なんとなく馴染めない、と感じたことはあるだろうか。初対面の人とうまく話せない、とかいつもの友達といるのに急に自分だけ部外者みたいって感じてしまう、とか。
急に孤独を感じることはないだろうか。理由もないのにひとりで信じられないくらい悲しくなって、自分でも言葉にできない感情に悩まされる夜。
人間の、ときに脆く繊細な存在を美しくも生々しく、独特の世界観でフィルムに描くのが映像作家UMMMI.。i-D、装苑、GINZAなどでも取り上げられた今注目の24歳のクリエーターである。今回Be inspired!は、彼女の作品や思想、現代の日本社会の中でのアートの役割について話を聞いた。
アートが教えてくれる、「自分の知らない人生」。
UMMMI.の作品には大きな映画館で観るような、ストーリーラインが分かりやすく万人が共通して同じ結論に行き着くようなものはない。たぶん、観た人のそれまでの経験や価値観で読み取れるものが無限に存在するのだと思う。それは、観客の「想像力」を喚起させる。
この想像力こそ、社会に必要なものなのではないだろうか。なぜなら、どんなに日本が政治や教育で国民を統一化させようと頑張ったって、グローバル化が進む現代では性や、人種や宗教は今後さらに多様化していくだろうし、性格や個性だって千差万別で、「違いを受け入れられるか」は今を生き抜く上でこれまで以上に要となってくる。
想像力を働かす。いつ自分が、あたしたちが、日本が、世界が、どういう状況に置かれるのか。それが一番重要なことだと思います。そうすれば、私の問題ではない場合でも、他者のことが少しは理解できるようになる可能性があるんじゃないかって。
そしてこれこそがまさにアートの力だと彼女は話す。
美術館に行ったり、映画を観たり、本を読んだりすることは色んな可能性を知ること。「こうだったかもしれない人生」…目が見えなかったかもしれない人生。めちゃくちゃ男が好きで、セックス狂だったかもしれない人生。犯罪を犯してしまったかもしれない人生。色んな人生があって、こうやって生きている人がいて、それをなんとなく許して生きている人がいるんだって知ることで、想像力を喚起させるとか、繊細な物事に気づけるようになる気がします。文化のおかげで、色んな立場に立って物事を考えてみるという力を、少しかもしれないけれど、手に入れることができる。
アートは「違いを生きられるようになる」ひとつの手段なのだろう。ただ、日本政府はあまり芸術に力を入れているとは言い難く、少し不安になる。
日本は政府が無名の人に手を差し出さないことが多い。ちょっとキャリアのある人にはやっと助成金を出したりするけど、それだけではなくて、美術館がタダとか、教育システムを見直すとか、そういうレベルでやっていかないと、想像力が育っていく基盤が薄いように感じます。
彼女がアートを通して世の中に伝えたいこと
UMMMI.は性と政治について同じテーブルで話す中川えりな氏主催のカルチャーイベントMaking-Love Clubで毎回登壇するなど、日本社会では議論することを避けられるような問題をオープンに発信している。映像はその手段のひとつでもあるのだろう。
やっぱりものを作るっていうことが自分の考えていることを一番出しやすい。ちょっとずつ社会に、フェミニズムとか、いい政治…いい政治っていうと言い方が変だけど、少なくとも人間らしく生きられるような政治を目指していくっていう考えを伝えていきたい
彼女の作品は普段は私たちが無視しがちな、“小さな物語”を題材にしていることが多い。
「なんとなく馴染めない」とかそういう繊細なことに注目していくっていう作業をしていたいと思ってて。それこそが物語だと思っています。大きなことって分かりやすいじゃないですか。セックスも政治も。一見キャッチーで分かりやすいけど、でもそれをどうやって人に伝えていくかって考えたときに、やっぱり大切なことは小さくて普段はあんまり気づかれない、繊細な物語だと思っています。作品のモチーフと物語のインスピレーションになる人たちっていうのは、もちろんあたし自身の話でもあるけど、小学校、中学校、高校、大学でなんとなく、別に何があるってわけじゃないけど、そうゆう大文字の組織でなんだか居場所をつかめなくてすごく悲しい気持ちになっちゃうとか、人と会った時に上手く話できなかったり、または話すぎてしまったり、感情の起伏があったりする人。分かりづらくて目に見えないもの、そして繊細な物語を使って、性とか政治とか、フェミニズムとか、あるいはそうじゃない色んなことについて、語っていきたい。
