日本とLAの2拠点で活躍するシンガーソングライター・Kona Roseが語るセルフラブの力

2023.11.21

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「自分が生きている時間を使って、どうやったら他人を大切にできるか、良いインパクトを与えられるかを常に考えています。それは、自分の良いところだと自信を持って言えます」

1998年生まれ、NY出身のアーティスト、Kona Roseは笑いながらそう語る。その言葉もさることながら、楽曲や立ち振る舞いからも「前向きで、周りにいる人をエンパワーメントできる自信に満ち溢れた女性」といった印象を受ける。

しかし、初めからそうだったわけではない。Konaはカリブ・アフリカにルーツを持つ父と、日本にルーツを持つ母の間に生まれた。過去を振り返ると、人種や容姿などに関するさまざまな既成概念にとらわれ、いつも自分を大切にできていたわけではないという。そんなKonaがどのように自分を愛せるようになったのか、そしてそのメッセージをどのように音楽に込めて伝えているのか、話を聞いた。

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本当の自分を否定してまで「なりたい自分」を目指すことには疲れた

 1歳の頃に父を亡くし、母と共にNY、パリ、LAと土地を変えながら生活してきたKonaは4歳の頃から、東京で生活することになった。「私にブラックのカルチャーを教えるのは無理だけど、日本のカルチャーなら教えられる」そう考えた母に連れられて、日本人の家族と10年ほど生活を共にした。しかしKonaはいつも「自分だけ少し違う」ことをコンプレックスに感じていたという。

「家の中で、私だけピュアな日本人じゃなかったので、どこか自分だけ違うなと幼い頃から感じていました。ジョークだったのですが、家族からは『こげちゃん』と呼ばれたり、学校では『コゲパン』なんてニックネームで呼ばれることもありました。当時はそこまで気にしていなかったけれど、今振り返ると、最悪じゃんと思います。

家から出たとしても、幼稚園にも小学校にもブラックの子はいなくて、私が唯一のブラックとのミックスの女の子。髪の毛も肌も体型も、全部周りと違うことがすごく気になっていました。日本の『美しい』や『可愛い』に近づけるために、髪の毛は8年間ストレートパーマをかけていたし、肌の色もお尻の大きさも変わればいいのにと思っていました」

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 東京で暮らし始めて7年ほどたった頃、Konaは「アメリカに帰りたい」「日本を出たい」と母に言うようになった。

「日本にいた最後の3年間くらいは、アメリカに帰りたいと思っていました。そのときにはもう気づいていたんですよね。日本にいて頭の中に浮かぶ『なりたい自分』は、自分が生まれ持ったものを否定するような像ばかりだということに。自分を受け入れずに周りの目を気にして、夏の間も太ももを隠すためにロングジーンズを履く自分に疲れたんです。どう頑張ったって、本当の自分じゃないように感じて、逃げたくなっていました」

日本では1種類だった「美しい」が、LAでは何種類もあった

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 中学校を卒業し15歳を迎える年、Konaは再びアメリカに戻ることになった。母と共に、父の実家があるLAに移住した。約10年振りにLAでの生活に戻ったKonaはさまざまな衝撃を受けていた。

「アメリカに行ったらきっと100%満ち足りた自分を見つけられると思っていたんです。だけど、実際に行ってみるとそうでもなくて。言葉は分かってもトレンドやカルチャーには追いつけなかったんですよね。日本にいたときは日本人として見られなかった自分が、アメリカに行ったらアメリカ人として見られない。どっちにいても自分はどこか欠けているんだなと悩まされました」

 しかし、LAで生活していくうちにKonaはある気づきを得た。多様なバックグラウンドを持つ人たちとの出会いが、欠けたままの自分を受け入れるきっかけを作ってくれたという。

「LAは私のようにミックスの人も多いし、『そもそもアメリカ人って何?』と考えさせられるようなインターナショナルな街です。いろいろなバックグラウンドの人と出会うことで、今までどこか欠けているように感じていた自分こそが、100%の自分なんだと感じられるようになりました。

それに、今まで自分が信じてきた美しさやすてきさの概念も変わりました。日本では1種類しかなかった「美しい」って本当はこんなにたくさんの種類があったのかと気づいたんです。みんな違うけれど、みんなすてきということを本当に感じられるようになりました。それをきっかけに、自分を見つめ直すようになったし、自分に自信を持てるようになりました」

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 LAに渡ったのとほぼ同時期に、Konaにはもう一つ大きな変化があった。音楽活動を始めたのだ。幼い頃からずっと音楽を仕事にするのが夢だったというKonaは、シンガーとしてステージに立ち始めた。

