今の社会を生きていくなかで「集団」というものに身をおくことは避けられない。特に、学校生活で「集団行動」が重んじられやすい、小中高時代は。その後大学などの学校に進もうと、働くようになっても似たようなことは多かれ少なかれ続いていく。社会で生きていくということは、何らかの形で「集団」と関わっていくことのようだ。
「集団」に対する違和感を感じたことがあるか?
学校生活などで「集団」に対する違和感を感じ、これは何なのだろうと思いながらも、何気なくやり過ごしたことはないだろうか?まわりの友人たちが思いのまま本能的に行動するような小中学校時代から、高校生くらいになるとまわりが成長するとともに人間関係が複雑化して学校が「社会の縮図」のようになっていく。今回Be inspired!は、そこに存在する「混沌」や、感じた「違和感」から生まれてくるような「疎外感や寂しさ」から着想を得て作品を作っている画家Yuma Yoshimura氏にインタビューをした。
何気ない日常で、放課後どこへ行くにも集団でつるむとか、小中学校だったらある日誰かをハブ(仲間はずれ)にするとかっていうのがあって、でもみんなそれを受け入れているようで、こういうのってなんなんだろうと。そうやって流されてくるやつもいるし、その流されるってなんだろうって考えるようになったのは高校生のとき。そんな関係のなかでは一人になるのが好きで、一人で考える時間が多かった。というのもあって誰かがいるから疎外感を感じることもあると薄々感じていたね。
「作品の意味」より「描くこと自体」に意識が向いていた時代
「疎外感や寂しさ」「混沌」、そして何よりも「生」や「生きることへの執着」を表現者としてのテーマにしている彼だが、初めから作品に意味を持たせるような制作の仕方をしていたわけではなかった。南アフリカのケープタウンなど、日本人には馴染みのない場所へ飛び込み、ギャラリーに売り込んだり許可を得て民家やレストランの壁に絵を描いたりしてきた若い頃を振り返ると、とにかく描くことで必死だった、と彼は話す。その頃の意気込みは、どうあれ今後も忘れたくないという。
絵を描いて生きていこうと決めていたけれど、あんまり覚悟については考えていなくて、行動するので必死だった。特に壁画を描いていたときは、ほかの人は依頼を受けて描いていたかもしれないけど、自分の場合は依頼が来ないから「壁に描かせてください」って聞いて、yesかnoの返事で決まる感じだった。そんなことを海外で度々繰り返していて、描くことに集中していたから自分の作品の概念とかはそんなに気にしていなかった。ただ制作するうえで妥協できないところはあったし、絶対仕上げるということは自分のなかで決めていた。
描くことに対するエネルギーで溢れていたことは、決して悪いことではない。だが自分に言い訳をして気が向いたときにだけ絵を描く、展示が決まってから制作を始めるということもあった。そのときの彼に足りなかったといえるのは、「自分自身と向き合うこと」。彼からすると実際には向き合っていたつもりでいたが、思い返してみるとそれはまだ浅いもので、自分の描いた絵が何を意味するのかを理解できないでいたのだ。
本気で自分自身と向き合うときに感じる「恐怖心」
彼が自分自身と本格的に向き合うようになったのは、多くの作品を目の当たりにして、そうして自分を受け入れることでしか到達できない領域があると実感してからだった。
一年半か二年くらい前から土曜日は奥さんとギャラリー巡りをすると決めていて、巨匠から無名の作家までなるべくジャンルを問わず見るようにしていた。そのなかでアートの歴史に名を残す作品作りって自分自身と生涯向き合い続けるくらいの覚悟がないと成し遂げられないんじゃないかなって感じて。どこまで覚悟したんだろうとか、何を失ったんだろうとか。やっぱりそれだけ時間を割いて作るわけだし、それだけ何かを削っていかないと描きたいものに到達できないのかなって思ったんですよね。そう思ったときにまだ自分は浅いなって。だから成長しないとな、ってそんな感じだったのかな。
そしてYuma氏はスケッチブックに毎日絵を描き、描いたものにどんな意味があるのかを考える習慣をつけるようになる。それから作品を発表して得た反応と重ね合わせながら、自分の言いたかったことを探っていた彼だが「混沌」や「都会の喧騒」など、影響を受けたものが見えてきてからも、自分が言いたかったことを理解するまでかなり時間がかかった。そこで筆者が「ご自身と向き合うことに対する葛藤はありましたか?」と聞いてみると、彼が感じていたものは葛藤ではなく「恐怖心」だった。
