渋谷で信号を待っていると、突然目の前の女子学生たちが一斉にスマホカメラを構え始めた。なになに、大物の芸能人でもやってくるのか。そう思ったが、向こうからやってきたのは男性韓国アイドルのアルバムをプロモーションするトラックだった。
現在は第三次韓流ブームの到来といわれており、特に若い女性の間では韓国の女の子を真似した「オルチャンメイク」やアイドルのダンスから生まれた「TTポーズ」が大流行。コリアンタウンとして有名な新大久保に行くと、常に「韓国式ホットドッグ」を食べようと道をふさぐくらい多くの人が並んでいる印象がある。
その反面、歴史的問題、拉致問題、慰安婦問題、竹島問題、在日コリアン人権問題、ヘイトスピーチと、問題が嫌になってしまうほど存在しているのも事実だ。これらの問題をニュースで耳にしても、お隣の韓国とは文化交流も盛んだし、政治家たちがいずれ解決してくれるだろう、そう思ってしまうかもしれない。
だが、あえてそんな問題と向き合う現役の大学生による映画祭、「日藝映画祭2018」が12月8日から14日まで開催される。日本大学芸術学部映画学科映画ビジネスゼミの学生たちが主催しており、今年のテーマが「朝鮮半島と私たち」。さまざまな社会問題が存在するなか、なぜ学生たちは「今」このテーマを設定したのか。政治的に複雑なこの問題を、映画を通して切り開く映画祭リーダーの金子絹和子(かねこ きわこ)さんとメディア・パブリシティ担当の工藤咲穂(くどう さきほ)さんの話を聞いてみた。
きっかけは授業で観たひとつの映画
授業でさまざまな映画を観るという映画学科の学生たち。「朝鮮半島」というテーマに出会ったのは、吉永小百合(よしながさゆり)さん主演の1962年に公開された映画『キューポラのある街』だったと、映画祭のテーマを発案した金子さんは言う。
具体的なきっかけは、在日コリアンによる「帰国事業」という単語を映画で初めて耳にしたことだった。「帰国事業」とは、日本による朝鮮半島統治時代にそれぞれの事情で日本に移ることになった朝鮮人たちが1950年から1984年くらいの間に行った、北朝鮮に帰還するための運動や主に北朝鮮政府による政策のことである。初めて聞いたこの「帰国事業」という単語が一体何なのか疑問を持ち、朝鮮半島と日本の歴史について調べてみたそうだ。
金子:映画を観ているときには「帰国事業」ていうことが何なのかも、作中の帰国事業に関するシーンがどういう意味を持つのかもわからず、あとで調べて、日本と朝鮮半島に断絶があったということを知りました。
メディアの報道をみると、朝鮮半島と日本は仲が悪いという印象を受けてしまう。両国間にある問題に対してお互いの意見が食い違い、常に張り合っているイメージがある。なぜお互いの政府は仲良くできないのか。現在私たちが、簡単に歩み寄れず関係がどこか途切れてしまったように感じる、その「断絶」の背景には何があったのか。
1910年から1945年まで続いた朝鮮半島に対する日本の統治時代。その時代には、より良い暮らしを求めて日本に密航した人や強制労働のために日本に連れてこられた人、勉強のために日本に渡った人もいれば自ら仕事を探しに日本へ来たというさまざまな事情を抱えた朝鮮人たちがいた。今より当時は、そんな朝鮮人に対しての言葉による差別や、肉体的に相手を傷つけるような差別があったという。
そのまま自分の意思で日本に残る人もいたが、帰りたくても祖国に帰れなくなった朝鮮人の間で、異国の地で差別を受けながら生きるよりも、自分が生まれた地に帰った方がいいという考えが広がった。また戦後の北朝鮮を「地上の楽園」と考える在日コリアンも多かった。在日コリアンによる帰還事業が活発であった「キューポラのある街」が公開されたこの時代。映画にも登場する「帰還事業」は、日本近代史の一部でもあるのだ。
