こんにちは、車椅子ジャーナリストの徳永 啓太(とくなが けいた)です。
ここでは私が車椅子を使用しているマイノリティの一人として、自分の体験談や価値観を踏まえた切り口から“多様性”について考えていこうと思っています。そして、私の価値観と取材対象者さまの価値観を“掛け合わせる”、対談方式の連載「kakeru」第6弾です。様々な身体や環境から独自の価値観を持ち人生を歩んできた方を取材し「日本の多様性」を受け入れるため何が必要で、何を認めないといけないかを探ります。
今回は「あそび」です。医療福祉エンターテイメント®️をコンセプトに活動しているNPO法人Ubdobe(ウブドベ)代表の岡勇樹(おか ゆうき)氏。医療と福祉と音楽を掛け合わせたクラブイベント「SOCiAL FUNK!(ソーシャルファンク)」を始め、子どもから大人まで遊びながら医療福祉の仕事を体感できる「THE Six SENSE(シックスセンス)」 、音楽×ダンス× 映像×照明×ファッションに福祉的要素をミックスした、新感覚エンターテインメント「THE UNIVERSE(ユニバース)」など様々なイベントを企画・運営している。2018年にUbdobeは10周年を迎え、11月11日に10th Anniversary Partyを開催。当日はオープニングトークと題して公開取材を行った。岡さんの経験とこれまでの活動をふまえて、日本の「福祉」についてどう感じているのか、現在はエンターテインメントを通じて「あそび」のマインドからどんなことを伝えたいのかお伺いした。
会場は渋谷の人気ナイトクラブSOUND MUSEUM VISION(サウンド ミュージアム ビジョン)、出演者にはno.9 Orchestra(ナンバー ナイン オーケストラ) 、UQiYO (ウキヨ)、Loop Pool(ループ プール)、no entry(ノー エントリー)と豪華なアーティストが揃い、スペシャルパフォーマンスとしてDJ BAKU(バク)と連載の第5弾でインタビューをさせていただいたラッパーGOMESS(ゴメス)氏とのコラボレーションも行われた。
Photography: Ubdobe
音楽を愛し遊んでいた若い頃。自身の後悔から始まり懸命に活動し続けた10年間
徳永:本日(11月11日)は岡さんが代表を務めるNPO法人Ubdobeが10周年を迎えたという記念のパーティーですね!おめでとうございます。まずは10年経って今のお気持ちはいかがでしょうか?
岡:10年経ったという実感はあまりないですね。「それ先週?」ってくらい早かったです。いろんなイベントを開催してきましたが、何かを達成したことがまだないと言いますか、僕たちができることはまだまだあると思いながら今日を迎えたという感覚ですね。
徳永:ストイックにやられているんですね。本日は岡さんにとってどんなイベントになりますか?
岡:本日のパーティーはDJやバンドを始め、照明、演出、フード、運営スタッフなど10年間関わってくれた方に出演していただいてます。でも身内のお祭りという事にはしたくないので、お客様には僕がいつもお世話になっている方々、Ubdobeを支えてくれている方々を紹介したいという気持ちで開催しました。
徳永:岡さんの活動10年間が詰まったイベントになってますね。
岡:あと、最近始めている障がいを持った子どもに向けて開発したデジタルアートとリハビリテーションを掛け合わせたシステム「デジリハ」も体験できるブースも設置しました。
Digital Interactive Rehabilitation System(デジリハ)
従来のリハビリテーションをベースに、子どもの好きなモノ・コトを反映したデジタルアートを用いることで、子どもたちが意欲関心を持ってリハビリに取り組めるようにすること。そして病児・障がい児と健常児のタッチポイントをつくることを目的とし、キッズデジタルアート&プログラミングスクールを開校し、キッズプログラマーを育成します。
徳永:イベントに来られた方はご存知と思いますが、改めてUbdobeの始まりなどお伺いできますか?
岡:僕は2002年に「ウブドベ共和国」というイベントオーガナイズ集団を結成していました。音楽を中心にダンサーや映像家などを色んな人を集めて、場所も公園や海、川、森などの野外からカフェ、クラブなどいろんなところでイベントを行い、多くのお客様が集まってくれていました。それがUbdobeの始まりです。
徳永:始まりが医療や福祉ではないところなんですね。今は医療福祉エンターテイメントとして活動されていますが、きっかけなどありますか?
