「安全な水は誰のもの?」ヨーロッパの失敗から「水の民営化」を推し進める日本が学ぶべきこと

Text: Sonsil Ryang

2019.1.14

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生活に不可欠な水をビジネスの対象に?
蛇口をひとひねりすれば流れてくる水。日本の水質は世界でもファーストクラスであり、そのまま飲むことができる世界でも数少ない国の一つである。このような安全な水を当たり前に使用している私たちであるが、日本での水の使用に関して冒頭の言葉のようなことが起きる恐れが出てくるかもしれない「水の民営化」という現実が待っているのはご存知だろうか。


「水の民営化」を進める「水道法改正案」が衆参議院で可決。
ニュースなどでこのように述べられると難しく聞こえてしまうが、私たち自身の生活と密接に関係しており避けて通ってはいけない問題だ。「水の民営化」を簡単に説明すると、自分たちが住んでいる地域の自治体が管理していた水の運営権と料金徴収権を民間企業に渡してしまうことで、その結果、水が民間企業の利益の対象となってしまう仕組みである。水質の安全の規制は公的機関が行い、価格をあげる場合議会の承認が必要になるとはいえ、水道をどのように運営するか、どのくらいの利益を出すか、支払いができない世帯の対処をどうするか、働く人の人数や条件をどうするかを決めるのは金と物と人を握る企業となる。価格を上げる提案も当然でてくると思われる。これが可決されたということは、日本政府はまさに、市民が当たり前のようにアクセスできるこの身近な権利を脅かすような政策を進めようとしているということだ。

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「水の民営化」に反対していたベルリンでのデモの様子
映画『最後の一滴まで―ヨーロッパの隠された水戦争』より

ヨーロッパでの「水の民営化」の問題を扱った『UP TO THE LAST DROP THE SECRET WATER WAR IN EUROPE』(日本語版タイトル『最後の一滴まで―ヨーロッパの隠された水戦争』)というギリシャで制作されたドキュメンタリー映画がある。この映画はポルトガルやギリシャ、イタリア、アイルランドなどのヨーロッパ諸国で民営化と闘う自治体と市民の様子や、パリやベルリンのような大都市の再公営化までの道のりと現在の様子を映している。そして同作の日本語版が、国境を超えた平等な社会を目指し調査やワークショップを行なっているNPO法人アジア太平洋資料センターにより制作された。

マスメディアでは「水の民営化」問題についてあまり大きく報道されていた記憶がない筆者であるが、この映画の日本語版が作られたと聞き、日本の市民がこれから迫る同問題に対する問題意識を持つ重要なきっかけになるのではないかと考えた。今回は、問題自体が市民の間であまり浸透していない「水の民営化」について探るべく、日本語版の制作にあたり監修を行った、現在オランダのアムステルダムを拠点とし、民主的で持続可能な社会の構築に向けて研究活動を行うNGO「トランスナショナル研究所」で活動されている岸本聡子(きしもと さとこ)さんに、自身の活動についてと「水の民営化」の何が問題で、市民である私たちはどのように問題を考えるべきなのか、社会問題一般に向き合う際に何が重要なのか聞いてみた。

「新自由主義の裏でコントロールされる水の権利」

大学では環境社会学を学び、1990年代に環境運動を通して学生、市民の立場から関わってきた岸本さん。卒業後は、学生時代から活動していた国際環境NGO「ASEED JAPAN」の専従職員になり、環境と貿易、気候変動問題のようなさまざまな活動を通して環境問題における正義を実現する「環境的公正」という概念に辿り着いたという。そして現在もその社会的正義や公正は岸本さん自身の運動の中心軸だと話す。

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岸本聡子さん

そんな多くの環境に関する活動を行ってきた岸本さんが安全な水の使用を「基本的人権」と意識し始めたのが、1997年12月に議決された「CO2の削減」を合意した先進国に義務づけた京都議定書(COP3)以降だ。

ヒト、モノ、カネが地球規模で動き、世界中で自由に移動、流通することが可能になったグローバル化社会。その結果、競争が激しくなり、企業は利益追求を過度に求めるようになった。経費を抑えようとする企業が増えただけではなく弱肉強食の社会となったために貧富の差が広がった。さらに経済をより活発化させ景気をよくするために、政府の規制を緩和し、あらゆるサービスを民営化する「新自由主義」という考え方が登場し、複数の国家政策に取り入れられてきた。「水の民営化」もこの新自由主義政策の一部であり、水が自治体の管理下で供給されるのではなく、私たちの水の使用は企業の利益の対象となる。

