「😅」の絵文字が苦手なのは、不透明なコミュニケーションだから。雪下まゆが『このゲームにはゴールがない ひとの心の哲学』を読んで学んだこと

2023.1.31

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雪下まゆが綴る「つぶやきでは語りきれないこと」

作家の雪下まゆによる連載。毎回一冊の本を通して、絵では伝えられない自分の話をTwitterのつぶやきではできない、もっと濃い形で読者と共有していく。

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「娘が、卵焼きの味について本音を隠していた。その瞬間、娘は父にとって不透明になった」と帯に書かれた言葉に興味を抱き、『このゲームにはゴールがない ひとの心の哲学』(古田徹也著)という本を手に取った。

これは、筆者が作った卵焼きの味が好みではなかったのに、3歳半になった娘は気を遣って本音を隠していることに気付き複雑な感慨を覚えたという話。

私も人と人とのコミュニケーションの複雑さについて日々考える。

例えば、最近テレビでZ世代が嫌いな絵文字第一位として取り上げられていた絵文字。

「😅」

相手が中年男性かどうかは別として私もこの絵文字が大いに苦手だ。
茶化されたり引き笑いをされたりしているようにも見え、相手の本心が見えずなんとも居心地の悪さを感じる。
この文章を書きながら気になって「😅 意味」で検索してみる。

😅はいくつかのまったく違った意味をもつ絵文字です。一つは危ない状況を回避できたこと。もう一つは相手のミスの指摘または皮肉です。

私たちは絵文字=「嬉しい」「悲しい」「怒り」など端的に感情を表すことができる記号として捉えているが、テキストのやり取りのなかで相手の意図を推測する複雑さは対面で会話するときとさほど変わらないのではないかと思う。

このように人間は日々大小さまざまな不信や恐れを抱きながら生きている。

相手が何を考えているのか知りたい、人間がもっと単純なコミュニケーション様式だったら衝突は起きないのに、そう思ったことは誰しも一度はあるはずだ。

今回紹介する『このゲームにはゴールがない ひとの心の哲学』(古田徹也著)は「懐疑主義者」と呼ばれる哲学者について議論しながらその答えを導く哲学書になっている。

「懐疑主義」というのは、端的に言えば笑顔の人が本心では喜んでいるのか分からないのと同じように、表情や身振りや声からしか他者の心は推測することができないため他者の心を知ることはできない、といった考え。

きっと私たちはこの考え方に陥りやすいと思う。どうせ人や気持ちなんか分からないのだ、と。

しかし本書はこの懐疑主義に対し異論を呈した哲学者・ウィトゲンシュタインとカヴェルの議論を通じ、他人の心が分からないのは当たり前でそれを嘆くことに違和感があり、その事実にどう割り切りをつけて現実に向き合い続けていくかということを教えてくれる。

本書でキーワードになる「言語ゲーム」という言葉がある。
この言葉は、喜んでいるように見えて内心は怒っていたり、辛いのに平然としたふりをしたり…など、表面的な要素だけでは何を考えているのか完全には分からない不透明なコミュニケーションを示している。筆者の娘が成長の過程で本音を隠すようになったり、「😅」で表情は笑っているのに皮肉を示す場合があるのもその一例だ。

こうした「嬉しい」「悲しい」「怒り」「愛情」など不透明な心の要素でコミュニケーションをとることを言語ゲームと呼ぶらしい。
私たちにとってこの言語ゲームは日常的に当たり前に行われている。

しかしこの本はどう言語ゲームを上手にこなすかという話ではない。むしろいろんな側面を持ったこの言語ゲームの必要性に目を向け ている。
筆者は帯で成長により娘が不透明な存在になったことについて複雑な感慨を覚えたと話していたが、不透明だからこそ彼女の行動やその理由、物事に対する捉え方を理解することができるようになると結論づける。そして、そのためには自分自身に喜怒哀楽、欲求、愛情、希望、嫉妬といった心が必要で、同様に彼女が筆者を理解するためにもそれは必要だ。
このように実は言語ゲームには私たちの心を通い合わせ、私たちを孤独から救うという側面もある。
つまり、言語ゲームがある所に孤独は存在しないということになるのだ。

とはいっても冒頭に書いた「😅」のように、言語ゲームが私たちの間に不信や摩擦を生み、時には孤独を抱える原因になることも否定できない。
どうして私たちはこうした悲劇を生む言語ゲームを続けるのだろうか。

本書のなかで夏目漱石のエッセイ『硝子戸の中』のエピソードが語られる。夫がいながら不倫相手の青年と熱烈な恋愛関係になった女性が、不倫ゆえ青年の愛を受け入れることができずに青年が自殺したことを嘆き、漱石に相談する話だ。
このように不透明な他者と関係し合うことは喜びと美しさに満ち溢れた素晴らしいものであると同時に悲劇の原因にもなる。にもかかわらず、それらは孤独に耐えられない私たちが求めてやまないものでもある。

筆者は以下のようにも述べている。

我々は生き続ける限りこの半透明性から逃れられないし、完全に逃れようともしない。(p274)

例えば、この厄介な言語ゲームの必要をなくすために自分だけ他者の気持ちが全て分かる神様のような存在になったとする。確かにそれは懐疑主義者のように他者の気持ちが分からないことを嘆くことに対しての解決策にはなる。でもそのときこそ世界でただ一人の本当の孤独を味わうことになってしまうのではないだろうか。

敢えて、このゲームのゴールの意志目的を挙げるとすれば、それは、ゲームを終わらせないことそれ自体である。(p270)

孤独に耐えることのできない私たちは結局このゲームを続けることしかできない。
喜びや悲しみ、希望や失望全ては言語ゲームのなかに存在する。

私は今まで、人間に生まれたことで生じる複雑なコミュニケーションに対して疑問を感じてきたが、他者との関わり合いを持つこと自体が当然のことすぎて、それを続けている意味について改めて深く考えることはなかった。
しかし本書を読むことで、孤独では生きていくことができず、喜怒哀楽や希望、愛情が必要な私たちは不透明な他者と関わり傷つくことが必要で、その理由をまずは知ろうとすることが重要だということがわかった。

冒頭で書いたような勘ぐりに遭遇したときにもこの理由を理解した今なら少し前向きに捉えられそうな気がする。

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