作家の雪下まゆによる連載。毎回一冊の本を通して、絵では伝えられない自分の話をTwitterのつぶやきではできない、もっと濃い形で読者と共有していく。
最近、広告やSNS上には「自己肯定感を上げよう」「コンプレックスは最大の武器!」「自分を愛そう!」という言葉が溢れている。セルフケアに関連する言葉が、自然なものとして私たちのなかに根付いてきたのは、とても素晴らしいことだと思う。しかしその輝かしい言葉の力で、実際にコンプレックスの苦しみから抜け出せる人はどれほどいるのだろう?と疑問に感じることがある。
今回紹介するのは、心理学者・河合隼雄(かわい はやお)氏の著書『コンプレックス』(岩波新書)だ。
この本の紹介文には、次のように記されている。
現代の10〜20代は、物心ついたころからすぐにスマホを通じて世界中と繋がることができるようになった。良い面もある一方で、比較対象が多すぎるのも事実だ。加工技術が発達したことで、テレビのみならず身の回りにも絵画のように美しい人たちばかりがいるように感じる。
最近はAI美女が登場し、何がリアルかも分からない。そのうえ、SNSでは赤の他人に自分の容姿や人格を評価されて落ち込んだりする。まだ未成熟な若者がそのような環境で育てば、並外れた美貌を持ち合わせていない自分は必要とされないのでは?という錯覚に陥るのも無理はないだろう。
私自身10代から20代前半にかけて、容姿をはじめさまざまなコンプレックスに苦しんだ。
外出のためにメイクをしても「こんな顔で出かけたくない」という気持ちで泣いて予定に遅刻したり、友人と撮った写真を見ては絶望的な気持ちになったりした。また、当時は発達障がいという概念を知らなかったため努力してもルーティンがこなせない自分を理解することができず、人との交流では苦手な父親と同じ振る舞いをしている自分に対し自己嫌悪に陥った。
当時、前述した輝かしい言葉を聞いても私には響かなかった。そんな言葉は綺麗事に過ぎないし、コンプレックスなんかなくなれば良いと思っていた。しかし、本書の後書きには次のように書かれている。
一言で表すなら「コンプレックスは最大の武器」ということだろうか。今でもこれを聞くと、武器になるようなコンプレックスでよかったね、と皮肉に思うこともあるし、素直に受け入れることが難しい瞬間もある。しかし、本書には、ユングを筆頭とするフロイトやアドラーなど多くの研究者たちの事例、そして河合隼雄氏の丁寧な考察が述べられており、コンプレックスの構造や本質を知ることでこの言葉を受け入れやすくなった。
本著で語られる「ユング心理学」を提唱したカール・グスタフ・ユングは20世紀初頭に活躍した心理学者で、心理療法の分野で大きな影響を与えた人物である。彼は人間の無意識がどのように人々の考えや行動に影響を与えるのかに着目して研究を行った。
コンプレックスはどこから来るのか?
第一章ではコンプレックスとは何かについて語られている。この言葉は日常的に使われるが、それが具体的にどのようなものなのか私たちは理解していない。それを理解するために以下の3点を認識する必要がある。
1「何かについて劣等であること」
2「あるいはその劣等性を認識すること」
3「劣等感コンプレックス」
例えば、仲間が集まってソフトボールをするときに「僕は下手だから」といって応援に回ったりボール拾いをしながら楽しく時間を過ごしたりするAという人物がいるとする。彼はソフトボールについて「劣等」を認識しているが、劣等感コンプレックスを持っていない。一方で、Bは下手なのに無理にピッチャーになりたがったり、失敗したことをぶつぶついったりしている。彼は劣等であることを認めていないため、コンプレックスを持っていると言えるのである。
ソフトボールのように勝ち負けがはっきりしていたり、上手い下手が分かりやすかったりすることにまつわるコンプレックスは実際にソフトボールの練習をし、それ以上上手くはなれないと事実を認めやすい。しかし、例えば先述した私のような悩み「容姿」「父親」「障がい」などは、どこまでがそれらに対しての最大限の努力なのかが分かりづらく、解決できない。そういったことは、どう対処したら良いのか。
先程のソフトボールの例を借りて、この問題について考えてみる。
ソフトボールができないことに対してなぜ一方はコンプレックスを持ち、一方はコンプレックスを持たなかったのだろう。本書には次のように書かれている。
ここで大切なのは、Aは自分のなかにある「劣等」を俯瞰で見ることができている点にあると思う。
Bのようにできないことを「いやできるはずだ」「あんなことで喜ぶのは馬鹿な人間だ」などと考え、そこに優越感が入り組んでいることの複雑性こそがコンプレックスたる所以である。
