生活のストレスを取り除く機能性を備えたライフスペックな服を作るファッションブランド「ALL YOURS(オールユアーズ)」代表の木村昌史(きむら まさし)さん。
比較的“普通”の人生を歩んできた彼が憧れる、いわゆる就活を行い出世して…という王道を外れたアウトサイダーの、一見自由な生き方の裏にあるロジックやその原点を、失敗も成功もひっくるめて深掘りしていく連載「ALL YOURS木村の“よりみち見聞録”」。
その第一回目のゲストは、「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにするひと」として、国内外で活躍中の小倉ヒラク(おぐら ひらく)さん。彼は歌って踊れて作れるDVD付属の絵本「てまえみそのうた」で2014年度グッドデザイン賞を受賞し、2017年に「発酵文化人類学(木楽舎)」を出版した、世界でただひとりの“発酵デザイナー”。2019年4月には、47都道府県の発酵食品を大集合させる展覧会を控えている。
今回は、バックパッカーに明け暮れ無職で大学を卒業し、コンビニで立ち読みした求人誌の募集覧に人生を左右されるといった“よりみち”の末に発酵デザイナーに行き着いた、彼の歩みを紐解いていく。
ちなみに。
木村さん「どこでやる?」
ヒラクさん「僕が学生時代から通ってる銭湯とかどうかなあ?」
この一言がきっかけで、本当に“丸裸”になってもらい対談を行ってもらった。
「ALL YOURSの木村“よりみち見聞録”」▶︎
#000「“普通の人”だった僕は、自分で進む道を決めている現代のヒッピーに話が聞きたい」。ALL YOURS木村の“よりみち見聞録”スタート
「これはファッション業界以外の人が聞いたらがっかりするだろうね」
ヒラク:まずはキム兄(木村さんの愛称)の話が聞きたいな。大学卒業まで地元の群馬にいたんだよね。学生のときは何をやってたの?
木村:いやあバイトしかしてないんだよねえ。バイト先はアパレル大手の会社。高校3年生から大学卒業まで続けて、結局そのまま就職試験を受けて入社したの。あ、その入社試験ね、お金がなくて最初は断ったの。群馬から東京への移動費がなくてさ。でも人事がお金を貸してくれて。たぶんその会社史上唯一にして初めて人事にお金を借りて試験を受けた人間だわ。
ヒラク:ははははは(笑)。それはよっぽど欲しかったんだろうね、キム兄のこと。実際にはどんなことしてたの?
木村:いろいろやったけど、一番印象に残ってるのは辞めたあとなんだよね。その会社でつかんだノウハウを使って、いろんな小売店舗に話を持ちかけたらおもしろいことになってさ。まずは某百貨店に行ったの。まあいわゆる斜陽の総合百貨店ね。
ヒラク:微妙なゴムパンツを790円で売ってる感じのね。
木村:でもね、そこは腐ってもタイで、めっちゃ売るのよ。彼らの売れ筋ラインは2900円のジーンズなんだけど、おれはそこで4900円を提案したの。で、初年度で15万本出てヒット作になって。そしてそれを横展開して、違う百貨店に持っていったの(笑)。で、そこも売上は上々で、最後は某衣料品チェーンに持っていって。そのあとは三店舗ぐらい、みんな知ってるような大手セレクトショップにも同じ企画を持っていったら全店採用してくれたの。ちゃんと覚えてないけど、トータルで数十万本は動いたのかな、たぶん。
ヒラク:悪いねえ(笑)。
木村:もちろんフィットやスタイルなんかの仕様は違うけど、基本的には百貨店もセレクトショップも同じファブリックでやって、最後は外資系の高級百貨店でもやった。
ヒラク:やばいねそれ。同じパッケージで?
木村:そう。
ヒラク:これちょっといろんな業界がざわつくよね(笑)。これ空気読まないでしれっと書いちゃうのもすごく楽しいけど、どうかな(笑)。
思い切って載せました。いろんな業界の皆さん、すみません!
怒涛のカルチャーウェーブに浸った青春時代。
木村:じゃあヒラクくんは学生のときに何してたの? そういえばコンピュータに興味を持ったのめっちゃ早くなかった?
ヒラク:小3ぐらいかな。僕は医者に「この子は放っておいたら死ぬから鍛えなさい」って言われたぐらい本当に体が弱くて。生まれて即入院ってレベルの免疫不全で生まれてきたんだけど、でも超アクティブっていう謎の性格なのね。だから親は一年に二ヶ月ぐらい、住んでた東京の田舎から佐賀のおじいちゃんのところに僕を預けてたの。体を鍛えるために。
木村:どんなところだったの?
