「もし、性別という概念がなかったら」と考えたことはあるだろうか。それは、理想的な社会の一つのあり方かもしれない。人々に性別がなかったら、「男性はこうあるべき、女性はこうあるべき」という観念にとらわれず、物事の選択ができる。
「別に私は男にも女にも見られなくていい」
美術大学の版画科に所属する18歳の金森桜子(かなもり さくらこ)は、「今の時代、性別は一人ひとり違っていいはず」と話す。幼い頃から「性別」という概念に違和感を覚えてきたが、それについて深く考えるようになったのは最近のことだ。桜子自身は「性別はいらない」という考えでいるため、性自認は女性でも男性でもない。ファッションも、自身の好きなジェンダーレスなものを着て楽しむ。
桜子が性別や性について考えるきっかけとなったのは、大学入学。通っていた公立の中学校の友人や大好きだった美術の先生、全日制高校から頭髪の自由さを求めて転校した先の通信制高校での友人、読者モデルを務めていた雑誌『HR』で知り合った仲間、ファッション関係の人たち、母親も「性のあり方の多様性」に対してオープンで寛容だった。だが、大学に入学してから知り合った人たちは、そのような考えを持つ人ばかりではなかった。
ジェンダーレスな(性別を感じさせない)服を着ていると不思議がられたりします。別に私は男にも女にも見られなくていいんですけど、「お前本当に女として見られない」みたいなことを言われる。あとはなんか「髪が長くないと抱けない」とか。そういう付き合いじゃないでしょって感じですけどね。「男だから奢んなきゃいけない」っていうのも私めちゃくちゃ嫌いで、絶対出しちゃいます。
桜子は生物学的には「女性」に生まれているが、「女性」に見られることを望んでいるわけではない。女性だと自認している人でも、自分を構成する要素の一つでしかない性別で判断されたり、「女性だからこうあるべき」という考えを押し付けられたりすることを嫌う人は少なくないだろう。
「性」を器用に使えなかった
小学校の低学年のときから自身の性別に対する違和感を感じていた桜子だが、中学校二年生になった頃は、ナイーブで自分を肯定できず、自分が「女性」であることにその原因があるととらえたこともあった。
最初性に対して意識するようになったのは、自分は女だからダメで、こんなめんどくさい人間になっちゃうんだとか、そんなところから始まって。
だがそんな桜子にも、自ら「女性がする格好」を選んでいた時期はあったが、それは桜子にとって自分に合うといえるものではなかった。
中学校二年生のときとか、むちゃくちゃギャルになりたくて、髪の毛とか長くてくるくる巻いてピンヒールで渋谷とか行っていたけど、なんかしっくりこなくて。ちゃんと女の子として生きれられる人もいれば、そっから外れてしまう子もいてっていう感じですよね。
「ギャルになりたかった時代の自分」を経て、その後の自分がやはり「性別」で悩むことになったのは、女性らしさ(=性)をうまく使えなかったからだと、桜子は振り返っている。「女性はこう、男性はこう」という観念が根強い社会では、「女性らしく、男性らしく」振る舞える人が生きやすいと、若いながら肌で感じていたのだ。
ネガティブなことを言ったら、性別は邪魔で厄介なやつだなと思うけど、やっぱそう思っちゃうのは自分は性別、性を器用に使えなかったっていうのがあるし、「女を武器に」とかは自分の考えのなかに入ってなくて、なんかそれを悔しいなって思う部分もありました。
しかし、高校一年生のときに思い切って髪の毛をバッサリと切り、「女っぽくいること」から一旦離れ、「自分の好きなジェンダーの感じ」で生きてみることにしたところ、それが自分らしいと思えた桜子。それは、性別に対する社会的な呪縛から抜け出て自由になれた瞬間だった。
性別という概念がもしなかったら
桜子にこんな質問をしてみた。「性別という概念がなかったら、社会はどう異なっていたと思いますか?」すると、男尊女卑の考えと性犯罪の関連性を例に答えてくれた。
