『サラリーマンはなぜサーフボードを抱えるのか?』。このタイトルを見て、あなたは何を想像するだろうか。働いているサラリーマンが休憩中にサーフィンにでも行くのか? はたまた、サーフィンが大好きなサラリーマン? など、一見共通項がなさそうな2つのものに対して、想像を膨らませることだろう。
これは、日系アメリカ人のグラフィックデザイナーである真崎嶺(まさき れい)が自費で出版し、日本のデザイン業界における白人至上主義とその背景について綴ったバイリンガルの本である。
“なぜ日本の広告には白人のモデルが多いのか”、“どうして商品のパッケージには間違った英語が使われてしまうのか”、“どうしてブラックフェイスやステレオタイプの黒人像がバライティやCMで流れてしまうのか”など、日本のクリエイティブ業界に存在する人種差別に対して、疑問を掲げた一冊だ。
自分の人種を自覚すること
ニューヨークで生まれ、ニューヨークで育った日系アメリカ人のグラフィックデザイナーの真崎嶺。学生の頃からストリートアートやファッションが好きだった彼は、高校生のときに自身でグラフィックを手掛けたTシャツをデザインしたり、フラッシュというソフトを使ってアニメーションを作ったりなど、自分の感性のままに創作活動を楽しんでいた。
「Tシャツを作ったり、アートに触れたり、そういうことが好きだったので、そのときは漠然とアートをやりたいと思っていて。特にイラストレーションに興味がありました。進学のタイミングで自分が興味あるものや好きなことを伸ばしたいと思ったときに、美術学校へ行く選択肢しかなくて。パーソンズ美術大学に入学しました」
世界的に有名で、さまざまな人が集まるニューヨークのパーソンズ美術大学。意外にも、入学してみると周りには軽い気持ちで入った学生も少なくなく、真剣にアートを学ぶ心意気でいた真崎は入学当初、彼らとモチベーションの差を感じたそうだ。
「自分は特に裕福でもなかったし、美大は安くないからこれで生きていくぞって気持ちで入ったんですが、意外と周りはお金があって余裕があるから軽い気持ちで入ってきた人も多くて。学校を辞めようかなと思っていたときに仲良かった教授から、デザイン事務所のアルバイトに誘われました。そこではじめて自分のデザインでお金をもらって、デザインでも食べていけるっていうことを実感したんです。それまではいろいろやっていたけど、そこで仕事としてデザインはいいかもって思いました」
大学を卒業するまでさまざまなデザイン事務所でアルバイトをし、4年生のときにやっていたバイト先から、正式なオファーをもらい正社員に。競争が激しいニューヨークという街で、同級生が仕事探しに苦労するなか、すんなりと就職先を見つけた彼は幸運だったとも言えるかもしれない。その後、いくつかの事務所に転職し、フリーランスに。
「ニューヨークは東京よりフリーランスとして働くにはネットワークがしっかりしていたり、ある程度のところまでいけば働きやすいと思います。でもニューヨークでアジア人のフリーランスとして働くには、もしかしたら人以上に自分に自信を持たなくてはいけないかもしれません。というのも、幼い頃からアメリカの雑誌やテレビを見ては、アメリカのトップにいる人はほぼ白人で。白人しか成功しないということ無意識に頭に刷り込まれていました。仕事で差別された経験はないですが、アジア人はある種弱い立場であることを認識していたので、メンタル的な部分では強くいることが必要とされたと思います」
世界規模で見れば、アジア人として括られる私たち。だが、日本に住んでいると、日本人であることが当たり前。多くの人が、それを自分のアイデンティティであることを自覚していないのではないだろうか。
「僕はアメリカにいるとマイノリティな存在でした。アメリカでは大きく“アジア系”とみられることが多い。けど、アジア人コミュニティのなかいたら、日本人とみられる。常に人種を押し付けられているような感覚はありました」
2017年、真崎はニューヨークから東京へ移住する。両親が東京出身だったため、3年に一度くらいは日本へ遊びに来ていたものの、こうして住むことは初めての経験だった。