私がコンプレックスに苛まれていたときに過ごした場所は、一学年100人に満たない小中高一貫校、うまく馴染めなかった大学、そして苦手な父親のいる家庭だった。狭い世界で視野が狭くなった私は、主観的にしか物事を見ることができず、全てうまくいかないのは、容姿のせい、父親のせい、劣った性格のせいだと考えていた。
しかし社会に出て今までと全く違う環境で育ち過ごす人々に出会ったことをきっかけに、世界を俯瞰して見ることが少しずつできるようになったとき、見えない何かと比較し続けることの無意味さや簡単に自分の価値は失われないことに気付くことができた。
精一杯できる限りの努力をしている自分の容姿には、ある種前向きな諦めと誇りを持てるようになったし、父親の嫌な側面を認識していたから自分の脆い部分に気付くこともできた。発達障害の仲間はたくさんいることを知って、自分が得意なことと不得意なことをしっかりと認識することができた。
「つまり、ソフトボールが苦手なら応援やボール拾いを楽しもうという考え方へ徐々にシフトチェンジすることができ、「これで満足。これ以上求めてもキリがないから良しとしよう」という精神が根付いていったのだ。
コンプレックスは人格の発展のいとぐち
第二章では、ある一例を用いて「心の相補性」というものについて語られている。
ある女子学生が、対人恐怖症ということでカウンセラーを訪れた。この学生は良い両親に育てられ何の悩みもなく、勉強一筋で成長した。同級生が服装についてや異性の噂話をし始めたときも全く関心がなかった。大学も思い通りに入学し、好きな勉強にも専念できていたのに、最近になって対人恐怖症になり、勉強も面白くないという状態になっていた。さらにその学生は自分は人間全部が怖いのではなく男性が恐ろしいのだと気付く。また、同級の女子学生のAは化粧が濃いから嫌だ。Aは大学へ学問をするためではなく、異性を探しに来ていると感じ怒りを覚えると話した。話し合いを重ねたあと、彼女はなんとなく学校に行く気になり、そのうちにパートナーまで作った。症状が良くなったから治療を終わりにしたいと来院したとき、彼女が化粧をしていてカウンセラーは驚いたという。
一見何一つ問題のないように見える彼女の無意識下では、長年自他ともに「勉強熱心」だと認められてきた彼女が、異性に関心をもつ傾向が無意識内に湧きあがってきたことで、それまでの確立された安定を崩されたくない圧力から、彼女にとっては原因不明の苛立ちや嫌悪が形成され、その産物として対人恐怖症が生まれていたのだ。
コンプレックスに対する反発は同級生のAに対する非難と言う形で表現された。しかしカウンセラーとの話し合いを通じて次第にその存在を認め、それに伴う感情を放出した後には、コンプレックスを自己の中に取り入れ対人恐怖症の克服に成功したのだ。
この話で分かることは、コンプレックスは人格の発展のいとぐちになるということである。
コンプレックスを拒否しない
最終章「自己実現」では次のように記されている。
この本を読み終わったとき、出版が1971年であることに驚いた。情報や比較対象の無限の増加は現在も、そして今後も止まることはないだろう。私たちは容器を大きくすることにばかり注力して、その中身が粗末になっている。「セルフケア」や「ボディポジティブ」「自己肯定感を上げる」など、最近はその人らしさを肯定するさまざまな考え方や言葉が出てきて、私自身も救われている。しかし、世の中には「美しい言葉」では対峙することができない、たくさんのことがある。「AI美女」のような男性視点の性的な女性像の増加や、若者たちの貧困や犯罪、その動画で笑う人々、ヘイトによる分断など、うんざりするものばかりが強烈な速さで増加しているように感じる。そんな世の中では、「美しい言葉」が浸透しても、耳触りのいい表面的なイメージだけが広告で使用され、その本来の意味が形骸化するのも早いだろう。
著者は最後にこう述べている。
結局私たちは、自分のなかに形成されるコンプレックスを拒否するのではなく、それがなぜ生まれたかを自分自身で探求し、苦しいとしてもその対峙を繰り返すことで、自我を強くする必要があるのだ。
これが自己実現の過程であり、私自身もこれを書いている今も新たなコンプレックスについて考え続けている。ただ、その繰り返しのなかで身につけた「これで満足。これ以上求めてもキリがないからよしとしておこう」という意識が、その対峙を手助けしてくれている。
※1971年に出版された本書には、この記事の筆者・雪下まゆ及びNEUT Magazineが賛同しない表現も含まれています