そしてやっぱりそれは「可能性」の問題なのだと、UMMMI.は強調する。
なんか、「あったかもしれない人生」…これについてはいつも言っちゃうんですけど、例えば電車で車掌さんのモノマネしている人とか、道端でブツブツ言っている人とか、「これあたしじゃん」って思っちゃうんですよ。普通は知らない人が見たら、ギョっとするような人が、全部自分の話だと思っちゃうんです。なんか一歩間違えたらあたしこうなっちゃうなって。
もっと分かりやすい話ですると、生きていて、例えば写真を撮っているとき急に車がぶつかってきたら、足が一本なくなってしまうかもしれない、植物人間になってしまうかもしれない。人間ってそういうやばい状況で生きているじゃないですか。なんかそういうそもそも壊れやすい世界や肉体を持って生まれてきたことについて考えてて。明日目が見えなくなるかもしれないし、耳が聞こえなくなるかもしれない。それは大きな事件だけれど、これって電車で車掌さんのモノマネをしている人に自分がある日突然なるっていうこととほとんど同じことだと思っているんです。なにかものを作るどころではない。ずっと好きな電車の路線に乗ってしまう。あたし自身が作品を作る上では、そこにスポットライトを当てるというよりは、じゃあもし自分がそうなったときにどうやって生きていこう、考えてゆこう、ということについて気にしています。
この「可能性について考える力」が、想像力でもあるのかもしれない。
愛することも、真夜中にご飯を食べてしまうことも、作品作りも、やめられない。
社会においてアートが「想像力を養う」という点でとても重要なのは理解できる。それではUMMMI.にとって個人的に作品を作り続ける理由は?と尋ねると、意外な答えが返ってきた。
本当はしんどい。作ったりするのしんどい。もちろん作るのは楽しいし喜びだけど、ものをつくるたびに魂が消耗されていく。人間って、かなり特殊でない限り生きても80年くらいの人生で何人も真剣に人を愛せないじゃないですか。人を愛するってめっちゃ疲れる作業だから….ただ、人を愛するのって疲れるし、しんどいけどどうしても人を愛してしまうのと一緒で、何かものを作ったり、主張したりするのって、すごく疲れるけどそうしてしまう。愛している人を愛することがどうしてもやめられないのと同じで、ものを作ることがやめられなくて。どっちも魂が消耗していく作業だけど、たまに一瞬だけ愛と喜びに満ちた瞬間ってあるじゃないですか。それは人を愛することもそうだし、ものを作ってるときもそうだし。愛したり、もの作ったりって普段はずぶずぶの泥沼みたいな、生きることしんどい、みたいな状況だけど、でもその中に人生を返上してもいいくらいの一瞬の喜びがあって、そのせいでやめることができない。
アートを生み出すことについて彼女はまるでそれがなんらかの中毒かのように、しかし、愛おしそうに話す。
なんかどうしてもやめられないことってあるじゃないですか。コーヒーをたくさん飲むのをやめられないとか、タバコもやめられないとか。そういうレベルでものを作っていくこともやめられないし、人を愛することもやめられないし、真夜中にごはんを食べることもやめられないし、朝寝坊するのもやめられない。これを言っちゃうと、ただ意志が弱いってことになっちゃうんですが….でも、作品を作ってしまうというのも、本当にそんな感じです。
「人間は弱い生き物で、失敗したっていいんだ」。UMMMI.と話していたら、そんな当たり前だけどわたしたちがつい忘れがちなことを思い出させてくれた。
世界中のどの時代のどの社会も完璧だったことなんてないだろうけど、テレビから流れてくるニュースを見ていると、今は過渡期なのかと思わずにはいられない。国家主義者を歓ばせたUKのEU離脱、トランプ政権を筆頭に差別的な体制へと舵をきるアメリカ、憲法を尊重しないで国民よりも国家や権力者の利益を優先しているように思える安保法制や共謀罪などの安倍政権の取り組みはここ数年でも大きなニュースだったのではないだろうか。世界中でどこか右翼的な空気が増え続けていくなか、可能性を知ること、つまり想像力が今まで以上にみんなに必要だと言えるだろう。そしてそんなチャンスをくれるアートが、今こそ重要なのかもしれない。
UMMMI.は今月、初めての個展を開催する。
政治や社会問題に関して考えるきっかけは日常にもアートにも存在する。彼女の個展を見てあなたは何を感じるだろうか。今月は想像力が広がるような週末を過ごしてみてはいかがだろうか。
※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。