「肉体は有限だけど、音楽は僕の代わりに永遠に生き続けてくれるもの」台湾で活躍するミュージシャン・YELLOWが、音楽と出会うまで

Photography: Chung Yao Cheng
Videography: Tai Hung Lin
Styling: Zemin Woo
Hair & Make: Ming
Japanese Text: Fumika Ogura
Chinese Text: Lei Jin
Chinese Translation: Natsuya Masuda
Edit: Noemi Minami
Graphic Design(P4): nul1.org
Produce: W.W
Art Direction: Shuto Otuski
Creative Direction: Jun Hirayama

2023.10.3

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 台湾を拠点に活動しているミュージシャン・YELLOWこと黄宣(ホアンシュエン)。台北のバンドYELLOWのヴォーカルであり、音楽プロデューサーとしても活動する彼は、音楽シーンだけに限らず、スタイリッシュな見た目や、洗練されたそのセンスから台湾の今のシーンに欠かせない人物である。

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黄宣(ホアンシュエン)

 本格的に音楽家として活動を始めたのは14歳の頃。ソングライターとして作詞や作曲、編曲をし始め、2018年にYELLOW名義でEP『Urban Disease』をリリースしデビュー。その後、台湾の主要音楽フェスや商業公演で活躍を始め、 2019年、プロデューサーのチア・ルン・ユーとともに、第30回ゴールデン・メロディー・アワードの “最優秀シングル・プロデューサー賞”を受賞した。

 今回の記事では、黄宣がアーティストとして活動し始めた経歴をたどりながら、今の活動スタイルへと行き着く過程、自身の表現や活動を通してこれまで感じてきたことや、今考えていることを聞き、「黄宣」がどういったアーティストなのかを紐解いていく。

ーどんな幼少期を送っていましたか?

母親がゴスペルシンガーで、姉も音楽を学んでいたので、音楽のある生活に生まれ育ったことは本当に幸運なことだったのかもしれない。その影響からか、小さい頃からライブパフォーマンスが好きで、どんなステージの機会も逃さまいと積極的に参加してたんだ。カッコつけるためだけに弦楽オーケストラのファーストバイオリンのパートリーダーをしたこともあるよ。だから、ミュージシャンになりたいと思うのは自然な流れだったね。親は、僕がいろいろ興味をもったことは自由にやらせてくれ、やりたいことを後押ししてくれるような存在で、温かく幸せな家庭だったことにとても感謝しているんだ。

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ー両親が台湾の原住民だったということをお伺いしました。あまり影響を受けていなかったとのことですが、黄宣さんにとって原住民のカルチャーというものはどのようなものなのでしょうか?

両親は原住民族出身だけど、早くから台北に来て仕事をしていて、一定の教育も受けていたから、この世代の僕としては特にカルチャー的な衝突や戸惑いがあったわけではなかったかな。21世紀の今日、原住民族のバックグラウンドを持つ人たちと一般的な漢民族は、歴史や民族、血統が違えど、民族意識を超えた何らかの共通の価値観を追求し続けている気がする。自分にとって重要なのは、「私たちがどこから来たかを決めることはできないが、私たちは共に向かう方向を選ぶことができる」ということ。文化の継承や保存ももちろん大切なことだけどね!

ー音楽以外で夢中になっていたものはありますか?

幼少期はミュージシャンになりたいという夢を持ちながら、スポーツが好きで野球が得意だったので、野球選手になるのも憧れだった。あとは、パソコンやインターネットの世界が大好きで、学校を代表してWebサイト制作コンテストに出場して佳作に入賞したこともあるよ。

ーシンガーを志すようになったきっかけを教えてください

特に具体的なきっかけがあったわけではないんだ。僕にとって音楽とは自由な感性についてであって、ライブや制作はそれをみんなと共有したいという欲望。それが自分にとって熱中できることだから、アーティストとして表現をすることは自然なことだった。

ーどのようにして音楽を学んでいきましたか?

初めての音楽体験は胎教かな(笑)。母が歌を歌ったり、ピアノを弾いたりするのが好きな人だったから、お腹のなかで聞いていたと思う。そんな母からピアノやギターを教わっていたけど、きちんと始めたのは6歳の頃。幼稚園のクラスメイトの演奏会に行ったことがきっかけで、バイオリンを習い始めたんだ。高校生くらいまで続けていたんだけど、バイオリンを弾きながら歌を歌うことがどうしても難しくて、辞めてしまったんだよね。そこからは、独学でパソコンでの編曲を始めた。自分の部屋で一日中いろいろと試しながら制作をしていたよ。

ーこれまで影響を受けてきたアーティストはいますか?

母親の影響もあって、幼少期からたくさんの洋楽に触れてきたんだ。特に、Prince、Jamie Woon、Motorhead、Chet Baker、D’Angelo、George Clinton、Queenには刺激を受けてきたな。

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ーあなたにとって音楽とはどういう存在なのでしょうか。

肉体は有限だけど、音楽は僕の代わりに永遠に生き続けてくれるもの。ヴォルデモートの分霊箱のようにね!

ーまた、自身にとって音楽を通じて表現することはどのようなことなのか教えてください。

何かを伝えたい、表現したいというよりは、音を通して届けたいということが大きいかな。聞き手にもっと大きな想像力や多様な投影力を持ってもらえるように刺激をしたいし、それが音楽の超能力だと思っているよ。

ー作詞作曲のインスピレーションを教えてください。どのようなことを題材にして表現に落とし込むのでしょうか?

もちろん、日常生活や日々の感情は表現の核となるようなものだけど、僕は作品を通してそういったことを共有していくというよりも、頭のなかで思い浮かんだ自由な物語を描いていく作業が好きかな。自分が好きな童話や映画からインスピレーションを得ることもあるよ。それらを素材として創作をするときは、原作をそのままなぞるような方法ではなくて、作者との距離感を意図的に作って、聞き手に刺激や想像力を与えられるようなものを作れるようにしてるかな。

あと、あまりジャンルにも縛られたくなくて、昔聞いた好きな言葉があるから紹介するね。
「ROCK IS MY LIFE,PUNK IS MY ATTITUDE,FUNK IS MY SOLUTION,SOUL IS MY SISTER,BLUES IS MY BROTHER,AND ROCK IS MY LIFE !」(訳:ロックは私の人生、パンクは私の態度、ファンクは私の解決方法、ソウルはわたしの姉妹、ブルースは私の兄弟、そしてロックは私の人生!

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ー過去に1ヶ月ほど日本に住んでいたとお伺いしました。住む前とその後の日本のイメージについて教えてください。

母が日本のドラマがすごく好きだったこともあって、小さい頃の日本に対する印象はドラマのなかの世界という感じ。実際に住んでみると、多様な文化があり、エンタメ産業が発達していて、おしゃれで、食べ物もおいしい…。最高です! 街を探検すればするほど思いがけないものに出会ったり、体験できたり。そこに魅力があるなと思います。

ー今後日本でやってみたいことなどありますか?

今後日本でパフォーマンスができることを楽しみにしています。そしていつか一軍ピッチャーとして、日本のプロ野球に参戦したい! 球団の皆様、よろしくお願いします!先発でも中継ぎでもOKよ(笑)

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EXHIBITION INFO

NEUT Magazine Presents YELLOW LIGHT TAIWAN EDITION
DATE: 2023.10.04 WED – 2023.10.10 TUE
OPEN: 13:00 – 20:00
VENUE: Whimsy Works
No. 7號, Lane 21, Section 1, Anhe Rd, Da’an District, Taipei City, 台湾 106

 

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