「嫌いは嫌いのままでいい」。23歳の彼女がヌード写真を撮られて気づいた“劣等感との向き合い方”

Text: Foo Shoji

PHOTOGRAPHY: RYOGO SUGUNO

2018.3.1

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きっと、誰にでもある自分の「嫌いなところ」。今日だってどこかに、誰にも会いたくなくて、鏡を見るのも嫌な朝を迎えた人がいるはず。

でも、自分の嫌いなところだって自分が思っているほど悪くない。隠したり、変えたりして、無理に好きにならなくてもいい。自分は嫌いでも、そんな自分を好きな誰かがいる。嫌いは嫌いのままでも、大切にすることはできる。

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今回Be inspired!では、「脱ぐ」ことで嫌いなところはそのままでも、自分を大切にする方法を見つけることができたという女子大生 目黒(めぐろ)に話を聞いてみた。彼女は友達の一言がきっかけでセミヌード写真のモデルを始めた。今では、自らのインスタグラムでもセミヌード写真を発信している。

自分のことが愛せない。だから脱いだ。

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Photo by 相澤義和

写真の中で下着姿に似合わない無邪気な笑顔を見せる彼女は、自分のことが愛せないと言った。

自分のことが嫌いです。見た目も、思考回路も、話し方も全部嫌で、オードリー・ヘップバーンになりたいと思っていたんで(笑)小学校のときに、はっきりした性格や見た目のことで男の子たちから「ブス」っていじめられていたので、地元の中学ではなく男子のいない中高一貫の女子校に入学しました。そうすれば、問題は解決されるかと思ったら全くそんなことなくて、お嬢様学校に入ったから制服を着てるだけで他校の男子からの視線を浴びることになって、余計に耐えられなくなり、一時期外に出ることも鏡を見ることも苦痛になりました。そういった経験がベースにあるから自分のことが嫌いになり、ネガティブな性格になりました。

外見にも内面にも自信があるわけではないからこそ、彼女は「脱いでみないか」と誘われたとき、引き受けることを選んだ。

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Photography: 相澤義和

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Photography: 相澤義和

きっかけは、写真部の友達から写真展の作品のモデルをやって欲しいと声をかけられたことでした。脱いでみないかと誘ってくれた写真部の友達に、コンプレックスだった“幸が薄そうなところ”や“蛇顔”がとてもいいと言われて、そのとき大失恋で傷心中だったこともあって引き受けることにしました。相手に大切にしてもらえなかったことで自分のなかの劣等感が大きくなっていて、「死にたい!」と思うほど落ち込んでいて、脱いだことによって自分が大きく変わることができるのではないかと思いました。だから脱ぐ前は自分の劣等感とかコンプレックスを打破したい一心でした。

嫌いは嫌いなまま、コンプレックスを大事にしていきたい。

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自分を好きになるために、コンプレックスをなくすために脱いだ目黒だったが、彼女は嫌いな自分との新しい向き合い方を見つけた。

脱いだ後、自分の弱さや嫌いな部分を否定し続けるのはやめようと思いました。それと同時に、今まで自分が嫌いだと思っていたところを肯定してもらえた気がしました。写真を撮られることが嫌いだったのに、脱いだら服を着ていたらわからないようなところを、まわりの人にほめられたりしたことで、顔だけではなく、トータルで見てもらえることに気づけたので救われました。自分が嫌いだと思っていたところも褒められるようになって、違う角度からコンプレックスを見ることができるようになりました。こんなに自分のことが嫌いではなかったら、たぶん脱いでもなかっただろうし、何も考えずに生きていたと思います。自分の嫌いな部分を通して、大切なことを知ることができました。

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彼女が見つけた嫌いな自分との向き合い方は、嫌いなところを好きにならなくていいから、無くさずに大切にすることだった。

自分のことは今も好きではありません。コンプレックスは今も変わらないし、でも大事にしていこうと思っています。たぶん劣等感を燃料に生きているんだと思います。「そのままでいいよ」と愛されて、甘やかされているだけだったら、自分がもぬけの殻になってしまう気がします。何かが足りないということを指摘されることで、自分はもっと頑張らなきゃいけないと思っていたいです。そういうところも私の個性だと思っていて、最初から自分の存在を全肯定されてしまったら、自分のアイデンティティが喪失してしまうと思います。

「脱ぐ」ことをこれからも続けていきたいと話す目黒は、セミヌードでポーズをとるより、服を着たままカメラの前に立つほうが苦手だと言った。

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脱いだことによって、自分がどんな人間が少しわかった気がします。自分のことを認めたいからこそ、まわりから評価されることで、嫌いだと思っていたところが誰かの目には私の良さとして映っていることを知り、あとからそういうところを自分の個性として構築してきたと思います。脱ぐ前は、本当に自分がどんな人間かわからなかったけれど、「自分はこういう人です」という名刺を作ることができたと思う。だから、写真部の友達の一言がなかったら、今の自分はなかったです。ほんのちょっとのきっかけで、自分を変えていこうと思えました。私は、「脱ぐこと」を自分が生きるために、自分を建て直すためにやっています。脱ぐことは誰にでもできることで特別なことではないと思います。ごく普通の見た目で、胸も小さいし、貧相な体で、コンプレックスはたくさんあるけれど、こうやって脱ぐこともできるし、なんとか生きています。

彼女は、服を脱いだ自分に意味を見出したのだ。目黒は、これからも彼女が彼女のままでいるために、服を脱いでカメラの前に立つのだろう。

自分らしい抜け道の見つけ方

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どんな壁を乗り越えなくても、自分らしい抜け道を見つけることもできる。

インタビュー中に彼女が発したこの言葉に、筆者は少し救われた気がした。人は、道に大きな石が落ちていたらどかし、穴があったら埋めて、前に進もうとする。でも前に進む方法は、それだけではない。その道を行くのを諦めて、抜け道を探すことだってできるのだ。後ろ向きな考えに聞こえるかもしれないが、そんなことはない。少し遠回りだったとしても、自分らしい道だったら、それでいいのだ。

自分との向き合い方もそう。自分の嫌いなところを、隠したり、直したりして、頑張って好きになろうとしなくてもいいのではないだろうか。自分にとっては嫌いなところだったとしても、誰かは好きになってくれるはずだ。それに気づくには、きっかけが必要かもしれない。そのきっかけは人それぞれで、誰かの一言かもしれないし、「脱ぐ」ことかもしれない。大切なのは、その小さなきっかけを掴むほんのちょっとの勇気だ。そのほんのちょっとの勇気が自分らしい抜け道を見つけるための鍵になるかもしれないから。

※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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