その日、17:00からの告別式に間に合うように、僕は青山霊園に向かっていた。
職場と自宅は神楽坂にあって、すぐ近く。
いちど家に帰り、口をゆすいで、絞った手拭いで首と顔を清めて、さらに着替える時間もあった。まずは喪服に袖を通したけれど、やはり思い直して平服、チョッキとネクタイにしておく。これでもまあ、失礼ではないだろう。死んでしまった彼はそんなこと気にしないだろうな、とも思うから、僕はあえてスニーカーに足を突っ込んだ。
家を出て、通りで車を拾う。
今はタクシードライバー氏と「どの道をどうやって行く」などという事務的な話をしたくなかったので、青山霊園の住所をナビゲーターに入力してもらい、あとは、車窓から流れる景色を眺めていた。
車は市ヶ谷から四ッ谷、迎賓館から権田原を抜けていく。東京は緑が多い。やがて、神宮外苑のいちょう並木から、青山の巨大な墓地に入る。もう黄昏時が、随分と近づいていた。
墓地、墓地、墓地。
あたりまえだけれど、周りは石の塊ばかりだ。青山霊園は特に規模が大きい。広くて、しかもフラットにどこまでも続いている。あまり、このようなデザインの空間って他に見ないなって、改めて思う。墓地というものは、もう少し、見渡せる広さか、そうでなければ斜面の立地が多いから。青山の墓地群を車で通り抜けるとき、だから、いつも僕は不思議な気持ちになるのだけれど、この日はさらに、友人の告別式だったこともあり、なんだか、感傷的になってきた。これまで、石の塊だと思っていたひとつひとつに、このような思いが詰まっていたと分かったからだ。
ああ、これだけの数の人の想いが、アーカイブされた場所だったんだ、ここは。
「さらに遠く、私が見渡すことができるのだとしたら、それは、巨人の肩の上に乗っているからでしょう」
17世紀、イギリス。サー・アイザック・ニュートンは知人への手紙の中で、このように書いている。
馬鹿みたいだって思うかもしれないけれど、友人の死に接して、巨大な墓地を見て、僕はニュートンのこの言葉を思い出していた。この「巨人の肩に乗る」という言葉を。
おそらく彼は謙遜ではなく、哲学、建築、自然科学、あらゆる文化と学問は、すべてつながっていて、ニュートン力学や微積分学は自分ひとりで作ったものではないと、思っていたのだろう。
「スイッチを押せば、部屋の明かりがつく」という、現代の僕らの当たり前の生活は、すべて先人たちの歴史と努力の上に成り立っていて、その上で、僕らは次の世代が肩の上に乗れるように前に進もうとする。
さらに遠く、さらに遠く。その景色を見るためには、自分一人ではできない。先人たちという巨人の肩に乗り、ようやくそれができるようになる。
その巨人を僕らは「アーカイブ」と呼ぶ。
本棚に挿さっている本たち。ジュークボックスのレコードたち。今、僕が使っている言葉と文字。たとえば青山の墓地。科学の進化と系譜。水・電気・ガス・回線、すべてのインフラストラクチャー。インスタグラム。ストリートファッションのスナップショット。
インターネットが、もう一つのストリートになった今、アーカイブは目録を必要としないものになった。
すべてがアーカイブされていく。
そしてそれは巨人となり、誰かを肩に乗せる。
誰かにインスピレーションを与えて、遠くの景色が見られるようになる。
さらに遠く、さらに遠く。
なんて素敵な未来だろう。
さて、僕が青山の式場に着いたのは、夕焼けが一番きれいな時間だった。
沢山の弔問客が溢れているけれど、結局、そこにいたのは黒い服の人ばかり。そりゃあ、まあ、そうだよねえ。
やっぱり僕はドレスコードを間違えてしまったみたいだ。
でも、いいんだ。遺影の彼は花に包まれて、僕らに向かって笑っているから。
彼はこういうとき、アハハと笑ってくれるから。
そんなことを考えていたら、あまり誰とも、話したくなくなった。僕は献花をして、知人や友人に遠くから会釈だけして、その場を去ることにした。
どこかで、ひとりで飲もうと思う。以前、彼からもらった本でも読みながら。
彼は落語が好きだった。
彼は本が好きだった。
彼は音楽が好きだった。
献杯。
こうして彼もアーカイブされていく。
ねえ、きっと、これから君は、僕らを肩に乗せてくれるんだね。
ありがとう。
そうやってアーカイブが僕らを繋げて、僕たちは、さらに遠くを見ることができる。
夕焼けの青山は、すごくきれいだった。僕はきっと、忘れないだろうな。
柳下恭平(やなした きょうへい)
10代後半に世界を放浪。
帰国後、複数の職を経て、校正・校閲の専門会社「鴎来堂」を創業。その後本屋と版元も立ち上げ、2018年9月には本棚専門店をオープン。出版業界のほぼ全域に関わる。「〆切の妖精」と「知のドワーフ」の愛称で親しまれる。
柳下恭平さんも登壇。
NEUTALK@NEUT BOWL 2019
イベントの詳細はこちら
紙のメディアとウェブのメディアが共存する現代で「情報や表現を印刷する理由と、印刷しない理由」の本意は?インディペンデントマガジン『HIGH(er) magazine(ハイアーマガジン)』のharu.と、鴎来堂や、かもめブックスなどの代表を務める柳下恭平、藤原印刷の後継者である藤原章次を招いてテーマを掘り下げるトークセッション「NEUTALK」。
トークゲスト:
haru.(HIGH(er) magazine/株式会社HUG)
柳下恭平(鴎来堂/かもめブックス)
藤原章次(藤原印刷)
モデレーター:
JUN (NEUT Magazine編集長)
※本イベントは、NEUT Magazine1周年記念イベント「NEUT BOWL 2019」で開催するトークイベントです。
NEUT BOWL 2019 〜NEUT Magazine 1周年記念イベント〜
日程:2019年10月26日(土)
時間:OPEN 19:00 / CLOSE 24:00
場所:笹塚ボウル
規模:約300〜500名
事前登録:以下のリンクから事前に参加登録された方には、イベント限定ステッカーをプレゼントします!
入場料:無料にするためのクラウドファンディング実施中!
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