「癒すべき傷があるという考えは今でも作品作りの大事なテーマ」日本とアメリカにルーツを持つアーティストSen Morimotoのアイデンティティの話。そして彼が今、日本のアーティストとコラボする理由

Text: Takahiro Kanazawa

Photography: luka unless otherwise stated.

2022.6.7

Share
Tweet

 京都で生まれ、アメリカ・マサチューセッツで育ち、現在シカゴを拠点に活動するアーティスト・Sen Morimotoが2020年にリリースしたセルフタイトルアルバム「Sen Morimoto」は、彼自身の内省的な思いの詰まった作品だ。「日本とシカゴの音楽シーンを繋ぐ架け橋になりたい」とかねてより話す彼のそんなアルバムが今、Maika LoubtéやKan Sano、maco maretsといった十数人の日本のアーティストらのリミックスによって新しく生まれ変わった。
 これまで、自身の気持ちと向き合う楽曲を多くリリースしてきたSen Morimotoだが、「政治的なメッセージを込めた楽曲にも今後は取り組むかもしれない」と話す。新型コロナウイルスの世界的な蔓延やアメリカの内政事情など、あまりにも多くのことがこの数年で起きたことが理由だという。また、子どもの頃にアメリカへ移り住んで以来、日本人と白人のアメリカ人の両親を持つ彼は常に、自身のアイデンティティと向き合ってきた。「差別する側への怒りや葛藤」は時に、「Jap」という日本人に対する差別用語を当て付けのように自ら名乗りアーティスト活動をする形になって表れたこともあった。
 「周りと違う」という事実が何をしていてもつきまとう状況で幼少期を過ごし、「静かで礼儀正しい」という典型的な「アジア人」として振る舞わないといけない感覚が植えつけられたと語る彼は、自身のバックグラウンドや生い立ちについてオープンに話しやすくなったという今の社会で何を感じているのか。なぜ日本のアーティストとコラボレーションを積極的にしているのか。リミックスプロジェクトの全貌に迫りつつ、話を伺った。

width=“100%"

言語も土地も違うアーティスト同士のコラボによって生まれる化学反応

ー今回のリミックスプロジェクトについて教えてください。

8年前にシカゴに来た頃も現地のシーンを知りたくていろいろなアーティストをチェックしていたのですが、今回もそれと同じで、日本のクリエイティブなアーティストに会ってどんな音楽を作っているかを知ることが目的でした。特にパンデミックの影響もあって日本でなかなかライブができないので、日本の若いアーティストと知り合ういい方法だと思ったんです。リミックスに参加してくれたアーティストはみんな、それぞれ新しいサウンドを追求している人たちです。エレクトロミュージックやラップミュージックの作り方、あるいはそういったポップミュージックのあり方を変えようとしている。それは、僕自身やシカゴの友人のアーティストも同じで、国境を超えても共通点がたくさんあると思いました。

ーシカゴと日本の音楽シーンの架け橋になりたいと以前インタビューで話されていましたが、このリミックスプロジェクトは、どのような役割を果たしたと思いますか?

僕はシカゴで音楽をやっていて、最近はレーベルの共同経営もしています。シカゴのアーティストや友人たちと毎日のようにたくさん音楽を共有し合うので、新しい音楽をいつも探しています。だから、僕の原曲を知っている人にリミックスされた新曲を届けることで、日本のアーティストにスポットライトを当てるチャンスにもなると思っています。リミックスに興味をもってくれたら、そのアーティストのページをチェックしたり、他にどんなアーティストが参加しているのかをチェックしたりする。そうしているうちに、この企画がなかったら知ることのなかったかもしれない、日本のアーティストでその人のSpotifyのライブラリーがいっぱいになるかもしれない。

width=“100%"