金子さんは、映画に登場する今の若い世代が知らない高度経済成長期の日本の様子、そのなかで日本に留まることになってしまった、あるいは留まることを選択した在日コリアンが、差別を受けながらも日本人と一緒に暮らしている様子が描かれているのを初めて見て衝撃を受けたという。今まで在日コリアンが日本で暮らすようになった背景について考えたこともなかったと話す金子さんにとって、当時の様子が描かれている映画を見て歴史的背景を調べたことが、映画祭の企画にすることになった最初のきっかけだった。
「今」取り扱うべき問題か。アクチュアル性を重視する日藝映画祭
今年で第八回目の開催となる日藝映画祭。第一回目から学生運動が盛んであった「1968年」という時代を取り上げ、以降「働くこと」についてや「天皇」など、時代ごとに注目されている社会問題に合わせたテーマを掲げている。
工藤:学生ならではの視点でこの映画祭のテーマを掲げているんですけど、それぞれ無関心じゃいけない問題、自分の身近ではあるけど、考える教育がなかったというか、考えるに至らなかった問題をテーマにしています。
しっかりとしたテーマを毎回設定しているが、当然ゼミのなかで多くの話し合いがあったに違いない。今年の「朝鮮半島と私たち」という企画が決定されるまでの過程はどのようなものだったのだろうか。
今年はゼミ生14人がひとりずつ企画を出し、議論の結果最終的に絞られたのが、学生運動が活発だった「1968年」と「朝鮮半島と日本」についてだっだという。
そんななか、今年の4月28日に開催された南北朝鮮の首脳会談。未だに停戦中である両国のリーダーが歩み寄る瞬間はテレビで大きく報道された。
南北首脳会談を契機に、映画祭が大事にしている「私たちが考えなければいけない」という点と「今取り扱うべきか」というアクチュアル性とを照らし合わせ、朝鮮半島をテーマにすることの決定に至ったそうだ。
何がダメなの?「知らない」から始まった企画を通して学んだこと
問題が山積みになったときは、できることからひとつひとつ解決していくのが適切な対策だ。しかし歴史的問題をはじめとする朝鮮半島と日本の間に存在する問題は、戦後70年以上たっても解決せず積み重なり、今日まで引きずられてしまった。
80年代まで続いた帰還事業や北朝鮮との拉致問題など、より緊迫した情勢を体験してきた私たちの親や教師の世代からすると、非常にセンスティブな朝鮮半島と日本のテーマを持ち出してもいいのか心配になるかもしれない。タブーという言葉があるが、在日コリアンに対する差別がより強かった親の世代では、彼らに対して少しでも友好的な発言すると「反日だ」と言われたり、非難されることが多かった。そのため日本と朝鮮半島、在日コリアンの問題を話題として持ち出すことは、なんだか後ろめたい、まさにタブーな話題として今日まで引き続いてしまった。
ふたりによると、実際に映画祭の企画の決定後、別の授業の教授から「大丈夫なの?」と心配されたこともあったそうだ。しかし差別の感情を知らず、韓国との文化的交流が盛んになっている現在に生きる学生にとっては、なぜ心配されるのかわからなかったと話す。
金子:本当に何も知らないところから始めたので、何がダメなの?って思いました。でも多分触れちゃいけない問題なんだよなっていうのも感じました。
もし、金子さんたちが最初から朝鮮半島との間にある問題について完璧に知っていたのならば、先生たちのように迷いはあったのかもしれない。しかし今まで詳しく学ぶ場所がなく、昔の世代とは違う、差別の感情を知らない学生だからこそ、映画祭のテーマとして問題提起をすることができたという一面もあるのではないだろうか。
この映画祭で上映されるには全18作品。学生たちはこの18作品を選ぶまで3、40本ほどの朝鮮半島に関する映画を観たそうだ。実際に在日コリアンの映画プロデューサーとして活躍する李鳳宇(り ぼんう)さんの生い立ちや苦労話を聞いて学んだこともあった。「知らなかった」状態から始まった学生たちであるが、学ぶ前と後ではどのような気持ちの変化があったのだろうか。
授業で「キューポラのある街」を観たとき、金子さんは「帰国事業」について心に残ることがあったが、反対に歴史について知識がなかったゆえに何も疑問に思うことがなかったという工藤さん。