岡:毎日のように遊んでいたのですが、ある日母親から「入院します」と手紙が来たんです。治るものだろうと軽く考えていたのですが、実はガンで入院していて半年後には他界しました。それで僕にとてつもなく大きな後悔がのしかかってきました。多くの人が医療や福祉を知らないという状況を自分のためにも変えていかないとと思い、サラリーマンを辞め、「音楽療法」という分野があることを知って専門学校に入り、訪問介護や移動支援の仕事を始めていきました。なので医療福祉エンターテインメントの大元は真剣に音楽を楽しむ集団で、その後僕が関わる事になった医療や福祉の分野を掛け合わせたイベントなんです。
「障がいのある当事者が外に出ることが当たり前だよね!」っていう価値観が広がり文化になればいい
徳永:長年福祉の分野でご活躍されていて、いろんな人との出会いがあったかと思います。岡さんにとって「福祉がこうあればいいな」というようなお考えはありますか?福祉の仕事をはじめてから今の活動に繋がるきっかけや刺激になった人がいらっしゃればお伺いできればと思います。
岡:僕が訪問介護の仕事で初めて出会ったのは重度の脳性麻痺をもつ高木さんです。僕が出会った頃の高木さんは全く家から外に出られていない状況でした。訪問介護は引き継ぎノートというものがあり複数の介護職が情報を共有するツールなのですが、そこには2ヶ月間で眼科と耳鼻科に行ったことしか記録がなく「8週間で病院しか行けてないじゃん!」って驚きました。高木さんに「もっと外に出よう」と伝えると、当時担当していた介護職が手伝ってくれないとか、段差があるから難しいとかそういう状況だったんだと知り、じゃあ僕と一緒に遊びに行こうと誘ってお台場や横浜に行きましたね。
徳永:外に出られなかった状況から一気に変わったことは高木さんにとって大きなことですね。
岡:そしたら次は高木さんから「しゃぶしゃぶを食べたい!」って要望が出てきたので、知り合いの女の子を誘って渋谷に出かけました。僕は高木さんの食事を手伝う仕事があるんだけど、僕より女の子の方が高木さんも嬉しいだろうと思い、友達にやってもらったりしているうちにみんなが楽しんでいる空間が出来ていて、「これでいいじゃん!」って思ったんです。
徳永:高木さんも次を期待するから楽しみが増えますよね。
岡:そうなんです。今日も10周年イベントに来てくださっているし、外に出ると出会いもあるし、いいですよね?でも僕は高木さんしか出会えてないし、外に出れないという同じ境遇の人がたくさんいると思うけど、僕が全員に出向いて連れ出すことはできないから、じゃあ「障がいのある当事者が外に出ることは当たり前だよね!」っていう価値観が広がり文化になればいいなと思ったのがきっかけで法人にして続けてます。もし将来僕が車椅子に乗ることになったとしても外に出たいし、僕だけじゃなくどんな状況になってもやりたいことがあれば諦めたくないとみんな思いますよね。それをやれる環境を作っていくことです。
徳永:お話を聞くと「外に出る」という当たり前のことが、これまでなぜなかったのかと思ってしまうのですが。
岡:いや、ずっと前から活動はありました。僕は1981年生まれですが、「国際障害者年」という国連が定めた年なんです。ということは81年より以前から障がい者団体の活動があったから認められた経緯があるけど、みんな知らないんですよ。それは一般の人からすると難しいと感じるからだと思います。