ーなぜコラボをすることが大事なのでしょうか。

言語も土地も違うアーティスト同士のコラボによって生まれる化学反応の可能性がまだまだたくさんあると思うんです。何の言語で歌っているかは本質的に音楽には関係なくて、意味が分からなくても、フィーリングだけで自分が好きなものかどうか分かる。最近ではいろんな国のアーティスト同士がコラボして、複数の言語が混ざった曲を作ることが当たり前になってきている気がします。例えば、「Love, Money Pt. 2」のリミックスでは、フランスと日本のミックスのアーティスト・Juhaと一緒にフランス語で歌詞を書きました。日本語、フランス語と英語が混ざり合っているお気に入りの一曲です。多言語で歌うことは相互作用があると思っていて、ゆくゆくはシカゴのアーティストが日本に、日本のアーティストがシカゴにもっと知られて交流が活発になればいいなと思います。

ーアニメやアイドルに関連した日本のカルチャーが世界に注目されやすいなかで、今回のリミックスは日本のリアルなシーンを海外に伝えているように見えました。

今回参加してくれたアーティストはみんな素敵な人たちで、彼らの音楽を聞いたりZOOMで話したりしていると、好きな音楽を作ることで自分の信じるものを伝えようとしていて、僕のシカゴの友人たちと同じなんだなと思いました。日本のアーティストが海外に進出するうえで、必ずしもギミックが必要だとは思いません。今回参加してくれたアーティストは自分なりの方法で可能性を広げている人たちだと思います。

ー2014年に渡米してから2019年に音楽活動に専念するようになるまで、さまざまな仕事を掛け持ちしていたと伺いました。当時の心境を教えてください。

やることが多くて大変だったけど楽しかったです。新しい土地に来てワクワクしていたから、とにかくいろんな人に会うことを心がけていました。シカゴで生活を始めた当初は「何事にも挑戦してみる」と決めて、ライブや他のアーティストとのコラボレーションなど、誘われたことはなんでもチャレンジする日々でした。音楽だけでは生活できなかったので、ほぼ毎日バイトもしていました。バイトのシフトの後や寝る前までのちょっとした時間をみつけては音楽を作っていました。自分はシャイな方だから、ライブやイベントに行っても積極的に人に話しかけることはできなくて、ただライブを見ているだけでした。自分でライブに出るようになってからは、演奏終わりに話かけられることも増えて、人と話す機会も増えたと思います。

width=“100%"

ー日本だとバイトをしなくていいのがアーティストとしての一つの成功の指標になってたりするんですよね。だからバイトをしているのをネガティブに感じてしまう人もいると思います。

そうなんですね。僕は両方やってるって自信を持つべきことだと感じていました。アメリカでは、音楽だけで生活費を賄うのは簡単じゃないというのは共通認識なので、仕事を掛け持ちすることは当たり前になっていると思います。両立することは好きなことのために頑張っている証だと思うし、胸を張っていいことじゃないでしょうか。みんな何かしらの仕事をしなきゃいけないなか、深夜に音楽に向き合うための時間を作る努力を惜しまないのはすごいことだと思います。

子どもの頃は白人になりたかった。それが普通だったから

ー10代の頃、ステレオタイプの「日本人像」を覆そうと「Jap」(日本人に対する差別用語)という名前のヒップホップアーティストとして活動されていたと思いますが、今の音楽活動に影響はあると思いますか。

あんな過激なことを今なら絶対にしませんが、当時は若さもあり、怒りに溢れていたんだと思います。僕の出身地であるマサチューセッツ州の小さな街ではアジア人の子どもは僕ぐらいで、常に「異質さ」を感じていたんだと思います。今はインターネットもあるし、人種の問題についての対話をする機会が増えているので状況が改善しているかもしれませんが、僕が子どもの頃は些細なことでも人と違う部分があれば責められて、「自分は周りと違う」ことを常に思い知らされていました。幼少期からそんな感覚を持ち続けていたことで、自分は「静かで礼儀正しい」という典型的な「アジア人」でいなければならないという感覚が植えつけられたんだと思います。でも10代の頃に、レベルミュージック(反逆的な音楽)としてのパンクやヒップホップに夢中になり、「幼くてまだ何も知らない」という無知な立場を利用して、周囲の人を威嚇したかったんです。皮肉にも、その反動で結果的に僕自身も無知なことをやってしまったのですが。でも若いうちに一歩踏み出して声を上げたことで、そういう選択をすることを恐れなくなったとは思います。間違いから学べることもあります。

ーどういう意味での無知でしょうか?

