メディアや映画・ドラマ、あるいは広告のなかで自分と共通点をみつけられる人をどれだけ見かけるだろうか。生活のなかで何気なく触れるそういったイメージは、私たちの自分への眼差しーー“自分が思う自分のあるべき姿”に大きな影響を与えているのではないだろうか。褐色の肌・カールヘアの人に対するイメージを多様化するためにモデルとして活動している中山理名(なかやま りな)は、「レプリゼンテーション*1は想像力にまで影響するし、私たちが社会をどう解釈するかにも繋がっていると思う」と話す。
(*1)「表象」「代理」あるいは「再現」などと訳される「レプリゼンテーション(representation)」は、日々人間が経験を通じて生み出すイメージ全般を指す
褐色の肌・カールヘアの自分の“ソフトなイメージ”を発信していきたい
2019年に東京コレクションでデビューして以来、ファッションや下着のブランドなどのモデルとして活動している中山。モデルという立場からは世に出る自分のイメージをコントロールできない部分も多いが、できるだけ自分の“ソフトなイメージ”を意識的に見せていきたいと話す。それは小さい頃に自分が見たかった、褐色の肌・カールヘアの人のレプリゼンテーションを世の中に出していきたいからだと言う。
幼い頃にテレビや広告で見かけた自分のような褐色の肌・カールヘアの人のイメージは「スポーティー」なことが多かったため、本当はフェミニンでかわいいものが大好きだったのにそれを素直に言える雰囲気がなかったように感じていた、と彼女は話す。高校生になる頃には映画やメディアでよく描かれるステレオタイプの“黒人のリベラルで反抗的で強いイメージ”に影響を受け、服装やメイクを“強め”にしていたが、そんな自分にも本当は違和感を覚えていたと振り返る。そのうち、それは育ってきたなかで触れてきた“自分のような人”のイメージがあまりに限定的だったために“自分が思う自分のあるべき姿”も狭めてしまっていたためだと理解した彼女は、今多様なレプリゼンテーションの大切さを感じている。
「レプリゼンテーションは想像力にまで影響するし、私たちが社会をどう解釈するかにも繋がっていると思う」
“自分のような外見やストーリを持つ人”をメディア・映画・ドラマ・広告などの世の中に出ているもののなかにみつけることは、自分が社会の一員であると感じるために、そして自分を受け入れるために重要な役割を果たしているのではないだろうか。世の中にある特定の人のイメージやストーリーが偏ってしまうと、それを見た人の現実世界の解釈にも影響を及ぼす。そのイメージに共感している人の場合それは自分への眼差しに関わり、そうでない人にとってはそのイメージが帰属する人・ストーリーの印象を形成する要素となる。だからこそ今中山はメディアなどでよく描かれる反抗的で強いイメージの褐色の肌・カールヘアの人のイメージとは異なる、かわいいものや和むようなイメージが大好きな自分が違和感のないような、自分らしいビジュアルを表現することを意識しながらモデルとして活動している。
「日本のモデルの子たちってあんまり声を上げないけど、モデル側ももっと声を上げていいんじゃないかなって思ってる。そもそもモデルとして関わって作られたイメージって自分のものじゃなくてチームのもの。だからそれをそのままソーシャルメディアに投稿するのか、少しそれに対して何か言うのかだけでも人が受け取るイメージって全然変わると思っています」
分断のシンボルにはなりたくない
既存の褐色の肌・カールヘアの人の「スポーティー」や「反抗的で強い」イメージから影響を受けた実体験から、多様なレプリゼンテーションの大切さを考えたうえで彼女がモデルとして大切にしているのが、誰かを責めていると受け取られないような「共感」を生む印象を作ること。それは、彼女が“ソフトなイメージ”を意識している理由の一つでもある。肌の色を理由に差別の対象となりうる彼女は、モデル活動やSNSで一方的に発信するときは差別をする人たちやそういったことに無関心な人と闘うことを望んでいない。(実際に攻撃を受けることがあれば防御も必要になるのでそういう場合は言うまでもなく別問題である)
「特にコロナ禍ではそういった課題が浮き彫りになっているけど、日本にこんだけ格差が広がってて、これだけ貧困が広がっていて、何かあると自己責任を求められて…そんな環境のなかで排他主義に走ったり、無関心でいたり、意見を言うのを躊躇しちゃったりするのってしょうがないと思う部分もあって。本当に解決しなきゃいけないのは、新自由主義的*1な社会的構造だと思うの。可視化された福祉政策の充実と、困っている人の声に耳を傾ける文化があれば、一人一人のペースで共感が広がっていくと思う。だからこそネットで見るシニカルな態度ではなくまずは対話しようとする姿勢が今大切じゃないかな? あと見た目では “マイノリティ” として起用されることはあっても、私は2%の日本の富裕層ではない98%の層にいる。私自身が ”違い” ばかりに目を向けがちだからこそ、この事実は常に意識していたいと思ってる」