それで2010年から始めた「SOCiAL FUNK!(ソーシャルファンク)」はクラブに行くような若者にも興味を持ってもらえるようにバンドやDJを呼び、クラブイベントに参加しながらライブの間にガンや障がいなど医療福祉のトークを挟み、少しでも情報を持ち帰ってもらえるイベントにしました。知ることで一般の人の価値観が変わると思うし、障がいを持つ当事者もクラブに行くことで刺激を受ける。クラブで医療福祉の情報を発信したのは僕らが初めてだと思いますが、本質的に伝えたいことは昔から活動している障がい者団体と変わりません。
「国際障害者年」
国連が定めた国際年のひとつで、障害者の社会生活の保障と参加のための国際的努力を促すことを目標とする。1981年のテーマは「完全参加と平等」で、主な内容は下記の通り。
①障害者の社会への身体的及び精神的適合を援助すること。
②障害者に対して適切な援護、訓練、治療及び指導を行い、適当な雇用の機会を創出し、また障害者の社会における十分な統合を確保するためのすべての国内的及び国際的努力を促進すること。
③障害者が日常生活において実際に参加すること、例えば公共建築物及び交通機関を利用しやすくすることなどについての調査研究プロジェクトを奨励すること。
④障害者が経済、社会及び政治活動の多方面に参加し、及び貢献する権利を有することについて、一般の人々を教育し、また周知すること。
⑤障害の発生予防、および、リハビリテーションのための効果的施策を推進すること。
(引用元:国連広報センター)
僕は音楽とアートで救われた。それをあらゆる人に伝えたいだけ
徳永:10周年イベントや、昨年開催したSOCiAL FUNKも渋谷のド真ん中「SOUND MUSEUM VISION」で行ってましたね。週末には有名DJが会場を盛り上げている大きなナイトクラブです。このスペースで医療や福祉をテーマにしたイベントを行うことに僕は価値があると思っています。それを狙ってますか?
岡:いや、ただ単純にこの場所が好きなだけです。オープンして間もない頃、僕は毎晩のようにここにきては酔っ払って遊んでいた思い出の場所です。VISIONは音も空間もすごくいい場所なのでここでみんなと遊びたいんです。
徳永:車椅子に乗っていてもクラブに行けることを発信しているイベントだと勝手に思っていたのですが。
岡:それが目的ではないですね。「障がいがあってもクラブに行こう」とか一切考えてないです。それより「僕の知ってる人はみんな来て楽しもうよ!」という気持ちが強いです。
徳永:そうなんですね!でもそれが実現できているじゃないですか。
岡:それは来てくれるお客様のおかげであって。それよりはスピーカーから発した音が人の体に吸収され、そしてその音が体から放出されて会場に広がることによって空間がまろやかになるんです。もちろんVISIONさんのスピーカーエンジニアの技術もありますが、人がいればいるほどその空間の音質がよくなるという事実がある。なのでその空間を体感して欲しいので、みんなに来てもらってそれぞれが良い空間の一部になればいいなという気持ちです。
徳永:それは面白い話ですね。岡さんの目的はすごくシンプルで驚きです。
岡:僕は音楽とアートにめちゃくちゃ救われているんです。人生で辛いことがあった時も「このアーティストやばい!とか今日のライブ楽しかった!」って思えたら生きていけるし、また観たいし聴きたいって思えますよね。それを伝えたい。そこで来れない理由や物理的な面があるなら、僕らで来れるように準備や手伝いをすればいいだけです。Ubdobeの活動は尖っているように見られがちですが、僕がやりたいことはすごくシンプルなんです。
自分が多様になるという方法もある
徳永:僕の連載のキーワードが「多様性」についてです。最近にぎわせている「多様性」ってそもそもなんだろうというところから始めました。最後に岡さんが考える「多様性」や「ダイバーシティ」の活動についてどう考えてられてますか?
