「大学」に行くことを選ぶ理由はなんだろう。そしてすでに卒業した人にとって「大学」はどんな場所だっただろうか。義務教育を終えて、専門学校への進学、就職や起業、フリーランスや作家として活動するなど、その他数多くの選択肢があるなかで、さまざまな理由で、大学を選ぶ人、選ばない人がいる。どんな道も間違いではないし、どの道が正解なのかは進んでみなければ分からない。今回そんな「大学生活」について話を聞いたのは、東京藝術大学在学時に「HIGH(er)magazine」を創刊し、卒業と共に株式会社HUGを立ち上げたharu.、被災地でのボランティア活動に明け暮れていた大学時代を経て、今では映像制作を手掛けるAKIRA、現在慶應義塾大学の経済学研究科で修士に通いながら、政治や社会の情報をインフォグラフィックスで発信する「No Youth No Japan」の代表を務める能條桃子。大学のカリキュラム外でも積極的にそれぞれ活動をしてきたちょっと特殊な3名の大学生活を振り返りながら、「大学に通う意味」について考える。
何のために大学に行くの?高校生の頃に感じた違和感
話は大学進学以前、中学校そして高校時代に遡った。目的や背景は違えど、大学に入る前、どんなことを感じていたのか。そして大学に入学した後、どんなことが待ち受けていたのだろう。大学にいながら個々で活動を開始したこととも、何か繋がりがあるのだろうか。
能條桃子:今振り返ると、地域のボランティアに参加していた中学生の頃や、その後進学した高校生の頃に感じた違和感が、大学まで地続きで今の活動にも繋がっている気がしています。地元の公立中学は治安が悪くて、生活保護を受けている子が1番の親友でした。学力は自分と同じくらいなのに勉強を全然していなくてなぜだろうと思ったり、自分は親には女の子だから良い高校には行かなくていいよと言われたことにモヤモヤしたり。その後、中高一貫校に編入する形で高校に進学したのですが、とにかく大学に受かることが第一優先の学校で。学校の外で起きている選挙活動や社会運動について話をしていると「まずは勉強。大学に行ったら自由にできるんだから、社会に興味持つより受験に集中しろ」と先生たちに言われていました。医学部と東大が一番偉くて、早慶まで行ければ同窓会に顔出せるけど、それより下はだめと、「まずは人生のスタートに立たねば」くらいの勢い。何か教育の構造が歪んいでる気がして、ずっと嫌悪感を抱きながらも時間と共にその価値観に染まっている自分に気がついて、怖かったですね。「こんな大学受験予備校みたいなところに3年も通ってていいのかな」と、高校を辞めたいと何度も思いました。辞めたら行き場がないと言われていたので辞められなかったですが。大学に入って半年間くらい、「何のために生きていくんだろう」ってフラフラしてましたね。当時は具体的に、その違和感が何なのかまでは分からなくて。大学に入ってから授業を受けていくなかで「これが“社会問題”というものか」と気がつけたことが今の活動のベースにあるのかなと思います。
AKIRA:バリバリの進学校だったんですね。自分が大学に入って不思議だったのが、「上を目指したけど落ちてここ入りました」という入学してからも学歴に対する負い目を感じている人が結構いたこと。大学に入ることが人生のゴールかのような感じが理解できなくて。自分は一応勉強したいと思って大学に入学していましたが、周りの友達にはいかに“楽単”を取るかという話を永遠にしている人もいる。「あの先生の授業が本当に楽だ」とか「去年のテストが使い回しだ」という情報が広まっていて、みんな本当に何のために大学にいるんだろうと。しかも「いい企業に入りたいからこの学部を選ぶ」っていうことがあったりして通過点でしかないんですよね。「なんで勉強するか」という話は誰も答えられなくて、「なんでこのグローバル学部に来たんですか」と聞いたら「外資系の企業に入るため」という答えが返ってくるみたいな。ゼミ選びのとき、何を研究したいかという話になると、途端に「…」と、言葉が出てこない人が多い。 下手したら本もまともに読んだことがあるかないか。年間100万以上の学費を払ったり、奨学金などの借金をしてまで何やってんだろうというモヤモヤはずっとありました。