向き合うことって、それこそどんなことでも受け入れることだと自分は思っていて、そうすると自分の弱い部分とかネガティブな面も一緒に受け入れないといけない。達成というか追求していくことが自分のなかでは重要だったから、目標を達成できるのかとか、この先これで生活していけるのかという不安がありました。自分で選んでいるからだけど、やっぱりほかに使う時間を削っていかないといけないし、そうやって過ぎた時間は取り戻せない。戻れないってことは追求するか堕落するかだから勇気がいるし、葛藤というよりはなんか恐怖心みたいなものを感じた。前にしか道がなくて後ろにも引けないし、だから飛び込むしかなかったから怖かったんだと思う。
あえて「表現者」だと名乗ることで、自分自身に自覚をさせる
インタビュー中のYuma氏の発言で、筆者が気になったのが「この先も描き続けていくことに、あえて使命感を持つようにした」というもの。彼は自身の肩書きを定めていないのだが、アーティストや画家、表現者だと口に出すことで、日常生活で感じる「不確かさ」や「混沌」の先にあるものを追求し作品を生み出すという役割を自分自身に自覚させている。アーティストやフォトグラファーなど表現を職業とするとき、どこからが表現者なのかという境界線がわかりにくいが、名乗ってはじめてそうなれる、という側面があるといっても過言ではないだろう。
先に述べたような集団社会に存在する「混沌」や、そこに属することで感じる「疎外感」が表れているところも、彼の表現者としての特徴だ。Yuma氏の画家としての役割は、どこかの集団に溶け込まない選択だって選べると、間接的に伝えているところにもあるかもしれない。彼は自身の作品を時折見てくれる人に「君の“行き場のない感じ”がある意味強みだよ」と言われたこともあった。そんな要素があるからこそ、自分は画家として成り立つのかもしれない、と彼は勇気づけられたという。
去年個展をやったときに、「君の背景というかどういうバックボーンからきているのか」って聞かれたけれど、自分の場合はグラフィティーやストリートアートではないし、いわゆるボードカルチャーやタトゥーカルチャーでもない。美大は卒業したけど、だからといってアカデミックなほうでもない。こうちょいちょい入っているんだけど全然特定のところに属せなくて。でも寂しさは自分で選んだ寂しさです。つまり自分で疎外感を受け入れて、寂しさを選んでいるのです。「疎外」自体を受け入れることで、「寂しさ」はポジティブな感情になり、今こうして着想源にもできるのだと思います。
「疎外感」や「寂しさ」と、どう向き合うか?
ときには、世間のなかにもう少し溶け込んで“まぎれこんでしまえば”楽なのかもしれない、と思うことがあります。でも、実際は人との関わりが複雑な日常に溶け込むと、集団のなかの寂しさを抱えることになります。どのみち人は寂しさや疎外感を抱えて生きているのです。ただそんな気持ちを抱えているのは、生きたいっていう気持ちがあるからではないでしょうか?なので、それらは生きていくためには大事な感情だと思っています。
彼の話してくれた「生きていくための大事な感情」という言葉には、他人がどうかという話ではなく、そんなことも含めて等身大の自分自身として力強く生きていこうとする彼の心情が込められている。彼はそんな思いをあくまでも個人的なことのように話してくれたが、それは多くの人にとって普遍的なものであろう。それぞれの人が疎外感や寂しさを抱えながら生きていてもおかしくない。大切なのは、一人ひとりがそれをどう自分のなかで受け止めるかではないだろうか。
Yuma Yoshimura
秩序と無秩序、そして“群集”をテーマとした個展 「まぎれこんでしまえば – magirekonde-shimaeba」を3月10日(土)〜4月1日(日)に、彼が2009年から2013年にかけて発表した作品のアーカイブと、2015年から2017年始めまでに制作した未発表作品が展示される個展「逆走-gyakusou」を3月17日(土)〜4月1日(日)に開催します。
marker, acrylic, spray, grease pencil on aluminum mounted on wood panel
1000×727mm
(個展 「まぎれこんでしまえば – magirekonde-shimaeba」にて展示)
※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。