ヒラク:お金を使わなくても生きていけるみたいな、要はド級の田舎だね。だから結構自然のなかにいたなあ。で、同時にオタクだったから、小3でコンピュータに興味を持って、でも買うと高いから自作して。プログラミングのまねごともしてた。この頃は「Windows95」が出る前、「Windows3.1」の時代だね。佐賀ではじいちゃんと自然を相手に遊んで、東京でも似たようなものなんだけど、すぐに風邪を引いて、一週間ぐらい学校に行けなくなるからパソコンいじったり、本を読んだり、時々ぼんやりして。そんな幼少期だったね。
木村:ヒラクくんの多面性って、佐賀と東京の二拠点生活で作られたんだね。
ヒラク:まあ基本的にはのんびり育って、高校はちょっと都会のところに行ったのね。そしたら同級生がすごく都会っ子でさ、友達が全然できなくて、孤独になったの。もう友達がいなさすぎてさ、いたたまれないから高三の夏休みにひとり旅に出るんだよね。ポール・ボウルズの小説とかに憧れてさ。タイとかラオスあたりに。なんかバックパック担いで。
木村:逃避行的に?
ヒラク:そうそう。でさ、これすごく鮮明に覚えてるんだけど。バンコクに着いた夜にドミトリーのドアを開けたら、ジョン・レノンみたいなお兄さんとオノ・ヨーコみたいなお姉さんが下着姿ですっげえマリファナキメてたの。僕は「こんな感じで吸うの?えええ!?」みたいな(笑)。で、あっちはあっちでアジア系の子どもが入ってくるのを見てポカーンとしててさ。
木村:「未知との遭遇」だ(笑)。
ヒラク:そうそう(笑)。ウケるよね。そのドミトリーのジョンとヨーコ、あとはほかのスタッフも優しくてさ。何にもわかんない僕にいろいろ教えてくれたの。学校でしか使ったことない英語も身振り手振りしながら話したらも意外と通じて。でさ、田舎のほうに行くといかにもその時代の冗談みたいなカルチャーもあってさ。ジョン&ヨーコみたいなバックパッカーたちがハッピーピザっていう、マジックマッシュルームが乗ったピザを食べて川遊びするんだよ。ハッピーピザ、ベリーハッピーピザ、ベリーベリーハッピーピザってハッピーの量が選べるんだよね。
木村:ははははは(笑)。
ヒラク:でさ、そんなカルチャーを知ったあとに普通の日本の学生生活に戻るわけだけど。まあいろいろ難しいよね。
木村:つまんなく感じちゃうよね。
ヒラク:その頃からいろいろとネジが外れ始めてたんだけど。まあ大学はちゃんと行こうと思って、早稲田大学に行ったら、予想以上に狂ったやつがいっぱいいたわけ。
木村:今はない第一文学部ね。
ヒラク:そう。そんな大学に入ってもバックパッカーは続けてて、まあ要は遊んでたんだけど、たまに友達からデザインの依頼を請け負ったりしててさ、その延長線上で個展をやることになって。で、その個展を開く過程で出会ったユーゴスラビア(現・クロアチア)のミルコって画家と仲良くなって、「パリに住んでるんだけど、あっちで展覧会をやってみない?」って言われて。
木村:いきなり?