haru.:私はドイツのがシュタイナー教育の高校に通っていましたが、教科書もなく私自身が外国人の立場だったので、何というか、自分で勉強するしかない環境でした。そういう意味で、高校時代は多分一番頭を使ったなと思います。そこから日本の美術大学に進学したときに感じたのが、みんなそれまでの日本の教育の流れで自分で「問う」作業をあまりしてきていなまま、大学に来て急に「作品を作ってください」と言われても難しいに決まっているということ。みんな器用で文章を書くのも上手なのですが、まず「考える」というところから訓練しないといけないんじゃないかと感じて。例えばアートであれば社会や政治に関係があって然るべきだと思いますが、みんな政治に関して全然興味がない。私がデモに行ってるのも一歩引いた目で見られていたし、クラスメイトとデモに一緒に行ったときも、そこで何が問題にされているかより「これをいかに映像に残すか」と「ネタにする」ことに近い感覚で、自分ごととして全然繋がってない感覚があった。そういう意味で「日本で美術を学ぶって何なんだろう」と思っていました。
馴染まず、浮いていたかもしれない
進学したタイミングは、それぞれ異なる3人だが、高校で感じていたモヤモヤから解放されるも、大学進学して間もなく課外活動をスタートさせている。社会的状況の影響を余儀なくされる教育機関だが、活動の背景にはどのようなキャンパスライフがあったのだろう。
AKIRA:とにかく海外でNGOに携わりたいという思いでグローバル学部に入ったんだけど、入学したのがちょうど3.11の東日本大震災の直後で。海外の前に日本が大変なことになっている状況で入学式もなく、被災地でのボランティア活動に明け暮れていて、1ヶ月遅れで大学生活を始めました。けれど帰ってきたらみんな新歓なんかで浮かれてるみたいな。ヘトヘトな感じで帰ってきてるわけだけど、周りの友達に何やってたのと聞いたら、カラオケ行って遊んで合コンして…みたいな話を聞かされて。そのときに大学やめようって思いましたね。そこからは土日は東北に通う大学生活だったと思います。
haru.:私は東日本大震災の頃はちょうど高校生になる前。母から春休みだけちょっと遊びに行っておいでと言われて、そのとき履いてたジーンズ1本だけ持って飛行機に乗ったら、もう帰って来ないでと。知らぬ間に送り込まれてはじまったドイツでの高校時代を経て、東京藝術大学の先端芸術表現科に入学しました。私の場合はキャンパスが茨城の取手でしたが、超ストイックな生活。朝7時には家を出て、18時には真っ暗。周りに何もなさすぎて近場で楽しみたいという気にもならないし、東京に行くにも1時間半くらいかかるからそこまでして遊ぼうとも思わない。クラスのLINEグループができているのも後から知らされて、「入ってください」と言われて「そんなのあるの知らなかったです」、と。大学の飲み会にも1回も行ったことがないですね。それよりも仲間を集めて、大学で唯一シュタイナー出身だったクラスメイトの子と外部で出会った子たちと組んでマガジンを作ることの方が楽しくて、授業以外の時間はほとんど大学にいなかったですね。普通に学校生活を送りたいと思っても、なぜかそれができない。自分が知らないところで話が進んでいて、いつの間にか就活も終わっていた。あれ?就活っていつやったんだろう?という感じ。1人だけ圏外。
能條桃子:自分は、受験が終わったら監視から逃れられた!という反動で1年生のときは普通の大学生活を楽しんでいた気がします。それまで勉強漬けだったのでスポーツがしたいと思い、スキー部に入って大会に出たり2ヶ月くらい長野と北海道にいたり。飲み会もありましたし、新歓も無料でご飯が食べられるから、と楽しんでいる方でしたね。ただ慶応に入ってからクラスの人と知り合って、あまり深く物事を考えていない友達が多い、というと言い過ぎかもしれないですが、「自分さえ良ければいい」と思ってる人が割合として多い印象を受けて。政治の話をしたり選挙のインターンをしていたときに「新興宗教に入ったの?」と心配されたこともありましたが、そういう反応を見て、だから投票率低いんじゃないかなとも思いました。でも、その人たちに出会わなかったらそんな感情すら抱かなかったかったと思いますし、狭い範囲ですが今まで知らなかった価値観に出会えたことは良かったのかなと思います。
