「音楽フェス」を通して、自国のカルチャーを形作っていく。そんな野心を心のなかにたぎらせる、一人のクリエイティブがシンガポールにいる。2023年2月に4年ぶり2度目の開催を果たした“女性が主役”の音楽フェス「The Alex Blake Charlie Sessions」の主催者・Marcia Tan(マーシャ・タン)だ。
2023年2月21日(火)〜25日(土)の5日間にかけてシンガポールで開催された同フェスは、インダストリアルな雰囲気が漂う電力所が舞台。ラインアップは、Soccer Mommyをヘッドライナーに、初のアジアでのパフォーマンスとなったDeb NeverやLuna Li、現地で人気を博すバンドComing Up Roses、そして日本からは青葉市子などが参加した。音楽にとどまらず、会場にはギャラリーやブックストアのスペースが設けられ、アップカミングなシンガポールのカルチャーを感じられる空間となっていた。
今回このフェスに参加したNEUT編集部は、現地でマーシャへの取材を決行。「女性が主役の音楽フェス」の意義や、音楽業界における男女不平等の現状についてなどが中心になると思っていた話は、若い国としてカルチャーを確立することの大切さや、それにおけるメディアの役割にまで発展していった。
Why Not?
シンガポールで生まれ育ったマーシャのキャリアを振り返ると、クリエイティブ業界に長いこと身を置いてきたことが分かる。ファッション業界から音楽レーベルへと移り、その後フリーランスとして独立。気が付いたらフェスの運営が仕事になっていたという。そのなかでもオーストラリアで人気の音楽フェス「Laneway Festival」を2017年にシンガポールで開催することに携わったのが、The Alex Blake Charlie Sessions(以下、ABC)が生まれるきっかけとなった。
当時Laneway Festivalに出演したBanksやCourtney Barnett、そしてSt. VincentやFKA twigsなどといった女性アーティストたちが素晴らしい演奏で会場を盛り上げる姿を見て、マーシャは「女性だけでもいける」と確信したそうだ。しかしそのアイデアを周りに伝えると、初めは賛同の声だけではなかった。
「『女性が主役のフェスじゃ、男はチケット買わないよ』って自分のチームのデジタルマーケターの男性に言われたんです。だから私は彼の目を見て言いました。『もしそうなのだとしたら、なおさらこのフェスをやる意味がある。フェスに行きたいからフェスに行くのであって、新しい音楽を見つけたいからフェスに行くのであって、それがたまたま女性が主役だったら行かないっておかしいでしょ』って。彼は差別的な意味で言ったわけではなくて、マーケターとして意見をくれたんだと思います。でもそれが逆に私の意思を固めてくれました。若くてモダンなシンガポールという国の人々がそんな心が狭いとは思えなかったんです。きっとまだ慣れてないだけだと思うんです」
マーシャの話で少し意外だったのは、「女性アーティストだけではチケットは売れない」という男性マーケターの意見に、彼女が率直に驚いていたことだ。これまでも彼女が身を置いてきた音楽業界で男性の割合が多いことは、日本を含めもはやどこの国でも同じと言っても過言ではないだろう。そのため「女性が主役の音楽フェスが開催される」と聞いたとき、自然とそんな不均等な男女の割合から生まれる不平等に対しての主催者の思いもあるのかと勝手に想像していたが、マーシャの場合そういうわけではないそうだ。なぜなら、彼女自身はいつも女性のチームのなかで働いてきたから。
「私たちのチームでは女性がとても強いんです。女性が一番うるさいんです。そして男性スタッフはサポートの役割として最高の仕事をしてくれている。それが自然で、特別なことじゃないチームのなかで働いてきました」
「女性やクィアの人がもっと輝けるフェスを作りたい」そういったモチベーションももちろんあったそうだが、マーシャにとっては何よりも単純に「Why Not?」という直感的なものが大きかったように見える。彼女には女性が主役のラインナップで「最高のフェスを作れる」という確信があったからこそ、クリエイティブな挑戦としての意味合いが大きかった。
若い国でカルチャーを形作る
「女性が主役の音楽フェス」というアジアでは珍しい試みもこのフェスの挑戦の一つだったが、「シンガポール発の世界へ通用するフェスづくり」が大きな課題だったとマーシャは振り返る。
