「復帰したい、負けたくない、差別に屈したくない」アジア人ヘイトクライムの犠牲となった世界的ジャズピアニスト・海野雅威が再確認した音楽の力

Text: Fumika Ogura

Photography: Elena Iwata unless otherwise stated.

2022.3.31

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 前向きな気持ちにさせてくれる明るくて軽快なメロディ。そして、暖かく包み込まれるような優しい音。ニューヨーク在住のジャズピアニスト海野雅威(うんの ただたか)が3月2日にリリースしたアルバム『Get My Mojo Back』は、例えるのであれば、闇の中に一筋の光が差し込んできたかような希望を感じる一枚である。
 海野は、2020年9月、新型コロナウイルス蔓延により増加したアジア人ヘイトクライムの犠牲となり、ニューヨークの地下鉄で集団暴行に遭う。ピアニストにとって致命的ともいえる右肩を複雑骨折し、医師からも「二度とピアノは弾けないかもしれない」と宣告された。
 このような状況下で、「いまつくらなければならない」という気持ちで、腕の痛みを抱えながらもアルバムのリリースを遂げた海野に、制作のきっかけや思いを伺った。

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海野雅威(うんの ただたか)

音楽は人種の壁を超えてくれるもの

 4歳からピアノをはじめ、9歳からジャズピアノを弾き始めた海野。幼い頃から呼吸をするようにピアノを弾き続けていた彼は、大学時代からミュージシャンとして活動をスタートする。

「子どもの頃にジャズを薦めてくれた親には本当に感謝していますね。ジャズを好きになったことで、音楽を違う角度から好きになって、その気持ちが今でもずっと続いています。ピアノを弾く弾かないに関係なく、音楽にはずっと救われてきたんですよね」

 そして28歳の頃、さらにジャズのルーツや文化に触れたいと思いニューヨークへ移住。知り合いはほとんどおらず、最初の数ヶ月はほとんどピアノにも触れられなかった。

「ゼロからのニューヨーク生活でしたが、音楽的には日本でプロになってからの10年間の経験がありましたから、不安はさほどありませんでした。英語はまったく話せなかったけど、音楽が助けてくれたという感じです。少しずつ心通い合う人と繋がっていき、さまざまなライブハウスやレストランでギグをしていけるようになりました。今は移住して15年ほど経ちますが、年齢や人種に関係なく、ジャズ界のトップのバンドで必要とされるようになり、世界中をツアーで回るようになりました。こうした実体験からも、音楽は人種の壁を超えてくれるものだと心から実感しています」

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 ジャズは、アメリカ・ニューオーリンズが発祥地として、19世紀から20世紀初頭にかけて発展した音楽とされている。ニューオーリンズは、奴隷制があった時代にアフリカから強制連行された人々や、スペインやフランスなどの欧州から移住してきた人々など、幅広い人種が重なり合う街で、新たな文化が生まれやすい地域だった。そんな背景があるなかで、奴隷として過酷な日々を送っていた黒人労働者が怒りや悲しみを表現する手段として歌っていたブルースをベースに、さまざまな文化が混じり合い、ジャズが生まれたといわれている。

「ジャズの世界では、私がアジア人であることで、あからさまな差別を受けたことはありませんが、『この人がジャズを弾けるの?』っていう目線を感じたことはありますね。けど、一度ピアノを弾く状況になれば『アメリカのどこで育ったの?』と驚かれました。一緒に演奏をしてきたのが、ジャズ界を代表する誰もが尊敬してやまない黒人ミュージシャンたちばかりですので、彼らのおかげで、見下されるような視線からは守られてきたようにも思います。本当に恵まれていましたね。確かに、アジア人が入りにくい世界ではあるんですが、結構、実力主義なこともあって。逆に、自身の能力はさておき自分が『アジア人であるから』ということを言い訳にしてしまう人もいますし、日本のジャズファンでも『黒人じゃないとジャズなんてできない』という人もいることは確かです」

