラリーを運営する若者がいた。

モノや“共感コミュニティ”に価値を感じない若者

彼の名前は、佐藤栄祐(さとう えいすけ)。東京・阿佐ヶ谷にある現代美術ギャラリー「TAV GALLERY」(以下、TAV)のギャラリスト*1でありディレクターを務める25歳だ。2014年に同ギャラリーを開けた彼は、美術大学の彫刻科に入る直前に3.11を経験して、「価値」がモノからそれ以外に移行していくのではないかと感じる。

それから始めたのがスペース運営で、若者のためのある種のセーフティネットでありコミュニケーションを交わせる場(4LDKの住処)を友人たちと作った。ルールは設けない、それもあって喧嘩は起きるけれど、喧嘩するなかでもディスカッションすることを目指していたため、そういう意味では完全なる無法地帯ではなかったようだ。

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「放射能汚染の実際の規模とか東京電力のこととか、情報を出してても、実際のところどうなのかわからないじゃないですか。それがいやだったので17、18歳くらいからテレビは見てないです」。そんなわけでテレビは一切見ないという彼だが、情報の発信元(フォローする人)を選べるSNSは使っているし、インターネットも時にチェックする。だが、それでは狭い視野でしか物事をとらえられなくなってしまわないだろうか。しかし彼の場合は違った。スペースを似たような価値観の人ばかりの“共感コミュニティ”にしないことを念頭に置いていたからだ。

自分と似たような系統の人ばかり集まっていたら、イエスマンだらけですから。多様な人たち、こいつとは考え方合わないなってやつを積極的に呼んでました。自分はそれこそ行動が基本的に論理に基づいてないんですよ、だからもう超理屈的な当時映画評論をやっている人とか文章寄稿をずっとやり続けてきた人とかを呼んで下手くそなコミュニケーションを交わして、お互いを理解していったみたいな。

そんな場の運営も、彼が20歳のときに終了。だが、そのとき持っていた建設的な考え方は現在のギャラリー運営にも通ずるようだ。

(*1)ギャラリーを持ち、価値を定めた作品の展示と販売を行う職

「公共性のあるスペース」のない東京

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現在のTAVは、多様な話ができる、そして聞ける場という意味合いで公共性のあるスペースだ。佐藤氏はそこでどんなに議論が起きようとも暴力がない限り許容し、居合わせた人に「普段話すことのない多種多様な人たちが展覧会などの場所を媒介に、こういった議論やお互いを知るきっかけを作っている」と、説明したこともあった。

話すことはめっちゃ重要だと思いますよ。だって今、考えていることを話せないですから。言いたいこととか議論したいことって、何一つとして共有する先がないと思いませんか。インターネットとかだと、そういうのって一方的に批判するネトウヨになっちゃいますし。僕はああいった怒りの伝播って、建設的ではないので、不健全だと思っています。

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都市が公共性をなくしている、たとえば道の通りかたみたいなルールは「歩く」か「止まる」の二通りしかないし。今新しい条例でさ「みだりにうろつかない」みたいなことが規制対象に定められて。それじゃ散歩で捕まりますから。

壁を白く塗っただけのギャラリーが多い

東京には「公共性のあるスペース」の少なさ以外にも、作家が自分や作品を売り込んでいくコマーシャルギャラリー*2の数が作家の数と比べて圧倒的に少なく、また多くのギャラリー自体が日本のライフスタイルにあっていないという問題があるという。

美大生は毎年たくさん生まれてきますが、彼らがプロになって作品を売り出していきたいって言っても、手段がないわけですよ。バンドマンにはライブハウスがあって、DJにもクラブとかがあるわけじゃないですか、今現代美術家って呼ばれる人たちには、その宣伝媒体が圧倒的に少ないんですよ。だからレンタルギャラリーはまだ消えないんです。レンタルギャラリーは楽ですしね、ただ物件を借りて壁を白く塗ればいいですからね。

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さらに彼は日本のギャラリーについてこう言い放った。

ギャラリーって行きにくいですよね、いつやっているかわからないし、日曜はやってないし、19時までしか開いてないし、誰が行けんだよみたいな。全部アメリカの真似ですよね。みんなアメリカ人になりたい、それがいやなんですよね。アメリカをばかにするわけではないんですけど、安易に真似するなってことです。我々は我々のやり方を作って、それを自信を持ってやるべきなんです。

彼を怒らせているのは、それだけではなかった。それは力をかけて作家を育てても、彼らが日本から出て行ってしまうことが少なからずあり、ギャラリストそして作家の苦労や成果が日本社会に還元されないということ。その背景について考えてみたい。

(*2)作家と契約して作品を展示・販売するギャラリー。一方、レンタルギャラリー(スペース)は作家がレンタル料を払って場所を借りる仕組みとなっている

外国を盲目的に“信仰”する日本人の傾向

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日本人って、誰もが知っている外国の著名人が購入するアーティストの作品は「あ、投機性があるんだ」ってみんなこぞってその作品を買うようになったりします。

背景にあるのは、盲目的な外国に対する“信仰心”とも呼べるものではないだろうか。日本に外国のもの、それも西洋に対する憧れがないといったら嘘になる。その憧れゆえに、盲目的にたとえばアメリカの人が選んでいるからいいと考えてしまう人が存在するのだ。そのような考え方があるから「いくらお金も選択肢もないアーティストを志す若者でも、成功してお金を手にしたら外国へ“移民”してしまう」と佐藤氏が嘆くような事態にもつながっているのかもしれない。

その「移民化」を食い止めることは、実際のところ簡単でないが、還元先を日本にしてくれる・日本の特異性のある表現を続けていきたい人を仲間に、現代日本の様相を反映したシーンを作っていくことで、TAVを過去の時代の美術史に引けを取らない「2010年代の日本のリアルタイム美術史」をアーカイブできるようなギャラリーにしていきたいというのが彼の思いだ。

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アーティストとしての活躍の場を探して国外に出て行ってしまう人たちや、日本から出て行く選択肢のないアーティストたちのことを考えたときに、国内でのアート需要を拡大することは重要となる。そのためにも佐藤氏はギャラリーを運営し、同時に減りゆく人々の対話の場を生み出している。

そして、「外国に何かを求めて移住する、そこで働く選択をしたっていいが、それはある視点から見たら、生まれ育った日本社会を見捨て『自分がよければいい』という無責任な行動に出ているようにも映る」というの佐藤氏の見方だ。誰もが活躍しやすいように、あるいは生きやすくなるように日本社会をどうしていけばいいのかに目を向ける人がいなければ、日本はどうなるだろうか。それを考える人なしには、日本は進歩するどころか、廃れた国になってしまうおそれがあるということではないだろうか。

Eisuke Sato(佐藤栄祐)

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TAV GALLERY

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TAV GALLERYは、東京・阿佐ヶ谷にある現代美術ギャラリーであり、2014年の開廊以来、未開の表現と、それを生み出す人々のプラットフォームを使命に掲げ、日々生まれる新たな潮流の兆しを積極的に取り上げています。

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Photography: Taro Inami

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※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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