暗闇の中に佇む、吸い込まれるような黒い瞳、表情を感じさせないなめらかに透き通る肌。一見するとどこか人間離れして見える美しさを讃えながら、緻密に描かれたその表情に、秘められた引力を感じさせる。そんな、一目見たら忘れられない画風で、出版業界から音楽業界、ファッション業界に至るまで多様な分野から注目を集めている、アーティスト・雪下まゆ。
2020年には自身のファッションブランド「Esth.(エスター)」を立ち上げ、現在はアーティスト兼ファッションデザイナーとして活躍する彼女が今、制作活動の傍らで感じていること、考えたいことを綴る連載を2022年9月からNEUT Magazineでスタートする。
連載#000となる今記事では、絵を描くことや洋服をつくること、そして本連載を始めることになった経緯について話を伺った。
自然と仕事になったアートやデザイン
―雪下さんはアーティストでありデザイナーとして活躍されていますが、その原点、作家活動を始めた経緯、絵を描くようになったきっかけについて教えてください。
物心ついた頃から気がついたら絵を描いていて、自然と仕事になって今に至るという感じです。絵にしたいなと思った瞬間があったら、例えば友達と遊んでいる風景を撮影して、それをもとに絵にすることもあります。アイデアが浮かんだり、今描きたいと思ったりしたものを感覚的にすぐ描きたいので、描く環境はそこまで重要ではなくて、キャンバスと道具さえあればOK。Adobeの「Fresco」を使ってi-Padで絵を描くことも多いですが、テーマを決めてしっかり描くぞというときは油彩を使います。水彩と油絵と並列にデジタルでの表現があるので、思い浮かんだところからどれだけのスピード感で形にしたいかによって、表現方法を選んでいます。
―確かに雪下さんの絵画には湿度や空気感、リアリティがあるのに、精緻な描き込みがされているわけではないですよね。絵を描くうえではどんなことを大事にされているのでしょうか?
最初は淡い色合いで今とは異なる絵画表現をしていたのですが、フィルム写真を撮るようになってから、生っぽい描き方をしたら面白いかもしれないと、表現手法も変化していきました。例えば女の子がこちらを見ているような絵だったら、もう一人の誰かがこちらにいるというような人と人の間に流れる空気や体温、そこに生じる湿度の生々しさを意識して描いています。もともと絵よりも映画や音楽、視覚的なもの以外から受けている影響も大きいかもしれません。映画であれば『エスター』、音楽だと今一番好きなのはラップ・レイヴグループの「ダイアントワード」。小さいときから描くこと自体は好きなので、意識していないと描き込み過ぎてしまうのですが、あるようでない「違和感」を感じられるような表現をしたい。写実的になり過ぎないように、意図的に手を加え過ぎないようにしています。
―絵の中では、こちらを見ている強い視線も特徴的ですよね。絵の中の人と目が合ってしまう感じがある。見ているのはこちら(鑑賞する側)なのに、見られているという感覚になってしまうのが面白いなと思いました。
モード学園の広告を手掛けたときに目だけ動かすTV-CMを展開しました。女の子が2人座っている絵で、目だけ動くんです。Instagramのフィードで流れてきて絵だと思っていたら目だけ動いたら面白いなと思って作りました。そのあたりから「視線の違和感」を意識するようになりました。絵を見る人にとっては、自分が何を思っているのかという感情が絵を見るときの解釈に影響してくるのかなと思います。自分をモデルにすることもあるのですが、自分ではない人をモデルに、全然異なる人を描いているのに、私っぽいと言われることがある。気が付かぬうちに自分らしさが残るのかもしれません。人が何を考えているのか、感じているのかグルグル考え過ぎてしまうときがあって、自分自身のそうした感情が絵にも現れるのかもしれないですね。
SNSなどで求められている「美しい」とされているものを描きたくない
―絵画は現実にないものを描くことができるぶん、いかようにも自分のなかの理想郷を描くこともできると思います。雪下さんの絵画には独特の美意識を感じるのですが、どのようなものに美しさを感じるのでしょう?