「私は、3歳くらいからずっと音楽がやりたいと言っていました。ロックスターになるとか、ビヨンセになるとかずっと言っていたので、周りの人はみんな知っていました。

それで、LAに引っ越してからは学校のフットボールの試合時に代表として国歌斉唱をしたり、日本でもブルース・アレイ・ジャパンというライブハウスの企画に呼んでいただいてパフォーマンスをするようになりました」

自分には音楽よりも気持ちを伝えられるものはない

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 LAで高校を卒業した後、いくつかの大学で音楽を学ぶショートプログラムにも参加した。思春期を日本で過ごし、苦しい経験をしてきたなかでも、音楽への情熱は冷めなかったという。何がKonaを突き動かしてきたのか尋ねると、次のように返ってきた。 

「自分には他には何もないと感じていたからかな。演技や写真など表現のツールはいろいろあるけれど、私にはやっぱり音楽と自分の声が1番深く思いを届けられるツールだなと常に感じています。

他のツールを使ったときに『なんか物足りない』『まだ伝えられる』と感じることが多くて。自分の思いを始めから終わりまで伝えようと思ったら音楽になるんです」

 Konaにとって、音楽は言語のようなものなのだ。だからこそ、自身が音楽に乗せて発するメッセージにもこだわる。自分の思いを伝えるために、15歳の頃から自分で作詞をするようになったという。

「詩を書くようになったきっかけは、LAに行く直前に日本の高校で参加した詩の企画です。書いたばかりの頃は考えてもいなかったけれど、ライブをするようになって、自分が書いた詩を思い出しました。当時、ライブをしていても本当の自分の感情ではないものを歌っている自分に違和感があって、それなら自分の感情を書いた詩をメロディーに乗せればいいんだと思うようになりました」

 Konaは、英語と日本語を自由自在に行き来しながら、歌詞に今思っていることを素直に乗せて伝えようとしている。たとえば、2023年8月にリリースされた「Like Whaaaaaat」はこんな気持ちが込められた曲だ。

「細かいことは気にしないで、とにかく解放!縛られている概念や考え方を投げ捨てて、楽しくいこうというメッセージを込めました。特に日本で暮らす女性は、体型はこれが綺麗とか洋服はこれでなきゃいけないって強く感じていると思います。私も、日本に帰ってきたとき、LAで着ていたピチピチの派手な洋服は着れないって一瞬思ってしまったんですよね。でも、そういうのを全部取り払いたい。

1度自信満々な自分になれたとしても、社会のなかで生きていると本当に自分を守るためには常に戦い続けないといけない。だから、そうやって戦っている人の力になるような曲を作りたいなと思って作りました」

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自分を信じることの大切さを今の私なら歌える

 そして、12月12日にもEP「Matsuri」がリリースされた。Konaがこれまでの経験を通して感じる、自分を信じることの大切さが歌われている。

「自分を信じる力を祝うための曲です。自分を信じることやセルフラブは、ずっとやりたかったテーマです。でも、私自身も前は自分を否定していたからこのテーマを扱うことを恐れていました。今なら、そのときに比べたら成長して、セルフラブの器が大きくなったので、できるかなと思いました。

サウンドは、エネルギッシュで動きの多い東京をイメージしています。3年前くらいから作り始めた曲なのですが、歌詞は英語と日本語を混ぜたいと最初から思っていました。ミックスであるという私のアイデンティティも表したプロジェクトです」

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 現在Konaは、再び東京に拠点を移し、LAと日本を行き来しながら活動中だ。CMやライブなど活動の場を広げている。最後に今後の目標を聞いてみるとこんな答えが返ってきた。

「お仕事だけに限って言うと、アルバムを作りたいです。あとは、自分のライブツアーを企画してやってみたいです。

仕事だけではなくて広い範囲で言うと、もっと人を愛せる人になりたい。頑張って自分を愛せるようになったら、人をもっと愛せるだろうと思っていたのですが、全くそんなことなくて……。愛にはいろいろな形があるし、いろいろな表現があるから、まだまだだなと思っています。

でも私がもっと愛を伝えられるようになれば、より多くの人が自分自身を愛せるようにもなるかもしれません。自分がハッピーでいれば、周りの人もきっと影響を受けるから。自分を信じられずにやりたいことができていない人たちにも、私の作品を通して自分を愛する手助けができたらうれしいなと思います」

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Kona Rose

Linktree / Instagram

シンガーソングライター。1998年、NYマンハッタン生まれ。4歳から日本で過ごした後、15歳の頃から作詞をはじめ、高校入学を機にLAに移住。その後、NY大学やロンドンの音楽学校で音楽について学び、日本とアメリカのライブハウスで経験を積む。現在は、東京とLAを拠点に活動。NIZIUやTWICEなどのアーティストへの楽曲提供にも携わる。

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