もっと世界に笑顔が溢れていたのではないか、という気がしますね。やっぱり歴史的にも男女差別があったし、そういう概念がなくなったら差別もなくて、傷つく人も減るんじゃないのかなって。
あとは身体的な性のことはわからないけど、「男が強くて、女が弱いって」いう考えがあるから、性犯罪にもつながっちゃうと思うし。性別がなくなったら男尊女卑の考えに基づいた性犯罪はなくなるんじゃないかな。女も男も関係なく人間は強いって思うし、やっぱり性別はただの概念だと思うんですよ。肉体的な違いはあるかもしれないけど、もう性別なんて関係ないんじゃないかなって。
性的指向についても、「女性なら男性を好きになる」という“当たり前”がなければ、相手の性別を問わずに人を好きになる可能性だってあるだろう。桜子は「本当に好きな人って異性じゃないかもしれないし、人じゃなくてもいいと思うし」と話していた。自身は女性を好きになったことも、男性を好きになったこともある。「好きになった相手が好き」だという、ごく自然な考え方だ。
アートで、自分の心象風景を表現する
桜子は美大で版画を専攻しているが、高校生の頃から油絵を描き続けており、作品を学外で発表する活動にも力を入れ始めている。Be inspired!で取材したフォトグラファーで、本記事の写真撮影を担当した中里虎鉄氏らによるイベント「Spicy Jam」に作品を出したのが、初めてのグループ展への参加だった。作品は毎日制作するわけではないが、自分の知らなかった感情が見えてくる絵を描くのが桜子にとっては日課で、一年間でノート10冊分の絵を描いてきた。
自分の心の奥にあるネガティブな考えとかを愛を持って描くことで、気づいたら絵になっているし、なんか私が思う愛の概念の色がピンクなんですけど、よくピンクを基調としたカラーで、人を描いたり、絵の具遊びをしたりしています。
性別の多様性を二人の人物をつなげて描くことで表現した作品
artwork by 金森桜子
桜子は決して、自身の感情が誰にでもダイレクトに伝わるような絵を描いてはいない。だがそれでも桜子の頭の中を垣間見ていると、あるいは何か似た思いや感情が見る人のなかにあったら伝わってくるものは大きい。
(自分が描くので多いのは)抽象画ですかね。この言葉はあんまり好きじゃないですけど「同性愛を奨励」みたいなのがダイレクトに伝わるものは描いてないんですけど、見た人が彼氏や彼女、愛する人を思ってくれたらいいなと。
「今の時代、性別は一人ひとり違っていいはず」
「今の時代、性別は一人ひとり違っていいはず」という桜子の発言の背景には、現実に存在している「性別の多様性」を肯定する見方が表れていると筆者には思えた。個人のいわゆる「女性的」や「男性的」な部分の割合が、人によってそれぞれ異なるのは事実だ。
男性にも女性にも性別を区分しない「エイジェンダー」が日本でも知られるようになったり、男性と女性の中間の“第三の性”という概念が「Xジェンダー」という日本独自の呼称で呼ばれるようになったりしてきている。それは男性と女性の二つにしかわけない、社会運営に便利な「性別」の裏で存在しないもののように扱われてきた性の多様性が顧みられるようになってきたことの表れかもしれない。桜子のような存在が、アートやファッションを通じて「多様な性のあり方」や「心情」を発信し続けることは、桜子に続く世代へ必ずポジティブな影響を与えていくだろう。
金森桜子さんが参加する展示
クリエイターズイベント
日時:7月28日(土)、29日(日)11:00〜19:00
場所:COUR_DES_CIEL
埼玉県越谷市南越谷1-2876-1
『まとまらないから、まとまらない イマ、今まで』(グループ展)
日時:8/22(水)〜8/26(日)12:00~19:30(最終日~18:00)
場所:たまごの工房
東京都杉並区高円寺南3-60-6
※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。