いわゆるメディアで提示されるような「美しさ」がとても嫌いなんです。SNSなどで求められている「美しい」とされているものを描きたくない。もともと自分自身、容姿に悩んでいた時期がありました。「可愛いじゃん」と言われても、「私ブスだよ」という友人も周りに多い。でも、あるときになんでそう思うようになってしまったのだろうと疑問に思って。振り返ってみると「美しさ」は小さい頃から刷り込まれていたり、無意識のうちに思い込まされていたりするのかもしれないと気がついたんです。自分の絵を見てくれている人には若い人たちも多いので、そうした刷り込みに流されないでほしいという思いもありますね。
―メディアによって提示されている「美しさ」に流されないという点は、ご自身のファッションブランド「Esth.」にも通じているように感じます。絵を描くこと、洋服をデザインすることはどのような違いがあるのでしょうか?
絵を描くとき、描くモチーフは具体的なものが多いのですが、絵画自体は自分のなかにある混沌としたイメージを曖昧なものとして表現するようにしています。曖昧なものだからこそ、見てくれる人それぞれが内面を反映させて共感してもらえるのかなと。洋服は、はじめコンセプトを決めて形にしていくのですが、スタイリストの方、カメラマンの方、ヘアメイクさんなどさまざまな視点から、コンセプトという脚本をもとに物語をつくり上げていく、映画をつくるような感覚があります。着る人の周りにもどんな物語が作られていくのか。良い意味で自分の想像とは異なる形になっていくのが面白いですね。
視覚的作品を手がけた彼女が、「言葉」を用いた連載をはじめる理由
―抽象度を残したままに「絵画」や「洋服」で表現をされてきた雪下さんが、ある意味では明確な輪郭を持つような「言葉」を用いて、連載を書かれることにした理由も気になります。
先ほどの美意識についてなど、日頃からおかしいなと思ったり考えていることがあるとき、具体的な事象は絵や洋服では表現しきれないなと感じていて。大きなきっかけとしては以前、自分自身行き詰まったことがあり、「辛いことがあったらTwitterでDMを送ってください」と投稿したんです。そしたらものすごい数の長文のDMがきて。自分の絵を見てくれているファンの方も、それぞれに本当にいろいろな事情があって悩んでいるのだなと知り、何かできることがあるのではと思うようになりました。自分自身も本を読んで、先駆者が考えていたことや悩んできたことを知って救われてきたので、今回始める連載でもテーマに合わせて書き下ろしの作品と共に本を紹介していきながら、考えていることも含めて知ってもらえたら嬉しいなと思っています。自分自身も全ての分野においては初心者ですので、一から勉強していく姿勢で連載を続けたいです。
―具体的に、これからの連載でふれていきたいと思うことがあれば教えてください。
最近読んでいるのが、武田砂鉄さんの『マチズモを削り取れ』(2021年、集英社)。路上や電車、学校やオフィスなど、日本の公共空間にはびこる「マチズモ(男性優位主義)」について書かれている本なのですが、日々生活していると、気がついていないうちに特権化されていることって意外と多いのかもしれないなと考えさせられました。それと同時に、私自身も何らかの特権階級にあることを自覚し続け学ぶ必要があると日々気付かされます。他には、『バレット博士の脳科学教室 7½章』(2021年、リサ・フェルドマン・バレット )を読んでいます。これを連載第一回で取り上げる予定です。
今回NEUTで始める連載では、自分自身が悩んでいる事柄や、社会に対する疑問などに関連した幅広い分野に触れていきたいと思っています。そのなかには、脳科学・哲学・メンタルヘルス・ジェンダー・社会学など、いろいろとあります。