「母親との会話は、僕が英語で話して、母親が日本語で返すというバイリンガルな家庭でした。けど、アメリカで27年間生活していたので、日本語があまり話せなくなっていて。このまま言語を忘れていってしまうと、自分のアイデンティティの一部が失われてしまう気がしたんです。もともと日本に住んでみたいと思っていたのもありますが、このことをきっかけに27歳のときに移住を決意しました」
日本に来てから最初はフリーランスで働いていたが想像していた以上にそれは大変だった。東京には繋がりもなければその当時はまだ日本語も勉強中。そんななか、ある日ニューヨークにいるときから憧れだったアートディレクターの長嶋りかこの事務所が、デザイナー募集をしていたのを目にし、応募をしたところ、見事採用された。
「長嶋さんには大きなチャンスをもらいました。日本に来たばかりで、日本語もつたないなかでいろいろな経験ができたことにとても感謝しています。人生のなかで一番学びが多かったですね」
働くなかで出てきた日本のデザインや広告への違和感
長嶋りかこの事務所で働いたあと、別の事務所に転職し、2つのデザイン事務所で3年半ほど勤めた彼は、現在フリーランスで活動中。著書である『サラリーマンはなぜサーフボードを抱えるのか』は、事務所に勤めていた頃に執筆をスタートさせた。執筆した大きなきっかけは、2020年6月にミネアポリスで、黒人のジョージ・フロイドが白人警察官に殺害されて起きた抗議運動「ブラック・ライブス・マター」だ。
「勤めていたデザイン会社で、社員が自主的に開く勉強会のような制度があって。そこで僕は、ブラック・ライブス・マターをテーマにディスカッションを開催しました。けど、僕だけが一方的に話してしまって、あまり議論になりませんでした。たぶんそれは、その問題に対して間違ったことを言いたくなかったり、知識が少なかったりして話せない状況のせいなのかなと思って。少しでもその問題に対して、議論をしやすくするために、短いエッセイを書きはじめたんです」
まずは、彼が東京に来て出会った芸術大学で教授も勤めるデザインリサーチャーであり、デザイン教育などを行うイアン・ライナムにそのエッセイを読んでもらった。すると、「とてもいい文章だね。もっとリサーチをして、歴史的な背景などを含めたら、さらに説得力のあるものになると思う」と言われたのをきっかけに、そこから1年かけてリサーチをし、本として出版することに。
本では彼がグラフィックデザイナーとして、日本のデザイン業界を見たときに感じた違和感がデザインや広告の歴史について触れながら書かれている。例えばタクシーのなかで見たCMだ。会社員を演じる黒人タレントが、自分の仕事のミスを上司から指摘されたことをきっかけに、スーツを脱ぎ野獣のような出立になる。それを抑えつけるために、上司たちは暴動鎮圧用の装備をする。これはアメリカで、警察が黒人に対して度を越えた暴力をすることを想起させる。また、白人モデルが美しいものとされ、目が大きいこと、脚が長いことなどが美の基準として考えられ、日本のさまざまなファッション誌やファッション広告で、主に白人のモデルが出演していること。このような日本で当たり前に見られる光景を歴史的な背景に絡めながら、クリエイティブ業界に存在する白人至上主義的な考え方や人種差別の問題をピックアップしている。
「ブラック・ライブス・マターをきっかけに執筆したとはいえ、僕は当事者である黒人ではないし、黒人差別の問題を日本人に説明する資格はないと言えるかもしれません。ただ、このムーブメントをサポートするために僕ができることは、日本が持っているこれらの問題について、こういった自分の経験から書いていくことだと思いました」
自費出版で出版した『サラリーマンはなぜサーフボードを抱えるのか?』は、初版は700冊、その後500冊増刷。その後もさまざまな雑誌で取材を受け、本をもとにしたディスカッションイベントなども行っている。
自分たちも差別をしてしまう存在である
日本でブラック・ライブズ・マターが起こったとき、若者のInstagramには黒い画像のポストが埋め尽くされた。政治に関心がないと言われている日本人の若者にとっては、珍しい動きであったのかもしれない。それはポジティブな変化であるとともに、昨今、SNSなどを使った形だけの政治参加が問題となっているのも事実だ。