ヒラク:そう。まあフランスには行きたかったし、バックパッカーついでに展覧会できたら超いいじゃんと思って、教えてもらったギャラリーと手紙でやり取りしてたらさ、「ミルコからその話は聞いているよ。なんかしばらくこっちに住むんだよね。君のお世話は僕に任せてよ」って返事がきて。「いや住むとは言ってないぞ!」と。
木村:ははははは(笑)。
ヒラク:まあでも住むことになってるんだったら住もうかなと思って。で、休学して、個展する予定のギャラリーがあったベルヴィルっていう移民街に行ってさ。そこにいる人の多くは中東系かアジア系の人種のるつぼ。パリをはじめヨーロッパにはけっこうな期間滞在していたんだけど、この時に受けた影響がいっぱいあって、そのひとつは「マルチカルチャーは普通」ってこと。
木村:はいはい。
ヒラク:日本に住んでると付き合うのが基本的に日本人ばかりじゃん。宗教もぼんやりしてるし。でもたとえばパリのベルヴィルは本当にカオスで、朝起きるときにどこかからコーランが聴こえて、昼ごはんは肉まんとかベトナミアンサンドイッチで。友達はチュニジア人、ブラジル人、アフリカルーツのフランス人にイギリスの貴族もいるみたいな、そんなわけのわからない感じで。だからいろんな文化が共存してるのが普通だと思うようになったのね。そんな環境だとマイノリティはつらい思いをしなくて済むし。で、僕はそんな環境でもまあわりと珍しい日本人ってことで興味を持ってもらえたの。日本人は普通もっと街の中心のハイソな場所に住むからね。
木村:これまた未知だったんだろうね。
ヒラク:うん。で、このとき本や映画をめちゃくちゃ見てたのが役に立ったの。「禅って何?」って聞かれたら鈴木大拙(すずき だいせつ)(*1)の本とか読んでるから説明できたし、妖怪の話をしたら「すげえ!こいつ!いろいろ知ってる!」ってなるわけ。そしたらアジア系の展覧会や演劇をやっているときには必ず呼ばれて「解説しろ」って言われてさ。「これはあの本で見たな」って感じで役に立ったのさ。
木村:これまでの経験が生きたんだ。
ヒラク:そんなマルチカルチャーに親しむうちに、アジアのカルチャーを大切にすべきだなと思ったの。あとは「ルーツを掘る」ってことが最高だなと気づいたんだ。結果これが今の活動につながってくるんだよね。海外でコスモポリタンに活動した結果、僕はより自分のアイデンティティのディープルーツを探りたくなって、それは今の活動につながってるなあ。
木村:ちなみにさ、フランスにいたときの印象的な出来事とかある?
ヒラク:本当にたくさんあるんだけどねえ…僕は当時から漢字が好きで白川静(しらかわ しずか)(*2)さんの辞典を地下鉄で読んでたのね。そしたら背後に視線を感じて、後ろをふり向いたら、育ちのよさげなお兄さんがいて。「お前は中国人か?」「いや日本人だよ」みたいな話になって、カフェに行っていろいろ話してたの。それで彼が「うちに来なよ」って言うから、後日教えてもらった住所のところに行ったら、エリゼ宮から歩いて一分くらいのお城みたいなところに着いて、「え、これ?嘘でしょ?」って。彼、イギリス貴族の末裔だった。
木村:訳わかんないね(笑)。
ヒラク:当時は貧乏だったから、お腹が空いたらよく彼のうちに行って、メイドさんにお世話になって。彼女たちにはフランス語とテーブルマナーを教えてもらったりしたなあ。「あなた、フォークとナイフの使い方知らないの?」って。いやあ懐かしい。
木村:めっちゃいい話だなあ(笑)。
ヒラク:でしょう。ていうかさ…。
木村:うん?
ヒラク:熱くない?
木村:…出ようか。ビール飲もう。
(*1)日本の仏教学者。特に禅についての研究と国内外での普及に尽力。禅についての著作は英語でも著されており、禅文化を広く海外に伝えた。
(*2)日本の漢文・東洋学者。漢字の起源や生まれた背景を研究し、漢字論のを確立させた。特に漢字に関する著作を多数発表している。
無職と起業と就職と。
ヒラク:そんなこんなで帰国したんだけど、就職活動を完全にスルーしてて。ていうかあまりにも浮世離れしてて、就職活動の存在を知らなくて。無職で卒業したの。それでフランスの金持ちの友達にお金を借りて、ゲストハウスを立ち上げて。
木村:ちょっとよくわかんないところもあるけどそれで?