もともと映画祭のテーマを決める段階ではフェミニズムの企画を考えていたという彼女であるが、「朝鮮半島と私たち」の企画が決定されてから多くの映画を観て、勉強するなかで、「これから知らなきゃいけないなって、意識が変わりました」と気持ちの変化があったという。
工藤:映画から日本と朝鮮半島の歴史を学んで、知らなかった自分の無知さに恥ずかしくなりました。
金子さんは「なんでこんな大事なことを、自分が生きてる国のことを、今まで教師とか家族とか、深く教えてくれなかったんだろうっていうのがすごくありました」と、もうすぐ社会に出る立場からして、このような話をタブーとしてしまっている日本社会に危機感を持ったと話してくれた。
金子:今は韓国とは文化的交流で友好的になっているけど、その裏でひとつひとつ解決していかないといけないことがあると思います。
日本と韓国のように、音楽やファッションで文化の交流が増えることはとてもいいことだ。しかしそれとは別に今ある問題を政府間に任せるのではなく、私たち国民も過去の出来事を学び、お互いがどう思っているのか朝鮮半島の人たちとも、日本人の間でも話し合うことが大切である。金子さんが述べたようにお互いが歩み寄り、友好的な関係で終わるのではなく、歴史的問題をはじめとした複雑になった両国の問題に向き合い、解決していくことが重要なのではないだろうか。
映画を専攻する学生ふたりが映画に期待すること
日藝映画祭のように、エンターテイメントである映画から社会問題を考えていくのは、誰でも気軽に参加できるひとつの方法だと思う。映画を観て、知らなかったことに気づいたり自分の人生について考え直すなど、気持ちの変化を経験したことがある人も多いのではないだろうか。そんな映画を専攻し社会と映画と観客をつなげる場を提供するふたりに、今後映画が社会でどのように役割を果たしていけばいいかのか、映画に対する期待を聞いてみた。
映画のアーカイブに興味がある金子さんは、映画は「言葉で表せないものを写し、過去に起こった出来事を後世に伝える重要な役割を果たす」と考える。過去を記録した映画が新しい未来を作る資料の一部になればいいと話してくれた。
工藤さんは自分で知るには難しい社会問題を知るためにも、「映画を娯楽として楽しみつつ、歴史や社会について学べるきっかけになればいい」と語る。
政治や社会問題に対して積極的ではない若者が増えている現状のなかで、このような映画祭を開催するのは今必要なことだとはっきり言える。
最後に金子さんは「学生がやっているたった一週間の映画祭で世界が変わるわけじゃないけど」と前置きし、この映画祭を通して「朝鮮半島の問題を自分のこととして考えられれば、自分と関係がある問題なんだなって思ってくれれば嬉しいです」と、映画祭に込めた思いを述べた。
当たり前であるが、何ごとも「知らない」と「知っている」では大きな差がある。朝鮮半島と日本の間に横たわっている複雑な問題を理解することは、今後文化交流を継続していくためにも大切なことだ。「朝鮮半島と私たち」とあるように、この映画祭は私たちと朝鮮半島の関係を考える機会となり、若い世代から世の中を変えていくきっかけになるのではないだろうか。
日藝映画祭「朝鮮半島と私たち」
会期:2018年12月8日(土)~12月14日(金)
会場/一般のお問い合わせ:ユーロスペース(東京都渋谷区円山町1-5KINOHAUS3F TEL:03-3461-0211)
主催:日本大学芸術学部映画学科映像表現・理論コース映画ビジネスゼミ、ユーロスペース
上映協力:「アリランのうた製作委員会/大島渚プロダクション/劇団ひまわり映画製作事務所/国立映画アーカイブ/松竹株式会社/ジェイ・シネカノン/株式会社スターサンズ/株式会社スプリングハズカム/「戦後在日五〇年史[在日]」製作委員会/「血と骨」製作委員会/東映株式会社/日活株式会社/Korean Film Archive」