今日の日本では“多様性の重要性”が謳われ、褐色の肌・カールヘアの人を広告などで見かけることが増えたが、実際の日本社会を反映していない”西洋的な多様性の象徴として作られるイメージ” は「多様性を尊重するリベラル対そうでない人」の二極化に加担してしまっているのではないかと彼女は危機感を持っている。また、「私のようなルックスのモデルがトレンドとして消費される対象になるのではないか不安になることもある」と話し、2020年6月に日本を含め世界中に広がった黒人差別問題を訴えるBlack Lives Matterムーブメントではそれが顕著だったと振り返る。
「私たちみたいなハーフって生きているだけでそういう分断のシンボルのような存在になっちゃう。例えばBlack Lives Matterのときは、私みたいに声を上げられる子はいいけど、同じ日本にいる黒人の子で話しづらい環境にいる子だっていたはず。それなのに肌の色だけで声を上げることを期待されたりするのはつらかったと思うの。繰り返しになるけど、根本的解決を考えたら闘うべきなのは個人対個人ではなくて、相手は社会の構造なんだと思ってる。でも同時に、今すぐ私にできることは分断のシンボルとして見えてしまうかもしれない私が、誰かを責めることなくできるだけポジティブなイメージを発信していくことだと思ってる」
(*2)「小さな政府、市場の自由」を推進する考え方。均衡財政、福祉・公共サービスなどを縮小し、労働者保護廃止し、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策によって市場を活性化すべきだという主張。自己責任を基本とする。
人に共感することは自分と向き合うこと
自分とは対極にある思想に対しても問答無用の否定をしない姿勢は、父親との衝突のなかで育んだものだと彼女は付け加える。中山の父親はアフリカ・ガーナの出身で若い頃に来日し、そこで日本人である母親と出会い結婚をした。彼女はジェンダーに関する価値観で父親とよく衝突していたが、父親の過去を知ったときに見方が変わったと言う。
「今でこそガーナは経済的に発展してきたけれどパパが若い頃は貧困に苦しんでいた。男性は『男らしさ』を求められ、国外に出ていって稼ぐ必要があった。それがいいか悪いかは別としてその『男らしさ』がなかったらパパが日本に来ていなかったのは事実だし、そうしたら理名も生まれてなかった。それを知ったときに自分が信じるものは変わらなくてもパパの意見への見方は変わった。背景を理解することから始めてみようと思えたの」
そんな体験から「人に共感することは自分に向き合うこと」と考える彼女は、現在の活動のうえでもそれを忘れないようにしている。
日本での褐色の肌・カールヘアの人のイメージを広げるために“ソフトな自分のイメージ”を積極的に発信していこうとしている彼女は、SNSなどを利用して個人的な発信をしながら日本の伝統的な食や伝統工芸のイメージに関わることが近い目標だと話す。そしてその延長線上で、将来は海外で単一民族国家のイメージがある日本の印象も変えたいと話していた。モデルをするうえでいつも最初の壁となるのがキャスティングなので、いつかは自分のような人に機会を与えられるクリエイティブエージェンシーを作ることも視野に入れていると話す。
レプリゼンテーションの問題は、その程度は大きく異なるが全ての人に関わる問題ではないだろうか。人種・セクシュアリティ・ジェンダー・身体的障がいなどを理由にいわゆるマイノリティと呼ばれている人にとってはより切迫した問題であることは明白だが、例えば美の基準やファッション・メイクも限られたイメージしかなければ自身をマジョリティだと思う人がメディアや広告のなかに“自分のような外見やストーリを持つ人”を見る機会も少なくなる。人の数だけ個性があるなかで全ての人が自分をみつけられるイメージを世の中で見られるようにすることはおそらく不可能ではあるが、現状はあまりに画一的で限定的である。いろいろな人を日常のなかで少しでも多く目にすることができる状況が、そしてさまざまなストーリーが語られることが、必要とされている。
中山理名
神奈川県横浜市出身。日本の高校を卒業後、渡英しロンドン大学ゴールドスミス校にて人類学・社会学・ビジュアルプラクティスを学ぶ。都内のギャラリーでアシスタントをしながら、世界や日本で褐色カールヘアーモデルのレプリゼンテーション(イメージ)のあり方を広げるためにモデル活動中。▷Instagram