昔から集団に馴染めず、なぜ生まれてきたのか・宇宙とは何か・死についてなどを毎日考え続けているような子どもでした。生きるなかでこの悩みの理由は一つではなく、さまざまな要素から形成されているものだと気づきました。脳の仕組みを知れば、社会のシステムを知れば、哲学者の言葉に支えられれば…自ずと生きやすくなる。それと同時に無知故に人を傷つけるリスクも減るのではないかと思っています。DMを送ってくれたような悩みを持つ人たちの解決に繋がる一冊になったり、私自身にとっても読んで下さる人たちと一緒に学んで行く大切なきっかけになればいいなと思っています。
ブランド名のルーツにもなっているホラー映画『エスター』が好きで、たくさんのコンプレックスを抱えて歪んでしまった、悪役として恐れられる主人公・エスターを「愛しい人だと思う」と話してくれた彼女。一見すると社会のなかでは「悪」といわれてしまう物事も、マイナスな感情や心のなかにあるトラウマ、コンプレックスに感じていることすらも、内に封じるのではなく、フラットな視点で向き合い、愛を持って受けいれる姿勢は、彼女のイラストやファッション、さまざまな表現活動にも共通しているのかもしれない。連載ではそんな彼女の作品と共に、身の回りにある疑問や些細な悩みと向き合いながら、共に考えていく。
雪下さんからのメッセージ
来月公開予定の連載#001では、本記事でも話題に上がった『バレット博士の脳科学教室 7½章』について考える予定です。皆さんもよければ今月読んでみてね。
バレット博士の脳科学教室 7½章
リサ・フェルドマン・バレット (著)
革新的な情動理論で脚光を浴びた『情動はこうしてつくられる』著者の第2弾
《あなた自身と社会を変える 新時代の脳科学入門》
これまでの脳の見かたを払拭し、〈身体予算〉という比喩で脳と身体の機能を解説しながら、脳の〈予測〉や、脳と社会の相互作用など、科学の最新トピックを精選して歯切れよく語る。
【目次】
Lesson½ 脳は考えるためにあるのではない
Lesson 1 あなたの脳は(3つではなく)ひとつだ
Lesson 2 脳はネットワークである
Lesson 3 小さな脳は外界にあわせて配線する
Lesson 4 脳は(ほぼ)すべての行動を予測する
Lesson 5 あなたの脳はひそかに他人の脳と協調する
Lesson 6 脳が生む心の種類はひとつではない
Lesson 7 脳は現実を生み出す
【著者】リサ・フェルドマン・バレット (Lisa Feldman Barrett, Ph.D)<.br>米・ノースイースタン大学心理学部特別教授、ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院研究員。ハーバード大学の法・脳・行動研究センターでCSO(最高科学責任者)を務める。心理学と神経科学の両面から情動を研究し、その革新的な成果は、米国議会やFBI、米国立がん研究所などでも活用されている。世界で最も引用された科学者の上位1 パーセントに入る研究者。2007 年に米国立衛生研究所の所長パイオニア・アワード、2018 年に米国芸術科学アカデミー選出、2019 年に神経科学部門のグッゲンハイム・フェロー、2021 年には米国心理学会から顕著な科学的貢献に対する賞を与えられるなど、受賞歴多数。邦訳された著書に『情動はこうしてつくられる』(紀伊國屋書店)がある。(amazon.co.jpより)
雪下まゆ個展「I wanna talk about my mind./」
雪下まゆの2年ぶりとなる個展「I wanna talk about my mind」がSO1で開催。
今回の個展では、現社会における「閉鎖感」と雪下本人の学生時代における「閉鎖感」の重なりによって生まれた新作「I wanna talk about my mind」シリーズ9点のほか、雪下まゆが2020年から立ち上げたファッションブランド「Esth.」との限定カプセルコレクションが発表される。
展示名:I wanna talk about my mind
開催期間:2022年8月19日(金)〜8月24日(水)
開催時間:13:00〜20:00 (最終日のみ18:00close)
開催場所:SO1(エスオーワン)
住所:東京都渋谷区神宮前6丁目14−15