当時は新自由主義という言葉も分析もほぼなかったのですが、どうして環境が悪化し不平等が構造的に進行していくのか考え始めました。新自由主義の支配体制を問題視する対抗運動に少しずつつながっていったと思います。

グローバル化が促進され地球規模の自由競争が激しくなり、貧富の差や不平等がますます広がっていくなか、なぜ環境問題が悪化し不平等が進んでいくのかを考えたときに、岸本さんはこのグローバル社会にはびこる「新自由主義」という構造に問題点があるのではないかと考えたという。お金儲けをしてナンボの資本主義経済の体制をとっていても、この経済の利益の対象として、私たちが当たり前にアクセスできる安全な水が入ってはいけないと話してくれた。

「水の民営化」から見える日本の政治とメディアの問題点

「水の民営化」という言葉は一般市民への影響力の強いテレビで報道されていたというよりは、むしろツイッターやフェイスブックのリツイートなどの投稿のほうがこのテーマに関して言及していた覚えがある。そう考えてみると、政治家たちは私たちの生活に関わる「水の民営化」にもかかわらず市民の声を一度でも聞いて審議をしたのか?そして国会での議論をメディアは取り上げていたか?という疑問が沸いてくる。

この「水の民営化」という問題からはただ「水」の権利と「民営化」に関する問題が見えるだけでない。日本のメディアの体制や政治問題も浮き上がり、同時にさまざまな問題が存在することを再認識できるのだ。

与党絶対多数の両議院と数の力でなんでも押し切る与党の姿勢はわかっていることですから、国民生活に影響のある法案(水道法だけでなく、先の種子法(*1)の廃止や入管法(*2)など)ももっと早くからマスメディアに取り上げてほしかった。

岸本さんが述べたように、ここ数年の国会での審議では権力と数の力で無理にでも法案を可決させようとする動きがあるように見える。市民の声を聞いていますか?参考にしていますか?と政治家たちに聞いてみたい。そして本来ならば、国家の動きをタイムリーに報道し市民に議論を起こしたりムーブメントの機会を作ることもできるメディアの機能だが、日本での「水の民営化」が可決された事例ひとつを見てみても、市民に印象を与えるくらい問題を取り上げたかといえばそうではないと思われる。

(*1)主要農作物である米、大豆、麦の種子の安定的な生産及び普及を促進するための規定を定めた法律。
(*2)入国や出国、そして外国人に対しての在留資格に関しての法案

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映画『最後の一滴まで―ヨーロッパの隠された水戦争』より

このような現状があるなか、問題を伝える立場にある岸本さんは、「私たちは多様なメディアを通じて粘り強く丁寧に情報を発信していき、多角的な議論の機会を提供するのが大切だと思っています」と発信していくことについて語る。多くのメディアが存在し、記事を選ぶ選択肢が広いなかで多様な意見、考え方、そして正しい情報を取り入れた記事を選び問題点を把握することが大切だということが、彼女の話を聞くと改めて実感できる。

歴史的な努力により得られるようになった「安全な水」という財産

この映画では複数の事例を通してこの国にも起きる可能性が高い未来を暗示してくれている。そして難しいと思っていた「水の民営化」のヨーロッパの事例が並べられていて、実際に議員として関わっていた人や、専門家の意見、そしてアクティビストたちの声を通して何が問題なのかまで知ることができる。再公営化されたパリやベルリンの過去と現在、ギリシャにおけるフランスの水道企業による民営化の介入や自治体と企業が請求する巨額の賠償金をめぐる闘いなど、水が実際に商品に変わってしまった場合にこれから起こりうる事例をそのまま見せているのだ。

日本でも「水の民営化」政策の実現が近づいてくるなかで、この映画を日本に住む人たちが理解できるように制作したのは、私たち市民が問題に対して知ることができる大きなきっかけであり、むしろ一市民として感謝すると言っても過言ではないと筆者は考えた。

