人気ファッション雑誌でアシスタントエディターとして働くRyo(21歳)。少し話せば、彼のファッションへの堅実な愛がすぐに伝わってくる。彼にとってファッションとは、表面的な美やセンスの問題だけではないと気づかされる。
「男性の“女らしさ”」に焦点を当てた3月の特集「Oh Boy」。今回この特集に向けてRyoに取材したのは、ファッションという視点から“男らしさ”や“女らしさ”を明確に意識しながらも、どちらが優れている・劣っているというわけではなく、それらに対してフラットな彼の感覚に興味を持ったからである。
心地のいい場所を自分で選ぶ
Ryoは18歳の時にファッションと国際ビジネスが学べる専門学校に入学するために上京した。常に友達に囲まれている今の彼を知っている人からすると意外かもしれないが、本人いわく、それまで「あまり友達がいなかった」そうである。
「仲良くなれないと思っちゃって。みんなが興味を持っていたスポーツとか自分は全然興味ないし、地方の学校だから真新しいことをやってる子があんまりいなかったし」と、当時を振り返る。
恋愛対象が男性で、恋愛面において時に「心は100%女の子」だと話す彼は、そういった意味では日本社会が「普通」とする男性像には当てはまっていなかったのかもしれない。
子どもの頃は、羨ましいからなのかわからないけど、「あいつは女の子ばかりといるからオカマだ」とかみんな言ってて。めんどくさいと思った。
地元での生活は「生きづらいわけではなかった」と話す彼。生きづらいとまではいかないが、楽しいわけでもない。その理由こそ様々だろうが、自分がいる環境の中で同じように小さな違和感を感じながら日々を過ごしている人は少なくないのではないだろうか。
「とにかく嫌な環境を自分で作らないようにしてる」。これに関して彼が取材中に何度も強調していたのは、自分で意識的に「いい環境」を見つけることの大切さ。
上京してからは、東京コレクションに出向いてフォトグラファーと知り合うなど、積極的にファッションを介して人と出会い、自分が自分らしくいられる居場所を彼は見つけた。それには運もあるのかもしれないが、Ryoの場合新しい環境に入る前は、徹底的に事前にリサーチを行っていたのが今に繋がっている。
自分で選んで欲しい、ちゃんと。そう思います。何が自分に心地いいのか、悪いのか。
環境を選べないこともある。しかし居心地の悪い環境は、行動してみれば意外と簡単に変えられることもある。単純だが人々が忘れがちなそんなことを、Ryoは常に意識している。
感情に合わせてファッションで表現する性
今回のテーマ、「男性の“女らしさ”」を考えるうえで興味深かったのが、彼が“男らしさ”や“女らしさ”をどちらかに絞らず感情に合わせてファッションで探索し、表現していること。
女性らしく踊るのも、ヒールを履くのも好きだし、それをいきなり実行する日もある。夜実際にヒールを履いて鏡を見たり。スタイリングはこんなのがいいんじゃないかとか、女の人に着せたい服を一旦自分で試してみるって面もある。
いわゆる女性らしい格好とは対称的に、「男を装備する日」もある。レディースの服に関しては、知らない人の前で着ることにはまだ少し抵抗があるとも話していたが、根底としてメンズもレディースの服もどちらも同じように好きで、そのときの気分に合わせてファッションで性を表現しているという。
ちなみに、どちらにせよ個性的な服を着ていると人に見られることがあるが、それは全く気にならないと教えてくれた。
普段、自分は女優だって思って歩いてる。心がけとして。(笑)
男らしくなる必要性は感じない
“男らしさ”を否定するわけでもなく、“女らしさ”を否定するわけでもなく、両者に対してニュートラルな視点を持つRyoに「“男らしく”いなければならないとプレッシャーを感じることは?」と聞くと、間髪を入れずこう返事が来た。
ううん。全くない。それは自分がやらなくていいことだから。できないし。
時に恋愛面において「心は100%女の子」だが、「自分は男として生まれてよかったと思ってる」と話すRyo。社会的に“女らしい”格好をすることに壁を感じている事実は否定しない。それでも彼の中で“男らしさ”と“女らしさ”が矛盾なく共存していることは事実である。
親の世代ほどではないかもしれないが、一般的に男の体を持って生まれてきたら、“男らしさ”を求められ、女の体に生まれてきたら、“女らしさ”を求められる。そもそも“〜らしさ”が何によって決められているのか、そこを考える必要もある。しかし、少なくとも現状として“男らしさ”や“女らしさ”と言われるものが、必ずしも生まれ持った体の性別と一致するわけではないこと、また共存することで矛盾が生じるわけでは決してないことがRyoを見れば自然とわかるのではないだろうか。その気づきは、性別について考える上で、大切な第一歩である。