周囲に日本人があまりいなかったこともあって、自分のやっていることがどれほど過激なのか分かっていなかったんだと思います。学校で習わないようなアメリカでの第二次世界大戦中の日系人の強制収容について学んだのもその頃でした。Japとして作った最初のミックステープのアートワークはドクター・スース*1が描いたような、アジア人に対する人種差別的な風刺画に似たものでした。そのイメージを取り上げることで、アジア人を差別していた人たちに反撃しようとしていました。無知と言ったのは、当時取った手段が大胆で過激だったからです。でも今は、暴力に頼らない平和的な方法で、自分の文化を伝えることができるのではないかと思います。

width=“100%"

ー当時抱えていた怒りを今でも感じることはありますか?

あの頃と同じような気持ちになるときがまだあります。アジア人に限らず、階級や性別、セクシュアリティ、文化的背景などを理由にアメリカに住む人はさまざまな問題を抱えています。アメリカにはまだ癒えていない傷がたくさんあるから、僕はもう昔のように過激なことはしないし、Japという名前も使いません。人種差別的なアートワークをあえて使うこともない。でも、癒すべき傷があるという考えは今でも作品作りの大事なテーマです。

width=“100%"

ーアメリカで「日本人」として振る舞うことを求められていると感じたことはありますか?

「日本人らしさ」や「アメリカ人らしさ」の両方を求められたことがあります。子どもの頃は箸の使い方、給食の食べ方、親との話し方など、ちょっとしたことでからかわれることが多くて、常に「違う存在」として扱われていました。そういうふうに僕を見る人たちは都合の良いように僕のアイデンティティを決めるので、「多様な友達」がいることをアピールしたいときは、「日本人の友達Sen」として紹介するかもしれないし、日本人とアメリカの白人の育ちの違いについて話すときには、「まあ、Senは基本的には白人だよね、だって母親が白人だもん 」となるかもしれない。僕が何者であるかは、彼らが決めることみたいに感じることがあります。

一方で、少なくとも僕の経験上、アメリカにいる日本人はバックグラウンドにかなりプライドを持っている場合が多い。週末に通っていた日本人学校では「日本人らしさ」をアピールすることがプライドの象徴で、日本語のアクセントがちょっと変だったり、日本人なら知っていて当たり前のことを知らなかったり、みんなが読んでる漫画を読んでいなかったりすると、そこでもからかわれる対象になってしまうんです。小さな子どものことなので別に悪いことじゃないとは思いますが。

ー大人になった今、そういった差別に対してどうお考えですか?

今アメリカは、人種差別に関して言えばかなり変わってきていて、多様なバックグラウンドを持つ人々を受け入れる土壌ができてきたように思います。今は全くそう思わないけれど、子どもの頃は白人になりたかったんです。それが普通だったから。でも今は自分のバックグラウンドついてオープンに発信することは当たり前のことになったし、そういった文化にスポットライトを当てることはとても良いことだと思います。

一方で、バックグラウンドやアイデンティティが、マーケティングツールとして利用されていると感じるときもあります。だからこそ、世界で今何が起こっているのかを話し合うのはとても重要だと思います。社会が正しい方向に進むために建設的な会話は大事ですが、一歩間違うと単に資本主義の一端を担うことになりかねない。「マイノリティ」や「珍しい」存在であることが商品を売るための道具として利用される危険性もあるということです。そうやって刷り込まれたりすると、自分自身の意思決定のはずが大きなものに操られたり、何が本当にいいのか分からなくなってしまう。

(*1)世界的に有名なアメリカの絵本作家。作品のうちの6作が、現代では人種差別的とみなされる描写があることから絶版が決まった。

メッセージ性のある音楽を作るときが来た

width=“100%"

ー以前インタビューで、音楽にメッセージを込めることはしないと話されていましたが、今後メッセージ性のある音楽を制作することは考えていますか?