ヒラク:ちゃんとお金は返したよ(笑)。バックパッカーが好きだったけど、ルーツを掘りたいという矛盾した気持ちの解決策が「行くんじゃなくて呼べばいい」だったの。だからゲストハウス。それを二年間やったんだけど、一年目から繁盛して。でも警察からマークされてちゃったんだよね。毎週末DJ呼んでホームパーティやって、しかもフランス語圏のゲストが多かったから、中東とかアフリカ系の人たちも多くてさ。いやこれ本当にふざけんなよと思うんだけど、“黒人やアラブ系のヤツがいっぱいいる=怪しい”みたいな認識で警察が来るの、ひどいよね、差別だよ。
木村:だねえ。
ヒラク:まあ馬鹿騒ぎしてたのは事実だけど。で、僕もそんな生活を続けてたら、だんだんと、さらに浮世離れしていくのがわかるんだよね。もともとそんな感じだったのに、社会人になってもそうだったから、これはまずいと思ったの。
木村:“社会人”って認識があったんだ!(笑)。
ヒラク:あったよ!(笑)。だからこんな生活はまずいかもなあと思って、たまたまコンビニで見た求人誌のスキンケア用品の会社のバイトに応募して、同時にゲストハウスも経営してたの。バイトなら兼業ができるからね。その会社が当時はまだ小さいベンチャーでさ、ガンガン成長したのね。周りのノリもいいし大事なクリエイティブをどんどん任せてくれるみたいなところで、仕事がおもしろくなってきてさ。ゲストハウスの運営は友達に任せて、デザイナーとしての一歩を踏み出したのがそのときだね。24歳か25歳かな。
木村:濃いなあ。ここまでの情報量が多すぎる。
ヒラク:結局そのスキンケア会社の社員になって、インハウスデザイナーになったのね。それで外部の広告代理店やデザイン事務所に依頼するような仕事も任せてもらえて。だからデザインが会社の営利活動の一部だってことが体感的にわかって。そういうことはその会社の社長がいろいろ教えてくれたな。
木村:いい社長さんだね。
ヒラク:うん。デザインとビジネスのバランス感覚はそこで磨かせてもらったかな。そのあと独立するんだけど、ひょんなことからそのベンチャーで後輩だった女の子に連れられて、味噌の醸造所に行ったことで発酵の道に入っていくんだよね。まあこれはいろんなところで話したり書いたりしてるからもういいか。
木村:この連載は無名時代という名のよりみち時代の話だからね。にしてもさ、何かやりたいことがあるというよりは、目の前にあるおもしろいものに取り組んでいるうちにここまできたって感じだね。普通やってることに対して意味を見出さないと不安になると思うんだけど。
ヒラク:そうなのかなあ。だって意味って自分の主観によるものでしょう? あんまり深く考えなくてもいいと思うよ。
「人生に意味なんて求めなくていい」
ヒラク:「運命の出会い」は劇的だってよく言うじゃん。あれって僕間違ってると思うんだよね。だって出会いの瞬間に「運命だ!」って自分が認識できるならそれは運命じゃないじゃん。「運命の出会い」ってすごく地味だと思う。5年後とかに振り返って、「あーあそこで自分の人生大きく変わったなたぶん」って、そんな感じ。
木村:発酵との出会いもそうだもんね。
ヒラク:そうそう。「あーこれなんかあるかも?」の前段にはいろんな地味な出会いがあったし。ミルコに出会ったときもなんとなく仲良くなって、なんとなくパリいいねえという話になっただけだし。だってスキンケアの会社もさ、コンビニの求人誌の立ち読みから始まった縁だからね。いやよく考えるとひどいよね、その求人誌買えよみたいな(笑)。
木村:確かにね(笑)。
ヒラク:まあ僕は人生なんとなくでやってきたからね。だから人生が変わるタイミングは、今この瞬間にはわかんないものなんだと僕は思う。意味を求めるのは人間のバイアスだから。究極なことを言うと、自分が今している仕事も、いかにバイアスを外すかで出来が決まってくるもん。人生に意味なんて求めなくていいよ。
木村:この考え方ってまじで“LSD”ってドラッグやってたピッピーと一緒だからね。
ヒラク:そうだね(笑)。これはわかる人にしかわからないと思う。まあ人生のアレコレに過剰な意味付けをしないほうがいいと僕は思うの。いや、さすがにこの発言は現代人を辞め始めてる気がするな。ま、今日はこんな感じでいいんじゃない?
木村:そうだね。ありがとう、また飲もう!
さて今回の対談、いかがだったろうか。
「ハッピーピザって文化があってさ」に代表されるアウトサイダーっぷりと、「まあ僕は人生なんとなくでやってきたからね」に代表される無計画なみちのり。これらを総じて言えるのは、「人生に意味なんて求めなくていい」というヒラクさんの言葉に集約される、“無計画な生き方のススメ”、そんな感じになるだろうか。
悪魔のささやきにも天からの福音にも聞こえる言葉の数々。あなたにはどのように聞こえただろう。
小倉ヒラク(おぐら ひらく)
発酵デザイナー。「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにするひと」として国内外で活躍中。歌って踊れて作れるDVD付属の絵本「てまえみそのうた」で2014年度グッドデザイン賞受賞。
来年4月に47都道府県の発酵食品を大集合させる展覧会「Fermentation Tourism NIPPON〜発酵から再発見する日本の旅〜」を控える。展覧会の開催に向けて一般向けのクラウドファンディングが近日スタートする予定。