2019年9月6日(金)より新宿テアトルを皮切りに全国で公開されている映画『タロウのバカ』。過激かつ純粋なタロウ(YOSHI)とエージ(菅田将暉)、スギオ(仲野太賀)の3人の“青春”を描くなかで、育児放棄や社会的弱者の排除、援助交際といった問題にもスポットを当てていく。映画の常識さえも飛び越えて、観客の眼前にまで問いを突きつける渾身のアウトサイダー映画だ。
同作は『日日是好日』や『さよなら渓谷』を手掛けた大森立嗣(おおもり たつし)監督が1990年代に書いた作品。設定は書かれた当時からほとんど変わっていないというが、作中で扱われる理不尽な社会問題は、まるで昨今の日本を浮き彫りにしているようだ。つまり、脚本が書かれた20年前から、私たちを取り巻く環境は大きく変わっていないことになる。
フィクションであることを忘れてしまうほどにリアルで感情がむきだしの作品に、目を背けたくなる人もいるかもしれない。しかし、スクリーンから目を背けることができても、現実には向き合わねばならない。大森監督が20年越しに投げかけたかった問いとは何なのか。私たちはこれから、そんな世の中をどのように生きていけばよいのか。大森監督にお話を伺った。
どんな事件や災害があっても、世の中は大きく変わらなかった
―1990年代に書かれた作品だということだったのですが、書きためていたものをこのタイミングで映像化しようと思った理由は何かあるのでしょうか?
この映画を観たいろいろな方に「今の時代にぴったりの作品ですね」と言ってもらってうれしいんだけど、今まで機会に恵まれなかっただけで、今回の映画化は偶然だったんですよ。ただ、一つ言えるとしたらずっと「撮りたい」と思えていたことは『タロウのバカ』を世に出した理由にはなるかもしれないですね。
90年代初めにこの作品を書き終えた後に、阪神の震災があったり、オウムの事件があったり、3.11が起きたりした。もしもそうした事件や災害を機に何か変化があったら「この映画を撮らなくてもいいかもしれないな」と思ったかもしれないんだけど、そうじゃなかったから今回撮った。
―主人公3人の配役はどのように決められたのでしょうか?
エージ役の菅田くん(菅田将暉)とスギオ役の太賀くん(仲野太賀)は演技力もあるから最初に決めちゃったの。エージは血の気が余っている不器用な青年で、スギオは好きな女の子に一途に想いを寄せるようなまじめな性格で、どこかくすぶっている。そういう2人のイメージもぴったりだった。
ただ、タロウ役はなかなか決まらなかったんだよね。14~15歳くらいの子どものなかから選ぼうとは思っていたんだけど、プロの俳優さんでもなかなか演技が上手な子はいないし、大人相手に「おはようございます」と言えちゃうような子どもだと何かしっくりこなくて。
そんなときにGoogleで検索してたまたま見つけたのがYOSHIくんだったの。実際に会ってみたら、やっぱりどこか社会化されていなくて、自分の感覚を信用していることが感じられて「彼がタロウだ」と思った。
菅田くんや太賀くんも勘が良いから、YOSHIくんに初めて会ってもらった時点で「こいつはヤバい」と。「大森さん、こいつどこで見つけてきたんすか」なんて言っていて「俺たちはこういう作品をつくるんだ」という方向性をすぐに理解してくれた手ごたえがあった。
―演技にも迫力があって感情がむきだしになっているような印象を受けました。
こちらから指示を出すような演出をかけても面白くならないから、「こういうふうにしてくれ」とは言わなかったんだよね。映画の撮影って普通は画角に収まるように俳優さんにも動いてもらうんだけど、今回はそういうのもナシにした。
全力で楽しんでいるとか、ヤバいと思っている表情を撮れているほうが面白いと思うし、今回の作品では特に“意味”をできるだけ排除したかったんだよね。
意味ばかりの世界では希望が持てなくて当然
―「“意味”を排除したい」ということはいろいろな場面で話されていますよね。
意味ばかり考えていると生きにくくなるじゃない。意味とか経済的な合理性、生産性についての話が氾濫しているけど、それってすごく小さな日本の社会のなかでの決まりごとについてばかり言われているようなものだから、希望なんて持てなくなって当たり前だよね。
戦争が終わってから日本は豊かになっているはずなのに、どんどん不幸になっていっている印象すらある。俺が子どもの頃はいろんなことがめちゃくちゃで、もっと面白いことが起きるんじゃないかという希望がまだあったんだけど、今はそうじゃないでしょ。
否が応でも意味ばかり考えさせられて絶望していく現状に対して、「このままでいいのかな」という想いはずっとある。主人公のタロウも名前がなく、育児放棄を受けていて学校も行かず、文字も読めない、とらえどころがなくて“意味のないもの”の表象だしね。
―若い世代には「時代に対しての希望を持てたことがない」と言う人が多いように感じます。意味ばかり求められる世の中で生きやすくなる方法にはどんなものがあるとお考えですか?