おそらくそのインタビューを受けた頃は、もっとパーソナルな音楽を作っていたんだと思います。10代の頃はただ反抗的な音楽を作っていた。そして大人になり、自分のことを知り、自分の中にある気持ちと向き合う時期があった。だから、社会に向けたメッセージを込めた音楽というより、自分の心の中をありのままに出したいという思いが強かったんです。でも今は、メッセージ性のある音楽を作るときが来たような気がしています。今後は社会に対するメッセージを込めた音楽を作ることも考えています。過去の作品は内省的なものが多かったけど、ここ数年のアメリカを含め世界中であまりにも多くのことが起こったので、外に向けていかなければいけない。

ー今後、日本のような英語を完璧に理解できるわけではないオーディエンスが多い場所でそういった曲を演奏する場合、演奏前にその曲について説明すると思いますか?それとも、ファンが自分たちなりに理解したり解釈したりするのに委ねるでしょうか?

いい質問ですね。僕はカジュアルなレベルの日本語しか話せないので、難しいトピックを日本語で伝えるのは難しいかもしれません。もしかしたら、僕が説明する方法を学ぶべきなのかもしれない。もしくは、スクリーンに字幕を表示したり、ブックレットを配ったり。そもそも、曲自体がオーディエンスに訴えかける訴求力がなければならないかもしれません。どちらでもいいのかなと思います。

width=“100%"

ー日本では音楽を通して政治について触れることが批判の対象になることもあります。音楽に政治的メッセージを込めることに関してSenさんはどう感じていますか?

政治について音楽を通して話すことは悪いことではないと思っています。ただ、「間違ったことを言いたくない」という気持ちがオープンに話すことを遠ざけているんだと思います。たとえ自分が知らないトピックでも、会話しようとするのは悪いことではない。だから、僕はいつも「僕の経験上」とか「僕はこういうふうに育ってきたんだけど」というふうに前置きをします。一番大事なのは、そういうトピックに向き合って会話をする方法を学ぶことだと思います。自分の考えや答えがみつからなくても、相手の話から学ぶことがあるはずです。

Sen Morimoto Special Interview Film for NEUT Magazine ISSUE 2022 “Yellow Light”

※動画が見られない方はこちら

width=“100%"

Sen Morimoto

Linktree / Twitter / Instagram

京都生まれシカゴ在住のアーティスト。サックスを手にした事で始まったミュージシャン人生はピアノ/ドラム/ギター/ベースなどさまざまな楽器を演奏するマルチプレイヤーとして活躍。弟と制作した”Cannonball”のPVを88risingのショーン・ミヤシロが気に入り88risingのYouTubeチャンネルからリリースされ話題となる。その後シカゴの友人でマルチ奏者NNAMDÏによるレーベルSooper Recordsよりアルバム『Cannonball!』をリリースしサマーソニック2018で圧巻のパフォーマンスを見せる。2019年には初のジャパン・ツアーを行いTempalayのAAAMYYYと共演した。2020年10月には2ndアルバム『セン・モリモト』をリリース。2022年にはSerph、WAZGOGG、UQiYO、The fin.、maco marets、Lil’ Leise But Gold、Osteoleuco、Kan Sano、Maika Loubté、a子、tamanaramenらの日本人アーティストに加え、USのバンド・DeerhoofのGreg Saunierなどのを招き『Sen Morimoto』のRemixアルバムをリリース。

Share
Tweet
★ここを分記する

series

Creative Village