ジャズピアニスト生命を揺れ動かされた突然の悲劇

 ジャズピアニストの巨匠ハンク・ジョーンズに手ほどきを受け、“ジャズの帝王”と称されるトランペッターのマイルス・デイビスなどのバンドに参加していたドラマー、ジミー・コブや、2度のグラミー賞に輝いたトランペット奏者のロイ・ハーグローヴとともに演奏をしてきた海野。まさに順風満帆といえる日々を送っていたが、2020年の9月に突然悲劇は訪れる。当時、新型コロナウイルスの影響でアジア人に対するヘイトクライムが高まっていたニューヨークで、地下鉄から出てきたところを突然襲われ、集団暴行を受け、右肩と腕を大怪我。「二度とピアノが弾けないかもしれない」と、医師から宣告を受けた。

「本当は2-3週間入院しなければならないほどの怪我だったんですが、コロナ禍というのもあって、手術したその日に退院したんです。腕に針は刺さったまま、大きな麻酔タンクを背負って自宅へ帰りました」

 大きな痛みが伴うなかで絶望的な気持ちになりながらも、海野はずっと音楽のことを考えていた。

「痛み止めを飲むと頭がクラクラしてベットにいることしかできなかったんですが、そんなときでも心の中から聞こえてくる音に希望が持てて。気を紛らわせる意味もあったのかもしれないですが、いつも以上にずっと音楽について考えていました」

 そんな療養中のときに浮かんできたメロディーを形にしたのが、今年の3月2日にリリースされたアルバム『Get My Mojo Back』だ。手術後の懸命のリハビリを経て、奇跡的にレコーディングをスタートできたのは、大怪我から約10か月後のことだった。

「今思うと、あんなにも腕が痛むなかでよく弾けたなと思いますね。何か不思議な力に助けられてレコーディングができたんだなと感じていて。痛みが治まらなくても、『今だな』って思ったんです。『復帰したい、負けたくない、差別に屈したくない』そう思いながら、生きている喜びや周りへの感謝を音に込めました」

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 タイトルである『Get My Mojo Back』は、「力を取り戻そう」という意味。自分に向けている言葉でもあるが、このアルバムの楽曲に触れた多くの人に『Get My Mojo Back』を感じてほしいという願いも込められている。

「Mojoって、ブルースによく使われるワードでもあるんですが、生命力、不思議な力っていう意味があるんです。悲しくも人間は、自分で何かをコントロールできると思ったり、自分だけの力で生きてるって勘違いしてしまいがちだなって。けど、“生きていること”って、“生かされている”ことだと思うんですよね。心臓だって、自分で動かしているわけではなくて、何かに動かされている。言葉では説明できないことですが、自分よりも大きな存在によって生かされているのに、つい人間は思い上がってしまって、自分の意に反する人を否定したり、殺したり。それが、戦争にまで発展してしまったり。そんなようなことが日々起こっていると思うんですが、本来はそうじゃないでしょうという気持ちも込めていて。それぞれが『Get My Mojo Back』して、自他共に大切に考えていければ、大変な世の中も乗り越えていけるんじゃないかなって思っているんです」

苦しみや悲しみを超えた先に見えてくるもの

 ピアニスト生命を絶たれそうなほどの事件を経て、さまざまな思いを込めてアルバムをリリースした海野。事件を受けた当初は、あらゆる角度から自分の事件に対する反応があったという。

「当時のアメリカは、コロナ禍であるうえに大統領選やBLMが重なって、さまざまなところで分断が起きていました。なので、私の事件を利用していろいろな記事が書かれていて。例えば、中国人を悪く言いたい人は『中国人がコロナのウイルスを撒いたことでアジアンヘイトが起きて、日本人まで襲われた』。黒人を悪く言いたい人は『襲ったのは黒人だった。黒人がいるから社会情勢が悪くなる』。はたまた、そのとき大坂なおみさんが積極的にBLMに賛同していることをよく思わない人や、彼女に対して元からネガティブな感情を抱く人は『BLMのときだけ声をあげて、なんで日本人が襲われてもなにも言わないんだ』。日本のことを素晴らしい国だと掲げたい人は『安全で美しい日本で産まれたのに、外国へ行くやつが悪い。襲われても当然だ』とまで。ネガティブな感情を主張したいだけの人や、常に誰かや何かのせいにしたがる人が『ほれみろ、だからOOが悪いんだと前から言ってるんだ』と、私の事件を利用して好き勝手言うんだなって。悲しい気持ちになりました」