ギリシャで映画が撮影されていた頃からネットワークを通して、クラウドファンディングなどの支援をしていたという岸本さん。NPO法人アジア太平洋資料センターから日本版制作の依頼を受け、「日本語でこのような内容が発信できるのは重要な機会です」と話す。

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映画『最後の一滴まで―ヨーロッパの隠された水戦争』より

民営化によるヨーロッパでの失敗が取り上げられ、大都市の再公営化を映すこのドキュメンタリーをみると、私たちの国は目に見えた失敗に向かって進んでいるのかと感じてしまう。

水道というシステムそのものが歴史的で、将来につないでいかなければいけない貴重な国民の財産です。

安全な水は長い歴史のなかで偶然出てきたものではない。「企業が競争して得た結果でもなく、長年にわたる社会政策、社会投資、計画、たゆまない労働者の努力、改善でできた歴史的な公的事業」により得られた結果であると岸本さんは言う。社会全体の共有財産である安全な水が安易に企業利益対象となっていく問題を私たちが無視してはいけない理由として、水には「ユニバーサルアクセスという人が安全で安価な水にアクセスできる社会目標とそれを裏付ける憲法の保証がある」という水の権利についても教えてくれた。

私たちが市民として意識すること

政治もマスメディアも頼りにできない。では私たちはどんな行動に移せばいいのだろうか?

「水の民営化」の前にまずは選挙に行ってほしい。若い人たちが選挙に行かないことで、自分たちに不利になる社会へとどんどん進んでいることを知らなくてはならないと思う。

選挙にいく若者は少なく、社会問題に対して関心が薄い若者が多いというなかで、岸本さんが話すように、政治家の動きや政策を知り自分たちが住む国やそのまわりで何が起ころうとしているのかを知るべきである。ひとりひとり国民としての一票の責任を感じ、より政策に関心を持って選挙に行くことによって、私たちの生活に身近な問題を、私たちのちからで変えられるという実感と意識を持てるのではないだろうか。

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映画『最後の一滴まで―ヨーロッパの隠された水戦争』より

岸本さんはまた、「水の民営化」問題だけでなく、エネルギー政策の民主化、そして新自由主義の構造と問題に対して発信、活動を行っており、私たち市民がリテラシーを持って情報に触れる重要さを話してくれた。

水のような公共性の高いものを短期的な視点で企業に売ると言う発想に出会ったとき、誰が何を得ようとしているのか批判的に読み解く力をメディアや市民は養っていかなくてはいけないと思います。

「世界中で水道民営化の失敗が明らかになっているので、専門家や政策担当者は民営化の幻想や神話をきちんと検証してほしいと思います」と話す岸本さん。日本では毎日当たり前のように、そのままで飲める水を使用できる。だが私たちの生活にとってそれがあまりにも当たり前すぎると、その重要さや権利について考えるきっかけを日常のなかで失ってしまいがちである。

NPO法人アジア太平洋資料センターにより1月16日に、「映画のドキュメンタリー映画『最後の一滴まで』上映会&トーク —世界に逆行し水道民営化へ進む日本」が開催される。映画を通して「水」の権利に関して学べる機会だと思うので、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。

「ドキュメンタリー映画『最後の一滴まで』上映会&トーク ー世界に逆行し水道民営化へ進む日本」

日時:2019年1月16日(水)18:30~20:50 開場18:10
会場:連合会館 2F 203会議室 ※会場地図はこちら
参加費:1000円 ※申し込みフォーム予約優先
プログラム:
・映画『最後の一滴まで―ヨーロッパの隠された水戦争』上映(59分)
・解説トーク「ヨーロッパで起こる水道再公営化と民主主義を求める運動」岸本聡子さん
・クロストーク 岸本聡子さん×内田聖子さん(PARC)

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岸本聡子(きしもと さとこ)

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1974年、東京生まれ。環境NGO「アシードジャパン」を経て2003年からオランダ、アムステルダムを拠点とするNGO「トランスナショナル研究所」に所属。 新自由主義に対する公的オルタナティブプロジェクト担当。編著に『Reclaiming Public Water- Achievements, Struggles and Visions from Around the World』, 2005(日本語訳『世界の水道民営化の実態』(作品社、2007年)、『Reclaiming Public Services: How cities and citizens are turning back privatisation』2017年、日本語版『再公営化という選択―世界の民営化の失敗から学ぶ』は2019年1月よりオンラインで公開。

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