一番簡単なのは海外に行っちゃうことだね。行くのは大変だけど、日本よりはイキイキしているから。
あとは、日本でできることで言えば、芸術に触れることかな。絵画でも小説でも写真でも映画でもなんでもいいんだけど、良い作品に触れたときに「自由なんだ」と思えるというか。だから俺なんかは映画をやっているときだけはギリギリ生きて救われているね。
あとは、くだらない情報を排除して自分の感覚を磨いていくことかな。今は情報が勝手に入ってくるでしょ。勝手に情報が入ってきちゃうことが厄介だと思うんだよね。
自分で選ぶと当然「間違った」と思うこともあるよ。でも、間違ったことからフィードバックを得ることで感覚が磨かれていく。感覚が磨かれた状態で自分が思うことを大切にしていけば、少しは良い社会になるんじゃないかなって思ってる。
これは、人を愛することにも通じることだけどね。
―なるほど、「人を愛すること」についてはどうお考えでしょうか?
俺はね、俳優さん含めいろんな人にとにかく「自分から愛せ」と言ってる。愛され待ちをしていると“愛されていない自分”について被害者意識を持つだけで、それ以上何も得られない。自分から愛して傷ついて、自分を見つめ直して、また自分や誰かを愛せる力がついてくる。感覚を磨くのと同じで、愛することも自分から主体的にしていかないとフィードバックが得られないから、何も始まらないといつも思ってるんだよね。
『タロウのバカ』は“わかりあえない他者”とのふれあい
―人を愛することについての話がありましたが、映画のなかでも「好きってなに?」というタロウのセリフが印象的でしたよね。
あれは「好き」じゃなくてもいいんだけどね。「好きってなに?」とか「死ぬってなに?」とか「なんで空って青いの?」といったことを考えることが小さい自分を広げていく一歩になる。
例えば「なんで空は青いの?」という質問に、科学の知識や情報以外で答えようとするとき、想像力が必要になる。答えのない問いの答えを導きだそうとするときにファンタジーが生まれるし、そういう“隙間”みたいなものを大事にすると創作にもすごく役に立つと思うんだよね。
―想像力が未来への希望になる、という感じでしょうか。
そう思ってるね。この映画だってドキュメンタリーみたいに撮っているけど、実際は演じてもらっている。それでも想いが詰まっているから響くものがあるでしょ?想像力を働かせてつくったフィクションの強さみたいなものはけっこう信用しているんだよね。
―ありがとうございます。最後に『タロウのバカ』を観たいと思っている方にメッセージをお願いいたします。
映画を観るときに感情移入する鑑賞の仕方ももちろんあるんだけど、そればっかりじゃないよねと思っていて。感情移入は言い換えれば、一人の登場人物の感情に、「そうだよね、そうだよね」と公約数的に共感していくことなんだけど、『タロウのバカ』は感情移入がしにくいじゃない。感情移入はしにくいんだけど、「この人たちなに?」と自分とは違う、わかり合えない他者のような存在に触れる体験ができると思ってる。
生きていくうえではわかりあえない人が基本的には多いし、わかりあえる人ばかりを周りに置いて生きていくこともできるけど、それだと自分があまりに小さくなりすぎてしまうし、それこそ他者を排除してしまうことにもなりかねない。
だから、わかりあえない人と出会ったときにどうしようかということを大事にしてほしいという想いが個人的にはある。だからせめて、映画を観るときだけでも、外にもう少し“ひらいて”観てほしいなと。そして、『タロウのバカ』はそれができる映画だと思っています。
大森立嗣(おおもり たつし)
1970年、東京都出身。大学時代に入った映画サークルがきっかけで自主映画を作り始め、卒業後は俳優として活動しながら荒井晴彦、阪本順治、井筒和幸らの現場に助監督として参加。2001年、プロデュースと出演を兼ねた奥原浩志監督作「波」が第31回ロッテルダム映画祭最優秀アジア映画賞“NETPAC AWARD”を受賞。その後、荒戸源次郎に師事し、「赤目四十八瀧心中未遂」(03)の参加を経て、2005年「ゲルマニウムの夜」で監督デビュー。第59回ロカルノ国際映画祭コンペティション部門、第18回東京国際映画祭コンペティション部門など多くの映画祭に正式出品され、国内外で高い評価を受ける。二作目となる「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」(10)では第60回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式招待作品に選ばれ、2010年度の日本映画監督協会新人賞を受賞。13年に公開された「さよなら渓谷」(13)では第35回モスクワ国際映画祭コンペティション部門にて日本映画として48年ぶりとなる審査員特別賞を受賞するという快挙を成し遂げる。さらには、「さよなら渓谷」「ぼっちゃん」(13)で第56回ブルーリボン賞監督賞も受賞。また「日日是好日」(18)では、第43回報知映画賞監督賞を受賞する。その他の監督作として「まほろ駅前多田便利軒」(11)、「まほろ駅前狂騒曲」(14)、「セトウツミ」(16)、「光」(17)、「母を亡くした時、 僕は遺骨を食べたいと思った。」(18)がある。
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