「ブラック・ライブズ・マターが盛んだったとき、ヒップホップカルチャーから恩恵を受けてきたはずの日本のファッションブランドが、ブラック・ライブズ・マターのワードをプリントしたTシャツを販売することしかしていなくて。それまでラッパーたちがそのブランドの服を着ることで人気になったり、そのカルチャーに恩恵を受けてきたブランドとしてはもっとアクションを起こして言葉で伝えるべきなのに、その姿勢を見て悔しい気持ちになりました」
人種差別は、違う国で起こっている問題だと思っている人はどのくらいいるのだろう。日本はこれまで歴史的にも、植民地支配、民族や部落差別、移民・難民に対する政策などで多くの問題を抱えている。差別は遠い国のことで起きているわけではない。これまでも日本で起こってきたし、これからも必ずどこかで差別は起きる。まずは、自分たちも当事者であることを認識し、自分の国の歴史を見つめ直していくことが大事なのではないだろうか。真崎も本の制作や研究を通して問題への向き合い方において心境の変化があったという。
「この本を執筆するうえでのリサーチや、この本をもとに議論をしていくなかで、自分のなかに新たな考えが生まれました。僕は日本人だけど、アメリカ人でもある。これまで日本を外側から見てたときは、日本のこういったところを全て変えていきたいと思っていました。けど、その考え方も日本人からしたらすごくアメリカ至上主義なのかもしれないなと感じて。自分を基準とした当たり前を提言するのではなく、それぞれの国の文化や歴史は違うものだからこそ、それを理解したうえで、その価値観のなかから話していくべきだなと思いました」
まずは自分が当たり前として思うことに疑問を持ってみるのはどうだろう。真崎が本で上げているようなテレビで見る“外国人キャラ”や“白人モデルで埋まるファッション誌”など視点を変えると身近なところにいろいろな違和感があると思う。人種差別のような大きな問題に対して、すぐに解決に繋がる一つの答えはない。きっと、これからも長い闘いになるだろう。けど、立ち止まっているわけにもいかない。歴史を学び、いろいろな問題と向き合った真崎は、同時に未来への希望を感じたという。
「日本は少し諦めている部分があると思います。世襲したおじいさんのような政治家ばかりが国をコントロールしていて、変わりづらいと思っている人が多い気がします。ただ、日本の歴史を辿っていくと、100年でとても変わってきた国だから、これからいい方向に変えられる可能性はあると思うんです。そのためには、友達や家族と日々意見を交換していくことは重要だと思っていて、この本にもあえて答えを出してはいません。あくまで議論してもらうためのきっかけとして考えていて、これから居酒屋レベルでそういった話をする人が増えていったらいいなと思いますね」
議論をすることは、まずは問題と向き合い、考えること。誰しもが議論する問題に対して、完璧な知識を持っているわけではないし、完璧な答えを持っているわけではない。人がいる分だけ、答えの数もある。ただ、議論を生まずに、思考をストップさせてしまったら、前に進んでいくことはできない。人と考えを交わらせることで、私たちは新たな答えを導き出すことができるのではないだろうか。
真崎嶺
ニューヨークで生まれ育ち、パーソンズ美術大学を卒業後、グラフィックデザイナーとして活動。2017年に日本へ移住し、デザイン事務所を経て、現在はフリーランスに。2021年5月に自費で『サラリーマンはなぜサーフボードを抱えるのか』を出版する。
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『サラリーマンはなぜサーフボードを抱えるのか』
日系アメリカ人グラフィックデザイナーである真崎嶺が、日本に来てから違和感に感じた日本のデザイン業界における白人至上主義や、西洋化の歴史と文脈について、日英バイリンガルで書かれた一冊。
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