岡:メディアなどでよく僕らの活動を医療や福祉のイベントで音楽やアートをやっていると思われていますが、むしろ真逆で音楽やアートのイベントで医療や福祉という“情報”を使っているという感覚なんです。なので多様性を広めるために活動をやっているわけではなく、音楽やアートの素晴らしさを伝える先にあらゆる人がいるだけであって、それが一部の人しか味わえないのは不公平だと思うから、どんな状況でもどんな障がいがあってもそれを伝えたいだけです。ここへ来て実際に体感してもらって、僕みたいに人生で辛いことがあっても「音楽で救われて人生楽しもう」って思えたらそれがいいと思います。
徳永:今ある多様性を謳い文句にした福祉イベントとは違うアプローチですね。
岡:多様性を目的にやってないといいますか、例えば「障がいがあってもなくてもみんなに優しく」という世界を目指そうとすることって、結構難しいと思うんです。だからまずは僕が楽しいと思えること、僕の周りの人が楽しんでくれることの方がイメージがしやすいのでそれを考え、作ることです。そこには僕らであらゆる人が来られるように整えていて、そして来てくれた人が自分の好きな空間やライブなど楽しみ方をそれぞれで見つけて、個々が周りを気にせず勝手に楽しんでいる空間がいいと思ってます。その空間は色んな人がごちゃごちゃしているからそれが多様性というなら多様性だし、その空間が好きなら居れば良いし苦手であれば帰ればいい。その意志を尊重することも多様性だと思うから、多様じゃなくてもいいと考えてます。
徳永:でも今日本では「障がい者も、セクシュアルマイノリティもみんな集まって認め合おう」という多様性の形にこだわった動きが多いですよね。
岡:それはそれでいいと思います。僕はアメリカで育ったのですが、隣に住んでいる人がどこ国の人かわからない環境なので多様性っていう言葉の意味がないんです。むしろ多様でしかない。でも日本はその環境になかったので今活動が盛んなんだと思います。ただ多人種であればいいと言いたいわけじゃなくて、どんな人種でもどんな環境でも楽しんで生きられていればそれでいいし、一人で楽しめない何かがあるのであれば隣の人や近くにいる人が手伝えばいい。人生を楽しむことを基準にすると自分が多様になればいいという考えもあると思います。
「多様性」は目的ではなく、その先の結果である
取材後もイベントを楽しませて頂きましたが、本当の意味でいろんな人が音楽と共に楽しんでいた。バンドマンがいればDJもいる、お酒に酔いながら音楽に酔いながら。個人的には京都でクラブイベントを主催している車椅子の兄弟がフロア盛り上げていた光景が印象的だった。空間を演出したのは兄のVJジョニー大島、弟のDJ NOAH VADER(ノア ベイダー)が音楽をかけると、ダンサーは踊りを魅せ、子どもも見よう見まねで踊りはじめていた。そしてラストバンドの照明の演出をしたのは新しいコンテンツ「デジリハ」でエンジニアをしている子どもたち。こんなに「多様」な人が一度に集まって楽しんでいる空間は見たことない。まるで未来の姿を見ているようだった。多様性を意図的に作ろうとするとこの空間にはならないだろう。音楽というツールが引き合わせた空間であり、多様性は目的ではなく結果であることがわかる。10周年イベントで来場者に配られたパンフレットには「UNIVERSAL CHAOS(ユニバーサル カオス)」と書かれていた。意味はわからないが僕が見た風景を言葉にしているように感じた。
パンフレットにはこれまでの活動と最後のページに岡さんの言葉が記されていた。その中でも「自分は何が好きで何を大切に想い何を求めて彷徨い続けるのか。本能的でいいんだ。」という一文がイベントの全てを物語っているように感じた。今回私がこのイベントで感じた空間をぜひ多様な人に体感して欲しい、そしてこの価値観が広がり「あそび」から文化になって欲しいと思います。
NPO法人Ubdobe
2008年、特別支援学校に通う子どもと普通学校に通う子ども達が主体になり、芸術活動を通してコラボレーションを実現する音楽とアートの祭典「Kodomo Music & Art Festival」を開催。これを皮切りにエンターテイメントを通じて①医療福祉のイメージアップ②従業者を増やし、質やモチベーションの向上③医療福祉サービス利用者の社会参加を推進を掲げ、イベント事業部、地域を繋ぐローカル事業部、メディア、ショップ運営と幅広く事業を展開。そして現在はデジタルリハビリテーション事業部が設置され講演会やワークショップなどで全国を廻り広める活動をしている。
Yuki Oka(岡勇樹)
NPO法人Ubdobe代表、3歳から8年間アメリカ合衆国・サンフランシスコで生活し、帰国後DJ・ドラム・ディジュリドゥなどの音楽活動を始める。21歳で母を癌で亡くし、後に祖父が認知症を患ったことをきっかけに音楽療法を学びながら高齢者介護や障がい児支援の仕事に従事。29歳でNPO法人Ubdobeを設立し代表理事に就任。現在は医療福祉系クラブイベントの企画、デジタルアート型リハビリテーションの開発、各種行政からのイベント制作やコンテンツデザインなどの受託事業を展開。