 日本で人種差別をされないでいられる特権を持っている人は、自分の人種を自覚する瞬間が少ない。そのなかで差別が身近で起きうると思っている人はどのくらいいるだろう。そして、自分が差別をするような人間だとも思ってない人がほとんどではないだろうか。

「日本にいると、そもそも自分がアジア人である意識すらない人がほとんどだと思います。事件を受けたとき、『チャイニーズ』って言われながら殴られたのですが、そこで私は『いや、日本人だよ』とは一切告げず、ただひたすらにその場から逃げようとしました。それを告げたところで、理不尽に突然一方的に殴りかかってくるような犯行グループには無意味だと感じたからですが、それと同時に、仮に日本人だと告げるということは『中国人だったら殴ってもよい』ってことを無意識に私が発してしまうことにも繋がってくるとも思ったからです。そういったとっさの場面で、自分のなかに眠っていた差別意識に気づくこともあると思います」

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 毎日消化しきれないほどの情報が流れているソーシャルメディア。すぐに検索すれば何かしらの答えが出てくるなかで、私たちは何を正解としているのだろう。やっぱり自分に近い人の意見は良しとしてしまいたくなるし、違うことを言っている人を見ると、つい否定したくなってしまう。ただ、自分の信じたい情報だけが、世界の全てではない。多数派の主張ばかりにスポットライトが当たるこの社会で、いろんな意見があることをまずは理解し、自分以外の考えを想像する力も必要なのではないだろうか。

「事件後はまたニューヨークへ戻るべきかどうかとっても悩みました。けれど、私のことを待ってくれているニューヨークのジャズコミュニティ、ミュージシャンの先輩や仲間がいて、戻ることを決意しました。療養中はその存在にずっと支えられてきたので。誰かから必要とされるのって嬉しいことですよね」

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 現在はまた次のアルバムを制作しているという海野。そして、4月末から5月にかけて東京、大阪、名古屋、福岡をはじめ各地で『Get My Mojo Back』のリリース記念ライブがいくつか予定されている。

「今後はさらに作曲もしていきたいです。そして、リハビリを継続しながらさまざまな場所で演奏活動も再開していく予定です。先人たちがそうだったように、苦しみや悲しみって必ず音に現れてくると思うんですよね。私には表現をする手段として、ジャズがあって本当に良かったなと思います。それを考えると、事件のことも跳ね返していけると思うんですよね。憎しみ合いの連鎖ではなく、音に愛を込めて伝えていくという新たな使命も感じています」

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『Get My Mojo Back』

数多くのジャズ・レジェンドから愛されてきた NY 在住の実力派ピアニスト。 世界中に衝撃を与えた大ケガからの奇跡の復活作。

ハンク・ジョーンズやジミー・コブなどのレジェンドに愛され、ロイ・ハーグローヴ・クインテットで日本人初、最後のレギュラー・メンバーだったニューヨーク在住の実力派ピアニスト海野雅威、渾身のニュー・アルバム。
2020年9月に新型コロナウイルス蔓延によるアジア人ヘイトクライムの犠牲となり、NYの地下鉄構内で集団暴行に遭い、ピアニストにとって致命的と言える右肩骨折などの重傷に見舞われました。 その事実はアメリカのCBSや日本のニュース番組でも取り上げられ、直後に友人ミュージシャンが立ち上げたクラウドファンディングには多額の寄付が集まりました。
その後、不屈の精神と懸命なリハビリで奇跡の復活。その道のりは2021年11月放送のNHKスペシャル「この素晴らしき世界~分断と闘ったジャズの聖地~」でも紹介され、多くの反響が寄せられました。
本作は支えてくれたミュージシャン仲間とレコーディングした堂々の復帰作。療養中のピアノを弾くことがで きなかった時期に書き下ろされたオリジナル曲で構成され、生命力と歓びに満ちた作品となっています。
アルバム・カヴァー(題字も含む)は、NY在住の画家Akané Oguraの作品をベースに製作されました。
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