「シンガポールでは『フェスは海外から来たもの』っていうイメージがあるんです。シンガポール発のいいフェスがあるって言っても誰も信じない。ABCだって海外発のフェスだって思った人も多いと思います。それは私たちシンガポール人の課題だと思うんです。みんなシンガポール人としては自信があるけど、シンガポールで生まれたプロダクトに自信が持てるかって聞かれたら分からないのが現状だと思うんです。いいものは全て輸入って思い込んでいるのは残念。これには時間がかかると思うけど、変わらなきゃいけないこと」
シンガポールは比較的若い国だ。1965年8月9日、マレーシアから独立してシンガポールという国が誕生した。人口の7割以上を中華系が占め、次いでマレー系、インド系が主要な民族構成で、公用語として、英語、中国(北京)語、マレー語、タミル語の4つがある「多民族国家」として、国のアイデンティティを形成してきた。歴史を遡れば1942年から1945年まで大日本帝国による統治の時期もあり、シンガポールの独立がそう遠くない昔であることに対して日本は他人事ではいられない。
そんな歴史もあってか、マーシャいわく、シンガポール独自のカルチャーはまだ成長途中だと言う。
「シンガポールは1965年に独立したから、若い国です。自国のカルチャーを確立する前に他の文化に影響を受けるのは自然なことだと思います。でも自身のカルチャーも育てていかなきゃいけない。例えばサマーソニックやフジロックなど海外のフェスをシンガポールで開催するだけじゃだめだと思うんです。両方とも日本で開催するからいいわけであって、シンガポールで同じことやるなら日本に旅行して見た方がいいと私は思います。だってそこに根付くカルチャーから生まれてきたものなんだから。私たちも自分たちの独自のカルチャーを築いていかないといけません」
実際に今回の開催にあたり、シンガポールのメディアの集客に苦労したとマーシャは話していた。「女性が主役」というのもあるかもしれないし、シンガポール発のフェスだったからかもしれない。いずれにせよそういった新しいものに消極的な傾向のメディアに彼女は危機感を持っている。カルチャーを築いていくうえでメディアは重要な役割を持つからだ。
「カルチャーを形作っていける人がメディアには必要です。冒険することを恐れない人たちがいなければいけません。ハリー・スタイルズに何ページもさけば雑誌は売れるかもしれない。でも自国でクリエイティブな人たちがどんなことをしているのかメディアがもっと興味を持つべきです」
母を亡くして
ABCが初めて開催されたのは4年前の2019年。定期的に開催する予定だったものもパンデミックにより断念せざるを得ず、満を持して2度目となる今年の開催となった。そんな今回のフェスに対して、マーシャには特別な思いがあった。彼女にとって何よりも大切な存在だった母親を昨年亡くしたからだ。
「昨年母を亡くし、今回初めて母がいない状況でのフェスティバル開催となったので私にとっては特別な思いがありました。母親を失くすということは想像を絶する悲しみです。失って初めて、私たちの人生における女性の存在の大きさに気付くんです。私の母はLGBTQコミュニティにもオープンな人でした。近所のトランスジェンダーの女性に初めてブラを買ってあげたのも私の母でした。ABCを実現するにあたってそんな母に影響を受けている部分は少なからずあります」
今回話を聞いてみて、マーシャが音楽を愛する一個人として、本気でシンガポールのカルチャーシーンに新しい波を起こそうとしていることが感じ取れた。マーシャの場合はフェスの開催が一つの手段だが、同じようにインディペンデントに活動する人がシンガポールにどんどん増えてほしい、と話していた。
「みんながミシュランレストランに行きたいわけじゃないし、高いコンサートのチケットを払えるわけじゃない。まだまだ私たちは若い国だけど、いつか違いを楽しみ、新しいことがどんどん生まれるような国にしたいし、そうなるのが楽しみです」
「女性」というテーマにとどまらず、「国のカルチャーの形成」という大きなトピックまで話が発展していった今回のインタビュー。それにおけるメディアの役割にも触れられ、日本の一メディアとして身の引き締まる思いがあった。ABCはまた6月に開催を予定しているそうだ。今回のマーシャの話を聞いて少しでも興味が出た方はぜひ旅行も兼ねて行ってみてほしい。一つのカルチャーが形成されていく瞬間を目撃できるかもしれない。
The Alex Blake Charlie Sessions
「女性アーティストは今日最高の音楽を生み出している」という信念のもと、女性アーティストが主役の音楽&カルチャーフェスティバル「The Alex Blake Charlie Sessions」。初開催の2019年から、4年ぶりに2023年2月21日(火)から25日(土)までの5日間に、シンガポールのPasir Panjang Power Stationで開催された。今年2度目となる開催が6月に予定されている。