マイノリティの構造が逆転した大学院時代
課外活動と両立してきた大学生活を経て、大学院へ進んだ2人。大学に通う理由について意義があるのかを考えさせられることもあったという2人だが、大学院に進むことで見えてきた側面もあったのだそうだ。大学院の知られざる一面についても話を聞いた。
能條桃子:私はコロナ禍以降、大学院に入ったというのもあるんですが、学部のときは500人教室だったところが今は3人しかいないので、まず規模感が違いすぎて楽しいですね。「これが勉強したい」というものがあればとても楽しいし、一方で「何もしないでも大学院生でいられる」という状態が怖いと思っていたりもします。ただ研究者になりたい人たちが集まっているのに変わりはないので、いわゆるアカデミックの世界で面白いですね。
AKIRA:大学院も、社会の中ではあまりない不思議なコミュニティですよね。大学では勉強していない、就活のことしか考えていない人がほとんどで、勉強している人がマイノリティという構図が、当たり前ですが大学院に行くと真逆になって。学部生のときは「みんなもっと勉強するべきだ」って思っていましたが、大学院に入ってからは「1回本読むのやめたら」って言いたくなるほどみんな四六時中研究の話をして。あとはデフォルトで机がめちゃくちゃ汚い人が多いなとか(笑)。家に帰れてるのかなとか。めちゃくちゃノイローゼな顔で論文も書けないと言っているけど大丈夫かなと、こちらが心配になってしまうぐらい研究してる人もいて。でも24時間、マルクスのことしか考えてない人って実在するんだと知って、安心した部分もありましたね。
haru:大学院の研究って、できる人とできない人に分かれると思いますが、それがオフィシャルに許されている場だからいいですよね。私のお母さんも美術史研究家なんだけど、自分の研究してる画家の話をするとき、もう何世紀も前に亡くなっている人のことなのに、まるで自分の恋人の話をするときのようなテンションで話していて、一種の狂気を感じます。美術館に行ったときも、「油絵を描く彼は見たくない」と言ってその人の作品を素通りしたりとか。
AKIRA:大学院でも卒業の前後に就活とか、博士までいくかどうかとか、みんなどこかで壁にぶち当たる。やっぱり研究職って続けていくのにもお金がかかるし。日本って研究とか学んできた人に全然リスペクトないじゃないですか。学費が高く金銭的な理由で諦めなければいけない人や、孤独な作業すぎて精神的なバランスを崩してしまう人や、研究について考え続けることに自信が持てなくなったり、何の役にも立たないんじゃないかと悩んでしまう人もいましたね。研究に打ち込んでいくことってアートや作品を作ることにも似ているかもしれないですが、自分が諦めたらそこでおしまいな作業に片足を突っ込んでいる状態なんですよね。世間のほぼ誰も知らないことをずっと研究するわけなので。本当に大変だから自信を持ってやってほしいし、社会も研究する人にもっとリスペクトがあってもいいのにと思いますね。新卒至上主義であったり、レールに乗っかることを何より重んじるような日本教育の束縛から自由になることってやはり時間がかかる気がしています。大学1年生から4年生にかけて変わる人もいれば、変わらない人もいるし、レールに乗っかれる人もいるし、信じられないくらいぶちあたって自分で道を切り開いていく人もいる。大学時代の勉強ができる期間って、本当に誰もがめんどくさくて考えないようなことを考えて学んでいい期間なので、社会から無視されたり、「なんでそんなことを考えてるの?」と突っ込まれるような「問い」を大事にしてほしいなと思います。自分自身も大学時代の「問い」に今も考えさせられてるなと思います。
前編は、高校から大学へ。3人が大学に進学する前から抱いていた違和感や、実際に入学することで浮き彫りになった無意識の刷り込み、教育現場で感じた矛盾、そして大学院というさらに特殊な環境から見えた大学で過ごした時間について話を聞いた。答えを覚えることを教えられた日本の義務教育を経て、実際にどのように「問い」に出会っていったのか。大学、大学院から「社会に出る」とはどういうことなのか。後編では就職活動の実態についても触れながら、今の活動に繋がる「問い」との出会いから話を聞いていく。